コロッセオ



フィレンツェ〜オルヴィエート〜ローマ

フィレンツェからローマまでは300KM近い。ちょうど中間くらいにオルヴィエートという城塞都市がある。ずーっとバスというのもちょっときついので、さすがツアー。この城塞都市でひとやすみという日程が組まれている。

市場や可愛いお店がたくさんあるオルヴィエート。お買い物に最適。向こうに見える時計塔を見たとき、時計館を思い出したのは私だけ? オルヴィエートは「城塞」都市と言われるだけあって、高台の上にある。バスを降りて、フニクラなるケーブルカーに乗って上に行く。あの歌にでてくる「フニクラ」である。妹が知らないというので歌ってやると、「ああ、ご長寿クイズね」

上には立派なドゥオモがあるが、一通り見た後はお買い物。ここの名産は白ワイン。それこそ1本500円で最高級の世界である。妹は酒飲みの友人のために2本もワインを買っていた。街の中央に時計塔がある。その姿が時計館を思わせて私はとっても気に入る。ドゥオモから市役所へ向かう道のあちこちに陶器のお店が並んでいる。どれもかわいらしくて目移りしてしまうのだが、家で実用的に使えるようなものが見つからない。いろいろ探したが時間も無くなってしまい、諦める。もう少しここでお買い物をしていたかった。

ローマに着くと、まずはホテルで荷物を降ろし、徒歩でお昼ご飯へ。お昼はまたまたすごい量。とりあえずイタリアのご飯は量が多い。お昼の最後に出てきた甘いお菓子はちょっといただけなかった。本当は隣の団体(おそらくアメリカ人)のところに出てたスイカが欲しかった。


とりあえずは市内観光

サンピエトロ広場から大聖堂を望む。世界各国から集まったボランティアが沢山いる 2000年というカトリックにとっては特別な年であるため、ローマの市内は交通規制が厳しい。大型バスは一切中に入れない。そのため小さいマイクロバス2台に分乗、サンピエトロ大聖堂に向かう。

今回の現地ガイドは大阪弁ばりばりの元気なおねえさん(名前を失念してしまった・・・結構御世話になったのに)。サンピエトロ大聖堂の前で聞く大阪弁は大変違和感があったが、説明は上手い。フィレンツェのYさんをちょっと穏やかにした立て板に水。気づくとヴァチカン市国の中にいる。話には聞いていたが、とにかくでかい。さすがカトリックの総本山。その大きさは伊達ではない。キリスト生誕2000年、そして25年に一度開く聖なる扉が開かれているなど、話題の多いサンピエトロ大聖堂。聖なる扉をくぐると、今までの穢れが清められるらしい。ローマにいる間にこの扉を3回くぐった。恐らく今までの穢れは綺麗サッパリ清められていることだろう。

スイスの衛兵。制服はミケランジェロデザイン。 中はとにかく広い。右にはミケランジェロが作った美しいピエタがある。身廊の床を見ると、ところどころにしるしとなにやら字が彫ってある。世界中の大きな聖堂の広さが示されているらしい。「この聖堂よりあの聖堂よりこーんなにでかいんだぞ」という稚気を感じて結構笑える。とりあえずしなければならないのが、聖ピエトロ像への礼拝。どうやるかというと、足をさするのだ。左右の足は信者がごしごし擦るため、ほとんど平坦になってしまっている。その後に、グロッテという地下墓地へもぐった。ちょっとした墓地なのかと思いきや、かなり広い。しかもあちこちに置かれている祭壇はそれだけで十分小さな教会くらいの広さがある。外に出てもまだ見所が。本当のヴァチカン市国内には、市内の人に用事がない限りは入ることができない。そのため、ヴァチカン市国に入るための門に衛兵が立っている。その衛兵の着ている服が面白い。ハナエ・モリなぞ目ではない(当たり前)。なんとミケランジェロのデザイン(「一説によると」というただしつき)。さすが永遠の都と言われるだけあって、衛兵の服からしてスケールが違う。伊達に2000年前から帝国をやっていない。恐るべしローマ。でもミケランジェロの制服はちょっと趣味が悪い。


