ドゥオモ



ヴェネチア〜フィレンツェ

ヴェネチアからフィレンツェは約4時間。途中高速のPAで休憩を挟んでも午前中に余裕で到着できる。8時にバスで出発し、高速に乗って途中ボローニャで休憩。水を買おうとするが、ちょうどそこには無い。Iさんに聞くと、「これがおいしい」とピーチ味の紅茶を薦めてくれた。他の人もIさんの言葉にやられたらしく、ツアーの人々はそのピーチ味を買っている。おそらくIさんはリプトンからマージンを取ってるに違いない。私は結構その味にはまり、その後も見つけると買っていたのだが、妹はどうもダメだったようだ。


ミケランジェロ広場からフィレンツェを見る

ミケランジェロ広場から、フィレンツェの街を望む。中央はドゥオモ。

ボローニャから約1時間半で、ダビデ像のレプリカが置かれるミケランジェロ広場に到着。ここからは花の都フィレンツェが一望できる。遠くに見えるドゥオモを見て、妹と二人で感動。写真で見たままのフィレンツェだ。あれに登るために地球の裏側まで着たのだからと気合(?)をいれる。

ミケランジェロ広場からは、フィレンツェの市内まですぐ。泊まるホテルは再び中央駅の近くで、ドゥオモも近い。フィレンツェの市内も大型バスなどは交通規制で入れない。そのため、ホテルで一旦荷物を降ろし、市内は歩いて観光する。

とりあえずはご飯!2日間、イタリアでいろんなものを食べたが、フィレンツェのご飯が一番美味しかった。というわけで、この日のお昼は、フィットチーネとすんごい肉の出てくる料理。この肉が骨付きでとっても美味しい。イタリアはサラダは大抵オリーブオイルか、お酢をかけて食べるのだが、今回はお酢に挑戦。これがまたうまい。けどちょっと酸っぱかったかな。

何故か私たちが姉妹であることが話題になる。ずーっとお友達だと思ってたというご家族。よく「似てない」とは言われるが、ここまで違うと言われるのも久々。その後どっちが姉かあてっこになる。お母さま二人はさすが、私を姉と言うが、高校生の娘さんに妹が姉と言われてショック。確かに妹のほうが背が高いけどさー。この後、名前を知っているはずの添乗員Iさんにまで「もしかして姉妹なの?どこが似てるの?」と失礼なことを言われる。

お腹が一杯になったところで、ウフィッツィ美術館へ。メディチ家が所有していた美術品を一挙に展示している美術館で、ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』『春』、ラファエロの『自画像』、ミケランジェロの『聖家族』など有名な作品が大量に展示されているこの美術館、私たちは舌が回らず「ウヒウヒ」とか不遜なことを言っていたが、世界中から観光客が訪れる有名な美術館である。そのため列がものすごい。私たちは2時過ぎに予約を入れておいてくれたそうで、団体口から入ることができたのだが、普通の客はなんと4時間待ちが平均。広いコの字形の美術館の回廊に、入り口までずーっと人が並んでいる。ディズニーランドも頭を下げそうな人の列。

月曜が休館であることもあり、火曜日のこの日は、特に列が長い。中は美術品をゆっくり見られるように入場制限がされ、予約口も相当な混乱をしているようだ。ところが現地ガイドのYさん、その入り口のおじさんと御友達だそうで、ちょっと話をして、なんと別の口を開けてもらえることに。やっぱりどこでもコネは効くのね。4時間待ちの個人列を尻目に、なんと10分もしないうちに中へ。美術オンチの私と妹でも、『ヴィーナスの誕生』や『春』くらいならもちろん知っている。教科書で見た絵画が目の前にあるのは感動。Yさんの立て板に水の説明にも感動しながら、ひととおり見て回る。ルーブル美術館やオルセー美術館に行った時も思ったが、こういうのが目の前の美術館にある生活ってどういう感じなんだろう。うーん。

続けていったのが、シニョーリア広場。ものすごい人出で、しかも昼間の日差しを避けて、少ない日陰に人々が屯っている。ここはヴェッキオ宮殿の高い時計塔が見もの。あとジプシーのスリも多いらしい。ちょっとうろうろして、次のドゥオモへ。


ドゥオモへ入る

ドゥオモの壁面はすべて大理石で覆われている。ちなみに都庁が使っている大理石もここと同じ大理石 ドゥオモというのは、大聖堂のことで、その街でもっとも大きな教会を指すのだそうだ。このフィレンツェのドォウモは「花の聖母教会」ともいわれ、前面を色大理石に覆われた派手な建物である。高さ106mもある大クーポラはよくフィレンツェのシンボルとして写真にも出てくるが、この中もものすごいもの。広さもさることながら、ステンドグラスも大きく、そしてクーポラの内壁面にはフレスコ画『最後の審判』が描かれている。今日は時間の都合で登ることはできないので、クーポラは明日の朝。ドォウモを出たところにあるジオットの鐘楼で天国の門のレリーフを見た後、フィレンツェの革製品のみやげ物屋に連れて行かれる。私たちはまた見てるだけ〜状態で、水飲んでトイレを借りただけなのだが、歩き回って疲れていたので、ちょっと嬉しい。ホテルまで戻った後は、夕食。


