野うさぎ茶房カウンターの内側にようこそおいで下さいました。
まぁお座りください、台所の椅子で恐縮ですけど。
ここでは、店でお出しするにはちょっと、いわゆる「シュミシュミな」メニューをお出しします。
あくまでアタシの趣味..万人のお口に合うかなんて考えちゃぁいません。
まぁ、ヴァーチャル喫茶「野うさぎ茶房」自体が趣味でやってるようなものですが..。開設(1999.6.17)


−シュミシュミなwhat's New−
●「ラーメン二郎」を更新しました(2002.7.26)


野うさぎ茶房 シュミシュミな一品


パズル通信
ニコリ
辛口のパズル雑誌です。流行に左右されず常に良質なパズルを世に送り出し続けています。近頃の懸賞ばかり豪華で内容がいまいちな大手出版社のパズル誌とは一線を画す存在です。
超人ロック 聖悠紀のSFコミック。不死のエスパー、永遠の少年「超人」ロックと、主人公に劣らぬ魅力的なサブキャラクター達、背景となる銀河帝国史、..本格SFとして推すに充分な名作です。
(現在作成中。次回更新をお待ちください)
ミスターシービー 寺山修司も愛した、常識破りの三冠馬。後方から一気に直線ゴボウ抜きのそのスタイルは、競馬の醍醐味そのものです。大きな瞳につややかな黒鹿毛の馬体、その美しさも特筆に値します。
(現在作成中。次回更新をお待ちください)
ラーメン二郎 知る人ぞ知る、三田のラーメン二郎。ここを知らずしてラーメン通を気取ることなかれ!1年程前、道路拡張のため長年の店をたたみ、存続が危ぶまれたが、見事同じ三田で新装開店。とにかく並ぶ。1時間並んで食べられたら早い方。慶大生とそのOBを中心にファン層は厚い。


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パズル雑誌「ニコリ」

創刊1980年、「目についた日が発行日」のキャッチコピーで不定期刊で発足したが、現在は偶数月10日前後発行。出張馬房(置いてある書店)もかなり増加した。ペンシルパズル単行本も多数出しており、毎日新聞等のパズルでご存じの方も多いかと思う。
カックロ、ナンクロ、ナンスケ、数独などなど、流行パズル誌が堂々とパクっているが、もともとニコリが開拓してきたパズルである。
決して時事ネタやミーハーを取り入れない独自の雰囲気のある誌面に好感が持てる。動物キャラクターも甘すぎずそれでいてかわいい。ここのキャラクターの2匹のうさぎ、「ミュー」と「タント」は野うさぎ茶房看板キャラとしてスカウト交渉を検討中。
「シュミシュミ」を始め、うなずけるニコリ用語も数多い。
社名にもなっている「ニコリ」は英国の競走馬の名前。初代編集長は競馬好きで、著書に「競馬場に行くと言ってウルグアイに行った」(だったよね)の他、別冊宝島の競馬特集でエッセイを書いたりもしている。
「ニコリスト」といわれるニコリファンの著名人も多い。ニコリ連載又は単行本あとがき等で執筆しているニコリストは夢枕獏、谷山浩子等。

私とニコリの出会いは1985年、ジャズ喫茶「SAMURAI」にて。サムライもこの前行ったら店も相変わらずの所にちゃんとありマスターも健在でうれしかった。ニコリスタッフの人にジャズ好きな人がいて、時々来ているとのこと。その後、三田の喫茶「紙ひこうき」にも置いてあることがわかり、ラーメン二郎の帰りには「紙ひこうき」でお茶しながらニコリをやる、というパターンを長く続けていた。
話は脱線するが、私は三田には繰り返し戻ってくる縁らしい。高校に通い、大学もサークルでちょくちょく行き、バイトで入った会社が三田だったのはわかるが、その仕事場のまん前に二郎が新装開店した時はのけぞったものだ。今はまた行かなくなってしまったが、今度はどんな展開で三田に戻ることになるのかと実は思っている。

「ニコリ」を入手できる書店として、
            ・東急ハンズ渋谷店6F書店
            ・原宿キディランド
を挙げておく。バックナンバーも充実しているのでおすすめだ。ただ、新刊であれば、都内ならたいていの最寄り駅の大手書店で扱っている。


−「ニコリ」関連リンク −
阿部さんのホームページ
福本さんのホームページ


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ラーメン二郎

 私らの世代は「二郎」と言っていたが、2代上までは「じろちゃん」だった。当時、ひさびさに部を訪れたOBが「じろちゃんに女の子が行くとは、時代の趨勢を感じるねぇ。。」と感慨深げに言ったものだが、まだまだ、当時は珍しく、「二郎に行く女ってアンタのこと?」と学校で見物に来られたりしたものだった。

 高校生だった当時は、二郎に行くのはほとんどが土曜日だった。一日だけ、何曜日だったか、化学の実験が2時間続きであった年があった。おそらく2年の時だろう。実験を進めて結果を出しておくべく、ジャンケンによる犠牲者一人を残し、毎週、我々は学校を抜け出した。二郎に並んで食べて学校に帰ってくるのはそれでもギリギリだった。他の授業は抜け出すのは難しく、土曜日の部活の一端としてもっぱら部の先輩・同輩たちと食べに行っていた。その後、自分がOBになって「先輩、二郎の並び方を後輩に指導してやってくださいよぉ、近頃の連中は二郎の並び方も知らないんだから〜。。」と、後輩にぼやかれたのだから、ウチの部の二郎中毒度は推して知るべし。

当時は教室で賭けセブンブリッジをやっていて(学外の雀荘にいりびたる人種ではなかったので)、賭ける単位が「二郎」だった。小ぶた(当時180円だったか?)が一単位、値上げした時には「(通貨としての)『二郎』が変動した!」と大騒ぎだったことも。


−「ラーメン二郎」関連リンク −
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