成田〜ミラノ経由〜ヴェネチア
第1日。成田集合10時半。私は去年と同じ第2ターミナルを想像していたので、第1ターミナル集合にちょっと驚き。第1ターミナルもちょっとだけ変わったらしい。といっても古いことは古く、やっぱり第2ターミナルに行きたかった。この日はとりあえず行くだけ。イタリアのミラノまで12時間。そこから更に乗り継ぎでヴェネチアへ1時間。そんなに長く飛行機に乗ったのは、10年以上前が最後(そのときも妹が一緒だった)なので、あの時の悪夢が甦る。飛行機の狭い椅子に12時間座りっぱなしというのは、拷問以外のナニモノでもない。私ははっきり言ってすごい格好をしていた。妹も同様。眼鏡にほとんどノーメイク。帽子を目深に被ってればばれないさ〜と勝手に思っていたが、その所為で一緒のツアーだったおじさまから「帽子の姉妹」という渾名を頂戴するはめになる。
イタリアとの時差は約7時間。つまり日本発12時半の飛行機に12時間乗ってつくと、大体夕方の18時頃ミラノに到着することになる。飛行機に乗ると、私たちの隣には、イタリア人と思われる男性が座った。妹は彼を勝手に「ピエール」と名づけ、日本語が分からないだろうという気安さから「ピエールどいてくれよ、トイレ行きたいよ」とか言っていた。困った奴である。実はこの後、ピエールが日本語が読めることが判明するのだが、それはまた別の話。彼女はしかも添乗員のIさん(男性)を一目見て「あまりお近づきになりたくない人種」とのたまう。ところがこの数日間ですっかり仲良くなってしまうのを彼女は知らない。ミラノまで、私はひたすら本を読み、隣の"ピエール"はひたすら寝まくっていた。
ミラノに到着後、飛行機を乗り継ぐのだが、さすがイタリア。とりあえず1時間は何も言わずに遅れるらしい。妹が「でたよ〜ノープロブレムだよ〜」と散々文句を言い始める。イタリアの現地時間ではまだ18時だが、既に日本時間では午前1時。良い子の睡眠時間を3時間も過ぎている。私もさすがに眠い。
ミラノで両替をする。極度なインフレに悩むイタリア、日本円もいい加減0が多いが、イタリアはさらにその後ろに0がつく。街でいくらでも両替できるし、空港はレートが悪いからと聞いた私たちは、とりあえず1万円を交換するが、戻ってきたのが約18万リラ。この0の多さにしばらく慣れないまま過ぎていく。
ついでにトイレにも行った。外国に行って驚くのはとりあえずトイレ。イタリアも例外ではない。まず公衆トイレは便座が無い。空港だけかと思ったら、その後も便座無しトイレはあちこちで見かける。
20時20分発だった飛行機が21時20分搭乗に変更された。搭乗口で待っていたのだが、妹は行く直前に買ったゲームボーイに嵌りまくり。私はひとりで空港内をうろうろする。搭乗口には2つの自動販売機があった。外国では自動販売機を見かけるのは珍しい。ところがこの自動販売機、何故か紙幣が入っていかない。水が3000リラである空港内で、コインで払うのは至難の業。当然外国人が使うのは、1000リラ以上の紙幣である。私はその自販機の前に座ってみていたのだが、紙幣を入れようとした外国人が次々と門前払いをくらっている。一体どうやって使うのだろう。謎の自販機だ。
やっと飛行機に乗ることになったが、乗ったとたんアナウンス。「乗ってない人がいるので、その人の荷物を見つけて降ろす」という。妹が再び「でたー。ノープロブレムだよ〜」と言い出す。既に日本時間では夜明けに近い。ほとんど寝ていない私は、半分頭が働いていない。1時間ほど時間を食ったあと、やっとこさ飛行機が飛ぶことになった。ヴェネチア着23時半。日本時間朝の6時半。結局成田から18時間近くかかったことになる。遠かった。むちゃむちゃ遠いところに来てしまった。ホテルに帰ったら、お風呂に入ってバタンキュー。
サンマルコ広場

現地ガイドは日本語ペラペラのイタリア人、マルコ氏。最初はドゥカーレ宮に入る。とりあえずすごい人。ヴェネチア(というかイタリア)は面白いところで、団体客を優先してくれる。本当は9時からなのに、外国人団体は8時45分から入れるのだ。マルコ氏によると、「特に日本人は朝早いから」だそう。なるほど、日本人って朝早くから活動するのね・・・。
