「2001.3.5(月)」晴・波涛を越えて
僕が小学校の時に下校前に掃除の時間というのがあり、その時に学校放送でBGMとして流していたのがクラシックのワルツでメキシコの作曲家フベンティーノ・ローザスの「波涛を越えて」という曲だった。
この曲の思い出を今振り返ってみた。
僕はクラスの仲の良い友人と2人で放送委員になった。
この委員会が実に楽しかった。
もちろんやりたくなかったのでは無い。
今考えると子供のくせに何て馬鹿げたことを考えていたのだろう、という気もする。
こうして僕はこの特権を誰かに譲り放送委員から離れていったのだが、当然4年で一緒にやった同僚の友人からも何で継続しなかったんだ?と責められ、女性の先輩からも同じように言われた。 結局この件がキッカケになったと思うが2人の女性の先輩とも疎遠になってしまった。
今思えばこの頃から、どうも本意で無い道を選択してしまうような変なクセがあったようである。
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「2001.3.4(日)」雨後晴夕立・見て楽しむ
スポーツ観戦においては、試合内容そのものも楽しみであるが、選手の表情などを追って行くのも時に面白い。 例えばサッカーなどでゴールを決めた選手は、直後雄叫びを上げながらグランドを走り回ったりするが、中には一見歓喜の表情とは見えないような表情をする選手もいる。
ついでなので又サッカーを引き合いにするが、PKの際、たまに選手越しにバックのスタンドが入るようなアングルで映像を流す時がある。
ついでなのでもう一つ、サッカーでは「オウンゴール」というのがある。バスケでもたまーにあるが、バスケの場合のオウンゴールは、まあそれ程重くは無い為、後で珍プレー、などとして結構ギャグになる程度で終わる。
それからスポーツ全般に渡って、世界選手権などで世界中の選手の名前を目にするが、正直申し訳ないけれども笑ってしまう名前などがあるのも面白い。
かようにスポーツ(結局本日はサッカーの事例に終始してしまったが)はオプションの事象でも結構楽しめる、優れた娯楽であることがおわかりいただけることかと思う。 |
「2001.3.3(土)」曇・フォークソング
TBSのブロードキャスターという番組を見ていたら、最近フォークソングに回帰するオヤジが増えている、という話題を流していた。 僕は単純に、とても良いことだと思った。 僕は若い頃、自分が大人になり年を重ねていくにつれ、どんな音楽を聴くようになるのだろう?と考えたことがあり、ある友人などは、演歌でしょう、みたいなことを言っていたものもいた。 僕個人的には、やはり青春時代に聴いたような音楽を懐かしみつつ母体として聴くのでは無いか?という気がする。
やはり人はいつでも音楽を忘れないでいてほしい、特にオジサン達には、とさえ思う。
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「2001.3.2(金)」雨後晴・疾走する美少女
オリコンのホームページにプッチモニの新曲「BABY!恋にKNOCK OUT!」のレビューが載っていた。
このフレーズ一読で気に入ってしまった。
あまりにも気に入り「疾走する美少女は神々しくさえある。・・・クッ、確かに」などと、このフレーズを何度も何度も声に出して一人悦に入っている自分の間抜けさに気づき、つい一人失笑してしまう程であった。 神々しい・・・美少女・・・から連想されて来る言葉は、そう「巫女」である。
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