東北縦断・城めぐり
2009.9.19 〜 9.21


         名古屋 
  1日目   東京 → 仙台 → 多賀城 → 仙台 → 盛岡(泊)
  2日目  盛岡 → 八戸 → 仙台 → 山形(泊)
  3日目  山形 → 米沢 → 新発田 → 新潟空港 → 名古屋空港


 
 今回、秋のシルバーウィークの連休を利用して、東北地方の城を攻略することにした。
 
  本当は、時間を有効に活用するため、名古屋から仙台への夜行バスを利用したかったのだが、連休のためか切符が取れず、やむなく一旦、名古屋から東京へのJRバスの夜行便を使うことにする。東京駅へ朝の5時40分に到着。すぐ6時4分発の東北新幹線「やまびこ」で仙台へ向う。これも本当は6時ちょうど発の「はやて」に乗りたかったのだが、これも満席。それで、仙台へは15分遅れとなるが、「やまびこ」で向った。

  仙台へは8時ちょうど着。駅のロッカーへ荷物を入れ、バス乗り場へ。まず向うのは伊達氏の居城・仙台城。市営バスに乗って「博物館・国際センター前」のバス停で下車。市内の観光スポットを回る「るーぷる仙台」という観光用の循環バスもあるが、まだ運行まで時間が早かったのと、やはり大手門跡からゆっくり歩いて本丸まで登りたかったので、一般の路線バスで向った。大手門跡には脇櫓が再建されている。ここから中門跡や沢門跡などの遺構を見ながらゆるやかな坂道を登っていくと、まもなくきれいに修復された本丸跡北面の石垣が見えてくる。石垣に沿ってさらに道を登っていくと本丸跡へ到着。本丸からは仙台市内が一望できる。まだ9時なのに、多勢の観光客がそこに建っている伊達政宗の像の前で写真を撮っていた。

  最初に仙台城のガイダンス施設である「仙台城見聞館」へ入場パンフレットをもらって展示を見学。その後、青葉城資料展示館へも入場しCG映像を観賞。再び歩いて、今度は途中、沢門跡から三の丸の方へ下り、清水門跡の石垣を見ながら、休館中の仙台市博物館の横を通って、バス停へ戻り、バスで仙台駅へ向った。

 仙台城・大手門脇櫓 仙台城・本丸石垣

 仙台城・伊達政宗像 仙台城本丸からの眺め


  仙台駅へ戻って、東北本線の普通列車に乗り、14分で国府多賀城駅に到着。ここから次に向うのは、東北地方を治めた古代律令国家の城・多賀城跡。駅の観光案内所でパンフレットをもらい徒歩で向う。

  10分ほど歩くと、多賀城の位置や創建の経緯が記された碑文が刻まれた多賀城碑のところへ到着。この碑には、多賀城が神亀元年(724)に創建され、天平宝字6年(762)に修造されたことが刻まれている。国の重要文化財。ここにはボランティアガイドの方が2名いて、詳しく説明していただいたさらに歩いていくと、政庁跡がある。政庁は正殿を中心に後殿、脇殿などの建物や築地で構成。きれいに土台が復元整備されている。こちらにもボランティアガイドの方がおられた。

  ひと通り政庁跡を散策してから駅の方へ戻り、反対側にある東北歴史博物館も見学。

 多賀城碑 多賀城・政庁跡
 

  国府多賀城駅から普通列車で一旦仙台駅へ戻り、東北新幹線「やまびこ」に乗って次に向ったのは盛岡。盛岡駅からは岩手県交通の市内循環バス「でんでんむし号」に乗って盛岡城跡公園へ行く。

  盛岡城は、慶長年間に南部信直が築城を開始し、その子利直へ引き継がれ、40年の歳月をかけ完成。以後明治まで南部氏代々の居城として続いたところ。東北地方には珍しい総石垣造の城で、今もその見事な石垣が残る。これらの石垣は一時期のものではなく、16世紀から19世紀に及ぶもので、それぞれの時代の様々な石垣の違いが見て取れる。ほとんど建物は残っていないが、唯一、彦御蔵が残っている。

  旧制盛岡中学時代の石川啄木は、城跡をしばしば訪れたといい、二の丸跡には、「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」の歌碑が建てられている。

  城跡を散策後、バスで駅前へ戻り、ホテルへチェックイン。夜は、盛岡じゃじゃ麺の店へ行く。

 盛岡城・本丸と二の丸の間の空堀 盛岡城石垣

 盛岡城・彦御蔵 盛岡城二の丸跡の石川啄木の歌碑
  

  2日目朝、盛岡駅から東北新幹線「はやて」に乗り八戸駅へ。駅からは南部交通のバスに乗って「根城(博物館前)」のバス停で下車。朝から向うのは、中世の陸奥南朝方の拠点となった城・根城。創築は鎌倉時代までさかのぼり、南北時代に国司代に任じられた南部師行が城として修築した。秀吉の時代に、根城南部氏は盛岡南部氏の家臣格となり、寛永4年(1627)には遠野へ領地替えになったことで廃城となった。近年発掘調査により、本丸跡には主殿が復原されるなど、史跡公園として整備されている。

