r e p o t
 

建築計画論
[都市のゴミ問題を考える.2001]


 [aging_index]

 [report_index]

 [ << ]

 [ ]

 [ >> ]


 都市において発生する問題には、さまざまな種類のものがある。その中でも、ゴミに関する問題は、どの地域でも抱えている普遍的な問題の一つであるといえる。増加しつづけるゴミの発生量を抑制するために、さまざまな取り組みがなされている。

 名古屋市では、昭和61年度に約78万トンだったゴミ発生量が、平成10年度には約102万トンへと急増し、ゴミの処理体制は、焼却・埋立の両面で危機的な状況に直面することとなった。特に、名古屋市郊外に設けられた埋立処理場は、既に満杯に近い状態にあり、このままゴミ発生量が増加しつづければ、数年間で使用不能になる恐れが生じていていた。代替地の候補として挙がっていた藤前干潟は、渡り鳥にとって貴重な休憩地であったため、環境庁からの要請もあって、ゴミ埋立地としての使用を断念するという問題にも直面していた。そこで、この状況を打開するため、市長は平成11年2月「ごみ非常事態」を宣言し、市民・事業者に対してゴミ処理の窮状を公表するとともに、平成12年度のゴミ発生量を約80万トンに減少させる目標を掲げて、ゴミ減量行動を開始した。その後、空きびん・空き缶の全区収集や容器包装の資源収集を開始するなど、さまざまな取り組みが進められた。その結果、増加に歯止めのかからなかったゴミ発生量は、平成11年度、減少に転じ、平成12年度には78万7千トンとほぼ14年前の水準に戻すことに成功した。この「ごみ非常事態宣言」後の約2年間で、ゴミ発生量は23%減少し、市民一人1日あたりのゴミ発生量は、全国平均の1112グラムを大きく下回る水準を実現した。

 上記に見た例においては、ごみの発生量が処理許容量を超えるという緊急事態に、行政が対応せざるを得なかったものである。いわば苦肉の策とも言うべきもので、強引に市民を巻き込んだという側面もある。本来であるならば、行政と市民とが互いに主体的に話し合いを進めながら対策を講じるのが理想であるといえるが、とにかくそのような余裕はなかったというのが実際である。特に、容器包装の回収をはじめとして、ゴミ分別項目の細分化や収集方法の変更といったような応急対策が先行し、必ずしも抜本的な対策が実施されたとは言えない。そのために、一定の効果は上がっているものの、逆にゴミ収集に関するさまざまな場面でいくつかの歪みが生じているように思われる。

 日常生活において生じるゴミは、発生源である個人の問題であると同時に、それが全世帯+全事業所から出されるわけであり、全国的な問題でもあるといえる。もっとも実際のゴミ処理は各地方自治体が担っており、国レベルでの関与としては大きくないかもしれないが、基本的な法制度は国として決定するものであるから、無関係とは言えない。すなわち、ゴミに関する諸問題は、個人レベルから国レベルに至るまでさまざまな階層レベルで、各々に対応した課題を抱えているといえる。

 まず個人レベルの問題としては、ゴミの適正な分別の実施が挙げられる。ドイツなどでは、各家庭からは分別せずに出し、指定事業者が分別作業を行なうという方法が取られている。この方法だと、専門の事業者が分別を実施するから、異品が混入したりすることはないと考えられるが、そのための専用工場が必要となるうえに、処理費用が発生することになる。これとは異なって日本の場合は、各家庭もしくは事業所で分別を行なってからゴミを出す方式が一般的となっている。この場合は、分別が個人に任せられるため、特別な費用が発生ない代わりに、正しく分別が行なわれていたかどうかという信頼性において、ドイツの例より劣る可能性が出てくる。したがって、まず第一に定められたルールを守ることができるかどうかがポイントであるといえる。

 さらに、保管方法についても考える必要がある。ゴミ収集の指定日までは、各家庭もしくは事業所で保管するわけであるが、量が増えれば、置き場所に困ることになる。狭い日本の住宅事情を考えると、分別種目が細分化されるほど、すべての種類に対応した数のゴミ袋を置くスペースは得にくくなると予想される。その結果、ルールに定められた分別が守られない恐れも出てくる。また戸外に置くケースも出てくることも考えられるが、悪臭という近所に対する問題もあるし、深夜における放火の恰好の火種になる恐れもある。この点、個人がストレスなくゴミの分別を継続して正しく行なえるよう、配慮が求められる所である。

