Monologue2001-12 (2001.2.24〜2001.2.28)

「2001.2.28(水)」曇時々晴・バスで旅行気分

 旅行に出たいが金が無い、なんて時は路線バスに乗るに限る。
 路線バスに乗るだけでも、かなりお手軽に旅の気分に浸れるもんである。
 バーゲンで買った服が意外に長持ち、みたいなもんである。
 地方で行ったオネエチャン系の店が東京の半額料金なのにも関らずカワイイコばっかり、みたいなもんである。ちと違うか。

 路線バスは東京近郊には数多くある。
 まずJRでも私鉄でも良いが適当なターミナル駅に向かう。
 駅を降りたら大抵の場合に駅前にあるバス案内の表示を調べに行く。
 その表示板をマジマジと眺めつつそこから乗りたいバスを選定していく。
 ここでオネエチャンがティッシュを配っているのに出くわしたら抵抗せずにもらう。
 はたまた駅前を通り過ぎていく女子高生なども折りを見てマジマジと眺めるのも悪くはないであろう。
 怪しげな宗教の勧誘には丁重にお断りの辞をさしあげる。

 僕の場合、その現在いる駅から別のターミナル駅にまで向かって行くような長ーい路線のバスが好みである。
 長ければ長い程良い。隣の県にまで行っている、なんてのであれば最高である。少なくとも隣の市・区くらいまでは行っていてほしい。
 今までで良かったのは例えば、池袋駅〜西新井駅(都営)・亀有駅〜吉川駅(東武)・岩槻駅〜越谷駅(東武)・市川駅〜松戸駅(東武)、川崎駅〜武蔵新庄駅、などがある。

 僕は大抵終点まで行く。
 途中下車はあまり無いので、下車ボタンを押す逡巡と戦うことはここではあまり無い。

 東京近郊の路線バスであれば、こうした長い路線で終点まで行っても4〜500円以内の値段で乗れる。都営バスであれば長くても200円均一(2001.2月現在)なので安心である。
 只こうした長い距離の路線バスは本数が少なく、1時間に1本なんてのはザラである。
 もし出発までに30分以上ある、なんて時は時間をつぶすしか無い。

 大きい駅であれば、ファーストフードの店・本屋・ショッピングセンター・デパート等で時間をつぶせる。
 便意を催したら、ショッピングセンター・デパートの綺麗なトイレで用を済ませておくのも良かろう。
 少し郊外の都市なら、ふるさと散歩道等と称して史跡巡りのコースを案内している掲示板などが駅前にあるので、それを見て近い所まで行ってみたりする時もある。 こうした時間もまた貴重である。
 ファーストフードの店で座席を確保できたら、モバイルパソコンに今までの出来事などを忘れないように打ち込んでおく。周囲にカワイイコがいたら「マックにカワイイコ有」の一言も忘れずに打ち込んでおきたい。ショートカットなら「マックに広末似のカワイイコ有」などと特徴も忘れずに付け加えて置きたい。
 これで時間は結構つぶせる。むしろやることは意外と多く忙しいかもしれない。

 バスの発車時刻が近づいたらなるべく10分前には並んでおきたい。
 これはできれば先頭に並んで最良の席を取りたいからである。
 僕の場合は大抵一番後ろの端に陣取る。
 せこい考えだが、一番後ろの端は奥なので、お年寄りがいらっしゃっても席を譲ることができにくい=そうした気を使う煩わしさが無い、というのがある。お年寄りも混んでいなければ滅多に奥までは入ってこない。
 更に後ろの奥は、周囲をムサクルシイ男性に囲まれてしまう確率も少ない。
 何より眺めが良い。

 たまに車内でパンなどを食べてしまっても可である。
 空いてる時は誰も見てやしない。
 時折化粧する女性や胡坐をかいて足を揉んでるオバチャンなどを見かけるが、そういうのと同じである。仲間である。
 空いた路線バスはリラックスできる空間なのである。
 車内の飲食や化粧はマナーが悪いと言われそうだが、新聞を隣で読みながら肘でこずいたり人の顔面に向かって咳やくしゃみをしたり車内で痰を吐いたり、そんなのに比べたら全然無害でマシである。

