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雲 流 れ 、星 降 る 地 に



NZミルフォード見聞記

JAN ’94   author by    M.T



序・・・白雲、蒼天にたなびき

破・・・雷鳴、怒神の如く

急・・・命運、尽きたか?

 1 やけくそ 
今は今、某の一家ありけり。日ごと、なりわいに励めど、たつき楽にならず。おのこ、家の子にむかひて言う。「もう、貧乏にも飽き飽きした。ようしゃ、あくる正月、貧乏を質に置いても海外旅行や、行くで、行ったるわぃ。わいも浪速のあきんどや、昼あんどんや」。かくて、愚かなりし向こう見ず、たつきなりわいの算段、つもごりの煤と捨て、うたかたの蓄え、パンストに巻き、腹に詰め、行くはとつ国キィウィの地、帰る地獄を知ってか知らずか、はやる心を借金が止める。止める借金、片手で払い、両手で払えぬ口惜しさ。にょうぼ追いて言う「そやそや、行こう行こうキィウィの島へフニクリフニクラ」「阿呆、ベスビオへ行くのちゃうんやで」。めおと、娘、せがれうち揃ひ、明くる新玉年にのり、はるけきあかみち,ちょぃと跨ぎ、目指すはキィウィ南の国。べんべん


 2 ミルフォード・トラック
 この度のキィウィ(ニュージーランド)旅行の最大の目的はミルフォード・トラックでの五泊六日のトレッキングである。これは、正味三泊四日でニュージィランド南島の南西部のテ・アナウ(内陸部)からミルフォードサウンド(フィヨルド最深部の入江)までの33.6マイル(54km)の徒歩旅行である。途中、標高1160mのマッキノン峠越えの難所が待っている。キィウィ南島では、森林限界が900m程、南緯は北半球に直すと稚内に相当する高緯度地域で、1000mを越すと日本の3000m級山に匹敵する険しさで、夏尚吹雪に見廻れる危険なところである。前ページのハート山の写真でも解るようにががたる山嶺が雄々しくトラックの両脊椎をを形成している。このルートに入山出来るのは、事前に申し込んだ人一日40名程までで、それもコースの逆行は許されず、入山や行動、宿泊地が厳しく規制されている。ために、極めて厳しく自然が守られている。南側は長い湖に守られ、北側は峻険なフィヨルドに人跡は阻まれている。途中三泊の山小屋での暮しが楽しみだ。


  3 ミルフォードトラック地図
  バスで Te Anau を出発、南北に長いテ・アナウ湖の中程より船でいく。ここより先は、小舟と足だけの世界だ。テ・アナウ湖の北端、ワーフに上陸、地図の点線部分を北端のサンド・フライ・ポイントまで3泊4日の行程で歩くことになる。以下、おりおりにこの地図を参照してください。ミルフォードは海岸部のミルフォードサウンドが観光スポットとして開けていたがその真の醍醐味は山岳地帯にある。ミルフォードはニュージーランド南島の南西山岳海岸地帯にあり「フィヨルドランド」と呼ばれている。その名の通り、海岸部は急峻な岩山が奇観を呈している。クック山ほど標高は高くないが、その景色の壮大さと華麗さは他に類を見ない物である。山嶺の間を縫って氷河によって出来たU字谷が細長く伸び、その谷を清冽な川が急流を作っている。


 4 テ・アナウよりグレードハウス小屋
 昼食後、登山基地の街、テ・アナウをバスで出発、途中船に乗り換へ、テ・アナウ・ワーフに到着。船上より、両岸に迫るぶなの森を見る。更にその上、残雪か、氷河を戴いた岩峰が快晴に白く黒く輝く。処々に、白炎をあげる幾条もの滝が散見される。南半球の真夏の陽光に残雪の白さ、山壁の褐色、山裾に広がるぶなの緑、湖水の青さとが絡まり極地を思わせる美しさを現出してくれる。船を降りると早速「サンド・フライ(小さな虻、刺されると極めて痒い)」の襲撃を受け、急いで、顔、手、首に虫避けのスティックを塗布する。いよいよ歩き始める。しかし、歩き始めて僅か2km程で今夜の宿泊小屋グレード・ハウスに着く。川幅60m程のクリントン川の東側の草原に五、六棟のhut(小屋)が建っている。開拓農民の家屋という雰囲気である。