 次に、ゴミの収集場所について考えてみる。収集日はあらかじめ決められているのにもかかわらず、指定日以外にお構いなしにゴミを置いていく例も見られる。例えば、長期出張など指定日にゴミを出せないというやむを得ない場合もあるかもしれないが、地域社会において迷惑な話であることに変わりはない。ゴミ収集場所の多くは、地域の公園や集会所近辺など、人々が集まりやすい場所に設けられることが多いから、ルール違反のゴミが出されるということは、大きな問題となり得る。昔であれば、近所同士で声を掛け合ってマナーを守るようなことも出来たかもしれないが、最近ではマンションなどをはじめとして、隣に住む人とほとんど交流がない場合もあり、地域の住民がすべてルールを守るのは難しいのかもしれない。とはいうものの、監視カメラなどを設置するようなことは避けたいものである。

 また、ゴミ収集の実際の事業を行なっているのは地方自治体である。先に挙げた、ゴミの分別方法や収集場所なども自治体が決定する項目であるし、これ以外にも自治体が関わる内容は多岐にわたる。例えば、ゴミ収集車の運行もその一つである。このゴミ収集車がやってくる時間が、地域によって大きな差がある。一応「午前8時までにゴミを出すように」と定められてはいるものの、昼頃まで収集車が廻ってこないこともある。特に戸別収集を行なう可燃ゴミでは問題が大きく、夏期などは、収集時間の遅れた地域全体が悪臭に包まれてしまうこともある。この原因としては、収集車が渋滞に巻き込まれるなどして収集が遅れ、地域によって時間差が生じている可能性が考えられる。そうであるならば、収集方法、特に収集ルートやゴミ処理場の位置などが問題になってくる。基本的に、ゴミ処理場(可燃ゴミの場合はゴミ焼却場)は、郊外に設けられることが多い。東京23区については、区内のゴミは区内で処理するという原則のもと、都心部にも施設が造られているが、一般的に処理場は、相当の土地の広さを必要とすることやゴミ処理場が持つマイナスのイメージなどから、おのずとゴミの主たる発生源である都市部や住宅地から離れた場所に造られることとなる。このことは、ゴミ収集という面のみに注目すれば、非常に無駄の多い施策であるといえる。わざわざと毎回、ゴミを長い距離運ぶわけであるから、運搬費用も時間も浪費することになる。また、収集車が一斉にゴミを搬入しようとするために、処理場へ入りきれずに収集車の列が処理場の外まで連なるという弊害が生じている場所もあるようである。分別項目が増えれば、それだけ収集車の台数も増えることになるわけだから、ゴミの排出量が増加すると予想される将来において、こういったゴミ収集のシステムの在り方も見直す時期に来ているのかもしれない。

 ところで、ゴミに関する問題は、出してしまったゴミをどう処理するかという問題のみではなく、ゴミになるものをどう減らすかという問題についても考えなければならない。これは、ゴミのものとなる商品を製造し販売する企業をはじめ、社会全体の問題である。つまり、修理よりも買い替えを促すメーカーの姿勢や、コンビニなどで売られる食料品や飲料の、商品に対するパッケージのウェイトが高くなっている状況などである。メーカーサイドは、自由経済における競争の中で、あくまでも消費者のニーズに応えただけと主張するであろうが、実際には、メーカーの販売戦略に一般市民が上手く乗せられているという側面も見逃してはならない。このような風潮に対しては、包括的な法制度の整備が求められる。既に容器リサイクル法などが施行され、全国的な取り組みが始まっているといえるが、具体的な効果は企業努力にゆだねられている所がおおきく、今後の推移によってはさらに効果的な処置が必要となるかもしれない。

 以上、個人レベルから国レベルまでいくつかの立場でのゴミ問題を巡る諸問題について見てきた。このような問題が発生する背景としてはどのようなことが考えられるのだろうか。

 ゴミ問題は都市計画を考える上ではあまり主たるテーマとなることは希である。普通は都市計画といえば、快適であるか、効率的であるか、生産的であるか、合理であるか、といったように、人々がその都市で生活する上でいかに魅力的であるかということが主題となり、その結果として生じる「ゴミ」をどう扱うかといったことについては、あまり積極的に論じられることは少ない。従来からゴミ処理は、行政サービスとして実施されており、都市計画によって新しく出来上がる街も、同様のごみ処理を行なえばよいということで、特に取り上げられるこまでもないテーマとして位置づけられているように思われる。しかしながら、市民生活を送る上で、ゴミの発生は避けられない課題であり、都市計画の中においてもっと積極的に論じられてもよいのではないだろうか。