 バスが出発したらウォークマンをする。
 僕のような音楽好きには、これは欠かせない。
 というよりは、これをする為にこそわざわざバスに乗ったのだ、という程でもある。
 バスの中で音楽を聴きたいから、というのが僕の場合の一番の目的である。
 曲は何でも良いのだが、僕の場合美しく且つ軽快な音楽を好む。
 あまり暗い音楽はバス内では相応しく無い。

 発車後は、車窓の景色に見入る。
 商店街・旧街道好きの僕にとって、それらの端くれが途上で見えたりしたら、急いでチェックし次回散策の目安とする。
 都内のバスだと混んだり隣にムサクルシイ男性が来てしまうこともあるが、地方バスなどでうまくいくと客が美人若妻親子と僕だけ、なんていう天国的に暖かな状況に遭遇することすらある。昼下がりに隠れた名曲を聴きつつ日本の典型的な田園風景を見つつ更に美人若妻親子のやりとりを垣間見るのも又一興である。
 もちろん女子高生が大挙して乗ってくることもある。こんな豊作の回も希にあるのでやめられない。
 こういう場合は思わず後で何の曲を聴いていたか思い出せなくなることもしばしばである。

 バスが終点に近づくと、昔小学校のバス遠足などで、降りて帰るのが嫌でずっと乗っていたかったな、なんてことを思い出す。
 そしてやがて終に終点に着いてしまう。
 しかし時間があれば降りたターミナル駅からまた更に別のターミナル駅までのバスに乗ってしまおう、と思いつつ、その前に小便でもすっか、と駅前のショッピングセンターに入っていったりする。

「2001.2.27(火)」晴明星と思い出

 今日は快晴だったせいもあってか金星が良く見えた。いわゆる「宵の明星」というやつである。
 僕が初めて「宵の明星」を見たのは小学校の時である。
 何か変な言い方になったが、それまでにも当然「宵の明星」は存在しており夜空の星をひととおり眺めていたはずであるが、「宵の明星」として意識をして見たのは、その時が初めてで「金星って、こんなに光って見えてたんだ!!」とやけに感激したのを覚えている。
 「宵の明星」を意識したのは、おそらく学校の授業で習ったか、学習雑誌からの知識によってかだったと思うが、今はハッキリしない。

 只その頃に学校の宿題で、生徒同士でグループを作って星の観察をするというのがあったのを覚えている。

 当時は子供同士が夜にフラフラ外出するなどご法度の雰囲気があったから、友人と外で会えるというだけで、何かとても楽しかったような思い出がある。
 メンツも今考えると、それ程親密な間の友人では無かったと思うが、それでもやけに楽しかった記憶がある。

 確かその観察は数日続けられた。
 結局観察してそれがどうだったか、ということも皆忘れてしまったが、なぜか今日の金星を見ていたら、その時のことが急に妙に生き生きと思い出された来てしまったので、ちょっと気になってここに記した次第である。きっとたぶんその時も同じような金星を見ていたのだろう。

「2001.2.26(月)」晴・花粉症の利

 花粉症の季節になった。
 日本の森林の1割は杉らしいが、それは人間が植林をした結果そうなったそうだ。
 杉は人間にとっては非常に都合の良い資材になるので人間がドンドン植林を続けた。

 花粉症は、そんな人間の都合による「不自然な自然」の育成の代償・お釣りみたいなもんなのであろう。

 しかし今となっては昔の杉の植林を責めることはできない。
 植林時にはきっと良かれと思ってやったことだと思うし、よもや花粉症などというまだるっこしい病気が日本中に蔓延するなどとは、よもや思わなかったであろう。

 僕なぞは花粉症が流行る前から鼻炎に悩まされ続けてきたが、今やむしろ花粉症を歓迎する。
 花粉症によって日本人は、もっともっと繊細な気持ちを養うことができるのでは無いかと思うからである。

 花粉症になると息が詰まり頭がボーッとし、ちょっとのことでイライラしたりする。敏感になる。それでよりよい気・環境を求めていこうと努力し始める。
 つまりこうして日本人がもっと気に対して鋭敏になり、「繊細さ」に対して意識を向けるパワーを熟成しているのでは無いかという気がするのである。

 故に花粉症は今までの鈍感で粗い思いやりの無い波長を、もっと繊細で良い波動に上げる為の「産みの苦しみ」である気もするのである。

「2001.2.25(日)」晴・嬉しい?

