2010.3.6 〜 3.7
1日目 中部国際空港 → 福岡空港 → 大野城 → 吉野ヶ里遺跡 → 佐賀 → 佐世保(泊) 2日目 佐世保 → 平戸 → 名護屋 → 唐津 → 福岡 → 福岡空港 → 中部国際空港 |
日本100名城めぐりの締めくくり、最後の旅で福岡、佐賀、長崎の5城を1泊2日でめぐる旅。 中部国際空港から朝8時のANAで福岡空港へ飛び、そこからレンタカーで最初に目指すのは大野城。天気予報はあまり芳しくないが、何とか曇り空で持ちこたえてくれている。30分ほどで大野城市総合体育館へ到着。ここで市教育委員会発行の大野城跡のパンフレットをいただき、宇美町側から登城する。大野城は、653年の白村江の戦いで敗れた大和朝廷が、新羅・唐連合軍の日本来襲を恐れ、大宰府防衛のために四王寺山に築いた古代朝鮮式山城。2市1町にまたがる大規模な遺跡である。 四王寺県民の森を目指し登ってしばらくすると、全長180mにわたる百間石垣がある。そこからさらに進み、県民の森管理事務所で地図をもらって、焼米ヶ原のところの駐車スペースに車を停め、尾花礎石群、大宰府口城門、増長天礎石群などを見学。天気が良ければ大宰府の街の見晴らしが最高なのだろうが、あいにくモヤっている。 その後、大宰府方面へ山を下り、大宰府政庁跡に隣接の大宰府展示館へ行き、展示を見学する。 展示館見学後、大宰府ICから九州自動車道、長崎自動車道を走って東脊振ICで下り、次に向うのは吉野ヶ里遺跡。ここも日本100名城に選ばれているのである。東口駐車場に車を停めて歴史公園センターへ、入場券を購入し園内を散策する。吉野ヶ里は、弥生時代前期から後期にかけての環濠集落。周囲に二重三重に壕を巡らした「城」のルーツともいうべきものである。遺跡は整備が進み、物見櫓や主祭殿、住居などの建物が復元されている。 まずは南内郭の前にある展示室で発掘物等の展示を見学。その後、南内郭、北内郭、北墳丘墓、甕棺墓列、中のムラ、倉と市、南のムラ、弥生くらし館と散策して駐車場へと戻る。 吉野ヶ里から25分ほど走って次に向ったのは佐賀城。佐賀城は、慶長13年(1608)に、龍造寺氏の居城であった村中城を鍋島直茂・勝茂が拡張して築造した平城。享保年間(1716〜36)の火災で天守をはじめ建物の多くを失い、天保6年(1835)には二の丸御殿が焼失したため、10代藩主鍋島直正が本丸御殿を建設した。この本丸御殿は、明治以降も県庁や学校などに利用されたが、昭和32年(1957)までに鯱の門を除いてすべて解体された。平成16年(2004)に本丸御殿の一部が木造復元され、佐賀城本丸歴史館として開館した。 本丸北の臨時駐車場に車を停め、鯱の門をくぐって本丸へ入り、本丸歴史館へ入場。無料というのが素晴らしい。なかなか充実した展示である。見学後、外へ出て西側土塁や南西隅櫓台、天守台などを見て回ってから、道路を挟んだ西側にある佐賀県立博物館へも入館。ここも無料。佐賀県は、しっかりと博物館法の精神を守っているようである。 佐賀城の後、車で2〜3分のところにある大隈記念館へも行ってみる。記念館の隣には大隈重信の旧宅もあり、国の史跡に指定されている。 見学後は、再び長崎道、西九州道と車を走らせ、宿泊地の佐世保へと向う。 2日目、朝7時にホテルをチェックアウトし、平戸城を目指す。本土と平戸島を結ぶ平戸大橋を渡って、1時間ほどで到着。慶長4年(1599)、松浦鎮信は亀岡山に日之竹嶽城を築いたが、幕府による改易を恐れて、慶長18年(1613)に自ら城を焼き捨てた。