11.知る人ぞ知る「野鳥」の聖地……善福寺編

・結果的に,企画売り込み

 話は2007年1月に遡る。
 取手のロケのときのこと。
 毎度,ロケの休憩時間中に,「今度はどこに行ってみようか?」と言う話をして,なんとなく,次回,次々回ぐらいのロケ先の方向性が決まるのだが,そのとき,5月のバードウイーク時期にやらせてもらえるなら,前々から候補に上げていた,善福寺をやってみたい,と言う話をしていた。

 そして,季節は春。
 実は今年(2007年)は,バードウイーク制定60年にあたる。当初はバードウイークではなく,「バードデイ」として,4月10日に行われていたのだが,その第1回目が,1947年。1950年から,現在のバードウイークと同じ,5月10〜16日の開催となって,続けられているのだ。今年,この時期に鳥ネタで善福寺,と言うのが,ちょうど良いタイミングだった。時間的に余裕を見て,3月末にTディレクターに打診してみる。
 約1週間後にプロデューサーより電話連絡。残念ながら,バードウイーク期間中のオンエア日は予定が決まっているとのこと。それでも,この時期のネタとして面白そうなので,実現できるかどうか,調整してみると言うことで,話がペンディング。最終的に,5月20日オンエア予定で撮影が決まったのが,さらに2週間ほど経ってから。今回は連休を避け,平日に撮影予定を入れた。「霞ヶ関・日比谷編」以来の平日ロケだ。この時期になると,野鳥関係者は,休日がイベントで忙しくなる。ボクも例外ではなく,さらに野鳥以外の科学イベントなどもぎっしり入っていたので,4月の休日は予定が空かなかったのだ。ま,1日休暇を取るぐらい,何てこと無いさ(……と,そのときは思っていたが,休暇を決めた後に仕事も立て込んできて,エライコッチャな状況になってしまったのだが,後の祭り……)

 何はともあれ,結果的には「企画持ち込み」状態で,ロケ準備が進められたのであった。


・雨男は誰だ?自分か?

 さて,ロケ予定日は,関係各方面の調整もあって,5月の連休明けの月曜日。休日のほうが忙しい人にゲスト出演をお願いしているし,ロケ地に使う公園なども,平日のほうが人が少なくて,じっくり撮影できる。……と,そこまでは良かったのだが,またしてもロケ予定日に悪天候の予報。結局,翌日にずらす。今回は野草の花や野鳥観察など,雨が降ると撮影条件が極端に悪くなるネタが多いので,天気は良いに越したことは無い。
 しかし,この番組の撮影をする時,どうも天気に恵まれない。予定通り撮影できて,しかも穏やかな晴天だったと言うのは,「霞ヶ関・日比谷編」ぐらいかな。撮影した日も,雨が降りそうな暗い曇とか,時々雨が降るとか,晴れても極端に寒かったり暑かったり,あるいは強風だったり。担当ディレクターが変わっても,状況にあまり変化が無いところを見ると,やはり雨男は……。
 しかし,今回は雨天順延ではあったものの,ロケ当日は好天。5月と言うのに,半袖の似合いそうな,太陽の眩しい日となった。しっかり半袖を着て現地に向かう。


・善福寺と「野鳥」へのこだわり

 今回のロケスケジュールを見ると,いつになくスタートが遅い。西荻窪駅10時スタートだ。
 例によって,ストーリー案はこちらから出している。当初案では,荻窪駅スタートで,大田黒記念公園の森で野鳥の声を楽しんでから,善福寺川に出て,川沿いを上流へと歩き,井草八幡に寄り道してから,善福寺公園へ。ここで野鳥の会の西村さんと合流し,西村さんに野鳥観察案内や,善福寺についての解説をしてもらい,杉並浄水所をちょっと眺めてから,もう一人のゲストである谷口さんのお宅へうかがう,と言う形。これに修正,ロケ先とのスケジュール合わせなどの調整を加えた最終案では,西荻窪スタートにして,大田黒記念公園等をカットしている。訪問先も,都合により,多少の前後がある。これでも,結構タイトなスケジュールだ。
 西荻窪駅は,この番組で,過去に2回は使っているはず。中央線は,高円寺,阿佐ヶ谷,荻窪,吉祥寺など,「街歩きネタの定番」密集地帯だが,西荻窪はややマイナーで,「散歩の穴場」的な場所だが,どうもこの番組の散歩師には穴場狙いの人が多いらしい。まぁ,今回は過去の「西荻窪スタート」の回と,テーマも行き先もまったく違うので,気にしない。ちなみに「荻窪」と言う地名も,オギの生えた窪地,と言うことで,善福寺川沿いの低湿地を意味する地名なので,このスタート地点も,最初から善福寺川のテリトリーに入っているようなものだ。

