第4回 教学「一念三千」について

 仏法には新世紀を担う輝くような新しい思想性があります。 なかでも「一念三千」は仏法の基本的な法理です。とは言え、難解なためか、残念ながら、あまり光があたって来なかったような気がします。

そこで一つの挑戦として、勝手ながら仏法理解のために、この「一念三千」をテーマに選んでマンガ仕立てで説明してみました。

 また今さらになりますが、この内容は、『私は、このように理解している』という範囲のものです。

決して誤解など無いと思いますが御理解下さい。それから御感想などいただければ大変嬉しいです。

全8ページ(約1.3Mバイト) 1999年 3月16日



 1.

※1  特に深い意味など決して)ありません。(マンガですから。)

※2  こんな出だしに1ページ半も使った筆者はバカやろーです。



 2.

※3  一念三千とは、『一念に三千を具(ぐ)す』ことである。このうち、一念とは瞬間の生命のこと。
三千とは、10界×10界互具×10如是×3世間=3000の種類を指す。

誤解を恐れずに平たく言えば、「瞬間の心(を含めた広い意味での生命)に、(三千に整理して表現された)あらゆる現象世界すべてを含んでいること」を言う。これが直接的な意味である。
釈尊の説法中、法華経の中で始めて説かれた。それを始めて明らかにしたのが、中国の天台大師(てんだいだいし)だった。
ずうっと昔の6世紀のことである。 その天台の講述を弟子の章安が筆録してまとめたものが「摩訶止観(まかしかん)」である。



 3.

※4  十界論
言わずと知れた(傲慢かな?)、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏」の10種類の生命状態のこと。
本文では略したが、それぞれ、「苦しみ・欲望・無理性・怒り・平静・喜び・無常・覚り・慈愛・仏」を表し、 十界論では、一個の生命が瞬間瞬間にこの10種類の生命状態を(縁に触れることによって)移り変わると説く

※5  『その境涯に応じていくつかのグループに分類している。』
「生命を語る」潮文庫 2巻14ページ

『十界論は..(略)... 主観的カテゴリーと考えられます。しかし・・・』
同 20ページ



 4.

※6  『仏法の十界論は、あらゆる人を、その「境涯」で見る。だから平等なのです。(中略) そして、あらゆる人の中に「仏界」の可能性を見て、それを開いていこうという慈悲が十界論の眼目です。
「法華経の智慧 如来寿量品」大白蓮華1997年6月号18ページ

※7  仏教の中でさえ、例えば、この一念三千の法華経で、若くして中世の日本仏教界を事実上、制覇した伝教大師(でんきょうだいし)でさえ、晩年まで、法相宗の僧侶と論争し続けたが、その議題は、「一切衆生に仏性があるか、否か」だったのである。

現代人にとっては意外だが、「誰もが成仏出来る可能性がある」などと言う論拠を真に確立している経典は他にないのである。
例えば浄土経典では唯除五逆誹謗正法だし、涅槃経は有名無実であり、法華経だけであるといえる。

※8  一念三千が表す意義とは、この「誰もが成仏できる可能性を持つ」ことと言ってもいいだろう。 これこそ、一念三千の意味なのだ。

なお、そこまで言っていいのかと疑問に思われる方もおられるかも知れませんが、今回の趣旨は、一念三千の教相を基本的にひたすらわかりやすく説明することにかけているのです。





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