2001/11/9

薬師寺

   約束の時間に訪れると、「報道」と大きく書かれた腕章を渡される。ちょっと気恥ずかしいが、その腕章を腕に巻き付け、受付を通過する。秋の観光シーズンで結構人が多い。お堂や三重塔の写真を撮らなければならないのだが、人がどうしても入ってしまう。なるべく少なくなるタイミングでシャッターを切る。
 撮影後、金堂に入る。薬師三尊。すっくと立つ両脇の日光・月光菩薩と真ん中に座る薬師如来。どれも漆黒の肌がつやつやと輝いている。ため息がでる。何度も来ている薬師寺だが、今回台座の部分もまじまじと見てみた。台座は本尊の背後から見られるようになっている。寺の説明書きによれば、ここに描かれている猿のようなのはインドの神だという。びっくりしたのは四神も描かれているということ。四神は東西南北を守護する中国の神で青竜、白虎、朱雀、玄武。日本でも古墳や鏡に描かれたりしている。ついこの間もキトラ古墳からあざやかな朱雀の絵の写真が公開された。平城京や平安京もこの四神に守られる地形の場所に作られている。その四神彫られているということは、この像がそれだけ古い時代に作られたことを物語っている。東院堂では聖観音を拝観する。聖観音を守る四天王に踏まれる邪鬼もいい表情だ。
 東僧坊では、ちょうど一人の僧侶が団体客を前に話をしているところだった。修学旅行で薬師寺を訪れたとき、どういうわけか前管主の高田好胤氏に気に入られ、ぜひこの寺に来るようにと言われたのだという。そのときに親は何をしているのかと聞かれ、洋服店を営んでいた彼の家のことを「テーラーです」と言ったところ、寺ならちょうどいいと言われた、という高田氏ゆずりの冗談で団体客を沸かせていた。そこの売店で薬師寺に関する本を3冊購入。

薬師寺のトイレ。悪人が入ることは許されない。

法輪寺

   法隆寺には何度も来ているが、この法輪寺には今日まで足を延ばせずにいた。聖徳太子の御子、山背大兄王創建と言われる寺で是非とも訪れたいと思っていた。門の脇に立つ三重塔は落雷によって消失後、宮大工、西岡常一棟梁らの手によって昭和50年に再建されたもの。  お堂に入ると尼僧が丁寧に「ようこそいらっしゃいました」と言って出迎えてくれた。実に静かな場所で、仏像をすぐ間近で見ることができる。面長の顔を持つ飛鳥時代の木像だ。

法隆寺

   朝から曇り空だったが、法隆寺に着いた頃には雨が落ちそうな天気になり、ますます薄暗くなっていた。五重塔の初層の塑像を見る。どこかの大学のゼミなのか学生の集団が今日は多い。この塑像に人がたかっていることなど見たことがなかったが、この集団がいるために、それに釣られて見に来る人がさらに大勢来て、とんでもなくにぎわっていた。
 大講堂では薬師三尊と四天王がいる。薬師如来の光背は透かし彫りで軽やかな感じだ。その両脇の日光・月光菩薩は珍しいことに座像だ。薬師寺金堂のように両脇侍が立っているのはよく見るのだが。
 金堂に入る。天気がいいともう少し明かりが入ってくるのだが、今日は、堂内は真っ暗といっていい程だった。ここも学生でいっぱいだった。中には懐中電灯を持っている人がいて、仏像を照らしていた。いままで懐中電灯で仏像を照らすことに抵抗があって、使ったことがなかったのだが、この法隆寺だけは例外としてもいいかもしれない。
 大宝蔵院には多くの仏像やお宝が展示されている。百済観音はこの中の百済観音堂に安置される。この像にはハッとしてホッとする不思議な感じがある。最初に像が視界に入ったときにハッとした感じがある。それは体の細さに比べて長い身長の百済観音がスッと立っている姿に神々しさを感じるからだろうか。像を眺めているうちにその顔の穏やかな表情に気持ちが落ちついて来てホッとするのだ。
 夢殿に向かう。もう閉館時間ぎりぎりで、小走りに広い境内を走っていった。夢殿の門には腕時計を見ているおじさんがいた。まだ間に合う。入場券をもぎってもらい、夢殿の開いている扉に張られた金網に張り付く。実は、この夢殿が開いているときに法隆寺に来るのは初めてなのだ。どうしても救世観音を見ておきたい。が、ここも中は暗くてほとんど見えない。そのうち、係の人が夢殿の扉を閉めに来た。一枚一枚扉が閉まっていくにつれて内部は暗くなってくる。それでも外の金網にしがみついて見ていると、その姿を哀れに思ったのか、持っていた懐中電灯でほんの一瞬だったが、照らしてくれた。その明かりに写真で見たことのある強烈な印象の救世観音の顔が一瞬浮かび上がった。一瞬であったが、それで満足せざるを得ない。金網から離れ、法隆寺を後にしたのだ。逆に一瞬の姿だったが故に、印象に深く残ることにもなった。

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