三国一のバイク馬鹿
「怖い話」

夏はやっぱりコレだ。
俺は見たことねえけど。
で、まず前回のネタ懺悔。
いや、本当は適当に写真合成したりして、
得体のしれない物体(ツナギ)が写ったインチキ心霊写真でっちあげようとして、
めげた。
そもそもまったく本題と関係ない部分に全力を注ぐ悪いくせをなんとかしたい。
というわけで、中途半端な仕上がりです。すみません。
いずれ、ツナギとちゃぶ台かこんで酒でも酌み交わしているバカ写真撮ってアップします。
それはさておき、本題の話だ。
バイクに乗るのって、すごく「怖い」よね?
ええ、そういう話です。 嘘はつきませんよ。僕は。

 さすがにあきれて誰も読んでいないに違いない。
基本的に俺は、試験場とかで心理テストを受けると、
間違いなく「あなたは、危険思想を持ったドライバーなので、運転に注意しなさい」と診断される。
そういうドライバーなりライダーが1人居るってことは、他にもいる可能性があるということだ。
だから、バイクに乗るのが怖くて仕方がない。
俺自身の内に秘めた野獣も怖いが、他人様が飼っている野獣はもっと怖いからなあ。
昔どっかで書いていたことと違うけど、俺の安全運転は「他人を信用しないこと」だよ。
これで、助けてもらえる可能性はぐっと減るが、ひどい目に遭遇する可能性も減るわけだ。
このあたりは、とても微妙なんだけどね。
ドライバーの多くは、たいていとてもバイク乗りに優しくて、いい人ばかりなのも確かなのだが。
それをあてにしてしまうのも、ねえ。
 それとはちょっと違うんだけど、
「俺はバイク(に乗ること)が怖いと思ったことなんかねえ」
そういう人もいるとは思う。ハッタリで言っている人はどうでもいいけど。
「生きる力」が足りない人なんだなあ、と思う。
「痛い」とか、「怖い」ってえのは、人間が生命の危機に直面していることを知らせる危険信号だから、
それに鈍感であることは、すでにほぼ即死状態なわけだ。
ゾンビ状態と言ってもいい。
だから俺は、ほんのちょっとでも「なんかヤバイ」と思ったら、行かない。
原チャリがバンバンすり抜けをしているような時でも、自分の判断でついて行かない。
いや、初心者の頃はさ、「先行している人がいるから大丈夫」とか、
「多分、この人は俺よりも上手いので、後追いすれば楽チン」とか思ってた。
今はその行為、ほぼ自殺行為だと思っている。
知り合いでもない赤の他人の判断に、自分の命を委ねることなんてできねえよ。
仮に死んでしまうなら、自分の判断で死にたいからね。
でも、この予感、たいがい外れる
でも、いいんだ。俺の判断だから。
「どうせ俺の予感なんか、アテにならねえから、無視無視」だと、
いずれ裏切られることになるし。
もちろん、その予感の的中精度を高めようとは思う。
予感っていうのも、いわゆるオカルト的なものではなく、
経験と知識に裏付けられたものだから。
例えば、左側車線を走っている空車のタクシーの後ろを走っている場合、
車線を変えるなり、右から抜かすなり、とにかくそばから離れる。
タクシーの運転手よりも先に、歩道でタクシー待ちしている客を捜す、とか。
まず間違いなく、左側をスリ抜けしようとは思わない。
いつ、客を見つけて左に寄ってきたり、ドア開けたりするかわからないから。
それ以前に、客を捜して流しているタクシーは、ひとめでわかるようになったけど。
予感の精度を高めるってのは、そういうことの積み重ねではないかと。
一番最後まで生き残るのは、やっぱ「臆病者」だから。
俺、このことはいろいろな人に話してるんだけど、
バイクって、この平和な日本で、身近に「死」と向き合えるチャンスではないかと。
俺は自殺志願者ではないけど、かつては「どうせなら太く短く生きる」なんて、うそぶいていた。
バイクでひどい目にあったとき、気づきましたよ。
「あっ、俺は死にたくないんだ」って。
今は誰よりも長生きすることが目標です。
ナイフが危ないから子どもに使わせるな? そういう甘さが「生きる力」を失わせると思う。
「ある程度の範囲内では、怖さを感じることさえなく、安全な国産車」→突然裏切られる。
「乗り手の技量を問わず、誰が乗っても速い」→それって褒めているのか?
バイクは安全な乗り物じゃないよ。
優れた技術の力で、危険を押し隠してしまうことは、もっとも危険なんじゃない?
でも、例えばVTR1000Fは乗りやすくて、自分の腕前以上に走れて、いいバイクだとも思う。
このあたり、程度問題なんだとは思う。
けど、少なくとも国産車はライダーにとって過保護だな、とは思う。
フールプルーフって思想は不要なんだよ。乗り手をバカにした発想だし。
「ヘタクソは乗るなよ」これくらいでちょうどいい。
ヘタクソが乗れば勉強になる。いやあ、成長するする。
鐘が鳴る鳴る。
今や、すっかりドゥカ馬鹿です。

 で、もうひとつの怖い話。
誰もいない道をひとりで走っていても、「怖い」思いをすることはある。
バイクが曲がらねえ時とか!
これがまあ、自分のせいなんだから仕方がない。
だから、失敗は失敗とわかるバイクに乗る方が上達は早いよね。
ただ、余計に痛い目も見るけど。
でもって、「怖い」センサーの感度を高めると、少なくとも安全には走れる。
が、本来の限界以下のところに限界を設定してしまうので、成長も止まる。
(いわゆるビビリミッター)
どうやら、失敗から生じる「怖い」と、思いこみとか未体験ゆえの「怖い」があるみたい。
ま、俺は時速300km出したことがないから、時速300kmで走るのはやっぱ「怖い」。
時速200km出してみるまでは、それも怖かった。
この「思いこみ」も、未体験も、挑戦しないことには克服できないみたい。
度胸一発で挑戦するほど、無謀じゃない。
臆病者だから、可能な限りの「安全」を確保する。100%成功できる自信がない限りやらない。
もちろん、身体ブルブル、歯はガチガチ、怖くて仕方がない。
そこで「生きる力」をフルに発揮して、すこしでも「安全」な手段を探す。
それで少しだけ、思いこみとかの「怖い」を克服できる。
でも、まだその先がある。また挑戦。
その繰り返しかなあ。と。
どんなに怖くても、挑戦することだけはやめない。
とりあえず、当時に比べれば、多少は上手くなっているはずだが、
今でも「速く」走るのは難しい。
いやまあ、ただアクセル開けるだけなんが、
そうなれば、ブレーキングもさらに磨きをかける必要があるし、
コーナーリング速度を高めることにも挑戦中(安全な方法で)

先は長いね。
っていうか、永遠に続くんだろうね。

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