 今回,なぜ「善福寺」を選んだのか。

 善福寺は,野鳥関係者にとっては,ある種の「聖地」なのである。1934年(昭和9年)に中西悟堂が「日本野鳥の会」を旗揚げしたときに,この地に住んでいたこともあるためか,この近辺……杉並,武蔵野あたりは,古くからの野鳥愛好者が多かったり,野鳥関係の有名人を何人も輩出したり,今でも探鳥会を開くと,他の地域よりも参加者が多かったり,「野鳥文化」の色濃いエリアなのである。そして,2007年は,バードウイーク制定60年でもあるが,野鳥の会が,戦後,再スタートを切って,本部−支部体制となり,東京に最初の支部が置かれたのも,ちょうど60年前のことだったのだ。ゲスト出演をお願いした2人も,もちろん,善福寺を拠点に活動している,野鳥関係者。今回,鳥ネタが思い切り濃くなるのは必至だ。
 あまり「野鳥の会」を押してしまうと宣伝臭くなるので,それは避けておきたい。野鳥の会から宣伝費を貰っているわけでもないし……。そこで,ゲストの「人物像」をクローズアップする形を取り,さらに,いつもの自然観察的お散歩を組み合わせ,鳥にこだわり過ぎないようにした。野鳥へのこだわりが尋常でない人物を2人も紹介するのだから,ボク自身は,あえて,野鳥へのこだわりをあまり見せないことで,バランスを取ったのである。

・まずは,いつもの調子で…

 まずは西荻窪駅前で,オープニングコメント撮り。このコメントは,毎度,最初に撮るので……って,普通,そうでしょうけど……いつも調子が今ひとつ。おまけに利用者の多い駅。人波の隙間を縫っての撮影。あれやこれやと撮り直して,さらに,駅前から出発するシーンを撮り終えた頃から,やっとこ調子が出てきた。

 今日の隠しテーマは,陽春の花に秘められた,都会の自然の姿……と言ってしまうと大袈裟だなぁ。善福寺公園の昔ながらの風景とのコントラストを取るために,街の中で丹念に野草を探し,都会でしたたかに生き抜く野草を語ったり,街の中では外来種の野草が多いことを語ったり,さらに,その野草を利用して生きている虫たちを見たり,と言う「ストリートウォッチング系自然観察」を前半部に組み込んでみる。実際にはオンエア時間の制約から,かなりの部分はボツにしているので,ボツネタも含めて,紹介しておこう。

