第二日目:恐怖の真田町
さて、初日に既にガタガタに疲れ果てた我々は、真田町にある真田関連の史跡を
回ることにした。
さて、行き先であるが…
角間渓谷
猿飛佐助に会う為に、
彼の修行の地である
角間渓谷へ向かったのであるが、結局何キロ歩いたのであろうか、8月のクソ暑い中、もう汗はダラダラ状態、その上道筋にジュースの自販機なんか
ある訳も無く、途中、霧隠才蔵の襲撃を受けながらも、山道を歩いていった。
しかし、さすがはこーへいちゃんである。
拙者も、こーへいちゃんも高校時代山岳部であったが、代表であったこーへいちゃんと
そーでなかった拙者とでは脚力に差が出まくってたのである。
で、何とか
猿飛佐助が修行したという、かの有名な岩にたどり着いたが、もうその時点では2人共ボロボロであったのである。
*岩に登り暑さの為に錯乱して、吠える左衛門佐ともーか氏の図
実はこの岩の真ん前が温泉宿になっており、拙者とこーへいちゃんは
九死に一生を得たのである。(大ゲサな)
真田資料館〜長谷寺
で、角間渓谷から朦朧としながら歩いて戻り、途中、「真田資料館はこちら」
の看板に従って進み、ドツボにはまってしまった。
またここも一体何キロ歩いたのだろうか、この間、うだるような暑さの為、脱水症状
を起こしてはいかんと思い、ジュースの自販機を探したが、んなもんあるわけはない…
結局、拙者としては2回目の真田資料館、長谷寺もこの暑さ、空腹、脱水症状の為か
記憶があまり定かではない。
確か長谷寺で掃除をしてた人物が望月六郎に似てたが、気のせいか…
刀屋
刀屋とはいっても別に刀を売ってるのではなく、「ソバ屋」である。
恐ろしく暑かった真田町からバスで上田に戻り、3時を過ぎての遅い昼飯を食いに行った。
ここのソバの特徴を一言で言うと、「美味い」のである。
我々関西人にはソバはなじみがうすいものであり、その上大学時代、東京の友人に
「美味いソバを食いに連れてってやる」と言われ、まずいソバを食わされた経験が
あるせいか、蕎麦というものには不信感を持っていた。(これまた大ゲサな)
が、ここの蕎麦により拙者の蕎麦に対する考えは一新されたのである。
名古屋にある吉田のきしめん、並びに大阪難波の戎橋の隣の橋のたもとにある
タコ焼きの屋台「大ダコ」に匹敵する程美味であった。
しかし、刀屋には冷房という近代的なものがなく、しかも店内は狭くいつも込んでる為、
注文した蕎麦が来るまでは汗ダラダラ状態であった。
でも、美味かった。まさに
「うまいもんはうまい」である。しかも、我々は「もりそば」の普通盛を注文したのであるが、出てきたのは
まさに
山盛りに盛られた蕎麦であった。美味い上に量も多い。東京の友人が昔連れてってくれたまずい某蕎麦屋とは
大違いであった。
尚、この蕎麦屋で由利鎌之助らしき人物が蕎麦をすすっていたが、あくまで目的は幸村殿
無視してしまった。
別所温泉
さて、刀屋で蕎麦を遅い昼食とした後、
「真田幸村が温泉にいるかもしれない」
という情報を得、別所温泉に向かった。
上田駅から上田交通別所線でおよそ30分。寝てたので気が付いたら別所温泉駅であった。
この温泉街の売店で
こーへいちゃんがまたまたアイスを買って食ってたのは特筆すべき事項であろう。
で、入浴料金100円(だったかな)を払い温泉に入ったが、残念ながら真田幸村殿は
既に上田に戻られた後とのことで、お会いすることができなかった。
うー、この温泉、真田町で完全に日焼けした肌にはきついほど熱かったのである。
この温泉にたまたま筧十蔵が疲れを癒しに来ていたが、誰にも悟られていなかったようだ。
この後、上田に戻り、飯屋を探したが、既に閉まっており、やむなく居酒屋で
地ビールを飲みながらつまみをつまんだのである。
さすがに拙者もこーへいちゃんも疲れきっており、斜めむこうのテーブルで
三好清海、三好伊三兄弟が飲んで暴れてたが、疲れてたので無視してしまった。
さて、以下に今日我々が苦難の道を辿った真田町の地図を載せておく。
体力に自身のある方々、並びに猿飛佐助や霧隠才蔵に襲撃されても勝つ
自信のある方々は、行ってみてちょうだい。
今日はさすがに疲れた…