コロッセオは石切り場

コロッセオ内部。

トスカで有名なサンタンジェロ城を見ながら、ヴェネチア広場を抜け、コロッセオへ。古代ローマの中心地であったこの辺り、他にも捨てられたような遺跡がたくさん見られる。とりあえず今日はコロッセオヘ。思っていたよりも大きいし高い。古代ローマ人の技術力もさることながら、CGじゃないコロッセオだ〜と変な感動をする私。映画「グラディエーター」で見たコロッセオ、ぼろぼろになりながらもこちらはホンモノである。そんな話をしていると、大阪弁の現地ガイドさんが「あれ面白いよね〜」と言い出す。ラッセル・クロウが格好良いという話で盛り上がりながら、コロッセオに入る。

添乗員Iさんによると、このコロッセオがこんなにボロボロになってしまったのは、あちこちで建物を作るために石切り場として使われてしまったからということだ。さすが面倒くさがりイタリア人。採石場が遠いからといって、古代遺跡を崩すとは・・・なんとも親近感を感じる。

中に入ると2階部分に登ることができる。2階に上がって、競技場を一周。暑いこともあるが、かなり時間がかかる。ぐるっと歩いて広さを実感した。上の写真はそのとき撮ったもの。「グラディエーター」でも出てきたが、剣闘士や猛獣を収容していた地下部分が今は剥き出しになっている。一部分板が張られているが、この建物を再び元の形に改修する気があるのか、神のみぞ知る。


トレヴィの泉で願掛け

トレヴィの泉。がっかりすると聞いていたが、結構綺麗だった。人が多いのが難点 コロッセオを後にし、再びヴェネチア広場を通ってローマに行ったら皆が行く、トレヴィの泉へ。ここで右手にコインを持って、左の肩ごしにそのコインを投げると、再びローマに来られるという迷信がある。そのため多くの観光客がコインを投げるためにここに来る。恐らく何日か(あるいは毎日)に一回賽銭を拾う人がいるのだろう。でないとあっという間に泉はコインで溢れるに違いない。私は200リラコインを投げたが、妹は10円玉を投げる。10円玉を拾ったとしてもどうするのだろう。あの賽銭の行方が気になる私である。

映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンが立ってトレヴィの泉を見ていた交差点に、現在はアイス屋がある。ここにローマに移籍した中田にちなんだ「ナカタ・スペシャル」というジェラートがあるらしい。私たちは食べなかったが、聞いたところによると、メニューに「ナカタ・スペシャル」とカタカナで書いてあるそうだ。絶対日本人しか注文できない。

超有名どころを回ったところで、今日は終わり。最後はやっぱりツアーらしく、ローマ三越へ行く。妹は部署のおばさんに何かを買っていたが、私は休憩所で一休み。妹が戻ってきたので、時間もあるし、広場の向かいにあった教会へ行く。ちょうど18時。ミサの時間だ。信者はほとんどいないところへ、明らかに東洋人の私たちが乱入。一緒にミサに出る。きっとありがたい言葉がお説教されているのだろうが、イタリア語だかラテン語だかなので意味不明。信者への道は遠い。

ホテルに戻る。あまりの暑さに水が欲しい私たち、ホテルでバスから降りると、近くの酒屋に行く。習ったばかりの「チャオ〜」で愛想を振り撒き、まるで地元民のように入っていった私たち、その後いきなり英語で「ガス無しの水くれ」と言ったら、通じなかった(T_T)。恐らくイタリア語が話せると勘違いされたのだろう。もう一度言うと、「ああ、水ね」と言って1.5リットルボトルを出してくれた。大体フィレンツェでは500ミリのミニボトルが1500リラだったが、なんとここでは1.5リットルペットボトルが1500リラ。安い。ちなみにローマは水が高騰していることを翌日知るのだが、それはまた後で。

一旦部屋に戻ったあと、夕食。夕食は本当にホテルの近くのレストラン。昨日も食べたメロンと生ハムが前菜で出た後、ラザニアが出て、さらにメインは肉と魚が選べる。私は肉、妹は魚が選んだが、どちらもまあまあという感想だったらしい。でもラザニア美味しかったなあ。フィレンツェのTボーンステーキが忘れられない。最後はやっぱりカプチーノ。向こうはコーヒーは基本的にエスプレッソなので、飲みすぎると寝られない。が、あまりに美味しいので、ついつい飲んでしまうのが悲しい。