 そこで、初めからゴミありきという立場での計画が必要であると考える。先述のように、日本の住宅事情は狭いため、ゴミ専用の置き場を室内に作る余裕のある住宅はそう多くないであろうし、地域のゴミ収集場所についても、当初から設置が計画されることは少なく、公園などの片隅を利用して、集収日ごとに臨時に設けられる例がほとんどである。また、ゴミ処理場も、生活に必要不可欠な施設であるにもかかわらず、郊外に追いやられて、そのために生じる弊害で悩むことににもなるのである。このような問題を解消するためには、住宅設計や都市計画の段階から織り込むことが求められる。住宅に関して言えば、現在ゴミ置き場を作るような余裕はないとは言うものの、例えば狭いからといって、トイレや浴室などは省略されることはないので、これらと同様に生活上必要不可欠なものと位置づけて、専用のゴミ置き場を設置するように努めるべきである。具体的には、分別項目数に応じて、各々実際に出るゴミの量を考慮に入れたスペースの置き場を設けることである。その際、家族がストレスを感じることなくゴミを捨てられるように、ゴミの主な発生源である台所近くに設置するように配慮したり、収集日にゴミを出す際にもスムーズに戸外へ搬出できるような場所に設けたりするなど、設置場所に留意すべきである。合わせて、防臭対策を実施するなどの細かな配慮も必要である。これによって、分別の際に異なった種類のゴミが混入するといったミスを防ぐことが期待でき、ゴミを家庭内で分別、管理することが可能となる。

 また地域の収集場所についても、住宅の場合と同様に、使い勝手を考慮した、専用の恒久的な置き場を設けるべきである。密閉型にすれば地域に悪臭で迷惑をかけることはないし、収集日に限らず家庭からゴミを出すことも可能となる。また、専用の置き場を設けることで、自治会や子供会による資源回収など、その場所を拠点として地域的な活動が展開することも期待できる。なお、収集日以外のゴミ出しについて、集収日までに置き場所が満杯になる恐れもあるが、対策として例えば、ゴミの量を常時検知して、インターネットで各家庭からチェックすることが出来るような仕組みの構築も考えられるだろう。

 さらに、ゴミ処理場(焼却場)の立地も見直すことが望ましい。ゴミ発生源により近い、都市部や住宅地に設けるのである。これによって、ゴミ収集車が渋滞に巻き込まれて収集が遅れることは解消されるし、運搬コストの削減につながる。都市部では、処理場が必要とする広さの土地を見つけるのは難しいかもしれないが、他の施設と共同で計画したりするなどの方法はあると思われる。変電所などは地下に設けられている例もあるから、ゴミ処理施設も同様な対応が可能であろう。また、ゴミ焼却により発生する排煙中に含まれる有害物質は、以前と比較してはるかに低減されているから、煙突高さを確保すれば、商業ビルやマンションが林立するような都市部での建設も問題は少ないと思われる。むしろ、そういった設備の存在が、日頃のゴミに対する意識を芽生えさせる良いきっかけになるというような効用が期待される。従来、華やかな街の装いを妨げないように、ゴミはなるべく人目につかないように処理されてきたが、反対に、生活に密着したものとして位置づけられるようになるであろう。さらに、こういった精神面のみでなく、ゴミ焼却において発生する余熱が、都市で有効なエネルギー源として用いることが出来るメリットもある。余熱利用そのものは、ゴミ処理場に温水プールを併設するなどして従来から行なわれている地域もあるが、よりダイレクトに市民生活に還元できるようになるわけである。ゴミの発生源に近い所でゴミ処理を行なうことは、ゴミ運搬に関するメリットのみでなく、結果として発生する余熱エネルギーのリサイクルにも有効なのである。

 なお、こういった種々の取り組みを実践するには、多額の費用が必要となる。自治体の財政力では対応できない規模でもあり、国レベルでの優遇政策が求められるところである。財政面や法制度の面で効果的な政策が実施されることが望ましい。

 増加するゴミへの対応として、容器リサイクル法の施行をはじめとして、運用面での改革は着実に進行しているように思われるが、それを受け入れるさまざまな施設や設備は旧来のままであり、将来的には十分に対応できない可能性がある。市民のゴミ問題に対する意識を向上させたり、リサイクルによる再資源化を推進したりするなど、今後の循環化社会を見据えた対策が必要であり、規模の大小に関わらず、ゴミに関するさまざまな都市インフラを整備することは非常に重要なことであるといえる。

(5757文字)

a g i n g



KATO Tomohisa Works