 商店街を避け,裏通りに入って,探索開始。
 ここは太平洋戦争の空襲で焼けていない街。古い家の玄関先には,タチツボスミレの花と実。「花」と言っても,この時期の花は,花びらを持たない。受粉せず,「クローン」でいきなり種子を作ってしまう「閉鎖花」だ。つまり,花粉を運ぶ虫がいなくても,とりあえず種子だけは作ってしまうことが出来る。種子には,アリの好む「エライオソーム」と呼ばれる粒子がくっついていて,これがくっついている間は,アリが喜んで運んでくれる。しばらく運ばれると,エライオソームが落っこちて,種子が放置されると言う仕掛け。花粉を運ぶ虫とのつながりが希薄になりがちな都会で生き残る花には,それなりの生存戦略があるのだ。
 その古い町並みの中にも,外来種が入り込んでいた。日本在来のカタバミに混じって,オッタチカタバミが咲いていた。明治時代の古い外来種であるハルジオンも生えている。道端の野草で戦後史を語る……って言うのは,ちょっと難しいか。電柱にスズメの巣を発見。と言っても,パイプの穴にスズメの親鳥が出入りして,雛の声が聞こえるだけ。映像的に面白くないので,早々にあきらめる。そりゃ,ヒナを守るためだもの,目立つ場所には巣を作らない。巣がまる見えでも平気なのは,都会ではツバメぐらいじゃないかな?
 だらだらと坂を降りて善福寺川へ。自然の作った地形が見える街並み,好きだな。善福寺川は結構水がきれい。下水道普及率100%の土地だから,水環境もけっこう安定している。川の作りは,川底も岸もコンクリートで固めた都会の川そのものだが,水草が結構ある。水草は,洪水で流されたり,渇水期に干上がって枯れたりする危険と隣り合わせに生活しているわけだが,こうやって水草が豊かに繁茂していると言うことは,水草のある水深よりも水が涸れることが無い,安定した水量があることを意味している。ハクセキレイ,カルガモ,サギの仲間など,水辺の鳥も来ている。
 川沿いでも丹念に植物観察。さすがに川沿いの植物は外来種が多い。川沿いの遊歩道に面した庭を持つ家も多いので,園芸種も多い。最近注目している外来種,ナガミヒナゲシもたくさん見られる。この花は,ここ10年ぐらいで,東京のどこの街でも見られる「当たり前にある花」になってしまったが,その分布拡大の早さには驚かされる。
 ランの花粉塊を背負ったニッポンヒゲナガハナバチを発見。追って行くと,近くにシランの花。なるほど,ここで吸蜜したときに背負わされたのね……って,このネタ,「霞ヶ関・日比谷編」でも紹介したな。
 川沿いの小公園でコメント&観察。こういう公園って,地域の人が良く手入れしていると,面白いネタが無いんだよね……。
 公園で見たものは,クロアゲハ,シオカラトンボ,モンシロチョウなどと,鳥が数種類。野草ネタは特になし……草むしりが行き届いている……。サクラの若葉の蜜腺を味わったりして遊んでいたが,ネタが少ない……。

 川沿いに30坪ぐらいの空き地。草ぼうぼう。こういう所が,面白い。いきなりツマグロヒョウモンが飛来。花を丹念にチェックすると,すぐに20種以上見つかる。ヒシバッタも飛び出す。花が多いので,モンシロチョウやキチョウ,ヤマトシジミなど,蝶がひっきりなしに出入りしている。いまどきの学校では,敷地内に「ビオトープ」などを作って,いろいろと手入れをして「自然復元」みたいなことをして,総合学習などに利用しているようだが,街角の空き地のような,ほったらかしの土地のほうが,生き物が豊かだったりするかも知れない。

・まだまだボツネタ

 実はまだ,ボツになった部分が続く。今回は季節が良く,ネタが多すぎたのも事実だが……。
 井草中学校の近く,川に向かってキリの木が枝を伸ばしている。これがちょうど満開。薄紫色の花から甘い香りが立ち込める。花にはクマバチ,コマルハナバチ,ミツバチなどがたくさん来ている。落ちた花の中にも,蜜がたっぷり。これはハチにとっては魅力的なスポットだ。
 この近くで,道の先に,魅力的な新緑の森が遠望できる。これはまだ善福寺公園ではなく,井草八幡の森。鎮守の森は大きな木が多い。善福寺公園には無いものがあるかも……と言うことで,ちょっと寄り道。しかし,事前にロケハン,手配していたTディレクター曰く,「本殿は撮影禁止だそうです」……ありゃー。とりあえず,森だけ歩いて,「森の番人」でもあるシジュウカラ眺めて終了(結局,井草八幡の部分は全くオンエアされていない)。本日のメインはこれからだ……って,もう午後2時過ぎているんですが……。

