ランタントレック&ギャンジン・リ登頂 (3)

10/13

 さあ、ここまでは順調とは言えないまでも、なんとか計画通りに進行してきた。「今日も元気だ酸素が美味い」と目を覚ます。昨夜、おそく、にわか雪が降ったようで、気持ち雪線が下がってきている。このあたりのロッジの屋根も、うっすらと雪化粧しているが、問題になるほどではない。今日の行程は、ここより上に行きたがらないガイド兼ポーターのラクパと、同じくあまり上に行きたがらない嫁が、ここから奥へカルカをつめて日帰りハイキング、僕とポーターのパッサン少年(16歳)がギャンジン・リへ向かう。ポーター達は、ゴンパのすぐ裏の岩山をギャンジン・リと呼んでいるが、これは4520mピークで、地図上のギャンジン・リピークは、そこから なだらかな稜線を登った所にある4773mピークである。きっと、地元の者にとっては、この裏あたり全体がギャンジン・リなのだろう。僕とパッサン少年は、英語、日本語、ネパール語を交えながら楽しくジクザクの道を登って行くのだが、パッサン少年から日本の現状と、日本語について、矢継ぎ早に質問がでるので、流石に、答えながら登ると息が切れ来る。ほどなく岩山のチョルテンたなびく頂上へ到着する、いやー快晴無風、日本晴れ、いやこの場合ネパール晴れか!去年の「どしゃぶりトレッキング」の溜飲を下げる。さらに、ここからひと登りで、念願かなってギャンジン・リのピークに立つ。ここの風景も最高で、手を延ばせば、ランタンリルンに届きそうだし、右手の雪の稜線の向こうはチベットだ。いいなぁ〜、何時間でも佇んでいたかった。この風景を脳裏に刻み込んでからのんびりと下山する。下山途中でパッサン少年が、「実は昨夜は寒くて眠れなかった。今日は、なんとかランタンまで行ってもらえないだろうか?」と打ち明ける。僕は、ギャンジン・ゴンパの景色や雰囲気が気に入っていたので、ぜひ、もう1泊と思っていたのだが、計画(契約?)どおりに、ここまで来てもらったので、あとは、彼らの意見を優先させる事にする。無事下山し、ゴンパで日本語教室を開催しているうちに別動隊も戻ってくる。合流しランチにしたのだが、嫁がムスタングコーヒーなるものを注文している。「なんだかよくわからないけど、ソフトドリンクの欄にあって、美味しそうだ」と言っていたのを信じ待つこと数分、おお何やら美味そうだ!、ところが口に含んだとたん、「うぅアルコールだぁ〜!」「それも超強いぞぉ〜」メニューには確かにソフトドリンクと書いてあるのに。。。二人とも絶句、しかし、注文したからには、残さず飲まねば日本男児の名が廃るとばかり飲み干す。これがディナーなら美味しいのだが、今日は、まだ労働が残っている。。結局、あとで作り方を聞いた所、オールモスト ロキシー  リトルビット コーヒー バター シュガーでした(^^)v

 この後のランタンまでの道のりが永遠に続く位長く、そして世界は「ろっくんろーる」ユルユル、ユラユラであったのは言うまでもありません。とほほほ

ゴンパ7:30〜岩山頂上8:50 9:10〜ギャンジン・リ9:50 10:20〜ゴンパ着11:30

ゴンパ1:30〜ランタン3:30

10/14

ひたすら下る下るくだる

ランタン8:00〜ゴラタベラ〜ラマホテル〜バンブーロッジ3:00

10/15

期待していたシャブルベンジでの温泉は、残念ながら期待外れでした。村の方の用足し場のような不衛生な所を回り込んで河原へ降りてくと、かつて大きな湯船だった場所につきます。この湯船は、土砂崩れで埋まってしまったようです。その埋まった土の上に、人が一人だけ入れる泥で作った急造の湯船があります。奥まった半洞穴になっているので、上から地中の滴が落ちてきます。しかし、この上に用足し場や、家畜の糞があったと思うと、とても気持ち悪いです。ただ、自噴している御湯そのものは成分が濃く真に天然温泉の源泉でした。あんなに素晴らしい源泉なのに管理が悪いのが、本当にもったいない!

ちなみに僕は、どっぷりつかってしまいました。今の所、体には異常ないようです。

これが、温泉だぁ〜〜!

