2010.1.8 〜 1.10
1日目 中部国際空港 → 宮崎空港 → 宮崎(泊) 2日目 宮崎 → 飫肥 → 人吉 → 鹿児島(泊) 3日目 鹿児島 → 鹿児島空港 → 中部国際空港 |
日本100名城めぐりで残る城を攻めるべく、南九州へ。前日のうちに宮崎入りして翌朝一番にレンタカーで出発することとする。 中部国際空港16時45分発のANA345便で宮崎空港へと飛ぶ。空港到着後、隣接のJR宮崎空港駅へ向い、ちょうど特急にちりん26号が停まっていたので、それに乗って宮崎駅へと向う。宮崎駅までは9分。宮崎空港駅−宮崎駅間は普通乗車券のみで乗車できる。到着して駅からすぐのホテルへチェックイン。その後、バスに乗って宮崎ラーメンの「栄養軒」へ行った。 次の日、朝8時にレンタカーを借り、最初の目的地である飫肥へと向う。天気が良く、運転していて気持ちがいい。1時間強で飫肥へ到着。飫肥城近くの観光センターのところの無料駐車場へ車を停め、散策に向う。飫肥は、伊東氏5万1干石の城下町として栄えた「九州の小京都」で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている武家屋敷通りは、今も城下町の風情と情緒が漂っている。最初に向ったのはもちろん飫肥城址。長禄2年(1458)に島津氏の臣新納忠続が飫肥城主に封じられ、その後島津氏一族を経て、伊東氏が豊臣秀吉から飫肥を与えられた。関ヶ原の戦い後は徳川氏より領地を安堵され、貞享3年(1686)から、伊東祐実が大改修を行って、近世城郭としての体裁を整えた。 飫肥城のシンボルでもある、再建された大手門をくぐって城内へ入り、飫肥城歴史資料館へ行く。ここで、1000円で「食べあるき・町あるきMAP」を購入。これは6館の史料館への入館券と、城下の協賛店のうち5店で商品が頂ける引換券が付いたもの。なかなかこういう企画はいいものである。資料館見学後、旧本丸跡へ行く。今は立派な飫肥杉の林となっている。次に、松尾の丸御殿へ入館してから、再び大手門から城外へ出た。 大手門を出て左へと行き、武家屋敷通りを散策。ここには小村寿太郎生家や旧伊東伝左衛門家、旧藩校・振徳堂がある。ぐるっと重伝建地区を歩いて、共通入館券で入れる3箇所目・小村記念館を見学。続いて、4箇所目、藩主伊東家の住まいである豫章館を見学してから、城下へ食べあるきに向うことにする。まず最初は、旧山本猪平家。受付で「寿太郎巻」というお菓子と引き換え、中を見学。次にギャラリーこだまで「彩だんご」を頂く。次に商人通りを歩いて、共通入館券で入れる最後の6箇所目の商人資料館へ入館。ここでは「姫あいす」を頂く。その後、再び商人通りを歩き、間瀬田厚焼本家で「飫肥の厚焼」と天ぷらのこだま屋で「飫肥天」を頂いた。厚焼は玉子焼きというよりプリンのようにツルンとしたなめらかさでおいしい。 飫肥を後に、次に向うのは人吉。田野ICから宮崎自動車道を走り、えびのJCTから九州自動車道を走って人吉ICで高速を降り、2時間弱で人吉城に到着。人吉城は、建久9年(1198)相良長頼の築城と伝えられ、天正17年(1589)、相良長毎が大改修を開始し、慶長6年(1601)に本丸・二の丸などの詰の城部分や御館部分、寛永年間(1624〜44)に石垣が完成した。球磨川を外堀として多くの船着場を設けていた。 まずは相良神社のところから、三の丸跡、二の丸跡、本丸跡へと登っていく。天気が良く、二の丸跡から見る球磨川の流れは非常に気持ちがいい。