夕食後はスペイン階段にお散歩

夜のスペイン階段は人がいっぱい。ごそごそ動いているのは何だ、と思ったら、人だった。びっくり。このとき既に夜22時。要するに渋谷のセンター街のようなものだ。 夕食後、添乗員Iさんが明日の自由行動のための街案内を兼ねてスペイン階段に連れて行ってくれるという。添乗員は使えるのだ、ということを改めて思う。夜のローマは怖いので、外を歩けないと聞いていたが、全然そんなことはなかった・・・と思ったのは、私の勘違いかもしれない。

ポポロ広場から、コルソ通りを抜け、コンドッティ通りに曲がってスペイン階段。妹はあてに出来ないので、ちゃんと道を覚える。黄色がかった光が見えてきて、その下を大量の物体がうごめいている。なんだ、なんだ、と思ったら大量の人、人、人。昼間のトレヴィの泉も真っ青の人出。「ローマの休日」でジェラートを食べながら降りてくるオードリーのシーンは超有名だが、今この階段での飲食は厳禁。きっと皆が真似する所為だろう。

ちょっと避けてあげたら、ヨーロッパ人(と思われる西洋人)に「謝謝」と言われる。どうも中国人に間違えられたらしい。妹は日本人にイタリア語で「ジャポネーゼ?」と言われる。そうだと言うと、「写真撮って下さい」といきなり日本語。いろんな人たちがいるものだ。人が多いところにいるのが、物売り。ところが、他のツアーの人々は皆物売りに声をかけられているのに、何故か私の前は素通りしていく。何故?!そんなにお金持ってないように見えるのか・・・。まあわずらわしくないので、気にしないことにする。

スペイン階段で他の人に混じってぼぼぼーっとする。涼しくて気持ちいい。本当にジベタリアンのノリである。確かにこうして道路(階段だけど)に座っていると気持ちいいのかもしれない。


やっぱり高いところが好き

翌日は、まずホテルから近いサンピエトロ大聖堂に向かう。クーポラの上からローマの街を眺めようと、クーポラへ向かおうとするが、サングラスにネクタイのオジサン方に止められる。そして礼拝堂の方を指さされたのだ。こっちがクーポラって書いてあるじゃん、と思いつつ、再び聖なる扉をくぐる。後で私たちが大聖堂と間違えてクーポラのほうに向かおうとしていたと勘違いし、親切に道を教えてくれていたんだ、ということに気づく。

しかし、おじさんたちのおせっかいも役に立った。再び地下墓地にもぐると、なんと合唱が響きわたっている。墓地が礼拝堂のように広いことは先にも書いたが、小さく分かれた礼拝堂で、ミサが開かれているのだ。石で囲まれた地下に響くミサ曲はものすごく綺麗。私は「もう少し聞いてこーよー」と言ったのだが、妹に阻止される。

クーポラの上からローマの街を望む クーボラには途中まで有料エレベーターがついているが、せっかく着たので足で登ることに。当然そんな酔狂な観光客は少ないらしく、チケット売りのおじさんに"Without?!"と何度も確認される。エレベーターが行っている屋上テラスから、身廊の上のほうに入って、さらにクーポラの内壁を登ることができる。フィレンツェのクーポラはまだ人間が登るように出来ていたが、こちらは斜めになった壁の隙間に無理矢理道を作ったような感じ。フィレンツェの方が段数は多いそうだが、登るのはこちらのほうが大変だった。

上からの眺めは格別。特にサンピエトロ大聖堂に阻まれて下からは観ることのできないヴァチカン市国の庭が素晴らしい。幾何学模様の庭園に人が歩いていた。妹が「ヴァチカン市国民になるにはどうしたらいいんだろうねえ」。確かに私もあの庭を歩いてみたい。

下に降りて、昨日は行けなかった郵便局に寄る。この郵便局はヴァチカン市国のもので、ここから郵便を出すとヴァチカン市国から郵便を出したことになる。「日本まで送りたい」と切手とはがきを買い、さて書こう!と思ったら、なんと私も妹もボールペンを持っていない。困った私たち、ここで書かなかったら意味がない、と郵便局職員に「ボールペンを貸してくれ」とせがむ。するとさすが神に仕える人々、快く貸してくれた。「これ一本しかないから、必ず返して」と言われながらも強引にボールペンを借りた私たち、自分宛てに葉書を書いて、投函する。もちろんボールペンはちゃんと郵便局のおにいさんに返却した。ありがとうございます>郵便局の方。

