Milford JAPANESE ONLY 

雲 流 れ 、星 降 る 地 に



NZミルフォード見聞記       JAN ’94 M.T


破・・・雷鳴、怒神の如く

急・・・命運、尽きたか?

            序・・・白雲、蒼天にたなびき

 8 ミルフォード・トラック
 ミルフォード・トラックは、全長40km程のU字谷から成っている。南北に長いU字形の樋を想像して頂きたい。U字の底面は幅1kmから2、300mで、両側は屏風のごとき標高1km近い岩の壁より成っている。この樋の中央辺りにミルフォードトラックを南北に分断するマッキノン峠がある。南から進んでも北から進んでもマッキノン峠が立ちはだかり、両側は野獣さえ通わぬ岩塊が40kmに渡り続いている。マッキノン峠から南に向かってクリントン川がテアナウ湖に流れ込み、マッキノン峠の分水嶺を北に流れた水はアルバート川となってミルフォード入江(海)に流れ込んでいる。前半の登りはクリントン川に沿って歩き、後半の下りはアルバート川に沿って歩くことになる。全行程を通して渓流を歩くことになる。しかし、V字谷でないのでそんなに険しくない。おそらく氷河に削られた物であろう。この渓谷は太古の美しさを留めている。
ここを南から進み、マッキノン峠を攻め、それを越した後、海岸まで一気に駆け降りるという寸法だ。山登りの終点が海岸という珍しいコースである。海岸部とは云え、そこはフイヨルドの最深部、しかも高緯度地域、気候的には、穏やかな海の影響を全く受けず、山岳地方の変化の激しい気象である。緯度的には日本の稚内に相当する位置にある。このトレッキングコースはしばしばマスコミで紹介されたように世界で一番美しいハイキングコースといわれている。周囲は鬱蒼と茂ったブナの森。万年雪を戴いた山。この二つがクリントン川に、アルバート川に清冽な水を供給し、人をして母の胎内に抱かれた赤子の如き境地にさせる。僕らを形作る遺伝子の何処かに微かな記憶として残る「懐かしいなにか」を感じさせる。