夕食はフィレンツェ風ステーキ

ヴェッキオは古いという意味。古い橋というそっけない名前のついたこの橋は、今もお店が並ぶ面白い橋である 夕食の集合時間までまだ間があるので、妹の買い物に付き合う。妹はプラダの財布が欲しいらしく、近くのプラダのショップまで歩いていく。妹はあまりの安さに驚いていたが(日本の3分の1くらいだったらしい)、私にはサッパリわからない。私の専門はどちらかというと秋葉原ブランドである。。。

ついでにちょっと散歩。古い橋という名前のヴェッキオ橋へと向かう。かつて肉屋が並んでいたというこの橋は、今は宝石屋が軒を連ねる。ものすごい派手な装飾品に、また見てるだけ〜の私たち。きっと日本人がしても似合わないと思うのは、私だけではあるまい。

夕食は、5分くらいのところでフィレンツェ風ステーキを食べる。こちらでは肉の場所がわかるようにするため、肉は絶対に骨付き。そんでもって絶対にソースをかけない。ちょっと固めの肉がめっちゃおしいしかった。この肉、結構大きかったのだが、普通のサイズは全然違うことが翌日判明する。このとき一緒のテーブルだった一人で参加のIさんと、娘さんに連れられたおじいちゃんがものすごく酒飲み。ほとんど二人でワインを大量に空ける。この後も、このおじいちゃんとIさんが一緒になるとワインの空く量が1.5倍になる。


大クーポラに登る

大クーポラの上からの眺め。朝はさすがに涼しく気持ちいい。 翌日、朝食の後すぐにドゥオモのクーポラに登る。8時半から開くことを昨日確認してきたので、並ぶ前に入ろうと15分で朝食を食べ、さっそくドゥオモへ。5,6人待っている人がいたが、すぐに門が開いて入れた。

こんな朝早くから並ぶのは日本人だけだろうと思ったが、意外や意外、そうでもない。さっそく中に入ると、せまーい螺旋階段。「チーズケーキがたくさーん」とか言い始める妹を捨てて、私はすたすたと上っていく。苦行のような螺旋階段を終えると、クーポラに描かれたフレスコ画の下の回廊に出る。下を除くと、ちょうどミサの最中。偉そうな服を着た人たちが、祭壇で歌を歌っている。大きさが違うだけあって、ものすごく音響が綺麗。この後も教会の音響に驚くことは何度もあった。

さらに登ること約10分。やっと屋上に出た。妹はさっそくベンチに座り込んでいるが、私はぐるぐると写真を撮る。一番いい場所の写真を撮るときに妹が邪魔をしてきた。ので、その写真をここに載せることが出来ないのが残念。

午前中は自由行動なので、ここから見える大きな建物に行こうという算段を立てる。結局妹の予習は何の役にも立っていない。この後も行き当たりばったりの行動が続くのだが、それはまた別の話。ちょうどアルノ川の方向を向くと、向こうにでかい建物が見える。昨日はアルノ川の右岸を案内してもらったので、今日はあっちへ行こうとその建物を調べると宮殿らしい。その右のほうにも教会があるようだ。そちらの方向へ行くことにして、さっそく降りることにする。


フィレンツェの下町、アルノ川左岸へ

ボーボリ庭園。どこ行っても観光客だったのに、いきなり観光客がいなくなる。 ドゥオモからメルカート(市場)を見ながら、ヴェッキオ橋を渡り、アルノ川左岸へ。かつてフィレンツェの郊外だったこちらは、所謂下町のような雰囲気。しばらく行くと、右手にでっかい広場とピッティ宮殿が見えてくる。他の場所が見られなくなるので、とりあえず今回は宮殿内はパスして、メディチ家のコジモ1世が妻エレオノーラの健康のためにつくったという庭園を歩くことに。実際は4万5000平方メートルもあるそうなのだが、イタリアの面白いところで、ガイド用の地図などは一切くれない。それぞれの入り口に超不親切な地図が置いてあるだけ。とりあえず道をぶらぶら。と思ったのに、なんだか迷ってる?!おそらくエレオノーラも健康のためとか言って、あまりに広い庭園を造られて怒ったに違いないとみた・・・。

1時間ほどぶらぶらしたあと、外へ。今度は地図に載っている教会、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会を目指す。道はどんどん細く、かつ路地的になり、周りは完全に職人の町の様相を示し始める。川を渡る前にはこれでもか、というくらいいた観光客がすっかり減る川のこちら側はおすすめ。