 井草八幡の近くに,今日の訪問先のひとつ,谷口高司さんのお店がある……はずだったのだが,3月で廃業とのこと。残念。あと1年早く,この企画が実現していたら……とりあえず,戦前から営業していたと言うお店の建物だけでも,と思うが,ちょうど解体,整地された直後。そこにあるのは,赤土がむき出しの更地だけ。あうー。

・メインテーマの前に

 井草八幡から坂を降り,やっとこ善福寺公園に到着。しかし,ここを一旦,通り過ぎる。「知る人ぞ知るスポット」でもある,杉並浄水所を眺める。ここは,善福寺エリアの,ごく狭い範囲に配水している,小さな浄水施設。ここの原水には善福寺の地下水を使っている(他の水をブレンドするときもある)。かつては東京にも,こういう小さな浄水施設がいくつもあったのだが,今は都区内では,ここだけ。善福寺の人は,都区内で一番美味しい水道水を飲んでいるのではなかろうか。
 江戸の水道であった「神田上水」。善福寺川は,その水源である神田川の支流に当たる。つまり,江戸〜東京の人は,江戸時代から,善福寺の水のお世話になっているわけだ。実際,善福寺公園の水飲み場の水は,井戸水のように冷たかった……。

・鳥と過ごす,濃い時間の始まり

 善福寺公園に戻り,待ち合わせいていた人と落ち合う。今日一人目の「善福寺ゆかりの人」西村眞一さん。西村さんは地元のカメラマンでもあり,現在の「日本野鳥の会東京支部」の支部長でもある。さらに最近は,日本野鳥の会の創設者である中西悟堂の足跡を研究している「中西悟堂研究会」の主力メンバーとしても活躍しておられる。そこいらのバードウォッチャーとはキャリアも思想も全然違う,本当の意味で,人生の一部を「野鳥と共に」歩んできた人だ。もちろん,ボクの交友範囲の人なので,出演依頼もインタビューも気楽なもの。
 会うなり,いきなり,御自分で撮影したと言うバンの写真をプリントしたTシャツを見せて「バン・ジャケットです」……って,石津謙介さんを知らない年代には分からないギャグで歓迎してもらう。
 中西悟堂が日本野鳥の会を旗揚げしたのが1934(昭和9)年。その時に中西が住んでいた場所が,この善福寺池のほとりだった。そのためか,この地域には,野鳥愛好者が多かったり,野鳥関係の有名人を何人も輩出しているらしい。「野の鳥は野に」と言う中西の思想は,「野鳥」と言う言葉の普及と共に,善福寺から全国に広がっていった。また,中西がこの地に移り住む前から,善福寺池周辺は東京都の風致地区に指定されていて,この自然環境の保護の歴史は,野鳥の会よりも長い。

 西村さんは,年に4回,ここ善福寺公園で探鳥会を開いている。ここから先は,西村さんに観察案内と解説をお願いする。この番組ではいつも「自然解説」する人だったボクが,聞き手に回るわけだ。地元のことは地元の人に聞く。これが一番だ。中西悟堂の話,善福寺池の自然の話などを聞きながら,バンの親子を観察。なるほど,それでバンのTシャツを着ていたのか。

 最近は「バードウォッチャー」と言うと,高価な撮影機材を抱えたマニアックな高齢者ばかり目立つが,実は彼らは定年後に鳥を見始めた人が多くて,キャリアも知識もそんなに持っていない場合が多い。西村さんのような,昔から野鳥に関わっている人のほうが,観察キャリアはもちろんのこと,自然保護や生態学の知識も十分にあり,しっかりしたビジョンを持っているのだが,現在主流となっている「定年後世代」のバードウォッチャーよりも,年齢的には若い。「年の功」の利かない,変な状況。しかも,定年後にバードウォッチングを始めた人のほうが,圧倒的に数が多いわけだし……。
 そんなわけで,西村さんのお話は,詳しいけれどマニアっぽい匂いはせず,視聴者にも安心して聞いてもらえる。

