小倉・広島・鞆の浦
2010.7.30 〜 7.31


  1日目  名古屋 → 小倉 → 広島(泊)
  2日目  広島 → 三原 → 福山 → 鞆の浦 → 福山 → 名古屋
  

 
 日本100名城を制覇してから久しぶりの遠出。

  名古屋7時30分発の新幹線のぞみに乗り、まずは小倉を目指す。関東地方で降っている雨の影響で、数分遅れで小倉駅へ到着。小倉での目的は小倉城。小倉城は中世以来の古城で、関ヶ原の戦いの戦功で入城した細川忠興によって、本格的な築城がなされた。細川氏が熊本へ転封となると、譜代大名の小笠原忠真が入封して、以降明治まで続いた。

  小倉駅から徒歩で向う。現在、城跡に建っている四層五階の天守は、昭和34年(1959)に建てられたもの。内部は歴史ゾーン、城内体験ゾーン、映像体験ゾーン、企画展示ゾーンなどからなる。

  


  小倉城の北の丸跡には、八坂神社が建っている。元和3年(1617)、細川忠興が小倉城の鎮守として創建したもので、例祭は有名な小倉祇園太鼓。
  また、松の丸跡には白洲灯台顕彰櫓が建っている。小倉藩海上御用掛難破船支配役を命じられた岩松助左衛門が、遠く白洲の荒波で難破する船に心を傷み、灯台建設を上申するが、志半ばで病死。その功をしのんで建てられたもの。

  


  小倉城の散策を終えて小倉駅へ戻り、新幹線ひかりレールスターで広島へ移動。早速ホテルへチェックインし、夜はMAZDA Zoom−Zoom スタジアム 広島へプロ野球観戦に出かける。マツダスタジアムは2009年にできた新しい球場。いろいろなシートが用意されている。

  

  


  試合終了後、気分よくホテルへ戻る。


  次の日、ホテルをチェックアウトし、広島駅7時2分発の山陽本線上りの普通列車に乗って三原駅で下車する。ここでの目的は三原城。三原城は毛利水軍の拠点として、小早川隆景によって築かれた城。現在は、その城跡の上に三原駅が建っている形となっている。巨大な天守台へも、駅の構内から入ることができる。駅西口には隆景の銅像が建ち、駅周辺の街中には船入櫓跡や本丸中門跡などの遺構が残っている。

  

  


  駅へ戻り、もう一度山陽本線の普通列車に乗って福山へ向かう。福山駅到着後、トモテツバスで鞆の浦へ行く。鞆の浦は瀬戸内海国立公園を代表する景勝地。万葉の時代から潮待ち・風待ちの港として栄えた。慶応3年(1867)、大坂へ向かっていた坂本龍馬の土佐海援隊の「いろは丸」は、鞆の沖で紀州藩の軍艦・明光丸と衝突・沈没。日本最初の海難審判が鞆で行われ、龍馬は4日間、鞆の町に滞在したという。

  鞆の浦のバス停で下車し、目の前にある観光情報センターで地図をもらって散策開始。福山市役所鞆支所のところを曲がると、龍馬宿泊所跡がある。江戸時代の廻船問屋・桝屋清右衛門宅で、いろは丸事件のとき土佐海援隊を支援し、宿舎として提供したという。そのまま進んでいくと、鞆の津の商家が建っている。江戸時代に繁栄した鞆の典型的な商家建造物で、中を見学できる。

  


  そこから坂を登り、鞆の浦歴史民俗資料館へ行く。資料館の建つ場所は鞆城のあった場所で、一部石垣が復原されていた。資料館では鞆の歴史、産業や祭りなどについて紹介されている。資料館の前からは鞆の港が一望できる。

  


  資料館から石段を下り、細い路地に古い建物が並ぶエリアへ向かう。

  


  太田家住宅は、江戸初期に薬酒・保命酒の醸造を始め、財をなした旧保命酒屋の建造物。幕末、三条実美ら京都を追われた七卿がここへ立ち寄っている。太田家住宅の先にはいろは丸展示館がある。海底から引き上げられたいろは丸の遺品や沈没船の状態が展示されている。

  


  いろは丸展示館のその先には、常夜燈が建っている。灯籠燈と呼ばれる江戸時代の灯台で、鞆のシンボルとなっている。
  来た道を戻り、東へ進むといろは丸事件談判跡がある。宿屋もしていた商家で、坂本龍馬と紀州藩の間で、いろは丸事件の賠償交渉が行われた場所。

  


  散策を終えて、もう一度、鞆の浦のバス停へ行き、バスで福山駅へ戻る。福山駅到着後、1年前にも行った福山城を訪れる。福山城は、元和5年(1619)に福島正則が改易となった後、備後に入封した水野勝成が築いた。天守は昭和20年(1945)に戦災で焼失し、昭和41年(1966)に外観復元された。伏見櫓と筋鉄御門が現存する。

  

  


  この後、広島県立歴史博物館を見学して、福山駅から新幹線のぞみで名古屋へ戻る。

  


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