20分ほど歩いてサンタ・マリア・デル・カルミネ教会へ到着。単に地図に載ってるからという理由だけでここを目指したのだが、なんとマサッチョのフレスコ画があることで実は有名な教会だった。中に入ると、天井と壁を取り巻いて描かれたフレスコ画があるのだが、ふと左上を見あげるとあらま、『楽園追放』ではないですか。こんなところでホンモノが見られるとは思わなかった。行き当たりばったりにもたまには良い事があるものだ。

再びアルノ川を渡って、メディチ家の礼拝堂を目指す。フィレンツェの主とも言えるメディチ家が落ち目の頃に作った一族の墓所で、広い空間の壁は、貴石のモザイクで埋められている。太陽の光が上から入ってきてとーっても綺麗。その後礼拝堂に附設されたサン・ロレンツォ教会にも寄るが、なんと12時になると外に出ろと言われて、全員外に出されてしまった。神様もお昼休みらしい。


午後はピサへ

午後は、ピサの斜塔へのオプショナルツアー。イタリアと言えば、ピサの斜塔を思い出すくらい有名な建物なのだから見ない手はない。妹は「今回は歩くガイドブックがいるから(ちなみに添乗員Iさんのこと)」とガイドブックを部屋に置いていく。ピサはバスに乗って1時間くらい。美術館大好きご家族のYさん一家、添乗員Iさんと一緒に他のツアーの人々との待ち合わせ場所に向かう。なんとピサまでの案内は昨日ウフィッチ美術館で怒涛の説明を披露してくれたYさん。立て板に水のお嬢さんとして私たちのツアーで話題となっていたYさん、ピサまでの1時間に渡って、再びいつ息を吸っているのかわからないような、立て板に水の説明をされたらどうしよう、と少々不安になるが、さすがにそれはなく、車窓から静かに田園風景を眺めることができた。後もう少し早いと、トスカーナ地方はひまわりが美しいそうだ。下を向いて散ろうとしているひまわりを沢山見たが、あれが一斉に太陽の方向を向いている情景は、確かに見ものだろう。今度はひまわりが咲く季節に来てみたい。

美術館大好きのYさん一家は午前中、ダビデ像のホンモノを見るためにアカデミア美術館に並んだらしいが、結局混んでいて中に入れなかったそうだ。「下の子(ご兄弟で下の子は中学生)がご機嫌ななめなのよ〜」とお母さん。中学生の子がダビデ像を見られなくて不機嫌になるとは!妹と感心する。その後、このご家族は妹に「アートな一家」と呼ばれることになる。

ピサの斜塔。今は5.5度ほど右に傾いている。思った以上の傾き。いつ倒れてもおかしくない。 ピサ到着。ピサは大聖堂(ドゥオモ)の周りにある斜塔(鐘楼)と洗礼堂とを見るくらいで、あちこち歩き回るわけではない。10世紀に作られたという塀に囲まれた広場は、ものすごい数の観光客。周りの出店ではピサの斜塔の置物が3000リラ(約150円)ぐらいから売られている。やっぱり世界的に有名な観光地。ただの鐘楼も、5度傾けばこれだけ稼げるのだ。これからは建物は斜めにつくるべし。

塀に作られた門をくぐると、向こうにピサの斜塔が見えてきた。思った以上に傾いている。徐々に傾きが激しくなっているピサの斜塔は、現在は危険ということで中に入ることができない。しかもロープ、錘など様々な方法で傾きを抑制している。Iさん曰く、昔はもう少し穏やかな防護策だったとのこと。傾きが激しくなってきて、見た目を気にすることが出来なくなっているらしい。

Yさんによると、現在少し左側へ戻す工事が行われていて、最終的には4.5度程度の傾きを保たせるそうだ。まっすぐに出来ないのは、鐘を納めている8階部分が既に傾いて作られていることもあるが、それ以上に観光資源としての価値を残すためらしい。確かに斜塔じゃなかったら、誰もこんな田舎までこない。

2年後再び中に入れると言う話だが、気まぐれイタリア人、本当に終わるのかなとちょっと疑問。入れるようになったらまた来てみたい。ちなみに今の状態では登れと言われても登りたくはない・・・と思うくらい傾いている。