システィーナ礼拝堂も見てみたいが、並ぶ上に中も広いということで、街の中を歩いてみたい私たち、今回は諦める。きっとローマは再び来ることになるだろう。

妹と私は、炎天下の中昨日行ったヴァチカン広場を目指す。サンピエトロ大聖堂からほぼまっすぐなのだが、さすがにローマは都会。歩いていくには遠い。そこで途中の教会で休み休み行くことにする。教会はあちこちに存在し、私たちが歩いていた通りにもちょくちょく教会が現れる。サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会のフレスコ画に感動し、ジェズ教会の広さに驚きながら、ヴェネチア広場到着。広場を通り抜けて、フォロ・ロマーノへ向かう。


遺跡の中で迷う二人

マクセンティウス帝のバシリカ。中央を走っているのが妹。こんなにでかい 遺跡は広い。しかも案内図が入り口にしかない。かつて古代ローマの中心地であったフォロ・ロマーノは、くずれかけた凱旋門や神殿などがあちこちに見られる古代遺跡。ガイドブックにも地図が載っており、それを頼りに昔の建物を見上げる。そう、どの遺跡もとりあえずスケールがけた違い。ものすごくでかいのだ。特にマクセンティウス帝のバシリカは、ででーんという効果音がぴったりの大きさ。写真を撮ろうと思ったが、誰もいないのでは比べるものが無い。そうだ!と思った私は妹に言う。「写真撮ってあげるから、あっちに走って」。妹は喜び勇んで走り出すが、私は適当なところで妹の後姿と神殿を写真に収める。その直後妹が振り返って「い〜よ〜」。もう撮ったと言うと、鬼の形相になった妹、猛然と戻ってきて私に蹴りを入れる。

続けてパラティーノの丘に向かうが、そろそろ水も無くなりそうなので、と私が水を買いに行くことにする。妹は木陰で休んでいるとかふざけたことを言う。姉なのに立場の弱い私は、一人でコロッセオの広場に下りていく。コロッセオの周りには売店がいろいろあるのだが、異常に暑かったこの日、水の値段が吊り上っていた。ローマはフィレンツェに比べると多少物価が高いように感じていたが、それでも2000〜3000リラで買える水が4000リラ。何も考えずに2000リラ札を出すと、"4000リラだ"と言われる。それでも日本円に直すと200円程度なのだが、イタリアの貨幣感覚に慣れてしまった私としては異常に高いように感じる。

パラティーノの丘に入るのにチケット売場に並ぶと、なにやら外国人がお姉さんと揉めている。何だろうと思っていると、前のアメリカ人らしい夫婦も揉めているようだ。というよりも、アメリカ人、キレて怒っている。私たちの番になった。二人で24000リラだったのだが、10000リラ札2枚と5000リラ札を出すと、釣りが無いという。1000リラ札を出せと煩いオバサン。しかし妹と私の財布を合わせても1000リラ札4枚は無い。「1000リラ札が無いんだ」というと、だめと返される。ふざけんなオバサン。なるほど前に並んでいた人たちが怒っていたのはこの所為だったのね。仕方ない、5000リラを1000リラ札に替えるべく、再び立場の弱い姉がコロッセオ広場に向かう。

ところがこのコロッセオ広場、古代は商業・政治の中心地だったらしいが、今は銀行が無い!両替屋も無い!困った私は炎天下の中しばし思案。そうだ!イタリアは日本人が多い。同胞なら5000リラ札を1000リラ札に替えてくれるだろう。そう思った私は、コロッセオの周りをうろついて日本人を探す。ところが韓国人や中国人と思しき人も多い。特に若い人は日本人も韓国人も区別がつかない。近づいていってみると、日本人じゃなかった・・・ということが数回続いたあと、やっと日陰で涼む日本人らしい夫婦を発見。「日本人の方ですか?」というと、そうだという。お!やった!。「すみません、5000リラ札を1000リラ札と交換していただけないでしょうか?」すると何故か変な顔をして顔を見合わせた夫婦。奥さんのほうに、「それはできません」と財布も見ずに言われる。・・・うー私ってば日本人を騙す日本人に見られた?確かに、女性一人で歩いていて、いきなり「両替してください」っていうのは変な人かも。そんな人が近づいてきたら私でも警戒する。同胞両替作戦はあっけなく終了。すごすごと妹のところに戻る。「日本人にも嫌われたよ〜」と報告すると、大笑いされる。