 野鳥観察を堪能したところで,公園管理事務所で,西村さんの作品をビデオ撮影。120フィルム(ブローニー判)を使うペンタックス6×7で撮影した,「鳥のいる風景」。季節感たっぷりの落ち着いた写真だ。撮影を待っている間の「散歩師」の手の空く時間を使って,西村さんと中西悟堂の史料や野鳥の会の資料について,話をする。我が家に西村さんも持っていない資料があることが分かって,後日,見てもらうことに。さらに,管理事務所に担ぎ込まれたと言う,怪我をしたカラスの様子も見てくれ,とのこと……目立った外傷は無いけど,顔が少し寸詰まりになっている。どこかに衝突したのだろうなぁ。治療器具も持っていないので,一旦,都庁の担当に連絡して,地元の鳥獣保護委員を紹介してもらうように話しておいた。獣医師も,道具がなければタダの人。病気の見立てと連絡先の手配を教えるぐらいしか,出来ることはない。

・さらに濃い世界へ

 もう一人の「善福寺ゆかりの人」に会いに行く。谷口高司さん。谷口さんは善福寺で床屋を営む2代目で,本業の傍ら,野鳥イラストレーターとして,数々の野鳥図鑑の図版を手掛けた人……だったのだが,還暦を機に,戦前から続いていた「谷口理髪所」を,この3月にやめて,イラストレーターに専念することにした,とのこと。訪問先は「新居」となるマンションの一室。まだ引越し荷物も片付いていないところにお邪魔することに……タイミング悪すぎ。谷口さん,無理をお願いして申し訳ありませんでした。

 ボクも年齢の割に野鳥関係のキャリアの長い人間なので,こういう,昔からの野鳥関係者は,大体,知り合いなのだ。今回,インタビューに関しては随分と楽をさせてもらっている。正式な出演交渉はTディレクターから行っているが,ボクの名前を出せば,すぐに大体の事情は察してもらえる人たちなので,交渉も楽だし,インタビューも雑談同然。

 最近,谷口さんが熱心に取り組んでいる「タマゴ式鳥絵塾」のさわりの部分だけ,手ほどきを受ける。ボクの手元を見て,絵の勉強をしたことがあるのを,しっかり見抜かれる……さすがだ。少年時代にアトリエに通っていたことを黙っておいて,初心者の顔をして撮影に臨んでいたのだが……。

 撮影の合い間の雑談が楽しい!
 日本の野鳥ギョーカイの巨星であった,故・高野伸二さんの話で盛り上がったり(谷口さん曰く,「高野さんはスーパースター!野鳥の世界の長島茂雄だ!」……とか……),ここでも,「最近のバードウォッチャーはなぁ……」と言う愚痴が(谷口さんが憂いている人たちの年齢は,谷口さんより上だ…)。

 出来れば,谷口さんの奥様にも登場願いたいところだったが,奥様はマネージャーに徹するそうで……でも,とても魅力的なキャラクターの人だから,いずれは……。

・公園に戻って…

 谷口さん宅で楽しい時間を過ごしているうちに,時刻は18時を越えてしまった。5月とは言え,日没まであとわずか。最後のコメント撮りに,再び善福寺公園へ。
 今日は内容を盛り込みすぎた。まぁ,この季節だから,季節的に,内容がどんどん増えてしまうのだが……。善福寺池をバックに,あれこれと思いつくままに適当にラストコメントを喋る。……と,池の上を大きな鳥が。ダイサギが優雅に舞って,池の対岸の樹上にとまった。「ねぐら入り」だ。ちょうどこの様子が撮影できたので,最後のコメントも,「鳥もねぐらに入ったので,そろそろ私もねぐらに帰ります」と言うようなことで,おしまい。