  まずは八戸市博物館へ行き、根城の広場との共通入場券を買って入場し展示を見学。その後、根城の広場へ。入口の旧八戸城東門をくぐると広大な芝生広場が広がっている。そのまま進んでいくと本丸へ到着。東門から中へ入ると、主殿をはじめ、様々な建物が復原整備されている。順路に従って見学してから、帰りは「根城大橋」のバス停から市営バスで八戸駅へ戻る。

 根城の広場入口(旧八戸城東門) 根城・本丸主殿


  八戸駅からはまたまた東北新幹線「はやて」に乗り、仙台まで戻る。そこから仙山線の快速列車に乗って山形へと向う。山形駅到着後、まずは歩いて最上義光歴史館へ行く。山形の基礎を築いた人物とも言える最上義光に関する貴重な資料が展示されている。NHKの大河ドラマ「天地人」ブームでここも賑わっている。くしくもこの日の夜のドラマでは、最上軍と上杉軍が戦った長谷堂城の戦いが放送された。

  歴史館を出てから、きれいに復原整備された山形城・二の丸東大手門から霞城公園内へと入る。入ってすぐの広場では最上義光騎馬像が迎えてくれる。櫓門の中を見学してから、二の丸北不明門跡、二の丸西不明門跡を見てから、これまた復原された本丸一文字門の石垣と大手橋を見る。本丸跡は今後も整備が進められていく模様である。

  その後、山形県立博物館と山形市郷土館(旧済生館本館)を見学してから、二の丸南大手門から外へ出る。
  
  そのまま歩いてホテルへ向いチェックイン。夜は、山形冷やしラーメン発祥の店である「栄屋本店」へ行く。

 山形城・二の丸東大手門 山形城・最上義光騎馬像

 山形城・本丸一文字門石垣、大手橋 山形市郷土館

 
  3日目、山形駅から山形線の普通列車で米沢へ向う。米沢駅から循環の市民バスに乗って、「上杉神社前」で下車。米沢は伊達氏による奥羽支配の拠点で、伊達政宗もここで誕生している。慶長3年(1598)、上杉景勝が会津に入封すると、その重臣直江兼続が入れ置かれた。関ヶ原の戦いで西軍に与した景勝は減封され米沢へ移され、以後上杉氏十三代の居城となった。城跡は上杉神社となっている。

  ここも「天地人」ブームで、朝早くから大勢の観光客で賑わっている。隣にある伝国の杜・上杉博物館では「天地人博2009」が開催中。せっかくなので、神社内の散策を終えてから入場してみた。その後、上杉記念館の建物を見せてもらってから、山交バスで駅へと戻った。

 上杉神社(米沢城址) 上杉記念館

  
  次は新発田城へ向うため、米沢駅から米坂線の普通列車に乗る。2時間弱かかって坂町駅へ、そこから羽越本線の普通列車に乗り換えて新発田駅到着。駅からは歩いて向う。新発田城は、戦国時代に新発田重家が本拠地とした旧新発田城跡に慶長3年(1598)、加賀国大聖寺から入封した溝口秀勝が築城。三代宣直のとき完成し、本丸には実質上の天守として、屋根が丁字型をし、3匹の鯱がのる特徴のある三階櫓が築かれた。この三階櫓は古写真などを基に再建されたが、現在自衛隊の駐屯地の敷地内に建っているため、内部を見学できないのは残念。その他、本丸表門と旧二の丸隅櫓が現存しており、また、三階櫓と同時に辰巳櫓も木造で復元されている。

  駅から20分弱で新発田城址公園へ到着。三階櫓の外観の写真を撮るため、公園の端まで行き、そこから堀沿いに歩いて、表門から中へ入る。櫓門、隅櫓、辰巳櫓の中は入って見学できる。

  その後、再び歩いて駅へ戻る。途中、寺町を通って、宝光寺の山門を見てから、新発田藩溝口家下屋敷の庭園である清水園と旧新発田藩足軽長屋も見学。

 新発田城・三階櫓 新発田城・本丸表門

 宝光寺山門 旧新発田藩足軽長屋

 
  新発田駅から白新線の普通列車で新潟駅へ。駅南口から空港直行のリムジンバスに乗って新潟空港へ向う。

  新潟空港からはJALの50人乗りリージョナルジェット機・ボンバルディアCRJ-200で名古屋空港へ帰ってきた。
 


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