結局その入り口は諦めて、真実の口の方へ向かうことにする。すると途中にもパラティーノの丘の入り口発見。25000リラを出すとあっけなく1000リラが返って来て入ることができた。私の苦労は何だったのだろう・・・というわけで、パラティーノの丘に登る。

ローマ時代に皇帝の宮殿が置かれていたこの丘もやっぱりローマ人サイズ。とっても広い。しかも同じような遺跡だか瓦礫だかが延々と続くこの丘、ものすごく迷う。結局入り口がどちらだか分からなくなってきて、途中会った日本人に地図を見せてもらった。

無事パラティーノの丘を脱出した私たち、今度こそ真実の口へと向かう。途中、「ベン・ハー」に出てきた戦車競技場、チルコ・マッシモを通過・・・しようとするが、バスの車窓からはそれほど広く見えなかったこの競技場、足で歩くとまるで地平線の彼方へ歩いているような気分になる。よく考えたら戦車競技が行われた場所なのだ、広くて当たり前。日陰もないチルコ・マッシモ。私たちは溶けそうになりながらもなんとか通過。

真実の口は、「ウソツキが手を入れると手を食べられてしまう」という伝説のある彫刻。映画「ローマの休日」のシーンでも有名な場所だ。真実の口の前には写真をとる観光客の列が出来ている。前の西洋人はグレゴリー・ペックの真似をして、腕をTシャツの中に入れて写真を撮っていた。私たちは普通に撮影。ちなみにこの丸い彫刻、古代のマンホールの蓋だったという。マンホールの蓋も2000年も経つと出世するらしい。

パンテオン正面。中のドームが神聖な印象。 途中のバールで買ったサンドイッチをヴェネチア広場で食べ、続いてコルソ通りをパンテオンへ。古代に建設された神殿がそのまま残るパンテオン。古代らしく、中に入るとそっけない天井が迎えてくれるが、上部から入る光が幻想的。

現在は大統領官邸になっているクィリナーレ宮殿へ行く。ガイドブックによると15時から衛兵交替の儀式があるらしい。15時ちょっと前についた私たち、宮殿の前にはちらほら観光客もいるので、待っていることにする。ところが待てどくらせど何も起きない。15時になったので、門の前にたつおにいさんに聞いてみると、今日はその儀式は無いらしい。イタリア語で9月って言われたような気がするので、8月は無いのかもしれない。


骨を見る私たち

ヴェネト通りは洒落た通り。右側に見える肌色の建物が骸骨寺。 大統領官邸を後にした私たちは、バルベリーニ広場を抜け、骸骨寺へ向かう。本当はサンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ教会という立派な名前があるのだが、納骨堂の存在が有名で骸骨寺と呼ばれているこの教会。ヴェネト通りというものすごくおしゃれな大通りに面している普通の建物で、最初前を通りすぎそうになった。入るといきなり納骨堂。入り口にざるを机に載せたおじいさんがいて、「寄付」と日本語で言ってきた。御布施をしなくては中に入れないらしい。教会はがめつい。

中に入ると、恐ろしく狭い。ふと上を見ると、なんと模様かと思っていた黒っぽいものが骨だった。白い天井、壁に綺麗に飾りつけられた骨が驚異的。右側はちょっと広い祭壇が4つほどあるのだが、その祭壇もすべて骸骨で出来ている。「これ骨盤だよ〜」と言い出す妹。しゃれこうべは言われなくても分かる。肋骨が羽のように飾られているのも発見。最初はびっくりが大きかったが、だんだん気味悪くなってきた。祭壇に飾られている修行僧らしい服をきた骸骨が一番気持ち悪い。なんだか歩き出してきそうだ。ガイドブックによると、修道僧約4000人の骨が使われているという。気味悪いものが好きな方は、一見の価値あり。

向こうの世界から戻ってきた私たちは、昨日の夜来たスペイン階段を下り、下の広場でジェラートを食べる。そろそろ時間も遅くなってきたので、お土産を買ったりしないとね、と周りの店を物色。ところがパスタでもオリーブオイルでも、こういう観光客用のところは高い。サンピエトロ大聖堂に行く途中にスーパーを見つけていた私たち、そちらへ向かうことにする。