 日曜のテレビ東京は「ハローモーニング」「ASAYAN」「MUSIX」とモー娘出演番組が目白押すので、モテナイ独身エトランゼオジサンは嬉しい。
 プッチ(プッチモニ)が又新曲出してくれる。そうするとテレビ出演が増えるので嬉しい。

 以前モー娘を録画したビデオを久しぶりに見て確認していたら、ちょっと前の本上まなみのリーゼのCMが入っていた。これ又嬉しい。

 パソコンで「月(つき=tsuki)」とパンチしようとしたら、頭の「t」がミスパンチで入力でき無かったので、「suki=すき」になった。変換を押したら「好き」になった。ちょっと嬉しい。

 2000円札をまだ一度も見ていない。このまま伝説のお札になってしまうのだろうか。ちょっと嬉しい。ん?

「2001.2.24(土)」雨・哀しいツッコミ

 漫才でボケとツッコミというのがあるが、一人暮らしが長いとツッコミ専門になってくる。
 普段は「天然ボケじゃねえか」と指摘されがちな、このモテナイ独身エトランゼも一人暮らしの世界においては、ここぞとばかりツッコミに徹する。
 ボケはテレビが担当してくれる。

 ニュース等の街頭インタビュー等で政治への要望・不満を聴かれた市民が「とにかく早くこの不景気を何とかしてもらいたい」とか「景気をよくしてもらわないと困る」あるいは「景気回復の為に頑張ってほしい」などと発言しているのが映る。
 すかさず「景気はどうあれ、まずお前が頑張れよ」とテレビに一ツッコミする。
 ボケ側からは何のリアクションも無いから、それをいいことに、
 「なんで政治に『何とかしてもらう』んじゃ?、儲からんのはお前自身の責任と違うんかい?!」となぜかヘンテコ関西弁もどきで畳かける。
 それでもボケ側からは何のリアクションも無いから、それをいいことに、
 「お前が頑張らんから、景気が悪いのと違うんか?人のせいにすんな!、ちゅうねん!」などとテレビの縁を軽く小突きながらダメ押す。

 このやりとりにオチは無い。
 無いが画面はすぐに次のニュース、言うなれば次のネタになっている。
 また同様のツッコミを繰り返す。

 それからたまに天気予報にでも切り替わってくれれば、
 「なんや、天気かいっ!!」とコケながら再ツッコミも可能である。
 「天気かよっ!!」とサマーズ(旧バカルディ)三村氏を真似た関東風ツッコミも可能である。この際テレビ画面には向かわず、あたかも周りに聴衆がいるかの如く、誰も居ないテレビの無い方向の部屋の空間に向かってクルリと向き直り呆れ顔で叫んでみる、といったちょっとした細かい芸当も挟んでみせたりする。誰も見ていないのに、である。

 ニュースが終わってしまいCMに行けば、
 「サッポロ生ビール、おっ!ちょうど喉渇いてたんだよゴクゴクゴク・・って。オイっ!!」
 ・・と、ちょっとしたノリツッコミも可能である。

 画面がお気に入りの女子アナになったりすると、急に態度は変わって三文漫才は終了し、今度はどんなニュースであろうとも、
 「そお・・、そんな大変なことになってたのー!、なんて悲しい世の中なのっ!!ネッ○○ちゃん!(○○にはその時々でお気に入りの女子アナ名が入る)」などとヘンテコオカマもどきの口調になり、ヘンテコなヘの字眉毛の物悲しげな表情で画面を一心に見つめたりしている。

 ニュース番組が終わると何事も無かったかのように、さてと、などと言いつつ股間をポリポリ掻きながら、日清の「きつねどん兵衛」にお湯をジョボジョボと注いだりする。

 全くもって呆れるほど哀しい一人暮らしである。

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