Monologue2001-14 (2001.3.6〜2001.3.10)

「2001.3.10(土)」晴・相対的

 ムサクルシイ男だらけのバス等に長いこと揺られている時に、そこへオバチャンが乗って来て自分の隣に座ってくれたりすると、そのオバチャンが女神のようにすら思える時がある。
 オバチャンというにはちょっと若い3〜40代くらいのママ風情なら、もう何にも言うことは無い。全然許容範囲になってくる。

 まあ、だからというわけでも無いが、幸福感というのは、つくづく相対的なものなんだな、と思う。
 その座った女性が、もっとカワイイ女性の中にポツンといたら、その人に対して意識もしなかったかもしれない。

 日常遭遇する幸福感というのも似たようなものが多い。
 貧乏すれば一食の施しだけでも有り難いし、カップラーメンでも大変オイシク感じる。
 忙しくなると一日の休日でも嬉しく、普段ビルの中で篭って夜遅くまで仕事をしていると昼間の天気の良い日に感謝したくなる。
 こんな風に欠乏感というのは、そのものへの感謝・憧憬を産み出す為に働く。

 この逆も有り、飽食して来ると、カップラーメンなんて健康に悪いからイラナイと思うし、どこかで出された料理の内容にいろいろ文句を言いたくなる。
 値段の高いグルメ料理を食べ、やっぱり人間おいしいもの食べなくちゃね、などと思ったりする。
 1日の休みでは疲れが取れない、長期休暇は絶対必要だ、などと思ったりする。
 飽食すると、いつか感じた感謝・憧憬を忘れ、貪欲になり生活レベルをもっと向上させようと考えたりする。

 そんなことをしている内に、それがうまくいかなくなり挫折し、今度は幸福感から絶望感に気持ちが変わったりする。
 一旦地に堕ちて、どん底にあると、今度は又昔のように、ちょっとした物が与えてくれた幸福感を思い出したりする。

 こういう波を何度か繰り返す。

 こう考えて来ると絶対的な幸福というものはあるのだろうか?と思う。
 普通は、人生は欠乏と飽食を何回か繰り返すようなもので、その都度あっちの極へ行ったりこっちの極に戻ったりして、そのレベルで幸福感や絶望感を感じたりの行ったり来たりである。
 それで人生が終わってしまうかもしれない。

 もし絶対的な幸福を探すのであれば、この行ったり来たりを越えた次元で探さないと、きっと見つからないのであろう。
 でもそれでも「より良い幸福」は見つかっても「絶対的な幸福」は見つからないかもしれない。

 オバチャンから思わぬような形而上的な話にまで発展してしまったが、とりあえず相対的幸福感の行ったり来たりよりも、とりあえずもっと「より良い幸福」を探したい。

 おっといけない、がらにも無く真面目に語ってしまった・・・ヤレヤレ。

「2001.3.9(金)」晴・平田裕香嬢

 マクドナルドの平日半額のCMに出ていた女の子が非常に感じが良く気に入ったので、誰なのかインターネットで調べた所、キッチリとこちらが所望する情報を得ることができた。
 今更ながらインターネットの便利さを痛感してしまった。
 こんなシガナイモテナイ独身エトランゼの子供じみた下らない願いなど、即座に叶えてくれるこの寛大なシステムに今更ながら感謝感謝である。

 ちなみにその女性は平田裕香さんというそうである。
 ファンサイトももちろんあったが、ちゃんと公式のホームページも存在していた。
 あのCMの、どこか和な、牧歌的・健康的な感じがとても好印象を受けた。
 年齢は17才らしいが、これも僕にとってはつくづく全くもってヤバイ年齢である。

「2001.3.8(木)」晴・未だ離れられず

 秋から春にかけて有り難いことは、なんといってもゴキブリ連中が出てこなくなるということである。
 何物にも変え難い平和な環境を得ることができる。いとをかし。

 モテナイ独身エトランゼ(僕のこと)の部屋は狭くてゴチャゴチャと汚いのであるが、そんな中にも夜、蛍光燈では無く白熱電球スタンドに切り替え、ジャズでも流すと、一応なんとなくムーディーになって、デスクワーク(といっても何のことは無いコタツ机であるが)にも集中でき、それなりの環境になる。

