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ヨーロッパ文化論
[ルネサンス.2002]


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 ヨーロッパ文化の歴史において、重要な役割を果たした時代として、イタリアのルネサンスを挙げることができる。ルネサンスとは、十四世紀半ばから十七世紀初めまでの約二百五十年間をさす言葉である。この間に大きく発展を遂げたルネサンス文化は、その後のヨーロッパの文化形成に多大な影響を及ぼすこととなる。

 ルネサンスよりも前の時代のイタリアでは、イタリア北部、特にフィレンツェを中心として十三世紀に経済的な隆盛をむかえていた。しかしながら、百年戦争の影響でフィレンツェの経済がほぼ壊滅状態に陥り、さらに一三四八年など数度にわたってペストの大流行に襲われ、おおきな打撃をうけてしまう。

 そのような混乱した状況の中で、ヨーロッパ社会の基盤をなしてきた教会は人々を救うことができず、その権威は大幅に低下することとなる。また、神を研究するスコラ大学が作り上げた神学が持つ世界観も説得力を欠くものとなっていった。こうした背景を受けて、人間の将来の生き方を提言し、人間の本質とは何かを考える新たな動きが出てくることとなる。そのために、古代人の英知に学ぶために古代ローマ時代の古写本の発掘や読解が行なわれるようになり、人文主義が台頭するきっかけとなった。その後、古典古代の人間尊重と、神を大事とするキリスト教との相容れない二つの考え方の統合をめざす考え方が模索されていくことになる。

 ルネサンス初期におけるイタリアは、いくつもの都市国家がそれぞれ強烈な自治を主張してゆずらない地方分権が特色で、アルプス以北のヨーロッパが王権の力を中心とした絶対主義国家へと向かっていたのとは対照的な政治状況にあった。しかし、オスマン・トルコ帝国の勢力拡大に対抗するため、教皇庁が介入してイタリアの諸国家は一四五四年にローディ和約を結び、和平が実現する。そのために、各都市で文化が花開くこととなった。その中でもとりわけ繁栄を誇ったフィレンツェでは、メディチ家の手厚い庇護のもとで、研究サロンとしてのアカデミーがつくられた。十三世紀から始まったラテン語やギリシャ語文献の発掘、校訂を受け継いで、翻訳作業が盛んに行なわれ、やがて多くの学識者がヨーロッパ各地から訪ねてくるまでに発展を遂げた。このアカデミーでは、教会に属する在来のスコラ大学で主に取り扱われたアリストテレス主義に対して、プラトン哲学や新プラトン主義などが盛んに研究された。

 さまざまな研究が進められる中で、次第にルネサンス時代の重要な思潮が醸成されていった。それは、天上界と地上界、つまりマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙)が相互にかかわり合う感応、照応の関係にある、というものであり、神とは天井の神ではなく地上すなわち都市にある神こそが本当の神であり、世俗性と人間性にこそ価値を求める、というルネサンス文化の特徴が次第に形成されることになる。

 その後、イタリアで対抗宗教改革が生じて思想統制がしかれるようになると、研究の対象を神や人間から自然界へと向ける動きが、主に南イタリアにおいて十六世紀中期ごろに見られるようになる。この十六世紀中期から十七世紀にかけての時代はルネサンス後期と呼ばれるが、近代自然科学の揺籃期としても重要な時期である。特に一五四三年から一五四五年にかけての三年間は、「天体回転論」「人体構造論」「アルス・マグナ」(三次元方程式の解法を発表)など現代の自然科学の礎となるような研究が発表されており、注目に値する。これは、自然界のあらゆるものに霊魂が宿るとみなすアニミズム思想をもつプラトン哲学から、自然を数学的な視点から捉えようとする自然科学が分離発生していったことを意味する。その後、人間が自然を支配し、それゆえに自然を霊魂の宿らない単なる物体とみなすという、数学的な考え方が次第に主流を占めるようになる。宗教改革や対抗宗教改革が行なわれた波乱の十六世紀を経て十七世紀に入ると、それまでの宗教における神にかわって、科学が中心的存在として主役を担うようになっていくのである。

 ルネサンス時代は、自然科学に限らず多方面にわたって科学技術が進歩した時代でもある。その中でも代表的なものが、ルネサンスの三大発明といわれる、火薬、羅針盤、そして印刷術である。これらの発明はいずれも現在の我々の生活にとって非常に重要なものばかりであるが、特に印刷術の発明はその後の人類の知の発展には必要不可欠の技術であった。

 グーテンベルクの活字と鋳型による鋳造方式と加圧式の印刷機は、一四四〇年に発明された。印刷技術の発展に伴い、さまざまな社会階層の人々に本が行きわたることなり、学知の普及のみならず、思想の伝達や論争の手段としても有効に活用されるようになっていった。翻訳も盛んに行なわれ、ギリシャ語やラテン語の読めない人でも古典が読めるようになるという恩恵をもたらした。また、図版を伴う科学書の出版が可能となり、解剖書や機械図、動植物図などが図示されるようになった。航海術においても、世界地図や三角法などの書籍が出版され、羅針盤の発明とともにその発展に貢献した。さらに、天動説と地動説をめぐる論争においても論文出版が大きな役割を果たした。

 一方で、ルネサンス時代には科学の分野だけではなく、絵画や彫刻、建築といった芸術分野でも目覚しい発展を見ることができる。特に絵画は、それ以前の中世に描かれたものと大きな相違を見せる。その原因は、遠近法が発展して、その成果が絵画に反映されるようになったことによる。遠近法では、絵画の中心は画家の視点にあり、描かれる対象にはない。つまり画家の目から掌握された人間中心の世界を描いているのであり、ルネサンスそのもののエッセンスが反映されているともいえる。またルネサンス時代は、イタリア各地で優れた画家が輩出した時代でもある。これらは地域別にヴェネツィア派、シエナ派、ナポリ派などと称して分類される。それまで旧来のゴシック様式で描かれていた絵画のスタイルは、遠近法や濃淡の変化を意図的に用いることで、ルネサンス的な特徴である人間的な生命感を獲得していくことになる。その後、十五世紀末から一六世紀初めにかけて、フィレンツェにかわりローマが芸術の中心になった。このルネサンス盛期と呼ばれる時期に、芸術はローマにおいて大きな発展をみることになる。

 以上に見たように、ルネサンス時代は約二百五十年の比較的長期にわたるうえ、地域的な広がりもあって、その文化や思潮に一貫性があるとは言いがたい。しかしながら、むしろその多様性ゆえに様々な分野において特筆すべき発展をもたらした、史上最大の個性的な文化運動になりえたと言える。ルネサンス時代以降も、その成果は連綿と引き継がれ、現在を生きる我々の生活様式や文化、そして科学技術のありとあらゆる面に影響をおよぼしている。この点において、ルネサンスはヨーロッパの文化の特質の形成に関して、極めて重要であるといえる。


参考文献
ブルクハルト著、柴田治三郎訳『イタリア・ルネサンスの文化1、2』中央公論新社、二〇〇二
樺山紘一著『ルネサンス』講談社、一九九三
澤井繁男著『ルネサンス』岩波書店、二〇〇二
関根秀一編『イタリア・ルネサンス美術論』東京堂出版、二〇〇〇
マクス・ドヴォルシャック著、中村茂夫訳『イタリア・ルネサンス美術史』岩崎美術社、一九八一

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