1998年10月1日 ハノイ

8時起床。荷物の整理。やっと昼間のハノイを望むことが出来る。

 9時に北西のタイ湖めざして歩く。ホテルの裏手に当たるイエン・フ通りyen phuは、4車線あり比較的大きな通りなのだがお店があまりないので面白くない。だからなるべく1本ぐらい奥の通りをイエン・フ通りに平行して歩くことにする。バイクや車の数は、ホーチミンよりずっと少ない。地図によるとホテルを出てすぐにイエン・フ通りの右手(北東)側に小さな湖があるはずだが、みつからない。通り沿いに土手があり、よく見えないのだ。土手によじ登ってみると、子供がうんこ中。向こう側を見るも湖らしきものはさっぱり見あたらない。自分がどこにいるのかあまり把握できていないようだ。地図で見ると迷いようがないのだが。ともかく北西をめざせば左手にタイ湖が見えてくるはずだ。

 このあたりはやや町外れなので観光客は私ぐらいしかいない。当然シクロやバイクタクシーもほとんど見かけない。乗りたいときにはいないのだ。通りでは政府のプロパガンダの看板をよく見かける。小さな通りを北西に向かってすすむ。細かいお店が並んでいる。犬の照り焼きを見かける。どの店も観光客用ではないようだ。左手の方を見るとお店の建物の隙間の向こうに湖が見える。どうやらタイ湖のようだ。だがお店が全くとぎれず、どこから湖の方へ降りたらいいのかわからないのでもう少しそのまま歩く。

 お腹がすいてきたのでおばあさんからフランスパンのサンドイッチを買う。中に豚肉のようなものをはさんでニュクマムをかけたもの。20円だった。この辺の老人は少しも英語は分からないようだった。湖が見えるところで食べたかったのでまだしばらく歩く。予想したよりもずいぶん遠い。しばらくすると左手に大きなリゾートホテルが見えてきた。明らかに外国人用で湖畔のかなりの敷地を占有している。そこを過ぎると湖が望める茶店があったのでカフェ・ダーをたのみ先程のサンドイッチを食べる。そこは特によいロケーションというわけではなかったが少々歩き疲れてしまった。

 ホーチミンより涼しいとはいえ日中20分も歩き続けるとなかなか疲れる。どういうわけか左手に見える湖はそんなに大きくない。しかも右手にも湖が見える。地図を見てじっくり検討するとどうやらタイ湖とその東に隣接するチュック・バック湖との間にいるらしかった。北西にすすみ続けているつもりがいつの間にか南南西にすすんでいたのだ。自分の方向音痴ぶりに驚く。体力も回復したのでその二つの湖の間の道を進む。

 タイ湖は実際かなり大きい。道も広く交通も少なく緑も多いので、とてもすがすがしいところだ。この辺の湖畔には残念ながら柵があるが、脇が公園のようになっている。湖畔を先に進むとちょっとした人だかりができている。おじさんがちょうど魚を釣り上げたところだった。見てみると大きな魚だ。40センチぐらいはある。しかし釣ったといっても尾ビレに針が引っかかっているだけだった。何とか陸に上げると、子供たちがうれしそうに騒ぎ出した。するとそのおじさんはおもむろに魚の頭を地面にたたきつけて殺し、さっさと持っていってしまった。どうも娯楽ではないらしい

 そろそろ湖にも飽きてきたのでバイクタクシーのおっちゃんに地図を見せて、ホアンキエム湖の北まで乗せてもらう。いまいち距離がわからないので1ドル札を出しこれでいいかと聞くと、彼は10000ドン札を出してこれでいいという。変わった人もいるものだ。どちらにしても相場より高めだったのだろう。5分ほどで目的地に着いたのだから。

 フィルムがなくなりそうだったのでフィルム屋をのぞく。ISO400の25枚撮りに5万ドンの値札が付いている。東京より高いので、なくなってから考えることにする。

 土産物屋を回っているとのどが渇いてきたのでホアンキエム湖半のお店で水を買う。するとそのお店を手伝っているとおぼしき青年が流ちょうな英語でちょっと休んでいかないか、と椅子を勧めてくるのでしばらく話をする。学校でベトナムの歴史と英語を勉強している22歳。名前はハン君Hung。観光客相手に商売をして生計を立てている人たちと違い、なかなか落ち着いた好青年だ。4週間の夏休み中なのだそうだ。彼の実家はハ・ロン湾へ行く途中にあるそうだ。学校へ通うためにこのお店の人にお世話になっていて、部屋を間借りしているそうだ。だから休みの日は彼が英語が話せるのでお店を手伝っているという。このお店の女将さんは第二の母親みたいなものだともいっていた。ハ・ロン湾はすごくきれいないいところだと強くすすめられるが、3日の夜には帰らなければならないし、明日のお昼には待ち合わせをしているから無理だった。地図が欲しかったのであるかと聞くと奥から出してきてくれて只でくれた。近所までちょっと食事をしに行くことにした。

