あてのあるようなないような旅


その2 1〜2日め(寝台に魅せられての巻 静岡〜松江)

 5月5日の子供の日。天気は雲が出ているがまずまずの晴れ具合。
 今日は私用で静岡県にある実家に寄ってから山陰へと出発することになっている。

 今回は寝台特急を使用することにした。
 東京駅で寝台の切符を買う。
 窓口ではちょっと訛りがあるが気さくな感じの駅員が、混雑情況や寝台の種類等をいろいろと丁寧に教えてくれる。
 今回は上級寝台でも使用してみようかとも思ったが、結局一番安い普通のB寝台にする。
 静岡駅からの乗車である。

 それからとりあえず明日の宿泊を予約しておく。松江の駅前に安いビジネスホテルがあるのでそこへ電話をかける。
 ゴールデンウイークを1日はずれていたこともあってか、こちらも難なくとれた。

 釜飯弁当を買い込んで、ひとまず新幹線で静岡に向かう。
 結構混んでいたが、隣に大柄だが若い今風の女性が座ってくれて、モテナイ独身エトランゼ的には今後の良い暗示と解釈をさせていただく。彼女は三島まではガーっと眠りこけていたが、その後は起きて化粧などを始めていた。静岡よりも先で降りるようであった。

 実家で私用を済ませた後、夜も更けてきたため山陰へと出発の為静岡駅へ向かう。
 いよいよここからが、僕の一人旅の始まりである。

   *   *   *

 静岡駅はもう既に閑散としていた。
 夜食用にと、閉店準備をしていたキヨスクに駆け込んでサンドイッチを購入。
 ホームで特急「出雲」の到着を待つ。
 回りにはだーれもいない。大変静かである。とことん静かである。
 休日なので、サラリーマンもいなければましてや学生だっていない。休日が終わって明日から仕事や学校があるという日の、こんな時間から旅に出ようという奇特な人間なぞ、もちろんいるわけはない。
「孤独」という単語が太字の100ポイント位の大きさになって、僕の頭の中を去来する。
 なぜか防人になって遠い西国の地へでも旅立つかのような心境になる。
 只モテナイ独身エトランゼ的には全然グー・全然オッケー・全然有りー、全然3連発ー、みたいな。

 23:39、「出雲」が到着。
 車内は案の定ガラガラであった。
 僕の車両にも人の気配がしていたが、かなりの老夫婦のようであった。
 只モテナイ独身エトランゼ的には全然グー・全然オッケー・全然有りー・・・。

 寝台に乗るには実は結構覚悟がいる。
 一見情緒溢れる寝台列車にも欠点が無いことも無い。寝台のその最大の欠点とは、揺れの為熟睡できない場合があるということである。
 寝台なのにシンダイな(しんどいな)・・・、なんてえなことにもなりかねません(しら〜あっ)。
 それで熟睡する為には万全の状態で挑む必要がある。

 万全の状態の為のその1。
 お腹を空かせない。
 ・・・その為に用意したサンドイッチを早速摂取。

 万全の状態の為のその2。
 ウンコはしておく。腹に邪気というか排泄物が滞留しているとかなり気になって眠れない。
 ・・・僕は早速トイレに向かう。
 これも割とスムーズに行った。

 ところが結局この、その1・その2も空しい努力となってしまった。
 旅立ちへの興奮と、電車の揺れが結局上まわり、正味1時間くらいしか熟睡できずに寝不足になってしまった。
 これで初日の体調にかなり影響をきたしてしまった。

 ところで、朝6:30頃になると、「出雲」はいよいよ山陰へ突入し、日の出過ぎれば兵庫県城崎辺りを通過することになる。

 寝不足で体調不良にもなってしまいかねない寝台特急であるが、じゃあなぜここまでして僕は利用するのか?
 その理由は、実はこの城崎辺りからの車窓の景色にあるのである。

 僕は朝方の、この寝台からアンニュイに眺める山陰線の車窓の風景が大変好きなのである。今までまだ2回しか利用して無いが、こよなく愛しているといっても良い。モーニング娘と同じくらい愛しているといっても良い。
 これが山陰へ僕を導く大きな理由の一つと言ってもいいくらいなのである。
 なぜそう思うのか、理由は良くわからない。

