2009.10.10 〜 10.11
1日目 津 → 大阪 → 鳥取 → 米子(泊) 2日目 米子 → 松江 → 安来 → 松江 → 岡山 → 名古屋 → 津 |
10月の3連休のうち2日を利用して山陰の城を訪問することにした。 朝6時45分発の近鉄特急アーバンライナーに乗って出発。鶴橋でJR環状線に乗り換えて大阪駅へ。そこから、9時22分発の智頭急行線経由の特急スーパーはくと3号で、最初の目的地である鳥取へ向う。途中、線路へ人が立ち入ったため安全確認するとかで停止し、鳥取到着が10数分遅れ、12時15分頃に着いた。 駅からは、100円循環バス「くる梨」の青コースに乗る。どこまで乗っても100円の市街地循環のバスで、青コースと赤コースの2路線あり、20分おきに運行しているので便利である。ただし、鳥取砂丘へは行かない。途中、バスの窓から城跡のある久松山を見上げ、「あぁ…あそこまで登るのかぁ」と少しくじけそうに… 仁風閣・県立博物館のバス停でバスを降りる。鳥取城は天文年間に標高263mの久松山山頂に山城が築かれたことに始まり、天正9年(1581)、羽柴秀吉が大軍で兵糧攻めしたことは有名である。その後、宮部氏、池田氏が城主となって、大改修を行い、山頂の山城(山上の丸)と麓の近世城郭(山下の丸)に整備。池田家32万石の居城となった。 城跡の入口の城門をくぐって、二の丸を散策、天球丸は工事中で立入禁止になっていたので、いよいよ山上の丸へと登っていく。急勾配の石段を休みなく登ること約20分で到着。天守櫓跡には秋桜が咲いていて、鳥取砂丘も見えるし、隠岐の島もうっすら見えて非常に気分がいい。苦労して登っただけのことはある。 再び急な石段を注意しながら下り、 仁風閣へ行く。仁風閣は鳥取城扇御殿跡に建てられた旧鳥取藩主・池田仲博侯爵の別邸で、フランスルネッサンス様式の西洋館で、国の重要文化財に指定されている。館内を見学してから、再び「くる梨」に乗って、市民会館で下車。そこから徒歩で鳥取市歴史博物館「やまびこ館」へ行き、展示を見学する。その後、「くる梨」の赤コースに乗って、鳥取駅へ戻り、16時3分発の快速とっとりライナーで、宿泊地の米子へ向った。 2日目、早朝にチェックアウトし、電車の時間まで米子城を散策することにする。まだ完全に明るくなっていない中、ホテルから歩いて10分程で二の丸表門の外桝形に到着。米子城は、天正19年(1591)ころに吉川広家が築城を開始、未完の状態で慶長5年(1600)に転封となると、その後入城した中村一忠の時代に、家老の横田内膳が築城工事を続行し完成させた。標高90mの湊山山頂に2基の天守が並び建つ本丸を置き、北西峰続きに内膳丸、その山麓に二の丸、一段低く三の丸が配された。 まだ薄暗い山道を10分くらい登っていくと本丸の石垣が見えてくる。天守跡からは早朝の米子の街並みが一望できる。再び山道を下り、二の丸へ戻り、現存する旧小原家長屋門を見てから、米子駅へ向う。 米子駅6時49分発の普通列車に乗って、次の目的地の松江へ向う。松江駅には7時22分に到着。そこから市営バスに乗って県庁前で下車。松江城の天守へ入場できるのは8時30分からなので、それまで城のまわりや、二の丸、本丸の中を写真を撮りながら散策して過ごす。松江城は慶長12年(1607)、堀尾吉晴が幕府の許可を得て、宍道湖を見下ろす標高28mの亀田山に築城。慶長15年(1610)に築かれた5重6階の天守は現存12天守のひとつである。平成13年(2001)には二の丸の南櫓、中櫓、太鼓櫓が復元された。 8時30分になったので、天守と、小泉八雲記念館、武家屋敷の3館共通入場券を購入し、1番で天守へ入場。やはり現存天守は趣があってなんともいえない風格がある。まず最上階へ上って宍道湖の眺望を楽しんでから、1階ずつ下りながら見学。ひと通り見終わり天守を出て、搦手側から塩見縄手の方へ向う。 塩見縄手は松江城北側の堀沿いの通りで、城下町の佇まいが残る。最初に、小泉八雲記念館に入場して展示を見学。記念館の隣には八雲の旧居がある。記念館を出て塩見縄手を歩いて、次に武家屋敷へ行く。江戸初期から幕末まで、中級武士の住居として使用されていたもので、資料館として公開されている。 電車の時間までまだしばらくあったので、その後もう一度松江城の二の丸へ行き、松江郷土館も見学してから、市営バスで松江駅へと戻った。 次の目的は、月山富田城。松江駅から普通列車で安来駅へ行く。当初はそこからイエローバスという路線バスで向う予定であったが、駅の観光案内所で、安来市観光協会が運行する秋の無料周遊バスがあることを知り、利用することにした。市内の観光スポット6箇所を回ってくれるもので、1日6便あって、目的地で降り、次のバスで帰って来るといった使い方ができる。バスの中では観光ボランティアガイドの方がいろいろ説明してくれる。こういう取組は、なかなかすばらしいと思う。 約30分で、月山富田城への登口の安来市立歴史資料館へ到着。次のバスは1時間40分後、その次は3時間後であるので、ゆっくり散策してきても大丈夫である。月山富田城は標高197mの月山を利用した戦国大名尼子氏代々の居城。永禄8年(1565)、毛利元就に攻められ、1年半に及ぶ籠城の末に開城し、尼子氏は滅亡。その後、慶長5年(1600)に堀尾吉晴が入城し、近世城郭に大改修したが、慶長16年(1611)、松江に居城を移したため廃城となった。 お子守口から登っていくと、まず千畳平へ到着。その上の太鼓壇には山中鹿介の銅像がある。さらに奥書院、花の壇へと進んでいくと、山中御殿へ到着する。そこからは七曲がりという坂道を登って、三の丸、二の丸、本丸へと向う。前日に鳥取城へ登っているだけに、それと比べれば楽勝である。10分ほどで三の丸へ到着。その奥に二の丸、本丸と続いている。ここからの眺望もなかなか素晴らしい。 もう一度元の道を引き返し下山。堀尾吉晴の墓と山中鹿介供養塔にお参りしてから歴史資料館で展示を見学。次の無料周遊バスで駅まで送ってもらう。 安来駅からもう一度松江へ戻る。当初予約していた列車より早い列車に間に合いそうだったので、指定券を交換してもらう。 松江発14時59分発の特急やくも22号で岡山へ17時38分に到着。岡山からは、17時49分発ののぞみ46号で帰途に着いた。 |