 撮影が終わったら,辺りは夕闇に包まれていた。
 しかし,たくさん撮ったなー。「両国・深川」のときに記録した「4時間」を越えてしまった。新記録。

・オンエア確認

 予定通り5月20日にオンエア。ビデオに録っておいて,その日の夜に確認。オンエアは,編集の腕前を鑑賞する場面でもあり,自分の言動を反省する場面でもあり……。思っていたよりも「野鳥」に時間を振っていると言う印象。魅力的なゲストだったから,それはそれで良し。オープニングコメント,ひどすぎ。撮影時点で分かってはいたが……。
 情報の間違いを2つ発見。1つは,カタバミの映像に「ヘビイチゴ」の字幕。これは,ボクのところに届いた感想メールにも,指摘している人が複数いた。ちょっと花を知っている人なら,すぐに気づくミスだ。もうひとつのミスは,オンエアを見ただけでは分からない。「善福寺川の水源は湧き水」と言う趣旨の話をしているが,善福寺池の水は,湧き水が涸れてしまって,ポンプで地下水を汲み上げているそうだ。ただ,善福寺川には湧き水も流れ込んでいるので,完全に間違いとも言い切れない。半分ウソ,半分ホントと言うことで,御勘弁。

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 12.緑の時間(とき),緑の街……駒場編

・無くなる前に撮影しておきたい!

 駒場は,前々から狙っていた場所だ。
 駒場の隣の街で生まれ育ったので,この街に明るいこともひとつの理由だったが,それだけではあまりにも,個人的な思い入れが大きすぎる。それに,2003年に志村さんがこの街を紹介しているので,しばらく自分の中では封印していたのだ。

 そんな中,気になる情報が入ってきた。

 ひとつは,「駒場バラ園」の縮小。都区内に唯一残った,バラの苗木を販売する圃場なのだが,90歳を超えていても頑張っていた御主人が亡くなり,圃場の大部分を手放したのだとか。そして,来年にはマンションが建つらしい。……マンションが建って風景が変わる前に,バラ園の記憶を残しておきたい。そんな思いが,撮影の話を具体化に向かわせた。

 そしてもうひとつ,都立駒場高校にある「仰光寮」。あまり知られていないが,これは大正,昭和期の歴史を語る,貴重な建物の1つなのだ。かつては茶道部や筝曲部の活動の場として,さらに以前は,女学校時代の「修身」の教室として使われた建物なのだが,十分な維持管理がされないまま,現在は「危険なので通常は使用禁止し,学園祭などの特別な日にだけ公開」と言う状況。このままでは補修もされず,解体されてしまいそうな状況。
 実はボクは駒場高校の卒業生。OBとしては,この機会に,この建物の姿と歴史を紹介しておきたい(もちろん,解体されずに修復されるのがベストなのだが)。

 そんなわけで,あまり先送りできない取材先が2つも見つかってしまったので,この2つのエピソードを軸に,駒場界隈を紹介することにした。「学生の街」と言う意味でも,個人的にも,駒場は「青春の街」。若葉色をした「青春の時間(とき)」を噛みしめながら,初秋,そして実りの季節を迎えつつある緑の街を歩くと言う,私的「隠しテーマ」を抱きながら,ロケに臨むのであった。


 撮影時期は,やはりバラの花のある時期がいい。それから,「駒場」の緑を紹介する上では外せないのが「ケルネル田んぼ」。この稲刈りの前に撮影できれば,さらに良い。
 …と言うことで,秋バラの咲き始めと稲刈り直前を狙い,9月最終週にロケ日を設定。


・駒場ってどんな街?

 駒場で一番有名なのは,おそらく,東京大学教養学部。これだけでも「文教地区」らしさが漂うが,駒場と学問のつながりは,なかなか古い。明治に入ってまもなく,「駒場農学校」が開設され,東京における本格的な西洋式農学教育が始まった。その後,東京帝国大学の「実科」(つまり専門学校)となり,「東京高等農林」として終戦前に府中に移転するまでの間,駒場の農業教育専門学校としての歴史が続く。
 戦後は農学校の施設を活かし,東京教育大学農学部が設置され,筑波大に移転する1978年まで,農学教育の歴史は続く。そして,その跡地には大学入試センター,都立国際高校,駒場野公園などの施設が作られ,実習圃場だった水田は「ケルネル田んぼ」として現在も残る。
 駒場には高校も多い。駒場東大前を最寄り駅としている高校が,少なくとも6校はある。駒場東大前駅の乗降客数が4万人ちょっとだが,その半分は通学定期利用者ではなかろうか?