その後、御下門跡の石垣、水の手門跡を見学してから、人吉城歴史館へ行く。ここは人吉城跡を総合的に理解するためのガイダンス施設で、世界にも類例がないと言われる相良清兵衛屋敷の地下室遺構も見学ができる。 人吉城歴史館を見学後、復元された多聞櫓、角櫓、長塀を見学。球磨川に架かる大橋の上から見る姿が美しい。その後、武家屋敷の旧新宮家屋敷を見に行ったが、臨時休業で残根ながら中へ入れなかった。 人吉ICから再び九州自動車道を走って最後の目的地・鹿児島へと向う。鹿児島北ICで高速を降り、まだレンタカーの返却まで時間があったので、そのまま維新ふるさと館へ行く。ここは明治維新を中心に薩摩藩や日本の歴史についての展示施設。B1Fの維新体感ホールでは、ロボットを使って幕末から明治にかけての歴史の流れを解説するドラマが上演されている。見学後、レンタカーを返却。鹿児島中央駅の観光案内所で、翌日使う市電・市バスの1日乗車券を購入してから、駅前から市電に乗ってホテルへ向った。チェックイン後、天文館にある鹿児島ラーメンの店「こむらさき」へ行った。 翌日、ホテルをチェックアウト後、まず鹿児島中央駅へ行き、コインロッカーに荷物を預け、1日乗車券を使って、市電に乗り、朝日通で下車。そこから徒歩で城山の方へと歩いていくと、西郷隆盛の銅像がある。そこから歩いて、今回の3城目、鹿児島城跡へ向う。鹿児島城は島津家久が築いた平城で、城山を背後におき、本丸と二の丸が連郭式に並ぶだけのシンプルな縄張で、天守はもちろん櫓もなかった。これは戦国期に領内に設置された多くの外城が外敵の侵入を防ぐことで、本城を要塞化する必要がなかったためとされている。 本丸跡に建てられている鹿児島県歴史資料センター黎明館が開くまで時間があったので、近くの私学校跡、西南戦争の銃弾跡が残る石垣、薩摩義士碑、西郷隆盛終焉の地などを見て回る。9時になったので黎明館へ入館。市電・市バスの1日乗車券を見せると割引料金で入館できる。黎明館は人文系の総合博物館で、展示は充実していて、非常に見ごたえがあった。黎明館を出てから徒歩で城山へ登る。展望台からは桜島の姿が眺められるが、曇天であまりくっきりとは見えず残念。城山から徒歩で車道を歩いて、西郷洞窟へ向う。洞窟は思った以上に狭く感じた。西郷はこの洞窟で何を思っていたのだろうか。 西郷洞窟前からは、周遊バスのカゴシマシティビューに乗って、次に南洲公園へ向う。西南戦争で没した2000名余りの人々が眠る南洲墓地や西郷隆盛を祀る南洲神社、西郷南洲顕彰館がある。顕彰館は改修工事のため休館中で、別館で一部展示が行われていた。 篤姫が生まれた屋敷があった跡の前にあるバス停から再びシティビューに乗って、仙巌園へ行く。仙巌園は、万治元年(1658)、19代島津光久が別邸として構えたもので、その後、歴代の当主らに受け継がれた。28代島津斉彬は隣接地に集成館を築いた。ここでも、1日乗車券提示で割引料金で入場できた。庭園を散策し、尚古集成館の展示を見学して、再度シティビューに乗って、次は石橋記念公園で下車。鹿児島市の中心を流れる甲突川にはかつて、江戸時代末期に城下整備の一環として5つのアーチ石橋が架けられたが、平成5年(1993)の集中豪雨で、2橋が流出。残った3橋について、貴重な文化遺産として残すため移設・保存することとされたとのことである。 公園見学後、シティビューに乗って鹿児島中央駅へ戻り、空港バスで鹿児島空港へ行き、16時30分発のANA358便で中部国際空港へと帰ってきた。 |