斜塔ばかりではなくドォウモ、洗礼堂もすごい。ドゥオモは白い美しい建物で、ロマネスク様式の代表作と言われているものだ。あの妹が「ステンドグラスが綺麗」と言うくらい立派な建物である。洗礼堂の面白いところは、音響設備。ドーム部分を2重にして、残響が美しく残るような形になっている。何人か人が入ると、洗礼堂の扉が全部閉まって中に閉じ込められる。すると単なるモギリかと思っていたおじさんが洗礼堂の真ん中に登場。その残響の美しさをデモンストレーションしてくれた。一人で歌っていても、まるでパイプオルガンのような和音に聞こえる。あまりに感動して、次のデモンストレーションが始まるまで洗礼堂の中をうろうろしていたのは言うまでもない。ちなみにデモンストレーションの後起こる拍手は、まるでホールを埋め尽くす大観衆が、一斉に拍手したかのような音になる。デモをするおじさん、それがものすごく気持ちいいに違いない。自分でも拍手を促していた。

ピサから戻ってくると、アートなY一家は、なにやらIさんに相談をしている。指さしてあっち?こっち?と言っているところを見ると、道を尋ねているらしい。納得した様子のY一家、なんとお父さんを先頭に一列になって一目散にどこかへ走っていってしまった。唖然とする私たち。一体彼らはどこへ向かったのだろう。

少しホテルに帰って一休み。炎天下の中一日歩き回ってさすがに疲れた。8時前に夕食待ち合わせのためにロビーに下りる。今日は添乗員Iさんに美味しいお店に連れてってもらおうという企画を勝手に立てていたのだ。ロビーで仕事をするIさんの邪魔をして、今日午前中に行ってきた場所の解説をしてもらう私。さすが妹が歩くガイドブックというだけあって、いろんなことを知っている。そこへアートなY一家が帰ってきた。一列になってどこへ向かっていたのかと思いきや、閉館間際のアカデミア美術館に行ってきたのだそうだ。念願かなって下の子も満足そう。その後、フェラガモでネクタイを買ったそうで、お父さんも満足そう。8時にご飯を食べに行くというと一緒に行くという。母娘で参加のOさんと、午後寝てしまった〜という一人参加のIさんも加わって、10人になった夕食ツアー一行、添乗員Iさんがレストランに予約を入れてくれた。添乗員さんというのは使えるものなのだということを初めて知る。

10人もいるといろんなものが食べられる。とりあえずはそれぞれ好きに前菜やらメインやらを頼む。私はメロンに惹かれて生ハムとメロンの前菜を頼んだのだが、これがすごい。三日月メロンがどーんと2つも乗っかって、皿一面にハムが敷かれている。イタリアではこれが普通らしい。他の人と皿を交換しながらいろんなものを食べる。続いてスパゲッティだの、ラザニアだのがででんと出てくる。Y一家のお母さんがミネストローネを頼んでくれた。日本で食べたミネストローネとぜーんぜん違う。やっぱりトマトが違うの?私はオッソブーコを頼んでみた。すね肉のトマト煮込みらしいのだが、骨髄がとっても美味しい。Iさんはフィレンツェ名物、牛の胃袋トリッパを頼んでいる。これがまた見た目からグロテスク。元々苦手という添乗員Iさんをはじめ、Oさん母娘、そしてもちろん変なものは絶対に食べない妹は最初から敬遠。私は興味本位でちょっともらうとこれが思ったよりまずくない。というか、意外に美味しい。ただあれを全部食べたら気持ち悪くなるかもしれない。

イタリアはワインがめちゃめちゃ安い。1本500円でも良いワインが飲める。私も妹もそんなに飲まないが、IさんとY一家お父さんがいける口。1997年ものの赤ワインはおいしいらしい事を知る。ワインについてあれこれ話を聞いたが、半分くらい忘れてしまった。妹は覚えているかもしれない。長居をする私たちに、店員さんが面白いものをサービスしてくれる。ワインの瓶型の胡椒入れ。私はワインをかけてるのかと思ったら、なんと胡椒。その入れ物がすっかり気に入った私たち、これ御土産で売ってないのかなあと言い出す。

そして昨日も食べたフィレンツェ風ステーキ。Y一家のお父さんが頼んでくれたのだが、なんと昨日のは特別小さくなっていただけで、600gが最低らしい。みんなで切り分けて食べた。お腹いっぱーいと言いながら、さらに食べる私。店員さんがドルチェのワゴンを持ってきてくれた。そう言えばプリンおいしかったよね〜、プリンてイタリア語で何ていうんでしたっけ?などど妹が添乗員さんに聞いている。そうそう、クレーム・カラメル!というと、店員さん、クレーム・カラメル!といってプリンをくれた。妹はもう要らんというので、私が一人で黙々と食べる。Yさん一家とIさんはジェラート。いろんなイチゴを入れてくれて、これって何ていうイチゴだろうと言いながら食べる。さらにカプチーノだのカフェ(エスプレッソ)だのを頼んで、満足した私たち、周りの客は既に全員変わっていたが、やっとこさ店を出る。

8時半に行ったのに、結局店を出たのは11時半!イタリア人だーと言いながらホテルへ戻る。お風呂に入ったあと、すぐ寝てしまったのは言うまでもない。

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