 リー・タイ・トー通りLy Thai Toを越えたところの小さなお店にはいる。昼間から地元の労働者がビールを飲んでいる。ビールを何本かと肉野菜炒め。300円ぐらい。その後バイクで街を案内してくれるという。だが当然彼はバイクを持っていないのでレンタルバイクを借りることになった。昼間タイ湖を歩いて、一人の行動範囲の限界を感じてもいたので渡りに船だった。

 36番街の方のバイク屋に行く。お店の人は彼の友人だから125ccの韓国製バイク1日10ドルのところ8ドルにしてくれるという。まあ、本当かどうかは知らないが。ガイドブックの相場だと1日7ドルくらいらしいが、それは50ccかも知れない。デポジットとしてパスポートか航空券を要求してくるが、両方ホテルに預けてある。日本で作っておいたパスポートのカラーコピーと40ドルを出すと全然足りないという。だがここでこれ以上現金を出すのはいやだったのでこれしかないというと、ハン君のIDカードを預けることで片が付く。事故ったりなくしたりした場合には、2000ドルを支払うという内容の契約書にサインする。

 まずはハン君がハノイで間借りしている家に寄ることになった。その前に彼は近所のランドリーで、洗いたてのアディダスのジャージを受け取った。狭い路地をしばらくすすむ。1階はイ君の家のようにちょっとした生活雑貨を売る店になっている。彼の部屋は3階だ。だが着替えてくるからここで待っていてくれという。是非見せて欲しかったが、その家の人たちにお茶を出されたので飲みながら待つ。彼が戻ってくるまで8分間ほど家の人が料理をしている様子を眺めていた。ジャージに着替えたハン君と出発しようとすると、彼はその家の人にお茶代20円、払ってくれというので払ったがなんだか変な感じだ。

 しばらく市内を走っていると彼が急に家族を見たいかと言い出したので、出来ればというと1時間ほどでいけるというので行くことにする。とりあえず湖畔のお店の女将に知らせに行く。すると彼はその店のらくがんのお菓子を彼の家族のギフトとして買うようにすすめられる。400円。結構高いお菓子だ。街のハズレから有料道路を使う。道路代5円。道路を走りだしてからしばらく考えていたことは、彼を信用していいのだろうかということだ。

 1時間をちょっと過ぎた頃から脇道に入っていく。道路いっぱいに藁が敷きつめてあったり、牛車と道を譲り合ったりするような田舎道だ。ヤシ葺きのような家はあまりない。ほとんどが煉瓦づくりでどの家も何となく似ている。かなりくねくねと曲がるので彼がいなければ二度と来られないだろう。

 

 彼の家に着く。のどかだ。庭には井戸があり、彼が濡らしたタオルを渡してくれる。家の裏には塀にしっかりと囲われた池がある。彼の父が漢方医なので蛇を飼っているのだという。医者といってもベトナムでは事情が違い貧乏なのだそうだ。家にはそのお父さんだけがいた。お父さんは歓迎してくれる。英語は少しも話せない。温かい珈琲とお茶をごちそうになる。おそらくこのぐらい田舎だと氷は貴重なのだろう。机のガラスの下にはオーストラリア人の友人がこの家に遊びに来たときの写真が並べられている。グレープフルーツのような果物もいただく。すごく優しそうな感じのお父さんだ。パッと見たときにはハン君とあまり似ていないと思ったが、いざ並んでもらうとそっくりだ。

 家の外壁に1989という文字が刻まれているので、あれは何かと聞くと、家を建てた年だという。お父さんは10年前に蛇に腕をかまれ倒れたが、ハン君が駆けつけてなんとか一命をとりとめたのだそうだ。猿も木から落ちるということだ。しかしやはりそれ以来体が弱り、ハノイでの仕事をリタイアして今ではここに訪ねてくる人に薬を調合する程度だという。お父さんの腕には痛々しい傷跡が残っている。国営放送らしきラジオがつけっぱなしだ。

 しばらく話したあとお父さんが棚の上から蛇酒を降ろした。ハン君はこれを飲むのとすごく体にいいという。お猪口のようなものに1杯いただいたあと、お父さんは私が持っていた水のペットボトルにお酒を入れてあげるから持ってかえって両親に飲ませるようにすすめてくれる。引き出しから乾燥させた蛇の内蔵を取り出し、それを彼の家に300年前から伝わるという引き臼ですりつぶして粉上にしたものをお酒に混ぜた。その他にも別のタンスの中のもう一つの蛇酒を少量加えてまぜた。そしてペットボトルのふたを閉めたあとにビニールをかぶせ紐でぐるぐるに巻き、それをさらにビニール袋に詰めてくれた。手さばきには無駄がなく、ただただ見入ってしまう。お礼を言って家をあとにする。