  9 グレード・ハウスよりクリントン河をさかのぼる
 いよいよ本格的なトレッキングの始まりだ。快晴の下、前夜の宿泊小屋グレード・ハウスからポンポロナ小屋までの16kmの行程である。ほとんど平坦な道で一番楽な一日と言える。朝食後、各自弁当のサンドイッチ、果物、ケーキを持ち、めいめい好きな時間に出発する。このトレッキングは四〇数名のメンバーが、各々勝手気侭な時に歩き、好きな時、所で休息を取る事が出来る。前後をガイドがキープし、ガイドより遅れる事はない。一日あたり40人ほどのメンバーに3、4人のガイドが同行する。一人は先行し、途中の休息所でコーヒー紅茶ジュースの接待をしてくれる。一人は一番前に先行し、途中のコースのチェックを行い、もし危険な場所が発生すれば後続のパーティに知らせ、適当な指示を出す。最後尾につくガイドはみんなが出発したのを確認して必ず一番最後を歩く。もちろんガイド全員がハンディトーキーを持っている。もし、最後尾を歩いているガイドが、休息している、或いはリタイァしそうなトレッカーに追いついたら、ガイドは決して追い越さず、じっと待っていてくれる。トレッカーの義務は、もし、道から離れて休息を取ったり小用を取ったりするときには、「ザックは必ず道端に置いておく事」である。このようにして置けばガイドはメンバーの一人がこの辺りにいる事が解るので待っていてくれる。トレッカーは途中で川遊びをするのもよし、写真に時間を費やすのも自由である。だから殆どのトレッカーは家族単位か友人単位で行動する。同じ40人のパーティといっても他の人に気兼ねをすることはない。グレード小屋を出てすぐに木橋を渡る。右手にクリントン河の清流を見、左手はぶなと羊歯の森が何処までもつづく。河ではメートルに近い鱒が泳ぎ、時には大鰻が人を驚かす。満々と流れる河は時に瀬となり白流となって轟音を轟かせる。旅人は押し黙り、圧倒的な緑に抱かれ、ただ歩を進める。清流の音に和すは鳥のさえずりのみか。北、西の両クリントンブランチ(支流)の合流地点を過ぎてすぐ、昼前、ヒェール滝近くの小屋に到着。先行していたガイドが暖かいスープ、コーヒー、茶、ジュースを用意してくれていて、弁当を開く。ここで、ニュージーランド固有種の飛べない鳥「ウエカ」に出会った。ウエカはニワトリほどの大きさで、ニュージーランドに凶暴な肉食獣がいない為、飛行の習慣を失い、飛ばなくなってしまったのである。沖縄のヤンバルクイナのようなものである。概して、ニュージーランドには肉食の大型野獣が棲息していないため、動物は良く人に馴れている。40分ほどの休息の後出発。以後はぶなや羊歯の生い茂る森と、開けた岩場とが交互に現れる。開けた場所では、時々切り立った岩壁が登山路のすぐ近くまで迫り、大滝が落下する。大滝の下では小さなプールくらいの滝壷が出来ていて、僕らは写真をとったり、水遊びをして楽しんだ。三時過ぎ、今夜の山小屋ポンポロナ小屋に到着した。小屋は10年前大きな地滑りで壊され現在の地に移された。新しい小屋は斜面に作られすぐ裏はクリントン河の清流である。平地がないため、ヘリポートだけが作られ、補給は全て、ヘリに頼っている。真夜中に雨が降り出した。一家の悲劇のオープニングセレモニーである。
◎◎◎ ニュージーランドと羊とラグビー
 NZ南島は日本全土の50%の広さで人口80万人。NZ全土で羊が6000万頭。バスで4.5時間農村地帯を走ったが、働いている農夫を一人も見なかった。NZはそんな国である。 そんなニュージーランドで最も人気のあるスポーツが勿論ラグビーである。国民皆ラグといえるお国柄で、この国では、草原で「羊」もラグビーを楽しんでいる。現地で見たテレビには羊さんチームと日本から遠征してきた「山羊さんチーム」の異種格闘国際ラグビー試合が中継されていた。日本山羊さんチームの中でも一際大きくアグレッシブなホワードがNZのアナウンサーからインタビューを受けていた。この山羊さん、体の大きさとは裏腹に優しい「京都弁」で受け答えしている。話を聞くと、神戸の「大山羊」さんというらしい。  
11 マッキノン・パス(峠)
 豪雨であった。今日はこのトレッキングのハイライトであり最大の難所のマッキノン峠越えの14kmの歩行だ。前夜、真夜中に降り出した雨は激しさを増すばかり。前朝の出発より更に30分早く出発し歩きだした。またたく間に、雨が全身を襲う。20分程ぶなの森を歩いた後、クリントン河の川原に出た。視界が開けた。両側に迫りくる岩壁から無数の滝が白蛇の如く懸下する。河は前日とうって変わり、泡立ち、逆巻き、轟音を響かせ、しかもなお清冽を保っている。ぶなの力の賜物か。木橋を渡り、対岸に出て更に一時間ぶなの森を歩く。雨具の不完全な謎一家は全身ずぶぬれだ。ミンタロ小屋に着く。この小屋は我々の使用できない小屋(このような小屋は所々にあり、ツアーに属さない登山者用のものである。中は今掃除を終えたばかりと言うほど完璧な清潔さを保っている。)なので、用を足し、濡れた靴下を取り替えただけで先を進む。装備のミスのため靴下は木綿のものである。水を吸った木綿の靴下は激しく足に食い込み、足は靴下の摩擦のため、真っ赤になっている。しかし、妻子がまだまだ元気で、下の子はまだ10歳だが、どんどん先を歩くので安心だ。足元が更に悪くなる。マッキノン峠の岩壁に近ずいた証拠だ。マッキノン峠の岩肌に取り付いた。ぶなの森の中とはいえ、登り坂は急勾配になり、足元が悪く、時には横に飛び出たブナの枝が歩行を妨げる。森の切れ目では雨が激しく頬を打つ。地獄の十三回のzigzagの始まりだ。六回を越せば森林限界を越すとのガイドの言葉だけを頼りに一家四人黙々と歩く。早朝から四時間近く歩き続けた。最初に僕が参った。小休止を取り、一本のバナナを家族四人で少しずつ食べる。沢山食べると動けなくなる恐れがある。更に休みが長くなると足の筋肉が冷え、体が動かなくなる。芋の葉を取り、コップにして流れの水を飲む。3分ほどの休息で歩き出した。森林限界を越した。風雨更につのる。親二人が先にばてた。もはや、これまでか。「そうだ88カ所霊場の白装束を持ってくれば良かった。ミナミの遊興の巷に死すも一生、NZの自然に抱かれ死すも一生。同じ一生なら、、、。」いらぬ考えが頭をよぎる!、。子供達は比較的元気なので先に行かせる事にした。
「おまえ達だけでも生き延びてくれ!」
妻と二人、ゆっくり、ゆっくり歩く。岩場なので足でもくじいたら更にやっかいな事になる。森林限界を過ぎてから強くなった風雨は僕に残された僅かばかりの体温を過酷に奪う。メンバーの最年長の婦人がザックをガイドに持たせ近ずいてきた。そして老婦人だけが僕たち二人を追い越していった。しかし、ガイドは僕らを追い越さず、ゆっくり後から付いてくる。ガイドが妻に荷物を持とうかと聞いてきた。しかし、今ガイドは二つの荷物を持っている。更にこれ以上のザックを彼に負わすわけにはいかない。いよいよ最後尾になった。ガイドは決して私達を追い越さない。あと五分で頂上近くの石碑だと言う。その言葉を杖にさらに歩を進める。
石碑に着いた。ジグザグはここで終わりだ。ここからは尾根の上で風はきついが暫く足元が良くなった。あと更に二十分歩いてシェルター(避難小屋)に到着した。シェルターはコンクリート作りで何の風情もないトーチカのようなものであった。峠の頂上で極地からの風雪が年を通して激しく木造ではすぐ壊されてしまうだろう。子供達も先着していた。親子の再会を喜び合い(チトオーバーか)、暫時の休息と食事を取る。暖かい飲物が体に嬉しい。小屋の中はストーブの熱気と人の熱気などで湿度も高い。長い休息は張りつめた精神を弛緩させ、弛緩した精神は体から歩く気力を奪い取る。程々の休息を取った後、追われる様にシェルターを出た。シェルターを出て今夜の宿泊小屋クゥインティン小屋を目指す。あとは下る一方、楽なはずだ。シェルターを出て二、三分、尾根筋で激しい風雨に曝される。吹き飛ばされそうだ。私を先頭に1列縦隊となり妻子を風から守る。南極から吹き付ける南風は冷たく、ブリザートの猛威を冷存してここミルフォードにやってきたのだ。更に風雨つのり、体温を奪う。シェルターに引き返すべきか、それとも進むべきか。
私「もはや、これまでか、、、南無、八幡大菩薩、、、」
妻「アラー・アクバル、、、」
倅「GOD  SAVE  US !  エーメン、、」
娘「fumiya」
私「神は我らを見捨てたもうたか。」

我らの祈りも暴風に吹きちぎられ稜線の彼方に飛び去った。







壁紙の写真は100年前のミルフォード開拓時の風景
映画「ピアノ・レッスン」参照


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