 山陰線は城崎辺りの山が迫ってきて鄙びた集落が点在するような地域を抜けると、やがて鳥取の大山あたりに至る。
 この辺は大変気が澄みわたったよう感じで爽やかな良いパワーを与えてくれる。
 そしてしばらく行くと次第に米子などちょっとにぎやかな街の香りなどもしてくる。中海などが見え出しだんだんと出雲に近づいた雰囲気になってきて何か神妙な気配も漂って来る。そうして程なく松江に至る。
 この一連の車窓の景色が、僕をたまらなく切なく、そして嬉しくさせるのである。
 だからできれば天気は爽やかな快晴であってほしい。

 ところが、なんと朝起きて窓のブラインドを開けて見ると城崎辺りは一面の曇り空で、一瞬ヒヤっとする。
 しかしどうやら山間部の空がそうだけだったようで、列車が西に行くにつれ、快晴になってきたので一安心。

 余談であるが、城崎からしばらく行くと「鎧駅」〜「余部駅」の間に「余部鉄橋」というのがある。
 少年の頃読んだ学研の「科学と学習」に、この余部鉄橋を作った人達の話が掲載されていて、それを読んで以来、この「余部(あまるべ)」という名前が、どういうわけかずっと記憶に残っていた。僕の中でこの余部は言わば「伝説の場所」のような存在になっていた。
 その伝説の場所に、ついに来たということで最初にこの鉄橋を通過した時は感慨もひとしおであった。
 山陰の平家落人の部落ということが、余計にその神秘的な雰囲気をイメージに加味していたのかもしれない。

 電車は、そんな伝説の余部も抜け快調に走り続けていく。
 僕には山陰線の駅の名前もなぜか親しみが持てて良い。
 「城崎(きのさき)」「香住(かすみ」「浜坂(はまさか)」「倉吉(くらよし)」「伯耆大山(ほうきだいせん)」・・・などなど、僕にとっては旅情を掻き立てるような語感がなぜか心地よい。
 

 この「出雲」は、朝方以降は一般通勤客にも車両を解放していて、確か3・4号車だったと思うが、真ん中辺りの車両には、通勤時には客がドヤドヤと乗って来る。
 僕の車両は、幸い最後部の11号車だったのでその心配は無かった。
 その変わりと言っては変だが、車内販売のオバチャンが朝食用に弁当を売りに来たので朝弁を購入しようとしたが、なんと僕のすぐ手前で、購入をしようと思った「幕の内弁当」が売り切れてしまった。これは逆に最後部の11号車の哀しさである。
 弁当は仕方なく諦める。
 鳥取辺りで、さすがに寝不足の為ボーッとしたので車窓の観覧は中断し、しばらく横になる。

 9:28米子に停車。米子に着けば、もう松江は近い。宍道湖が見えれば段々出雲という感じになって来る。
 この辺は今までの雰囲気に比べ、割と賑やかで広々した感じがしてくる。
 
 米子で停車中、相変わらずボーっと微睡んでいたが、ふと窓外に視線を移すと、ちょうど正面のホームのベンチで一人佇むショートカットの女子高生を発見してしまった。良く見ると結構カワイイ。旅先で可憐な乙女を目にすると、かなり旅情(欲情?)を掻き立てられる。
 モテナイ独身エトランゼの目は急に醒めた。
 と同時にふと自分の下半身に視線を移すと寝起きでパンツ一丁だったことに気づき、慌ててズボンを履く。こちらのミットモナイ格好を危うく遠い西国の可憐な乙女に見られてしまうとこであった。寝台に変態オヤジがいる、と思われるとこであった。

 ようやく意識もハッキリしてきて活動状態になり、一先ずはトイレに行く。
 気をつけていたせいか排便関係は割と順調であった。
 安来節で有名な安来駅では駅員が、ホームが短いので下車時に注意するようにと、丁寧に一寝台づつ声をかけて回ってくれていた。
 今回接するJRの職員は皆イイ人という印象であった。

 AM10:10、松江到着。ありがたいような良い天気である。

続く。

●上記レポートを読む場合の推奨BGM
                  ミルトン・ナシメント:「17歳に戻れたら(Volver a Los)」(「ジェライス(Geraes)EMI TOCP-50286」収録) 

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