 そして,旧前田家の敷地をそのまま公園にした駒場公園には,前田邸をそのまま利用した「東京都近代文学博物館」があったり,日本近代文学館があったり。その近くには日本民藝館,さらに,戦前より「東京帝大航空研究所」として有名だった研究施設(現在は東大の駒場リサーチキャンパス)など,特色のある施設がゴロゴロ建っているのが,駒場。アカデミックな面も,奥が深い。


・今回は歴史散歩?

 今回は訪問予定先が多い。混雑する駅前で,そそくさとオープニングコメントを撮ってから,坂を上って駒場高校へ(実はこのルート,昔,通学路として使っていた道)。授業中の時間を狙って,副校長先生の案内で,こっそり撮影。校舎の母屋は1990年代に建替えているので,昔の面影は全く無いが,グラウンドや陸上競技場,そして今回の目的の仰光寮も,昔のまま。少し木が大きくなって,昔より鬱蒼とした感じになっている。
 仰光寮は,昭和天皇の皇后さま(香淳皇后)が御成婚前の7年間,勉学をするために立てられた学問所を,御成婚後,昭和に入ってから,当時の東京のナンバーワンのエリート女学校だった,第三高等女学校に移築したもの。戦後,第三高等女学校は都立駒場高校となり,六本木からこの地に移転してきたが,仰光寮も移築され,現在に至る。2007年現在,築89年。駒場高校の歴史的シンボルでもあり,貴重な建築物なのだ。

 先の予定がびっしりなので,急いで駒場野公園へ。かつて,教育大農学部の芝生の広場だった場所も,今はすっかり森になっている。しばし自然観察をしてから,ケルネル田んぼへ。駒場農学校で教鞭を取ったケルネル先生は,札幌農学校のクラーク先生ほど有名ではないが,この実習用水田に名を残している。現在,田んぼの管理をしているのは,筑波大附属駒場中学・高校。進学校として全国的に知られた有名校だが,30年前までは「東京教育大附属駒場中学・高校」だったわけで,歴史的に見ても,この学校が伝統を引き継いでいるのは納得。
 ここでも担当の先生に話をうかがいながら歩く(通常は田んぼの部分は立ち入り禁止)。田んぼに入ると,外と植生が明らかに違う。虫も豊富で,田んぼの上をオニヤンマが飛んでいる。明治時代の実習農場の環境が,そのまま封じ込められたような別世界。ここで作られているのはもち米で,秋には収穫祭をして餅をつき,翌春の卒業式,入学式には,この田んぼの米で作った赤飯が振る舞われるのだそうだ。
 長い伝統を継承する姿勢。よその進学校には絶対真似のできない歴史的産物だ。学校を進学率だけで語ってはいけないなぁ……


・バラはどこへ行った?

 次は駒場バラ園。ここは明治44年から続く歴史あるバラ園で,バラ愛好家の間では,けっこう有名な場所。バラを寄せ植えして,花を咲かせ,苗木を売る「バラ園」としては,都区内で唯一のものとなってしまった。我が家でも,駒場バラ園から買ったバラを育てていた。ここの業務縮小の話を聞き,かつての敷地に別の建物が建って風景が変わってしまう前に,どうしても紹介しておきたかったのだ。
 昔,歩き慣れた街を駒場バラ園へと向かう。入口の木戸は閉ざされている。これは想定済み。……奥を見ると,既に建築工事現場のシートが見える……あぁ,遅すぎたか?……気を取り直し,井の頭線側の高台から,敷地を見下ろしてみると,シートの内側では,まだ工事は全く行われていなかった。但し,バラの苗木を所狭しと置いてあった圃場は,がらんと更地になっていた。わずかに,母屋の周囲にバラの花が見えているだけ……。

 更地を前にしてボーゼンの図。

 …あれ?前回の善福寺の時にも,谷口理髪所の跡地の更地でボーゼン,だったよなぁ……ついでに,9/30オンエアの,志村さんが銀座を歩いた回でも,「更地でボーゼン」のシーンがあった。この回もTディレクターの担当。「更地でボーゼン」の演出,多くないか?(笑)

