大川遺跡


余市川の河口岸で護岸工事があった。GOMI君の情報で子供たちが集まって騒いでいるらしいとのこと。矢じり隊の僕らは黙っていられない。チャリンコで直行。川なのにまるで海のように波が押し寄せていた。子供たちが遊んでいる。以前からこの辺は道端に矢じりや黒曜石(矢じりの材料)が落ちていたので、僕らは「絶対にある!」と確信していた。
あった!あるある。すごい!黒曜石の「矢じり」、「石斧」らしい30センチ位の物体やら、「土器のかけら」がたくさん。その中には朱塗りをしてあるような「かけら」もある。重たいけど「石冠」、そして「ビー玉」まで。波打ち際はまさに「宝の山」状態で大パニック。
誰が何を見つけていったのか、さっぱり分らない。今、ナニ持っていったの?全員に聞いてみたかった。当然それどころじゃなかった。
2日目が暮れようとした時、もう「矢じりの破片」も何も見つけられなくなった。


近年、その場所から20メートル位離れたところを教育委と先生たちが大きな大きな穴を掘って調査したらしい。もともと余市川右岸の砂丘地帯に発達した縄文都市だったらしく、縄文時代後期(3,800年から3,000年前)から、続縄文時代(2,000年から1,400年前)さらにその後の擦文時代、近世に至るまで2,000の遺構と152万点にのぼる出土品が見つかったらしい。
小型の土器のような「土鈴」(どれい)や、勾玉などのヒスイ玉、数千個のコハク平玉、さらにはイヤリングと思われる「青銅製の鈴」まで発見された。 本州製らしい土師器(はじき)や須恵器(すえき)などもあり、この地域は本州などとの流通・交易の拠点として栄えていたらしい。
だからってさ、「土器のかけら」の小さいのは要らないからって山積みにして捨てないでね。
まあいいか。どうせやるならもっとずうーっと前に発掘調査しておけば、ほかの貴重なお宝も川の底に沈んでいなかっただろうにね。


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