![]() ![]() しかし、選挙の日、ふたを開けて見れば投票率90%(正確には89.56%)という高数値だった!!!
やった-という気持ちだった。実際にはカンボジアでは、みんな選挙に関して和気あいあいとしていたらしい。この勇気!言っておくがカンボジア人は、ポルポト派による遠隔からの投票所を目標とする砲撃の中で投票に行ったのだ。この投票率の高さには、日本中が首相をはじめ本当に驚いていた。まあ、このあいだは投票率40%をはじき出した国だからしかたないか。(政治不信という暗雲が近所の投票所まで立ちこめていて、我々の政治への意欲をそいでいるのも事実だが。)
したがって、今回のカンボジアの国連を中心とした紛争終結には、多くの人の協力と共に、わが創価学会の寄与も大きかったのだ。またこの部分で、創価学会の代わりを成し遂げられる団体もなかったのだ、実際に。 だが、実は、話はカンボジア一国では終わらないのだ。このカンボジアでの紛争解決は、小さなアジアの小国での紛争解決という以上の意味を持っているのだ。 1つは、この時は、国連がその威信を保てるか、はたまた手放すかという世界平和の流れのそのものを左右するという瀬戸際だったのだ。国連は、今、世界の紛争が転がり込む唯一の場である。その信頼度が、世界の平和勢力に与える影響ははかり知れない。 思えば、10年ぐらい前、「国際連合」の名は失墜していた。創価学会は以前から『国連、国連』と叫び続けていたが、世間では、今の国連を見ても当然と思うかもしれないが、昔は状況は非常に厳しかったのである。当時、大学のお偉方に言わせると、『確かに重要ないくつかの機関は持っているが、世界の紛争解決など、いまや誰も国連に期待していないよ。まったく力が無いのが国連だ。国連の場に何かを期待するのはよほどの理想家だ』そうで、よく冷笑された。そのような意見が多かったらしい。 それが、画期的な米ソ和解、冷戦終了で大きな役割を果たして180°信用を回復した。その後も東ヨーロッパの民主化の波、東西ドイツの併合などと世界は平和に向けて大きく進み、国連もずいぶん期待され出した。と、しかしそんな時に起きたのがまた湾岸戦争だった。国連という看板の恐ろしさを十分に世界にみせつけてしまった。各国が、『やはり国連にまかせて大丈夫なのだろうか?』と敏感になった。そんな時に迎えたのがカンボジアでの紛争解決だったのだ。
曲線はテキトウだよ
また、もう1つの流れは、国権優先から、人権優先に世論が変わったことだ。世界平和へ向けての潮流が高まる中での大きな変化だ。私が子供の頃は、よその国の中で何があろうと、干渉してどーこーするというのは、いけない事だと教えられたものだった。
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参考文献 注1: 『NIRA政策研究』 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター 山内康英 (注1の『選挙部門を統括したレジナルド・オースティン部長は、インタビューに応えて「カンボジアの国民選挙はラジオ放送に支えられた」』の部分を、下記より引用させていただきました。http://www.glocom.ac.jp/lib/yama/UNTAC/)
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