 駒場バラ園のバラが,地元有志を中心としたボランティアの手によって,町内のあちこちに移植されていることも,事前に分かっていた。その詳しい話を聞き込みに,顔なじみのパン屋「角屋」に寄る。この店の御主人,麻生さんは,駒場野公園の環境整備にも関わっている人で,いわば「自然仲間」。「お久し振り」の挨拶もそこそこに,ささっとインタビューを撮影。ここでバラの移植先などの情報を教えてもらう。
 さらにバラを追い,東大駒場キャンパスへ。途中でちょっと寄り道。「SPACE ing(アイエヌジー)」と言う名の手作り雑貨屋さん。店の脇には,駒場生まれのバラ(今日のお土産も,ここで撮影)。「ウチはまだ新しいほうなんですよ」と言いながら,駒場在住歴が30年ぐらいあるようなことを言っていた。さりげなくすごい。店主の井上さんに,「駒場バラ会」の方に連絡を取ってもらったので,早々に合流。でも,インタビューの撮影は,実際にバラを植えている,東大教養学部の正門脇で。
 ここには40本ほどのバラが移植されている。和風の名前があるので,駒場バラ会のメンバーに聞いたところ,やはり日本で作った品種だとのこと。
 ここで思わぬ再会。昔,駒場バラ園で買い求めた品種と同じものが1本,植えられていたのだ。「ブルームーン」と言う薄紫色のバラ。当時はこの品種が,「もっとも青に近い色のバラ」として知られていた。この花の色が好きで,就職して渋谷区を離れてからも,鉢に植え替えて,引越しのたびに自分の車に積んで運び,ずっと一緒に暮らしていたのだが,数年前の猛暑で,ついに力尽きてしまった。あのバラのクローンの兄弟が,しっかり駒場に根を下ろして花を咲かせている。しばし感激の再会……。(この辺はオンエアされていない)

 さらに,駒場バラ園のバラを求め,駒場公園へ。途中の日本民藝館も,駒場公園内の東京都近代文学博物館も,今回はパス。実はどちらも休館日。この2箇所は,4年前に志村さんが,この番組でじっくり案内している。
 駒場公園を訪れるのも,何年振りだろう?少なくとも20年はご無沙汰だった。昔から木の多い公園だったが,さらに木が育ち,暗くなっているようだ。子供時代に遊んだ芝生広場も,かなり荒れてしまっている。その代わり,広場の真ん中で,エンマコオロギの声が聞ける環境になっているのだが。ここでバラの鑑賞と,自然観察ネタをいくつか撮影。但し,自然観察ネタはオンエアされていない。

 駅に戻る途中の,駒場小学校にも駒場バラ園のバラがあるらしいが,校門が閉まっていて確認できず。
 夕景の中,駅に戻るだらだら坂を歩くシーンで仕上げる予定だったが,人や車が多く,電車とタイミングを合わせると人が被ってNGと言う状況。うーん……(結局,部分的にしかオンエアされていない)


・反省しきりのオンエア

 例によって,オンエア確認。ケルネル田んぼの稲刈り前に放映しよう,と言うことで,今回,スタッフの皆さん頑張って,撮影から約10日で仕上げている。
 オンエアを見ていると,とても緑の多い映像で,気持ちが良い。これが渋谷から1.5kmしか離れていない場所,と言うのはすごい。しかし,情報の詰め込みすぎで,掘り下げが足りない印象。1本で5件もインタビューしたから……。自然観察ネタも,ほとんどカット。秋の花もたくさん撮ったし,昆虫ネタも紹介しているが,とても収まりきる状況ではない。かと言って,この土地の歴史に関する掘り下げも甘い感じ。バラをめぐる街の人たちの「つながり」が,いちばんよく描かれていた。

 でも,欲張って詰め込みすぎて消化不良,と言う印象は否めない。もうちょっとテーマを絞って,「こだわり」を見せるような演出も「アリ」かな。それは次回の企画の宿題にしておこう。

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……以下,出演依頼があれば増える予定。


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