 ところが夏場にこれと同じことをやると、白熱電球に変えた途端ゴキブリやら何やらわけのわからん昆虫共が出没しはじめるのである。これが不可解かつ不愉快極まりないのである。
 それで又仕方なく蛍光燈に戻すハメになる。
 ヤツラは部屋の電気を消した途端にも出没しやがるので、結局消せずに一晩中煌々と部屋に灯をともすなどということもある。

 今の時期まず間違い無くヤツラはいないであろうという確信の持てる我が家において、各所に設置されたゴキブリホイホイ・ホウ酸ダンゴの類いを撤去しつつ、しみじみとヤツラの恐怖の無い平和の有り難さを感ずる。
 何といってもゴキブリホイホイは部屋の美観を著しく損ねるのである。
 何ら捕獲されていないゴキブリホイホイが視界に存在するだけで、どうも徐々に不安になってくる。
 いらぬことを考え出し、最後に思考は世界大戦・人類滅亡にまで発展する。
 ろくな事は無い。

 きっと広い余裕のある家だったらゴキブリが出たって、そんなに気にはならないのであろう。
 僕の部屋は狭くてゴチャゴチャしているので、ゴキブリのような未確認有機生命体が勝手に出没しては消え、消えては出没などされると、こちらも対応ができず非常に困ってしまい不愉快になるのである。

 やっぱり広い家に住みたい。
 そうしない限りは僕とヤツらの果てしない戦いは延々と続いてきそうで、それを思うとズーンと憂鬱になるのである。
 あれ?結局夏でも無いのにヤツらのことを考えてブルーになっちゃった・・・ヤレヤレ。

「2001.3.7(水)」晴・鎌倉街道なあんだ再会

 先週MXテレビで放映している「鎌倉街道夢紀行」という番組の放送時間帯が変更になる為、他番組とバッティングし困ってしまうということを書いたが、テレビ埼玉の番組のホームページを確認したところ、テレビ神奈川でも放送があることが判明し、再び他の番組とバッティングしないスケジュールで見れそうなことがわかった。
 僕の居住地域は幸い神奈川県に非常に近いのでテレビ神奈川も綺麗に映る。
 只テレビ神奈川の放送は本放送と同期しているのでMXテレビの放送よりも3回くらい先に進んでしまっている為、いずれにしても見ることのできない回は出て来てしまいそうである。
 それと鎌倉街道中道編は3月で終了するようなので、それもちょっぴり残念である。

 ともあれ再び番組が見れることは有り難く、この際鎌倉街道の下道編が放送を開始してくれることを切に祈っている今日この頃である。

「2001.3.6(火)」晴・Aちゃんとのこと

 小学校時代に仲の良かった友人とは現在はほぼ皆疎遠になってしまっている。
 在学中に疎遠になってしまったり、引越しによって疎遠になってしまったり、中には既に亡くなってしまった友人もいる。
 僕の中ではとてもキラめいている時代であるはずの小学校時代であるが、それを考えると少々寂しく複雑な気もする。只考えようによっては、こうした友人達との隔絶感故に、想い出が冷凍保存され新鮮さを保ち続けているのかもしれない。

     *   *   *

 Aちゃんとは、それこそ小学校に入学して、すぐに意気投合した、本当に小学校時代の初めてできた友人であった。小学校時代だとお互い腹を抱えて笑いあえるようなことがあると意気投合したりするもんであった。
 もちろんAちゃんとも馬鹿なことを言い合ってふざけ合っていたように記憶する。
 Aちゃんの家は、僕の実家から国道を隔てて200m程の近所にあったので、良く遊びにいかせてもらったものであった。

 そんなAちゃんと僕の間に亀裂が入ってしまったのは、ある事件によってであった。
 この件に関して今でも申し訳なく思うのは、Aちゃん自身には全く責任は無かったことである。