   5 グレード・ハウス小屋
 最初の宿泊地グレード・ハウスは100年前の創建時と変わらぬ佇まいを見せている。木造のランプが似合う開拓農家の風情である。旅装を解くのもせわしく、軽いティを楽しんだ私達は小屋の裏山に、足ならしのトレッキングにでかけた。往きはぶなの森を歩き、下りの帰りは、強い太陽の下、岩場で足をくじかないよう注意深く降りてきた。明日からの長い50Kmが控えている。快い一時間の足慣らしであった。夕食後ガイドのトニーからスライドを使ってミルフォードの鳥、魚、花、自然のガイダンス並びに明日のコースのガイダンスが行われた。そのあと、総勢50名近いメンバーの国別紹介や自己紹介が行われた。参加国は、日本、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、スイス、チェコの九ヶ国である。各国の人達は国別に別れ、各々お国自慢の歌を歌った。オーストラリアは「ワルチングマチルダ」なぜか日本は「赤トンボ」だった。日本人の半数は老婦人達の登山ツアーの人達であった。
夕食後のガイダンス・ミーティングがそのままサパー(夜食の軽いお茶とお菓子)になだれ込み、歓談を楽しんでいるうち、消灯の10時になり、全員眠りに就いた。山小屋は全て自家発電で10時に発電機を止め、以後は、トイレのみバッテリーによる暗い照明があるだけである。しかし、全ての山小屋に、熱いシャワーと清潔な水洗トイレが完備されている。このあたりアングロサクソン的清潔さの現れであろう。日本の山小屋では考えられないことである。
グレードハウスの看板の写っている写真は湖の最北部(クリントン川の川口)で下船後、グレードハウスまでの道から小屋を眺めたところである。左手、見えないが草原の向こう、100メートルのあたりにクリントン川の清流が水量豊かに飛沫をあげている。夕刻8時から9時頃、小屋からクリントン川を挟んだ向こうの山の名も知れぬ岩峰、雪峯が夕日に茜色に輝く姿を小屋のロッキングチェアーから望見した。息をのむ美しさである。このあたりの標高は200mほど、地図の上では1キロも離れていない雪峯は1000mほどの標高である。そのせいで空は狭い。狭い空に宵の明星が雪峯に負けじと輝きを増した。
もう1枚の写真はクリントン川の西岸からグレードハウスを写した物である。川岸と左手の森との間に幅150m,長さ500m程の草原が開け森に接する草原の中程に小屋は造られている。岸は川の浸食に身を委せ、川本来の持つ美しさを保っている。小屋は水害の難を逃れるため、川岸から100メートル近く離れたところに建てられている。小屋の水利はクリントン川を利用せず、裏山から引いている。しかし、ここは農業で生業を建てるほどに耕地は望むべきも無く、奥のマッキノン峠やクリントン川への前進基地としての小屋であったと思われる。


 6 鮭
 クリントン川にには沢山の鮭鱒が生息している。水が極めて澄んでいるため、岸からでも静かに鰭を休めている魚が観察できる。

 私の息子が持参の海苔を巻いた握り飯を鮭に与えようと静かに握り飯を、川中に投げ入れた。すると雌の鮭が静かに寄ってきてその上で産卵を始めるではないか。あっという間に、「イクラの軍艦巻」が出来上がった。雌鮭も我ら日本人を歓待しようとしているのだ。オッッットト、そこへ雄鮭がやってきて、マヨネーズをかけるではないか。せっかくの上等の寿司が「回転すし」になってしまったではないか。

 鮭鱒以外にも、NZ固有の有名な大鰻が棲息している。これは全長1mを越す大物で胴回りは子供の太股ほどもある大きさである。が極めて綺麗なためこれらが静かに鰭を休めているのを十分岸からでも観察できるのである。このクリントン川は地図で分かるように北クリントン川と西クリントン川の二つのクリントン川がコンパスを軽く広げたように南流している。我々は西クリントン川に沿って山に分け入るのだが、その水はどこでも煮沸せずとも飲める美味しい水である。


  7 サザンクロス
 キィウィに入国した途端サザンクロス(南十字星)の事は失念してしまった。何しろ、この国は日本とほぼ同じ経度にありながら、サマータイムを実行しているため日本より4時間早く進む。しかし、南島は高緯度のため夜9時頃でないと星が出ない。疲れのため早く床に就く習慣が出来たのと、悪天候のためサザンクロス(南十字星)は観察できなかった。パティーのメンバーの中の一人に天文マニアがおり、彼はグレード・ハウスの側の草原で、深夜、2時過ぎまで見ていたそうである。夫人が嘆いておられた。南半球では、オリオン座の三連星は逆に並ぶそうだ。それが何を意味しているのか僕には解らないが、、、。







壁紙の写真は100年前のミルフォード開拓時の風景
映画「ピアノ・レッスン」参照

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