 すぐ近所の彼のいとこたちの家に行く。この辺り一帯は彼の一族のプロヴァンスなのだそうだ。だからといって裕福なわけではない。単に昔から住み続けているということだ。彼らはこの生活から脱したいようだ。そのいとこたちは皆若く、同世代だ。家の一角にカセットテープがずらっと並んでおり、ダビング用のダブルカセットデッキも10台ぐらい重ねてある。テープのダビングがいとこの仕事なのだそうだ。ハノイの店に卸しているのだ。日本のタバコをあげると、いとこの一人に水パイプをすすめられる。ハン君にマリワナじゃないよなと聞くと笑ってただのタバコだよという。実際タバコだったがかなりきついので一口すっただけでくらくらするが、すごくおいしい。いとこたちは英語は少しも分からない。昼間から集まってただだべっているだけのようだ。ハン君に期待がかかっているのが何となく想像できる。日が暮れかかってきたのでおいとまする。

 ホーチミンより道路事情も交通事情もよいので80キロは出せる。6時にホテルの前にバイクを止める。7時半に夕飯に迎えに来るから、シャワーを浴びるようにいわれる。

 7時半に中国系の料理屋へ。といってもものすごく庶民的なところだが。また、肉野菜炒めだ。22歳の若者だし、観光客を案内するのが仕事なわけではないので食事には無頓着なようだ。だが、おいしくて安いのだから不満はない。ふと彼の手を見ると左手の中指に小さな入れ墨がある。いつ入れたのか聞くと軍隊に入っていたときだという。軍隊にはいるとお金がもらえるので貧乏なものが入隊するのはめずらしくないらしい。何の模様かわかるかと聞くので見るが、技術が稚拙でぼやけている。漢字の「傘」に見えたのでそう答えると、中国の将棋の駒の一つだという。幸運を意味するそうだ。

 食後に彼が昼間手伝っているお店に行きコーラを飲む。そこに彼よりやや年上に見える彼の友人がいる。ハン君はその友人から何かのカードを借りた。どうやらハノイで一番新しいディスコの入場パスらしい。このカードがあると、二人まで入場無料になるようだ。ディスコなんか好きじゃないし行かないよといった。すると彼はそのカードをじっと見たまま止まってしまった。よほど行きたいらしい。急に彼が子供っぽく見えてきた。さらにディスコには彼の友人たちがいるという。仕方がないので行くことにする。中を見てみたい気持ちは少しはあったからだ。

 バイクで10分ほどいったところだ。夜のせいもあり全然どこら辺なのか把握できない。建物は日本の郊外にある高級っぽさを無理に出そうとしたパチンコ屋のようだ。確かマジックとかいう名前だった。受付がありアオザイの女性が数人いる。鞄をクロークに預ける。扉を開けると小さなゲームセンターがある。さらにその奥の扉の向こうがディスコになっている。扉の脇には黒服が立っている。彼がカードを見せて、黒服とちょっと話したあと、なかなか中に入らないのでどうしたのかと聞くとハン君がジャージだから入れてもらえないのだった。吹き出しそうになるがハン君の目がマジだ。何度も交渉するががんとして入れてもらえない。彼は例のじっと待つ作戦に出ているので、しばらくゲームセンターを見る。2、3組カップルがいるだけだ。ドレスコードといってもダサさなどではなく、ジーンズならいいのだ。たんにジャージがダメなようだ。私の目にはハン君の黒と白のアディダスのジャージの方が、その辺のベトナム人の男の子の格好よりもマシに見えるのだがそういうことではないのだ。ハン君は結構しつこく粘っている。といってもただじっとしているだけだ。

 20分ほど経って、そのゲーセンを出るのでようやくあきらめたかと思ったら、受付のアオザイの女性に相談し始めた。その女性が支配人風の黒服に口添えしてくれるがやはりダメなようだ。またハン君がぐずって石のようになってしまう。友達がいるんじゃなかったのか?

 5分ぐらい経つと支配人風の男が私の方へ来て、プリーズカムインといい、何とかはいることが出来た。中は結構広く、真ん中にフロアがあり周りに椅子とテーブルがある。まだ9時のためかフロアでは誰も踊っていない。周りの椅子に20人ほどベトナム人がいる程度。年齢層は20代後半から30代ぐらいだろうか。外人が少ないのは時間が早いせいと観光シーズンではないからだろうか。DJは白人。数年前のハウスという感じ。この辺の内容はDJや日によって違うのだろう。「地球の歩き方」には、ドラムンベースがかかるような店もあると書いてあった。しばらく経つと店の奥からワンピースを着た綺麗どころが15人ほどフロアに出てきて、だらだら踊りだした。一目でわかるサクラだ。ハイネケン(2本で700円。これが一番安い飲み物。スコッチやウィスキーは1杯500円)を飲んでいたハン君の顔がほころんできた。他のベトナム人の男の子が踊り出すと彼女たちは引っ込み、また人が減るとしぶしぶ出ていき、プロジェクターで映し出されているトムとジェリーのアニメを見て笑っている。男の子たちは彼女たちをじっと見つめているが声はかけないようだ。ハン君が楽しそうに踊るのを見て11時頃に帰る。

 ホテルまで送ってもらい、明日の朝9時に待ち合わせると決め別れる。

 1時になっても窓の外のフォー屋はまだ片づけもせずに、しゃべっている。そういえば昼間は違うお店が出ていた。