 ある日いつものようにAちゃんの家に訪れて遊んでいた時のことである。
 Aちゃんの家には、普段母上やご兄弟の他に、お婆さんがいらっしゃった。
 そのお婆さんが、突然僕に向かって怒鳴ったのである。

 何で怒られたのか、はっきり覚えていないが、たぶん騒いでいたのを咎められたか何かだったと思う。
 僕はこれに大変な衝撃を受けてしまった。

 Aちゃんの家の他の人、つまりお母さんやご兄弟などは、大変優しく僕に対しても親切に接してくれたという記憶がある。
 それでそこまではAちゃんの家庭、というのは僕にとっては居心地の良い、言わば「僕寄り」の家庭、もっと言えば僕にとっては何ら不安分子の無い味方ともいえるイメージを持った空間であったのである。

 その平和だとばかり感じていた空間に突然僕を排除する敵対分子が存在していたことにひどくショックを受けてしまった。
 これが自分とはあまり身近で無い、近所の雷オバチャンのような存在の人であれば、怒られてもあまり傷にはならなかっただろう。実際当時も良く遊んでいる内に
 近所のガラスを割ったりして怒られるなんてこともあったが、ある程度それは自分でも納得し吸収できていたと思う。
 ところがこの一件はちょっと様子が違ってしまった。
 つまり親友と思っていた友人の身内に怒鳴られたことが、当時安心し信頼していたものに突然裏切られたような非常な疎外感を僕に感じさせてしまった。
 このことは以降の僕の態度に少なからぬ影響を与えてしまった。

 その日から僕はAちゃんの家の前を通るのすら恐くなり、Aちゃんの家に行くのを極力避けるようになってしまった。
 そしてあろうことかAちゃん自身さえも避けるようになってしまったのである。
 Aちゃんに誘われ家に呼ばれることが大変な恐怖であり苦痛になってしまったのである。

 僕の母やAちゃんの母上なども、Aちゃんの家にパッタリ行かなくなった僕の行動が変だと感じ、僕にどうしたのか?Aちゃんと喧嘩したのか?などと尋ねてきたことがあったが、僕は曖昧に返事をし、正直にAちゃんのお婆さんが嫌いだからと、他人に言うことすら苦痛だったほどであったから、この一件は当時8才位だった少年に相当な影を落としていたようである。
 Aちゃん自身、当時の現場にいたかいなかったかもう覚えていないし、お婆さんに怒られたことを僕が気に病んでいるのを知っていたかどうかはわからない。いずれにしろAちゃんは押しの強い性格では無かったので、僕が壁を作り始めたことで僕を問いただすことはしなかったし、僕の拒絶的な態度に対し成す術を持たなかったようである。
 僕と共に結局Aちゃんもこの一件で傷を負ってしまったのかもしれない。

 結局この誰にも言えなかった心の傷を癒す代替策として僕は、Aちゃんから徐々に距離を置き、他の友人と仲良くなる方法を選択し、皮肉なことに、この方法はある意味成功を収めた。もちろん心の傷は癒える代わりにAちゃんとの繋がりを失ってしまった。
 周りの人は普段通りに明るく過ごす僕を見、Aちゃんとはその後クラスも変わったので自然に疎遠になったのだろうということで、それ以上詮索を続けなかったようである。
 こうしてこの一件は僕とAちゃんの間だけに沈殿していった。

 今の僕の精神状態であれば、騒ぎすぎてAちゃんのお婆さんに怒られることなど、蚊に刺されたほどにも感じなくなるまで成長したが、子供にとっては思わぬことにまで事態が至るのに、我ながら何か扱いに難しいものを感じてしまい、お恥ずかしい限りではある。

     *   *   *

 ともあれ、以上のことは今となってはもう懐かしく動かし難い僕にとっては切なく美しい想い出である。
 実は今回僕にとってこの具体的な想い出以上にもっと重要で興味深かったことは、先週金星を見て以来、なぜか30年程昔の小学校時代のことが急に生き生きと思い出されてきたことである。

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