第4回 教学「一念三千」について |
つづき
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※9 十界互具。 ※10 「法華経の智慧 如来寿量品」大白蓮華1997年10月号18〜19ページ ※11 十界互具が説かれた目的。 ※12 『十界互具というのは「九界を切り捨てない」ところにポイントがあると思います。・・・(中略)・・・十界互具を説かない教えでは、九界を嫌う。九界を断ち切って、仏界に至ろうとする。 ※13 『一瞬の生命の「本然の姿」「ありのままの姿」をとらえたのが十如是という原理です。』 |
6.
※14 『妙楽は「十如を語らざれば因果備(そな)わらず」(摩訶止観輔行伝弘決)と、十如是の特性を因果に見ています。
因果は、成仏の因果 - 仏になれるか否か - に関わるから大切なのです。 大聖人は十如是を「色心の因果」(御書)239ページと表現しておられる。
どの生命(諸法)も、それぞれの「色心の二法」に「因果の二法」が具わって、千変万化の変化を続けている。そういう実相を、仏はありのままに見たのです。』 ※15 『十界の衆生が、すべて相・性・体・力...(中略)..の十如是を具えているということは、仏の眼で見れば、「仏と衆生が同じ生命を持っている」ということにほかならない。ゆえに、一切衆生の成仏は間違いないのです。』 ※16 十如是(十如実相)は法華経のストーリーが始まったほとんど冒頭で説かれる。(もちろん方便品である。) この十如是こそが、一念三千の要である。 |
7.
※17 「二十一世紀の人権を語る」 178ページ 潮出版社 ※18 三世間。 『「衆生世間」とは五陰によってつくられた個々人の違いです。』 『「国土世間」は、衆生が住む環境に種々の違いがあることをいいます。』 ※19 『私たちの心身両面の生命全体を育むものすべてが「国土」となります。・・・(中略)・・・「維摩経(ゆいまきょう)」で釈尊は菩薩の住む「国土」について言及し、「衆生という国土こそ、実は菩薩の仏国土なのである」と述べています。菩薩にとっての「国土」というのは衆生であるというのです・・・(中略)・・・このように、仏法の「国土」は文化的・社会的土壌をも大きく包みこむ概念なのです。』 |
8.
※20 『一念三千の仏種に非(あら)ずんば有情の成仏・木画の二像の本尊は有名無実なり。』 ※21 『私たちの個性とか特徴などは、五陰の働きとして顕在化』 五陰仮和合では、『一個の生命体を、心身の働きが「仮に和合したもの」と見る。』 『仏法の眼から見るならば、「それぞれの生命体の個性は、それぞれの業エネルギー(筆者注:過去からの行為による傾向性のこと)によって、五陰仮和合の在り方が異なるからである。」』 ※22 『「五陰世間」は、あらゆる生命の本質が「平等」「尊厳」であることを説いています。』 ※23 生命は、「五陰世間として個別化し、個性をあらわしていると同時に、生命全体としては衆生世間として区別される」 ※24 「二十一世紀の人権を語る」 179ページ 潮出版社 ※25 三世間という考え方は、『人権の深化・拡張の哲学的基板となる法理とも考えられます。』 ※26 アタイデ 『仏教は人間がいかにして平等、自由、愛情によって生きていくかを教えてくれています。現在まで、いかなる教えも、信仰と希望とで成り立つ仏教の教義を超えたものはありません。仏教思想によってこそ、来世紀を人権の世紀とすることができるでしょう。』 |
FIN.