「2001.3.10(土)」晴・相対的
ムサクルシイ男だらけのバス等に長いこと揺られている時に、そこへオバチャンが乗って来て自分の隣に座ってくれたりすると、そのオバチャンが女神のようにすら思える時がある。
まあ、だからというわけでも無いが、幸福感というのは、つくづく相対的なものなんだな、と思う。
日常遭遇する幸福感というのも似たようなものが多い。
この逆も有り、飽食して来ると、カップラーメンなんて健康に悪いからイラナイと思うし、どこかで出された料理の内容にいろいろ文句を言いたくなる。
そんなことをしている内に、それがうまくいかなくなり挫折し、今度は幸福感から絶望感に気持ちが変わったりする。
こういう波を何度か繰り返す。 こう考えて来ると絶対的な幸福というものはあるのだろうか?と思う。
もし絶対的な幸福を探すのであれば、この行ったり来たりを越えた次元で探さないと、きっと見つからないのであろう。
オバチャンから思わぬような形而上的な話にまで発展してしまったが、とりあえず相対的幸福感の行ったり来たりよりも、とりあえずもっと「より良い幸福」を探したい。 おっといけない、がらにも無く真面目に語ってしまった・・・ヤレヤレ。 |
「2001.3.9(金)」晴・平田裕香嬢
マクドナルドの平日半額のCMに出ていた女の子が非常に感じが良く気に入ったので、誰なのかインターネットで調べた所、キッチリとこちらが所望する情報を得ることができた。
ちなみにその女性は平田裕香さんというそうである。
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「2001.3.8(木)」晴・未だ離れられず
秋から春にかけて有り難いことは、なんといってもゴキブリ連中が出てこなくなるということである。
モテナイ独身エトランゼ(僕のこと)の部屋は狭くてゴチャゴチャと汚いのであるが、そんな中にも夜、蛍光燈では無く白熱電球スタンドに切り替え、ジャズでも流すと、一応なんとなくムーディーになって、デスクワーク(といっても何のことは無いコタツ机であるが)にも集中でき、それなりの環境になる。 ところが夏場にこれと同じことをやると、白熱電球に変えた途端ゴキブリやら何やらわけのわからん昆虫共が出没しはじめるのである。これが不可解かつ不愉快極まりないのである。
今の時期まず間違い無くヤツラはいないであろうという確信の持てる我が家において、各所に設置されたゴキブリホイホイ・ホウ酸ダンゴの類いを撤去しつつ、しみじみとヤツラの恐怖の無い平和の有り難さを感ずる。
きっと広い余裕のある家だったらゴキブリが出たって、そんなに気にはならないのであろう。
やっぱり広い家に住みたい。
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「2001.3.7(水)」晴・鎌倉街道なあんだ再会
先週MXテレビで放映している「鎌倉街道夢紀行」という番組の放送時間帯が変更になる為、他番組とバッティングし困ってしまうということを書いたが、テレビ埼玉の番組のホームページを確認したところ、テレビ神奈川でも放送があることが判明し、再び他の番組とバッティングしないスケジュールで見れそうなことがわかった。
ともあれ再び番組が見れることは有り難く、この際鎌倉街道の下道編が放送を開始してくれることを切に祈っている今日この頃である。 |
「2001.3.6(火)」晴・Aちゃんとのこと
小学校時代に仲の良かった友人とは現在はほぼ皆疎遠になってしまっている。
* * * Aちゃんとは、それこそ小学校に入学して、すぐに意気投合した、本当に小学校時代の初めてできた友人であった。小学校時代だとお互い腹を抱えて笑いあえるようなことがあると意気投合したりするもんであった。
そんなAちゃんと僕の間に亀裂が入ってしまったのは、ある事件によってであった。
ある日いつものようにAちゃんの家に訪れて遊んでいた時のことである。
何で怒られたのか、はっきり覚えていないが、たぶん騒いでいたのを咎められたか何かだったと思う。
Aちゃんの家の他の人、つまりお母さんやご兄弟などは、大変優しく僕に対しても親切に接してくれたという記憶がある。
その平和だとばかり感じていた空間に突然僕を排除する敵対分子が存在していたことにひどくショックを受けてしまった。
その日から僕はAちゃんの家の前を通るのすら恐くなり、Aちゃんの家に行くのを極力避けるようになってしまった。
僕の母やAちゃんの母上なども、Aちゃんの家にパッタリ行かなくなった僕の行動が変だと感じ、僕にどうしたのか?Aちゃんと喧嘩したのか?などと尋ねてきたことがあったが、僕は曖昧に返事をし、正直にAちゃんのお婆さんが嫌いだからと、他人に言うことすら苦痛だったほどであったから、この一件は当時8才位だった少年に相当な影を落としていたようである。
結局この誰にも言えなかった心の傷を癒す代替策として僕は、Aちゃんから徐々に距離を置き、他の友人と仲良くなる方法を選択し、皮肉なことに、この方法はある意味成功を収めた。もちろん心の傷は癒える代わりにAちゃんとの繋がりを失ってしまった。
今の僕の精神状態であれば、騒ぎすぎてAちゃんのお婆さんに怒られることなど、蚊に刺されたほどにも感じなくなるまで成長したが、子供にとっては思わぬことにまで事態が至るのに、我ながら何か扱いに難しいものを感じてしまい、お恥ずかしい限りではある。 * * * ともあれ、以上のことは今となってはもう懐かしく動かし難い僕にとっては切なく美しい想い出である。
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