手のひら 4 1・2・3・4 |
「頭ぁ、呂の旦那が来てますよ。どうしやす?」 明るい午後の午下がり。今日は非番で、甘寧は屋敷の中で弓具の手入れをしていた。 「あぁ、通してくれ」 「へいへい」 「なんだ利斉、その『へいへい』ってのは」 「いぃえ別に。ただあんまり仲が宜しくて毒でも盛ってやりたくなるだけですよ」 「お、お前ら子明に変なことするなよ!!!」 「へいへい」 室から出ていく利斉を、甘寧はちょっと不安げに見た。利斉と入れ替わりに呂蒙が入ってきても、まだ甘寧は口を少し歪めて、扉の方を見つめている。 「どしたの、興覇?」 「いや、あいつらマジで何人か殺してるからなぁ……」 「だ、誰を……?」 「誰をって、俺の男に決まってる。子明、気をつけろよ」 「き…気をつけるって……怖いなぁもう……」 怖い怖いと言いながら、呂蒙は甘寧にキスをした。甘寧もまだちょっと恥ずかしそうに、それでもおとなしくされるままになっている。 唇を離すと、呂蒙も少し照れたように笑った。 「興覇、今日は天気がいいから、船で中洲まで遊びに行こうよ。今、丁度梅の花が盛りだって」 「あぁ」 「ここにいると、殺されちゃうかもしれないからね。外行こ、外」 「あぁ、そうだな」 呂蒙は甘寧の腕を取った。まだ少し馴れないけど、甘寧もそれに従った。少しぎこちない手が、二人にはくすぐったい。 のんびりと長江の中洲を散歩しながら、呂蒙はずっと甘寧の手を握っていた。中洲と言っても長江のそれはかなりの広さを持ち、山もあれば川もあり、誰が植えたのか梅や桃が咲き乱れていた。 川からの風が気持ちいい。あまり人影もなく、二人はのんびりと川辺を歩いた。 「そう言えば今日、蘇飛殿に会ったよ」 「あぁ。オヤジ元気だったか?」 「うん。興覇のこと気にしてた」 「あのオヤジもおかしな奴だよな」 興覇が楽しそうに蘇飛の話をするのを笑顔で聞いていた呂蒙だったが、そのうち少しつまらなそうに顔を歪めた。 「何だよ。俺ばっかり話してるからつまんねぇのか?」 「違うよ。あぁもう俺、どうしてもっと早くに興覇に会ってなかったんだろうって思ってさ」 子供のような事を言い出す呂蒙に、甘寧は少し呆れたような目を向けた。 「お前っていっつもそんなこと言ってんだな。最初ん時もそう言ってたぜ?」 「それとは違う。今のはただの嫉妬」 「何だよそれ」 「だって興覇、すっごい蘇飛殿のこと慕ってるんだもん〜〜」 「別に慕ってるってわけじゃねぇよ。ただ、ほら、あいつが呉に降るように勧めなかったら、俺ずっと黄祖んとこいたわけじゃん」 確かに蘇飛殿いなかったら俺は興覇に会えなかったわけだから、俺だって感謝してるけどさぁ、と言いながら、やっぱり呂蒙の顔は不満げだ。 「変な奴だな。そんな昔から一緒にいたいとか言ったって、時間が遡る訳じゃなし、しょうがないだろ?」 だってもしも昔から興覇に会っていたら、俺は絶対興覇を他の男になんか触らせたりしなかったのに。そうしたら興覇だって苦しい思いとかしなくたってすんだのに。 こっそり心の中で考えていたことが、甘寧にも伝わってしまったらしい。甘寧は急に戸惑ったように呂蒙を見て、そっと目を反らした。 「言っとくけど、俺が男好きなのは、きっと生まれつきだからな。お前といつ会ったって、俺淫乱だったぜ、きっと」 「そんな訳ないだろ。怒るよ、もう」 そう言いながら、呂蒙は甘寧の手のひらを強く握った。そうされるのがなんだかくすぐったくて、甘寧はわざと呂蒙を怒らせてみたくなる。 「そんな訳なかったら、逆に男とこんなことするの、気持ち悪く思ってたかもな。お前が俺のこと好きになったら、うっわ、お前変態だ、とか言ってさ」 「あぁ、それはきっとあるよね。