きまぐれ日誌 960129



本日、勤務先をスムースに抜けて、新宿御苑のロフトプラスワンにたどり着くことができた。東京ロッカーズのプロデューサー的な方で、その昔、絶対零度をお世話してくださった地引雄一さんに、10数年ぶりに再会した。

今日は2回めのEater Dayで、ゲストはオートモッドを再開したジュネであった。会場は満杯。若い方達が多かった。東京のロック・シーンが良い意味で発展するいぶきのようなものを感じられた。

中川が知っているジュネはLOFTで絶対零度と一緒にやっていた頃のジュネだったから、まさに15年ぶりくらいの再会であった。

中川がオートモッドをはじめて見たのは、80年5月頃の新宿ACBの午前5時頃。オールナイトのギグのトリをやった時だった。パワーがあふれていて、「ポルノ雑誌の女」(後に、テレグラフから出たレコードにも入っていた。)という曲のGS風のギターのリフが印象的だった。そして、ジュネは妖しさを秘めたカリスマ性を放っていた。その後、ロフトの頃は一緒にブッキングもしていた。

81年1月に、中川が属していた「絶対零度」がシーンのさらに周辺でいるかいないかわからない状態になって以来の再会だった。その後、一度頂点を極めた後も、自身の納得できる表現「行為」を継続したことをビデオやトークなどで確認できました。そして、オートモッド再開。「オートモッドのジュネとしてまたやるんだ」とのことであった。「寺山修司の世界をロックでやる」ということが方法論だと。

トークのなかで、ジュネが「時代がアイデンティティを失っている」と言っていたことや、「ロック」もボリューム優先となってしまっていることが印象に残る。また、表現の素晴しさにも関わらず、情報が伝わらないために、聴いてインスピレーションをかきたてられてシーンを創る人達との交流によるエネルギーを引き出せない現状に対する苛立ちは、実にもっともであり、その解消こそが課題だと思われた。

「Cyber Eater」のようなかたちで、Home Pageを立ち上げて、さまざまな表現者の接点とすることで、ボリューム優先の現在の音楽産業などに対するオルタナティブを確立することができるのではと期待したい。

HTMLといい、Home Pageといい、70年代の後半にコピーがコンビニに置かれたのと同じ様な効果をもたらし、シーンを作り出しうるのではないかと。地引さんが紙媒体でやっていることを本格的にネット上で展開するとき、日本のサイバースペースも本物になる。代替的メディアとしてのWWWとなる。

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