以後、城は築かれなかったが、元禄16年(1703)、藩主が寺社奉行に抜擢されたのを機に新規築城を願い出て許され、宝永元年(1704)松浦棟が築城を開始し、享保3年(1718)に完成、天守は上げられず、二の丸に建てた三重三階の乾櫓をその代用としていた。本丸・二の丸をはじめ、外郭ラインの至るところに山鹿流軍学による折れや屈曲が施されている。明治4年(1871)、廃藩置県により廃城、建物は北虎口門、狸櫓を残して取り壊された。昭和37年(1962)、本来は存在しなかった三重五階の模擬天守が建てられた。 城山の下の観光案内所のところの駐車場に車を停め、北虎口門から城内へ入るが、まだ開場前なので、先に無料区域を散策。地蔵坂櫓、乾櫓、方啓門跡、大手ニノ門跡、大手一ノ門跡、懐柔櫓と見て回って北虎口門のところの券売所へ戻ってくると、ちょうどオープンしたところだったので、入場券を購入し、有料区域へと入っていく。入ってすぐのところに現存の狸櫓がある。そこから登っていくと模擬天守へ到着。中の展示を見学する。雨はかろうじて落ちていなかったが、風が台風並みに非常に強く、最上階の回廊へ出ると吹き飛ばされそうで本当に危険だった。天守を出て、見奏櫓も見学してから、再び北虎口門から駐車場へ戻った。 その後、車で数分のところにある松浦史料博物館へ行く。貴重な資料が数多く展示されていた。 平戸を後に、次に向うのは100名城めぐりの最後となる名護屋城。1時間40分ほど車を走らせ到着。天下統一を果たした豊臣秀吉が、大陸出兵を目指すのに、その足がかりとして朝鮮半島に近い東松浦半島北端に築いたのが名護屋城。城域は約17万uにも及び、五重の天守も建てられた。周囲には大名たちの陣屋が置かれ、一大城下町を形成していたという。秀吉の死後、戦は終結し、名護屋城は廃城となった。用材は唐津城築城の際に転用されたという。現在、城跡は周囲の大名の陣屋とともに復元整備が進められている。 大手口の駐車場に車を停め、入口の観光案内所で清掃協力費100円を入れ、大手口から登城。東出丸、三の丸、本丸、天守台と登り、そこから今度は馬乗馬場、搦手口、弾正丸、二の丸、遊撃丸、水手曲輪と回る。 城跡散策後、名護屋城博物館へ行く。これも佐賀県立の施設であり、充実した展示ながら入館は無料である。展示を見学後、受付で周囲の大名陣跡の地図を頂き、そのうち、整備された木下延俊陣跡と堀秀治陣跡へも行ってみた。 これで日本100名城全制覇。1年2ヶ月での完了となった。 この後は、廃城となった名護屋城の部材を使用して築城されたという唐津城へ向う。唐津城は、慶長7年(1602)、寺沢広高が松浦川河口近くの満島山を中心に築城に着手。満島山に本丸、西側に二の丸、三の丸、外曲輪が築造されたが、天守は天守台のみで築かれなかった。昭和41年(1966)に模擬天守が建てられ、以後本丸櫓門、辰巳櫓、涼所櫓などの整備がなされた。 道路を挟んだところの駐車場に車を停め、地下道で道路を渡り、急な石段を登って櫓門から本丸へと入る。模擬天守の中の展示を見学。天気が良ければ非常に眺めがいい場所に建っている。 唐津城を後にして、二丈浜玉道路、福岡前原道路、福岡都市高速と走って福岡空港を目指すが、まだ時間に余裕があったので、百道ICで降りて、福岡市博物館へ行く。ここには有名な「漢委奴国王」の金印が展示されている。この日は、「ポンペイ展」が開催中で、駐車場へ入るのも大変だった。常設展と部門別展示を見学する。常設展は福岡の歴史が古代から順に展示されておりわかりやすい。 その後、福岡空港へと向かい、レンタカーを返却し、19時30分発のANAで中部国際空港へと帰ってきた。 |