2001/11/10

中宮寺

   京都の宿をチェックアウトする。全部で1週間半ほど滞在した宿ともこれでお別れだ。このあと訪れるのは奈良の南部の寺になるので、橿原のホテルを予約してある。通い慣れた通勤路のようになった道を奈良まで車で走る。昨日と同じ法隆寺の門前の駐車場に車を置き、中宮寺へ。本堂の扉には菊の文様が取り付けられ、それが池に映ってゆらめいている。
 ここの弥勒菩薩は、聖徳太子展のため、上野の国立博物館に行っていて、かわりに精巧なレプリカが置かれている。畳の間に座ると、テープで説明が流れる。横には天寿国繍帳。本尊がレプリカである以外は、いつもと変わらぬ光景だった。レプリカと言われなければ、わからないだろう。

法隆寺 西円堂

   法隆寺の境内を東の端から西の端まで歩き、西円堂へ。ここも初めて訪れる。西円堂は八角形のお堂で、その柱も八角形をしている。その脇には鐘撞き堂があり、ちょうど正午の鐘を鳴らしているところだった。お堂の中には丈六の薬師如来。峰薬師と呼ばれる。団体客の多い法隆寺でもここまでは来ないため、静かな時を過ごせる。

藤ノ木古墳

   法隆寺門前の店で梅干しが丸ごと入ったうどんと赤米を使ったごはんの定食を食べた後、ここから600メートル離れた場所にある藤ノ木古墳に行った。6世紀後半のものとされ、石棺は未盗掘の状態で見つかった。以前、出土品を横浜の美術館で見たことがあるので、一度現地にも行ってみたかったのだ。家や畑に囲まれた場所で、石棺のレプリカも置いててある。古墳の盛り上がった部分は畑になっていて、おそらく畑の持ち主のものであろう物置小屋も作られている。この畑の持ち主はまさかここが古墳だとは思っていなかったのだろう。逆に、そのために未盗掘のままで残されていなかったに違いない。
 聖徳太子が生まれたのが西暦574年。藤ノ木古墳が作られた時代と重なる。どんな人物が埋葬されたのか、これからの研究が楽しみだ。

石棺のレプリカ。

当麻寺

   正式には當麻寺と表記する。いや、正式名称が當麻寺なら、寺からは當麻寺と書いてくれといってくるはずなのだが、両方を併記してくれと言われていた。当麻寺でも正しいと寺側では認めているということだろう。
 当麻寺は二上山のふもとに位置する。門をくぐると二上山が伽藍の背後に広がる。始めに奥の本堂で入堂料を支払う。中央に厨子に収められた大きな當麻曼荼羅が置かれている。
 金堂の弥勒仏は白鳳時代に作られたものだ。塑像としては最古のものとされる。周りの四天王の顔はエキゾチックで異国人を思わせる。ひげのある四天王としては唯一のものであるらしい。また、法隆寺の四天王に次いで古いものであると寺の説明に書いてあった。東大寺戒壇院の四天王はここの四天王に次ぐ古さなのだそうだ。四天王に踏まれる邪鬼もかわいらしい。あぐらをかいた自分の足にあごを乗せてじっと耐えていたりする。ふまれたまま歯を出して笑っているような表情のものもいた。
 事前にホームページでプリントアウトしておいた割引券を持って境内にある中之坊へ。片桐石州が改修したとされる庭園を散策する。経路の途中の霊宝館で宝物を見ることができる。著名な日本画家の絵や手紙などが展示されていて面白い。最後に庭の見える座敷に上がり、抹茶をいただく。

抹茶とお菓子をいただく。

石光寺

   当麻寺からほど近い場所にある石光寺に行く。ここは、当麻寺の當麻曼荼羅を作るときの蓮糸を染めたという伝説のある井戸が残される。
 平成3年には、弥勒堂改築に伴う調査によって、石仏が発掘された。これが日本最古の白鳳時代の石仏とされ、これがかつての本尊だった。
 拝観時間を過ぎていたためか、誰もいなかったが、中に入ることはできたので、よく手の入れられた庭を見て回った。
 石光寺を出てから、今日からの新たな宿である橿原のホテルにチェックインする。

石光寺の蓮糸を染めたという井戸。

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