でもさ、お互いのことがすっごく大切な、すっごく特別な親友になるっていうのも、ちょっと良いよね」 「体無しで?」 「うん。そういうのもありだったかもね」 甘寧はわざと大きく溜息をついた。 「やっぱりお前、本当は男抱くのなんかやなんだろ。無理しなくても良いぜ? それこそ俺は、お前と『体無しの親友』でも良いしさ?」 「やだよそんなの! 俺興覇とメチャクチャ沢山したいのに!!!」 「何だよそれ! 俺が抱けって言っても抱かなかったくせに!!」 「……それはやっぱりほら、やせ我慢っていうの? 興覇に『体が目的だ』って思われたくなかったからさ」 「ちぇっ、勝手な奴」 軽い悪態をつきながら、甘寧は少し嬉しそうに、呂蒙の手を握り返した。呂蒙の手のひらは少し厚くて、温かい。 甘寧が呂蒙の手のひらを楽しんでいるように、呂蒙も時々甘寧の手を握る場所を変えてみて、手のひらの形を確かめていた。指をきゅっと絡めてみたり、絡めた指で手の甲をくすぐってみたり。 「でもまあ、確かにもっと前から会いたかった、とか、今言ってもしょうがない事言うのは建設的じゃないよね」 甘寧の手のひらを楽しみながら、呂蒙が口を開いた。 「あぁ」 「俺って本当は独占欲強いからさ。興覇の過去も未来もみんな俺の物にしたいんだけど、でもこればっかりはねぇ……」 「お前は欲張りすぎ」 「うん、そうだね」 手を握りながら、大きく前後に振ってみる。何だか子供の頃に戻ったみたいで、自然と顔が笑顔になる。 「でもまぁいいか。過去が手に入らなかった分、興覇の未来、全部俺が貰えば良いんだもんね」 「勝手なことばっかり言う奴だなぁ」 「良いじゃん、頂戴よ。俺の未来もみんな興覇にあげるからさ」 呂蒙が甘寧に向き直った。口には笑みが上っているが、目は笑っていなかった。 「子明……?」 「阿寧の未来をみんな俺に下さい。俺が責任もって全部幸せな未来にするから。それで、過去は今ここでみんな捨てて下さい。捨てちゃった分はこれから二人で作っていけば良い。人を好きになることも、自分を好きになることも、幸せになることも、これから一緒に覚えていこう。終わっちゃった過去なんかより、これから死ぬまでの長い未来の方がよっぽど大切だろ?」 呂蒙は甘寧に向き合って、両の手のひらをそっと握った。 温かくて、大きな手のひら。 甘寧の手を、すっぽりと包んでくれる。 甘寧も呂蒙をまっすぐに見た。相変わらず鼓動は速くなるけれど、もう息は浅くならない。 笑おうとしたのかもしれない。でも、あんまり上手な笑顔にはならなかった。泣いているような、笑っているような、そんなぎこちない笑顔で甘寧は呂蒙を見つめた。 ここで素直に頷けるほど甘寧は真っ直ぐな人間ではないけれど、呂蒙の肩に埋めた額が、何よりも雄弁に呂蒙の申し出を受け入れていた。 好きになれるのかもしれない。 許してあげられるのかもしれない。 この男に全て委ねてしまえば、自分は変われるのかもしれない。 「さ、興覇。山の上で果物食べようよ」 呂蒙は調子を変えて、明るい声を出した。人なつっこい声。促すように甘寧の肩を軽く小突きながら、相変わらずの笑顔を見せる。 「何お前、そんなもんどこに持ってたんだよ」 「懐だよ。温かくなっちゃってるかな」 「うわ…、最悪……」 二人は顔を見合わせて小さく笑った。 もう一度しっかりと、呂蒙が甘寧の手のひらを握る。 「行こ、阿寧」 「……あぁ」 甘寧もしっかりと握り返した。 その、何よりも暖かい、大きな手のひらを。 終わり。 手のひら 1・2・3・4 |
「小説部屋」 へ戻る |
![]() 「泡沫の世界」 トップへ戻る |
![]() 「新月の遠吠え」 メニューへ戻る |