スーパーでいろいろお買い物。妹は上司にお土産と言って250g、1000リラ(約50円)のパスタを買っている。ちなみにこの値段は上司には内緒だそうだ。ちょっとした箱に入った良いものでも7000リラ程度。やっぱり町のスーパーは安い。最後にコーヒーを買おうとするが、量り売りのものは真空パックにはしてもらえないようで諦めた。残念。

10時間に渡って歩きつづけた私たち、さすがに疲れてホテルに戻る。


夜はやっぱり勝手にツアー企画

夜はまた8時に待ち合わせて、ローマの夜ツアーを勝手に企画していた。企画立案は一人で参加のIさん。アートな一家Yさんもちょうど戻ってきて、一緒に行くという。Oさん母娘は、お買い物で疲れたということで今回はパス。皆で待っていたが、8時になっても添乗員Iさんが現れない。ナポリ・ポンペイへの1日オプショナルツアーに行ってしまっているIさん、まだナポリから帰ってきていないらしい。10分くらい過ぎたところへ、Iさんが戻ってきた。朝7時から夜8時までオプショナル・ツアーに付いていっていたIさんに、「じゃあ、夜ツアー行きましょうか」という鬼の客。夜に個人ではなかなか行けないというローマの下町、トラステヴェレへと向かう。

トラステヴェレは東京の浅草のような場所らしい。ホテルからはかなり遠いので、添乗員Iさんがタクシーを頼んでくれる。タクシーを降りるとすごい人。といっても皆地元の人のようだ。路地でバイオリンを弾くおじさん、教会の塀の周りに屯する少年たち、そしてピザ屋のテラスで騒ぐ人たちとものすごく活気がある。

サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会。ちょうどミサが開かれていた

サンタ・マリア・トラステヴェレ教会へ行くと、ちょうどミサが開かれている。「結婚式かもしれない」と添乗員Iさんが言っていたが、中に入るとどうもミサらしい。ミサじゃないかもと思った理由が人の多さ。これだけの人がミサに出ているのはかなり珍しい。そして、その人々が突然全員でミサ曲を歌いだしたので、皆フリーズ。人数もさることながら、教会の音響も良いので、鳥肌が立つほどだった。ラッキーだった〜といいながら、じゃあピザを食べよう!とピザ屋を目ざす。

ピザは8人で分けても十分な大きさ。トマトとチーズが乗った一番オーソドックスで素朴なマルガリータがとりあえずお薦めということで、それを頼み、もう一皿頼んだ(もう何だったか思い出せない・・・)。さらにそれぞれが前菜のスパゲッティを頼んで、食べまくる。散々食べてもまだいけると思ったわたしたち、さらに3皿のピザを追加して食べる。マルガリータもよかったけれども、カプリチョーザもよかったな。とりあえずトマトが美味しいのは絶対。日本に帰ってきてトマトを食べたら、味がなくていただけなかった。イタリアに行ったら、まずトマト(料理)を食べることをおすすめする。

散々食べたあと、ちょっとお散歩して少し広い通りのタクシー乗り場へ。添乗員Iさん、他にもタクシー乗り場で待っている、観光客らしい人々を尻目に強引にタクシーを奪う。さすが旅慣れている人は違う。このタクシーの運転手、とっても良い人で、サンタンジェロ城のライトアップが美しい橋を渡ってくれた。このライトアップ、本当に綺麗。お城が白く浮かび上がる様子がかなり幻想的だった。

ひたすら歩いたし、ピザも食べたけどやっぱりローマは広い。まだまだ見たりないところたくさん。本当は4日ほどいると良いらしい。今回見られなかったローマを次回は絶対に見るぞと思う。トレヴィの泉にコインを投げてきたので、恐らくもう一度は来られるに違いない・・・。


最終日は飛行機だけ

朝はちょっとゆっくり目に集合して、空港へ。あまったリラを使って免税店で会社への土産を買う。8日間と行っても、行って帰るだけで3日かかってしまうイタリア、実際観光できるのは6日間。やっぱり遠い。2週間くらいいられると、いろんなところを見られるのだろうが、さすがにそんなに休みを取れる余裕はない。暇はあってもお金が無かった学生時代、お金はあっても暇のない(それでも私は比較的休みが取れるほうだが)社会人。なんともうまくいかないものだ。今回は3都市をピンポイントで回るコースだったが、南のほうは全然行かなかったので、南の方に行ってみたいし、オルヴィエートがよかったので、田舎を回るコースもいいなとメモしつつ、冬休みの計画を立てる(笑)。

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