夜は、メンバー全員で、ワイワイヌードルをツマミににビール飲み放題で打ち上げ会を執行い、ネパールの現在の国情とか、他のトレッキング地域の情報などを交換する。やはり各国からのドーネェションが末端まで届く間に消えてしまったり、配分の不公平さに、不満を抱いているようだ、また目覚めぬ同胞達への諦め、そして、ドーネェションに頼ってしまって、自分で生み出す力を無くしている事へ苛立ち、「ホンダだって初めはオートバイを輸入して研究するところから始まったけれど、その後は、自立して、今では世界のホンダでしょう、その研究自立する力が今のネパールにはないのです」などど言われてしまったのだが、今の物作りの精神を忘れかけた日本人が言われているようで、少し恥ずかしかった。さらに、軍事的にではなく、文化的に、次から次へと押し寄せてくる両大国の文化同化政策に、アイデンティテーの危機を感じていると言う。このあたりも島国日本では、ぬるま湯に浸っていて、理解しにくり気持ちだと思う。旅人の本音として、変わって欲しくないネパールと、みんなが学校にいけるように変わって欲しいネパール、それらが入り交じって楽しくも複雑な思いを抱いた有意義な打ち上げ会であった。これからの援助って、どのような形をとれば良いのだろう。相手の国にリスペクトを持てる教育を日本の中でするためには、日本人が日本にリスペクトを持てる教育をする所から始めないと答えは見つからないのではないだろうか?酔った頭で色々考えている内に深い眠りへ。。。。

バンブーロッジ7:50〜10:40シャブルベンジ

10/16

再び地獄のバスツァー、帰路はシャブルベンジからバスがでる、全員ホッとする。今回の運転手は、かなりイケイケの運転手で、飛ばす飛ばす。なんとカトマンズに3:15に着いてしまった。ホテルでポーター達と再会を約束して別れ、我々は、行きつけのモモ屋に祝杯をあげに向かう。秘密にしていた店だったのだが、最近「地球の歩き方」に掲載されてしまったのが残念!ここでも名前は書いておきますが、場所は書きませんので、自分で探しましょう(^^)、店の名前は、「Gilingche」 この店のフライドモモを食べたら、はっきり言って宇都宮の餃子なんて、めじゃありません。それから、ナマステバンドの新譜を買い込んでホテルにもどりのんびりと過ごす。さて明日は帰国だ飛行機は飛ぶだろうか?

10/17

パタンで観光をしたのち、恒例のプルパ宅パーティーだ、この夜は、先客万来だ。シェルパやシェルパニにで賑わう。「わしの若いころは、エベレスト隊に3回ついたよ」とか、シェルパニが「この間、8500mまで登った」とか、なんだか、凄い事が平然と会話されていた。このような会話の飛び交う中にいるだけでも、元アルピニストとしてはこの上もない至福な時間であった。こうして、思い出を、またまた胸いっぱいにつめて空港へ向かう。プルパさん、それから、今回のトレッキングをささえてくれたメンバーありがとう。そうそういつも美味しいネパール料理、プルパの奥様、心よりありがとうございます。

 これで、この旅が終わったと思ったのは、実は甘かったのです、空港で空港警察官、約15名に囲まれると一幕が待ちかまえていました。実は、空港で、ボディチェックを待っている時、警官一人が「リッスンピリリ」(ネパールの歌)を、口ずさんでいたので、なにげなく、こちらもハミングすると、横に寄ってきて「おまえ、今、ネパールの歌 唄ったろう?!もう一回唄ってみろ!」と言うので、唄うと、警官がだんだん集まってきて、「他の歌も歌えるか?」と言うので、今度は「シムシネパニマ」を唄うと、さらに人数が増え、私たちを中心に、空港ど真ん中で警官の輪ができてしまいました。事情が解らない日本人が、遠巻きに、「なんかやらかした日本人がいるぞぉ〜」みたいな冷たい目で見ています。でも、このおおらかさがネパールなんです。今度は、このおおらかさに答えるような旅をしたいものです。いよいよ、ボディチェックが始まると、先程の警官が、僕の体を触りながら「ネパールは、どうだったい?」もちろん僕は

「デライ ラムロ ラギョー! ナマステ」

雑記

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