part3:出現!第3の三楽

片野城から戻り、メインストリートに出た。メインストリートといっても1.5車線の道路の脇には住宅と閉まっているコンビニエンスストアと自動販売機。よそものにはそっけない景観だ。
自転車をこいでいるお爺さんに聞いた。
「すみません、八幡宮の場所はご存じでしょうか?」
お爺さんは、知らないというふうに首を横にふり、一度も自転車を止めないまま行きすぎてしまった。バス通りから一本なかへ入って半円を描いてまた通りに出ようとしているのだとわかった。
バス通りにつきあたる路地を歩いて行くと、入り口付近の民家で庭いじりをしているおばあちゃんに出会った。
「すみません」
と声をかける。老人に声をかける時は加減が難しい。耳の遠い人もいるし、意識的にこちらを警戒して無視している場合もある。かといって、怒鳴るように最初から大声を出すのも禁物だ。幸い、おばあちゃんが顔をあげてくれた。
「おたずねしたいのですが、片野八幡宮はどこでしょうか?」
「はちまんさん?」
「はい」
おばあちゃんはゆっくりと門のところまで歩いてきた。
「そこの小路を入って、すぐですよ。ほら、欅の木が見えるでしょ。あそこです」
至近距離だった。
「なんかあるんですか?」
今度はおばあちゃんが不思議そうな表情で聞いてきた。わたしは無情にも、ちょっとこのへん調べているんです。どうもありがとう、とあっさり言って、その場を去った。
歩き出してから、しまったと思った。あのおばあちゃんは「はちまんさん」を探しているわたしに関心を払ってくれた。受け答えもしっかりしている。わたしの目的を話せば、もっと有益なことを聞けたかもしれない。
が、とりあえず、片野八幡宮に向かうことにした。
神社にお墓があるとも思えないのだが、石碑などがないかという期待もあった。しかし、こじんまりとした八幡宮の境内には、出征兵士の凱旋碑(日露戦争だろうか)があるのみ。ただ、案内板があった。「県指定無形民俗文化財 片野排禍ばやし」
そして、次のように書かれていた。

十六世紀末、片野城主太田三楽が当、八幡神社を建立した際、わざわいを排すため奉納をしたことを起源としたと伝承されている。(後略)

ここにも太田資正の足跡があった。柿岡のまつりも、この片野排禍ばやしも一度は見てみたいものだ。おそらくいつか祭りを見に再訪することになるだろう。
しかし、かんじんの墓はない。八方ふさがりだ。
ここで、さきほどのおばあちゃんを思い出した。わたしはもと来た道を小走りに戻った。

もう家の中に入ってしまっているかもしれない。敷地内にまで入って呼び出すのも気がひける。その時はあきらめようと思った。
だが、おばあちゃんはまださきほどと同じ姿勢で草をむしっていた。
「すみません、さきほどはありがとうございました」
「ああ。すぐわかったでしょう」
「はい。ありがとうございます。あと、ちょっと教えていただきたいんですけど。八幡さんに片野排禍ばやし、の案内板がありますよね」
「はいはい」
「それをはじめたという太田三楽について調べているんですが」
わたしは手帳に「太田三楽」となぐり書きして、おばあちゃんに見せた。
手帳を見ていたおばあちゃんは言った。
「ああ。太田三楽、知っています。太田三楽は根小屋だね」
これは太田資正の居城片野城のあるあたりの大字である。わたしは興奮をおさえきれなかった。聞きたいことが頭の中でグルグル回転している。だが、おばあちゃんのほうから喋り出した。
「うちは綿引といいます」
綿引のおばあちゃんは言う。
「わたしの先祖もな、三楽というんよ」
「エッ」
「太田三楽からいただいたそうです。うちの墓にもそう刻んであります。三楽って」
なんと、わたしのほかにも「三楽」と称する人物がいた。しかも彼は元祖三楽斎から貰ったというのである。うらやましい!
綿引のおばあちゃんの話を総合すると、つぎのようになる。
綿引家は江戸時代には、代々名主をつとめ十五代続いた古い歴史を持つ。それ以前の戦国時代には、さらに南の小田城のそばに住んでいた。綿引家の先祖たちはいくさ(対小田、あるいは対北条?)に敗れ、兄弟三人、ここ片野まで落ち延びてきた。折しも片野城主となっていた太田三楽に家臣として仕える。同家も昔は恋瀬川の対岸、片野城の郭内である根小屋地区にあったという。この綿引家は代々、武兵衛を名乗り、そのうちのひとりが三楽から号をさずかったのだ、という。
「小幡に筑波山をたたえる碑が建っています。先祖の武兵衛が建てたといわれてます」
しかし、うれしいじゃないか。ゆかりの土地に来て、太田三楽の名に反応する人に出会えるとは。
今回の旅でこういう人にいつまた会えるかわからない。わたしは手帳に書いた「太田三楽」の文字を示しながら聞いた。
「太田三楽の墓を探しているんですけど、知りませんか?」
「さぁてね。わたしはここへ嫁にきたから。うちの母親(ご主人の母親ということか?)が生きとったら知ってたと思う。片野のひとだから」
「片野城のあたりをずっと探していたんですけど、見つからないんです。ひょっとして八幡神社にあるかな、と思ってきたのですけど」
「八幡さんにはない。山のどこかにあるんだろうねえ」
どうやら、ここまでである。だが、どうやら墓は城域のどこかにある。わたしの探し方が不充分なだけなのだ、という気がした。バスの時間が近づき、わたしはお礼を言って綿引家をあとにした。
危うくあきらめかけていた探索を続行する気力が湧いてきた。ここで綿引さんに出会ったのはまことに僥倖、と言うほかはない。

part4「筑波を越えて」