ドゥカーレ宮に入って、ヴェネチアの巨匠ティツィアーノの絵をいろいろと見る。今はもう動かない24時間計や、星座をあしらった月時計がとっても綺麗。ちなみに月時計のほうも既に自動では動かず、毎月1日に手動で動かしているらしい。
最高裁判所を見た後は、いろいろな展示品が飾ってある場所。中世の騎士の盾だの、剣だのはすべて通りすぎて、マルコ氏がピックアップしたのが貞操帯。妹が「数ある展示品の中から、なんでこれを!」と言い出し、添乗員Iさん爆笑。
2階の大評議室の間に向かい、見たのがすんごい大作、『天国』。800人もの人間が描かれたこの絵、マルコ氏に言わせると「混んでます」となってしまうが、広い部屋だからこそこの絵って感じで、圧倒される。
狭い道を通って、次に行くは「ためいきの橋」。牢獄につながるこの橋は、ヴェネチアの街を見てため息をつくところからこの名前がついたらしい。眺めは確かにいいが、なにしろ牢獄に行く橋なので、とっても狭い。ふと見ると、何故かもう一個通路がある。一人しか通れないのかと思いきや、なんとあちらは帰りの道らしい。牢獄なのに何故往復分の通路がついてるわけ?と思っていたら、この牢獄は軽微な罪の人が入れられたところなので、ここから出ることが頻繁にあったということ。なーんだ。
サンマルコ教会も団体客に優しい。短い団体の列に並んで待っていると、長蛇の列を作っている個人客がとっても哀れ。この後も団体であることで有利になったことが何度もある。イタリアに行くなら団体である。
サンマルコ教会は壁面がとても素晴らしい。上に見える絵は、なんと小さいタイルを敷き詰めたモザイク画。白い建物にとてもよくあっている。マルコ氏と添乗員I氏の説明を聞くとも無しに聞いていると、列を「ちょっとすみません」とよぎっていく日本人がいた。ふとみると、どこかで見たことのある顔。妹に「今の人、どこかで見たこと無い?」と聞こうとする前に、妹が目を見開いていいだす。「Nだ〜!」ちなみに私たちと一緒のツアーの人々は誰も気づいていなかったことが後に判明する。
その後は、ベネチアングラスの工房へと案内される。よくあるツアー用のお土産店なのだが、ニセモノも多いベネチアグラス、ここなら一応安心らしい。お金の無い私たちは見てるだけ〜だが、確かにとっても綺麗。でも日本にこの赤いグラスを持って帰っても絶対合わないよなあ・・・・。
自由にしていいというので、私たちはその店を出て、再びサンマルコ広場へ。1000リラ払ってトイレに入ると、やっぱり便座が無い。イタリアの常識のようだ。
あちこち散歩したあと、あまりの暑さにダウン。サンマルコ広場の階段に座って待つことにする。日本ではジベタリアンとか言われてあまり評判のよくない格好だが、ここではこれが通常。とりあえず地べたに座るのが常識。階段があったら即椅子になる。しかし、サンマルコ広場、飼ってるのかっていうくらい鳩が多い。もしかすると、人間よりも鳩の方が多いかもしれない。アグネス・チャンが大学に講義にきた時に、「日本ってなんであんな美味しそうな鳩を放し飼いにしているんだろうと思った」と言っていたことを思い出す。中国人なら、このサンマルコ広場に着たらびっくり仰天だろう。鳩を脅かして飛び立たせ、写真にとるアメリカ人、鳩のえさを売るイタリア人。そして糞攻撃を避ける観光客。何故か経済活動は鳩を中心に回っているようだ。というわけで、地べたに座るときは、必ず上の鳩が乗るような場所が無いか確認をしなければならない。
お昼はサンマルコ広場から少し入ったところにあるレストラン。イタリアはご飯がおいしいと聞いていたが、やはり美味しい。特に野菜。こちらはハウス野菜は禁止だそうで、特にトマトがものすごく甘い。太陽の強さもあるのだろうが、真っ赤なトマトがすっかりお気に入り。
リアルト橋〜大運河〜中央駅

「リアルト橋→」を頼りに、人の多いところをリアルト橋の方へ向かうが、すぐに迷いはじめる。広場と広場を結ぶように細い路地が網の目のように張り巡らされているヴェネチア。広場に出ると道が10個に分かれていることも稀ではない。しかもその道がまっすぐというより、台形だったり。建物が結構高かったりするので見晴らしは無く、先は見えない。そして水の都と言われるだけあって、路地よりも多い細い運河は、橋がないと渡れない。
