2001/
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●2001/12/30 (日) あらすじ 今日はコミケでしたー。 なんとはなしに、この日記の流れをまとめてみる。 【第一段階のテーマ】 ソフ倫の解体、及び、違法コピー根絶。 (結論: ソフ倫について) もはや興味なし。皮肉でなく、たいして「悪」とも思われなくなった。 (結論: コピー問題について) たいして重要な問題ではない。コピーしようがしまいが、それは吉野家と松屋の牛丼(牛めし)とでどっちがうまいかといった程度にどうでもいい。 敢えて誤解を恐れずに言うなら、コピー、オッケー。いちいちその真意を説明するのが面倒なので、表だって主張するつもりはないが。 (ただし、私は少なくとも現在、個人として、コンピュータ・ソフトウェアに関する限り、恐らくは完全に、著作権及び使用許諾契約を守った上でこう主張する。自らコピーしつつ、こう主張するほどの豪傑では、残念ながらない――) 【第二段階のテーマ】 (私が定義するところの)都市住民あるいは文系人間に対する批判。 (去年頻発した17歳の犯罪を生み出した背景であるところの文系人間のメンタリティに対する批判) (結論) 人生に必要なことはすべて、野生の熊あるいは諺が教えてくれる。 【ここのところのテーマ】 ていうか、オレ自身がまごうかたなく上記の都市住民かつ文系野郎であったと自覚してこりゃいかんってことで、アイデンティティを保つため、新たな都市住民の定義を模索。 (結論) (批判さるべき)都市住民とは、自分が永遠に死なないと錯覚している人間。 心ある人々が感じている、このところの世相に対する気味の悪さの正体は、この異常だが、レースゲームでどうしてもコントローラーを傾けてしまうのと同様に、多くの人間が無意識のうちに囚われてしまう、この心理でしたー。 (だから、子供を虐待、あるいは殺す親が増えているのは当然だ。自分が永遠に生きるのに、自分のDNAの不完全なコピーを残す必要などない――わけだ) で、行き着く先は男と女の最終戦争。SF読みの僕としては大いに面白がりたいところだが、なんのかんの言って伝統的価値観ってやつが好きなので、生き死にに関しては山田風太郎を見習いたいものだなあ――というのが結論。 |