2001/11/11

長谷寺

   以前、5月の連休に来たときは満開のぼたんを目当てに来た人でかなり混雑していたのだが、この日はあまり人がいなかった。参道のみやげもの屋や、草もちやそうめんを売る店を眺めながら、長谷寺へ。長い石段を登り、本堂の長谷観音を拝観。ふと見ると靴を脱いで石の床に正座したまま、下を向いたままじっと祈っている若い女性がいた。
 仏像を見て回るようになったころは単なる美術品のつもりで見ていた。しかし、自分が美術品として嬉々として仏像を見ている横で、手を合わせて懸命に祈っている人も多く見かけた。そういう人を見るうちに、仏像を美術品として見るのは間違っているのではないかと思うようになった。自分が信仰しなくても、少なくとも信仰の対象として見る人がいる以上は、そのように見なければいけないのではないか。
 原始仏教は、神のような大きな力を持った存在というものは想定していなかった。あくまで生老病死を始めとする苦しみを人間がどう克服していくかとい点にあったと考えている。そういう意味で仏像に手を合わせることに違和感を感じるのだが、現実にその仏像を信仰の対象とする人に対する敬意という意味も込めて手を合わせることにしている。ただし、お願い事のようなことはしない。神社でも寺院でも手を合わせ時には「来ました。よろしくお願いします。」と心の中で唱えている。
 この原稿の始めのころに書いた広隆寺の副貫主も、「最近は一時期のように仏像をたんなる美術品として紹介することがだんだん少なくなってきて良かった」とおっしゃっていた。そのとき、自分が美術品として見ていた頃に、この人と会わなくて良かった、とつくづく思った。これも仏教が強調する「縁」というものなのだろうと思う。

五重塔。

聖林寺

   前に訪れたのは5年ほど前になるだろうか。そのたたずまいはそのころと変わらず、こじんまりとしたお堂が丘の上に建っていた。寺の奥の観音堂に十一面観音が安置される。以前、訪れたときはここの扉は閉まっていて、たまたま庭仕事をしていた住職らしい人に、
 「開けて入ってもいいですか?」と思わず聞いたものだった。今日は扉は開け放たれている。以前は、なかったと思うのだが、ガラスで仕切られていた。
 あらためて見てみると体のプロポーションが実にいい。腰が大きくすぼまり、その分、胸の膨らみが強調される。露出したお腹のあたりがやわらかい感じでなまめかしくもある。指先は優雅に花瓶をそっと持っている。それに対して顔は厳しい表情をしているように見える。今回見てみて初めていいと思った。この像を多くの人が褒め称える理由がわかった気がする。

聖林寺のふもとにある看板。

飛鳥寺

   本堂の入り口のかもいに岡倉覚三の名前の入った国宝認定書のようなものが額に入って飾られているのを発見した。岡倉覚三とは岡倉天心のこと。明治時代に日本の美術品を残すために活躍した人物だ。
 お堂に入るとお寺の人が説明をしてくれる。本堂が焼失し、仏像だけが残り、本堂が再建されるまではわらが巻かれていたことや、この仏像は1400年間ここに座っているということや、かつての寺域は今の20倍あったという話などをしてくれた。終わってから仏像の撮影をしてもいいという。他の寺であれば、仏像の撮影は絶対禁止というところがほとんどだ。ありがたく撮影させてもらう。ただし、本ではすべてイラストで紹介するので写真は使わなかったが。
 仏像が撮影禁止にされる理由としては、信仰の対象だからという理由が多い。そういう理由で、寺側がやめてほしいと言っているのであれば、それに従うべきではないだろうか。自分が信仰していないから、そんなのは関係ない、などという横柄な態度は少なくとも自分にはとれない。残念なことに撮影禁止を知ってか知らずかレンズを向けている人をときどき見かける。薬師寺でもおじさん、おばさんの団体が、寺の係の人が「写真はやめてください」と声をからしているにもかかわらず、無視して撮影している人がいた。あの世代が、金を払えば何をしてもいいんだという風潮の日本を作り、信仰よりも金という世の中を作って海外からも軽べつされる日本にしてきた、とは思いたくないのだが。
 飛鳥寺の本を購入。  

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