2009.11.21 〜 11.22
1日目 中部国際空港 → 阿蘇くまもと空港 → 熊本(泊) 2日目 熊本 → 島原 → 諫早 → 福岡 → 福岡空港 → 中部国際空港 |
日本100名城めぐりも、東日本の方を完了し終盤戦に入っていよいよ九州へ上陸。九州の最初に選んだのは、一口城主になっている関係もあって、名城・熊本城。城主手形を提示すれば、城はもちろん、いろいろな市の施設へは無料で入場でき、市内の提携店舗では割り引きも受けられるとのこと。何よりも一番の目的は、天守に掲示されている自分の名前の木札を探すことである。 中部国際空港午前9時40分発のJALで阿蘇くまもと空港へと飛ぶ。久しぶりにクラスJのゆったりシートをゲット。到着後、産交バスの空港リムジンで交通センターへと向う。バスの車内アナウンスは、熊本県宣伝部長であるタレントのスザンヌがやっていた。50分ほどで交通センター到着。荷物をコインロッカーに入れ、身軽になって早速徒歩で熊本城へ向う。熊本城は、言うまでもなく、加藤清正によって築城された名城。その後、細川氏が入り、明治維新まで続いたが、西南戦争で本丸の大部分が焼失してしまった。大天守と小天守は昭和35年に再建され、平成11年から南大手門や飯田丸五階櫓などが順次復元され、平成20年には本丸御殿の復元も完成した。 行幸橋のところの清正公の銅像にあいさつをして、受付で城主手形を提示し、櫨方門から入場する。以前の訪問時からかなり復元整備がされており、段々と往時の姿が甦ってくるのは素晴らしい。この日はじっくり時間をかけて散策するつもりであったので、源之進櫓などの櫓群、飯田丸五階櫓、二様の石垣、数寄屋丸二階御広間と見て、闇り通路を通って、復元された本丸御殿へ入場。障壁画のある昭君之間はきらびやかである。本丸御殿を出て、いよいよ天守へ入る。非常に多くの一口城主の方の芳名札が掲示されている。自分の名前も無事に2階で発見。記念撮影。天守の中の展示を見学し、次に現存する宇土櫓へ入場。宇土櫓の撮影スポットは加藤神社前からということで、頬当御門から外へ出て、西大手門、南大手門を見てからそちらへ向う。 ![]() 次に、徒歩で三の丸の方へ向い、旧細川刑部邸と熊本博物館へ入館。ここも城主手形で無料である。その後は、熊本城周遊バス「しろめぐりん」に乗って、壺井橋バス停で下車。徒歩で、夏目漱石内坪井旧居へ行く。五校の英語教師として熊本で4年3ヶ月を過ごした漱石が一番長く住んだ5番目の家で、この家で結婚し、長女が生まれたそうである。ここも、城主手形で無料。 再び周遊バスに乗って一旦熊本駅へ行き、翌日のJRの切符を受け取り、今度は市電に乗って交通センターへ戻り、荷物を取ってホテルへチェックイン。ホテルから歩いて行ける熊本ラーメンの店「こだいこ」で夕食を食べる。 その後、ライトアップされた城を見ようと歩いていくと、この日は夜間開園されているということで、頬当御門から再び入場。夜間に入れるのは本丸御殿と天守のみ。ライトアップされた城の姿をいろんな角度から撮影してからホテルへ戻る。 2日目、早朝にチェックアウトし、徒歩で交通センターへ行き、朝6時20分発の路線バスに乗って熊本港へ向う。ここから、7時30分発の高速フェリー「オーシャンアロー」で島原港へと渡る。ほとんどの乗客は車と一緒のようであるが、人間だけなら運賃は800円である。約30分で到着。島原港から近くの島原外港駅へ行き、島原鉄道で3駅先の島原駅へと向う。 次に訪問する城は島原城。元和4年(1618)に松倉重政が築城を開始した城であるが、築城のための課役やキリシタンの弾圧、過酷な年貢などが要因で、天草・島原の乱が起こったことで知られる。明治になって城の建物は破却されたが、昭和39年(1964)に五重五階の層塔型天守が再建された。 城を模した島原駅の駅舎を後に、駅前の通りを歩いていくと、すぐ堀に突き当たる。ぐるっと堀沿いに回って、本丸へと入る。天守のすぐ下が駐車場になっており、景観的にちょっと残念な状況である。天守の中には、キリシタン関係の史料や島原城関係の史料が展示されている。同じく再建された巽櫓、丑寅櫓、西の櫓の中も資料館になっている。城内には他に観光復興記念館もあり、普賢岳噴火災害の様子を見ることができる。 ![]() 城を出てから徒歩で武家屋敷通りへと行く。ここは島原武士の屋敷跡で、趣深い石垣が穏やかに続き、道の中央には島原の湧水を利用した水路が清らかに流れている。篠塚邸、山本邸、島田邸の3棟が公開されていた。 その後、島原駅へ徒歩で戻り、再び島原鉄道で諫早駅へと向う。 諫早駅でJR九州の特急「しろいかもめ」に乗って博多駅を目指す。JR九州の特急車両は洗練されたものが多く、この「かもめ」も革張りシートでなかなかいい感じである。 博多駅へ到着後、先に空港へいって荷物だけ置いてこようと、地下鉄で福岡空港へ向う。博多駅から地下鉄で2駅というアクセスは非常に便利である。荷物をコインロッカーに入れ、再び地下鉄に乗って向うのは、この旅3城目の福岡城。関ヶ原の戦いの戦功により筑前を与えられた黒田孝高・長政親子が築城。以後、明治まで黒田氏の居城となったところである。城内には、かつて40基以上の櫓が建てられていたといわれるが、今も残るのは、南の丸多聞櫓、伝潮見櫓などのみである。また、城跡は古代、鴻臚館が置かれた場所であり、その発掘調査も行われている。 地下鉄の大濠公園駅から徒歩で下の橋御門から城跡へ入る。伝潮見櫓、祈念櫓と見て、本丸の方へ向う。天守台の石垣に登ってから、南の丸多聞櫓を見に行く。雨が降っていてちょっと残念である。 その後、鴻臚館跡展示館へ行き、中の展示を見学。鴻臚館は古代の迎賓館に相当する施設で、唐や新羅の外交使節や商人をもてなすとともに、遣唐使や遣新羅使の送迎にも使用されたそうである。遺跡の上に覆屋を建て、発掘された礎石などの建物跡とその復元模型が公開されている。 見学を終え、上の橋から城外へ出て、地下鉄の赤坂駅から福岡空港へ戻り、18時30分発のANA232便で中部国際空港へと向った。 |