東京・静岡 城めぐり
2010.12.17 〜 12.18


         津 →
  1日目   → 東京 → 八王子 → 東京 → 新横浜(泊)
  2日目  新横浜 → 三島 → 藤枝 → 名古屋
  

 
今回一番の目標は、中世山城の最高傑作ともいわれる滝山城を攻める。そして、その日の午後には、事前にホームページから申し込みをして、皇居の一般参観へ。皇居、つまり江戸城跡は、通常は皇居東御苑が公開されており、本丸や二の丸、三の丸部分へ入ることができるが、午前と午後1回ずつ行われている一般参観に参加すると、普段は見ることができない方向から江戸城の遺構などを見ることができる。平日しか行われていないので、なかなか参加することが難しいのが残念であるが。

 朝一番から行動できるようにと、前日の夜から夜行高速バスで東京へ向かう。早朝5時過ぎに東中野駅のバス停で下車。駅へ行き、JR中央線に乗り八王子駅で降りる。駅の近くで朝食をとった後、駅北口のバス停から西東京バスの路線バスで城址を目指す。25分ほどで滝山城址下バス停へ到着。バスを降り、早速登城開始。

 滝山城は、大永元年(1521)に、山内上杉氏の重臣で武蔵国守護代であった大石定重が、高月城から移って築城したといわれる。天文15年(1546)、北条氏康が河越の夜戦で扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力を排除すると、大石定重の子・定久は、北条氏康の三男・氏照を養子に迎え、事実上、大石氏は北条氏の軍門に下り、氏照は城の大改修を行った。永禄12年(1569)、武田信玄が武蔵に侵攻し、滝山城に迫る。戦いは熾烈を極め、滝山城は三の丸まで攻め込まれたが、かろうじて落城を免れたという。この戦いは、滝山城の防御体制が不十分であることを痛感させたのか、氏照は領地の備えをより固めるため、八王子城を本格的に築城し、天正15年(1587)頃、滝山城から移ったため、滝山城は廃城となった。
 
 城は、多摩川と秋川の合流点にある加住丘陵の地形を巧みに利用した天然の要害。大規模な空堀などの遺構が残り、国の指定史跡となっている。
空堀や馬出などが良好に残り、散策していて非常にテンションが上がる。山城の最高傑作といわれるのも納得である。

 滝山城・登城路 滝山城・小宮曲輪下空堀

 滝山城・千畳敷跡 滝山城・引橋

 滝山城・本丸跡 滝山城・本丸跡に建つ霞神社

 滝山城・本丸跡からの眺め 滝山城・東馬出と喰違い虎口


 存分に散策を楽しんだ後、バス停へ戻り、バスで八王子駅へ向かう。JR中央線の快速で都内へと戻る。皇居一般参観は13時30分からなので、それまで都内に残る江戸城の外堀や見附の遺構を見ながら皇居の方へ向かうことにする。四ツ谷駅で下車し、かつての外堀に沿って歩く。
 
               【四谷見附跡】                        【市ケ谷駅構内の江戸歴史散歩コーナー】
 四谷見附跡 市ケ谷駅・江戸歴史散歩コーナー

               【赤坂見附跡】                           【虎ノ門から続く外堀の石垣】
 赤坂見附跡 虎ノ門から続く外堀の石垣

          【文部科学省敷地内の外堀の石垣】                       【日比谷見附跡】
 文部科学省敷地内の外堀の石垣 日比谷見附跡

                                    【常盤橋門跡】
 常盤橋門跡 常盤橋門跡


 時間が近づいてきたので、外桜田門から皇居外苑を通って、一般参観の受付場所である桔梗門前へ行く。

 日比谷濠 外桜田門

 二重橋と伏見櫓 巽櫓


 受付を済ませると、桔梗門を通って中へと誘導され、窓明館と呼ばれる休所の中で待機する。時間になると、まずここで10分ほどの皇居の説明ビデオを見て、その後、職員の方の案内で約2.2kmの参観コースを1時間ほどかけて歩くことになる。普段は遠くからしか見えない富士見櫓や伏見櫓も近くから見ることができる。 

 桔梗門 桔梗門

 富士見櫓 宮内庁庁舎

 宮殿 伏見櫓

 二重橋手前の石垣 蓮池濠と富士見多聞


 全体で約1時間15分の一般参観を終え、桔梗門を通って外へ出て、歩いて東京駅へ向かう。東京駅からJR京浜東北線に乗り、東神奈川駅で横浜線に乗り換えて新横浜駅で下車。宿泊先のホテルへチェックイン。
 夜は、ホテル近くにある「新横浜ラーメン博物館」へ行き、「支那そばや」と期間限定店の岡山笠岡の「中華そば坂本」の2杯を食す。

 2日目は、まず新横浜から新幹線こだまに乗り三島駅へ行く。そこから沼津登山東海バスに乗って山中城を目指す。国道1号を箱根方面へ30分ほど走ると、山中城跡のバス停へ到着。富士山もとてもきれいに見える中、早速登城開始。

 山中城は、小田原城の西方防御のため、後北条氏によって永禄年間(1558〜69)に、箱根外輪山から南西に伸びる尾根上に築城されたとされる城。天正15年(1587)以降、豊臣秀吉の来襲に備え、急遽岱崎出丸や馬出しの増築など、大規模な改修を行った。しかし、天正18年(1590)3月29日、増築が未完成のまま、豊臣軍の総攻撃を受け、わずか半日で落城した。
 城跡はきれいに整備されており、何といっても、西の丸跡の周りの障子堀は見事である。

 西の丸跡南側の障子堀 西の丸跡

 西の丸跡と西櫓跡の間の障子堀 二の丸跡

 岱崎出丸一の堀 岱崎出丸跡

 すり鉢曲輪跡 岱崎出丸跡から見た富士山


 城跡の散策を終え、もう一度バスに乗って三島駅へ戻る。三島駅からJR東海道線で西焼津駅まで行く。そこから歩いて、次に目指すのは田中城。20分ほどで、復元整備された藩主下屋敷のところへ到着。

 田中城は、今から500年ほど前、今川氏の命を受け、この地の豪族・一色氏が屋敷を拡大して城としたのが始まりと伝わる。元亀元年(1570)、武田信玄が今川氏の支城徳一色城を攻略して田中城と改称し、家臣・馬場信房に改修を命じたと。武田氏滅亡後は、徳川家康の支配下に置かれ、慶長12年(1607)、駿府城に隠居した家康は、田中城を鷹狩の際に宿泊する「田中御殿」として整備した。
 田中城の特徴は、方形の本丸を中心に、二の丸・三の丸・総曲輪が同心円状に取り囲んだ「円郭式」の縄張りで、他に例を見ない。
現在、本丸跡は小学校の敷地となっている。
 

 藩主下屋敷跡 田中城本丸跡

 三之堀跡 三之丸土塁跡


 一通り散策した後、西焼津駅へ戻りJR東海道線の普通列車で掛川駅まで移動。そこから新幹線こだまに乗り換え名古屋へと向かった。


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