ヴェネチアの町をさまよい歩くこと20分。やっとリアルト橋に出た。ちなみにガイドブックによると、サンマルコ広場からリアルト橋まで遠くても7,8分と書いてある。「リアルト橋まで迷った〜」と添乗員Iさんに話すと、再び大爆笑される。「あそこまでは一番簡単なんだよ」・・・うーん。やっぱり方向音痴は本当だったのか。
さすがに大運河に2つしかない橋のひとつだけあって、ものすごく人が多い。まるで原宿竹下通り。雰囲気も実はそっくり(笑)。ここからの眺めは最高だった。トップの写真はこのリアルト橋からの眺め。
サンマルコ広場に戻ろうとするが、再び迷う(笑)。サンマルコ広場→を頼りに戻るが、「おいおいここって、店の中じゃないの?」みたいな狭い路地をくぐりぬけ、夜はさぞかし怖いだろうと思われるトンネルを抜けて、途中スーパーに寄ったりしながら、迷ってるんだか散歩してるんだか分からない状態。路地はとっても面白くて、あちこちで写真を撮る。2階は綺麗に花で飾られたりして、どことなくディズニーランドみたい。途中、行きに「こっちは違うよ」と引き返した広場に出て「やっぱりこっちでよかったんだよ〜」なんて笑いながら、ふと気づくとサンマルコ広場。しかも行きに入ったところとは全然違う場所に出た。「うぉーやっぱり迷ってたのか〜」というのは妹の感想。結論。やっぱりヴェネチアは迷路の街だった。
サンマルコ広場で、コーヒーを飲み、ジェラートを食べて休憩。ジェラートは2つの味を乗っけたコーンで3000リラ(約150円)が相場。何しろ味はすべてイタリア語で書いてあるので、色から検討をつけなければならない。前の人の言い方から、andが"エ"であることが判明。文字を適当にイタリア語イントネーションで読んで、間に"エ"を入れて注文。結構これがうまくいった。イタリア語は意外に簡単かもしれない(ウソ)。続けて鐘楼に向かう。ちなみに妹、「じゃあ次はリンロウだね」・・・・違うの!それはショウロウ。96mもあるその鐘楼は、エレベータで上に登ることができる。上からの眺めは絶景。ヴェネチアの街とアドリア海が一望できる。ヴェネチアは屋根が一面のレンガ色。それがとっても綺麗。妹が「なんでここで青とか使わないんだろうねえ」と疑問の様子。あとでIさんに聞くと、「作るときに街の色に合わせてるのと、あと赤が一番安い」という理由らしい。よく日本で、街全体をデザインする都市計画があるが、ああいう妙に無機質で画一的な都市とはまた違って、こちらには人間臭さがある。
夜はゴンドラに乗る待ち合わせがあるので、そろそろホテルの方向へ戻る。戻るには、大運河を行く船に乗るのが一番。本当は1番という船に乗ればゆっくり帰れるはずだったのが、大失敗。よくわからないまま「中央駅」行きの船に乗ると、特急だった。まあ1番の船はめちゃめちゃ混んでるみたいだったからいいか、とゆったり座って帰る。途中、なんと1階が水に沈んでいるアパートを沢山見る。地盤沈下は深刻なようで、サンマルコ広場が秋の昼間、完全に水没することは有名。他にも満潮時にはかなり沈んでしまうところは多いようだ。
予想外に早くついてしまったので、近くの教会へ行く。サンタ・マリア・デイ・フラーリ教会は、ドゥカーレ宮でもみたティツィアーノの傑作が置かれた大きな教会。当然迷いながら行くので多少時間がかかったが、ヴェネチアらしい赤のランプがとっても綺麗な教会だった。
ゴンドラに乗る
ヴェネチアに来たら、やっぱりゴンドラに乗らねば、とゴンドラオプションに申し込んでおいた。一緒のツアーの人々は殆ど申し込んだらしい。夕食のあと、待ち合わせてゴンドラ乗り場へ。ゴンドラにはセレナーデ歌いがつく。昼間は暑いので、夕方19時半集合で、20時頃乗り始める。日が落ち始めるとやっぱり涼しい。これまた路地のような水路をあちこち行くと、窓からイタリア人が手を振っている。ヴェネチアは物価高の上に、観光客しかこなくて、しかも秋になると水没するものすごく住みにくい街。こうして住んでいる人たちは、ヴェネチアから離れられない人たちばかりだそうだ。最初私がディズニーランドみたいと思ったのはあながち間違いではないらしい。また、ヴェネチアは車が入ることができない。人も一人がやっと通れるような路地か、運河しかない街では自動車が使えないことは自明の理だが、自動車がいないとこんなにも静かなものなのね、と感心。約1時間のゴンドラクルーズを終えて、再びホテルへ。1日歩いて疲れたのか、二人とも再びバタンキュー。