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中原中也記念館は結局ホテルからすぐの場所だった。わざわざ駅まで行くことは無かった。クーッ!。
入場すると、受付のお姉ちゃんが「6時までだから、そこんとこヨロシク」という意味のことを言う。
以前出雲に行ったとき、スサノオ記念館なるものに行ったのであるが、その時は僕以外客が一人もいなかった。なので、この手の地方の記念館の類は、客が全然いなかろうと、ふんでいたのであるが、終了間際のこの時間にもかかわらず、三々五々人が出たり入ったりしているようである。 展示物には、中也直筆の手紙や、通信簿等の貴重な資料がある。 ビデオや展示物を見ながら、中也の短くも波乱に満ちた生涯に自然に思いを馳せる。
以前NHKのテレビで世界的ピアニストでもあり、指揮者でもあるウラジミールアシュケナージが、彼のドキュメンタリー番組の中で「芸術作品は、それが出来てきた経緯は関係なく、それが普遍的になっていて、その感動を皆が共有することが大事」と言っていた。 中也の記念館をうろつきながら、このアシュケナージの言葉がちょっとわかったような気がする。
ちょっと僕にしては、文学青年になったような気分になり、ついでに時間も来たことなので、記念館を後にすることにする。
* * * さて夕方6時を過ぎたが、まだ明るいので。しばらく散歩でもすることにする。
こういうとこは実に計画性は無い。ま、これも一人旅らしいか・・・。
旧街道っぽい道をひたすら歩いていく。街並みがいかにも僕好みの街並みで大変良い。
地方都市の繁華街というのは、とても切ない。
倒産してしまったスーパーなんかがある。哀愁をさそいまくる。
僕はこの地方都市の街の哀愁に、かなり心惹かれるものがある。
そろそろお腹も空いてきた。
「京」という名の、本来はやきそばや、お好み焼き等をやっているような店である。
僕の注文を出しおえると、おかみさんが店ののれんをはずしにかかる。
店を出ると、さすがに空も暗くなっていた。 湯田温泉までは、もう歩く気力は無い。とりあえずバスか電車で帰ることにする。 山口駅はすぐだったので、とりあえず駅に行って時刻表を確かめると、あと10分ほどでちょうどいい電車があり、結局電車に乗ることにする。7:26分発だ。 ホームで電車を待つが、なぜか女学生、いわゆるコギャルが多い。モテナイ独身エトランゼはそれだけで、「良い街」の評価を与えてしまう。ちょっと評価の安売りをしすぎである。
湯田温泉は一駅なのですぐ着いた。さすがに昼間の若者たちの影は無く、本来の駅の姿に戻ったかのようにヒッソリしている。駅の窓口はすでに閉まっていて、あれほどいたタクシーもいない。ここも休日前の夜7時半過ぎというのにひっそりした田舎の駅の風景・・・。 また駅からの道をトボトボと歩く。途中国道沿いにはローソンがあったので、ジュースなどを購入してホテルに戻る。 ホテルに戻って、さっそく温泉につかる。客は僕の他は若者が一人だけで、空いていて良かった。
部屋に戻ってテレビを見ながら一服しノンビリする。
続く。 |
●上記レポートを読む場合の推奨BGM
キリンジ:「風を撃て」(「ペーパードライヴァーズミュージック」収録) |