すっかり青葉の季節になりました。風が薫ります。
さわやかな青草の匂いの中で、けれどもこんな話をいたしましょうか。
長い物語です。接続をお切りになったあとで
ゆっくり読んでいただくのがよいかもしれません。


栗毛の子馬と青毛の子馬



栗毛の子馬と青毛の子馬とはたいへん仲よしでした。

ある時、栗毛の子馬が母さん馬と馬房でまだ寝ているときに、青毛の親子は遠い牧場に売られて行ってしまいました。
「よくあることよ。」と母さん馬は、栗毛の子馬のうなだれるたてがみを撫で付けてやりながら、そう言ったものです。

その母さん馬とも別れて、栗毛の子馬は今日、新しい牧場にやってきました。
霧の深い、春の朝でした。
遠くでかすかに時を告げるおんどりの声がしました。
なだらかな丘の斜面の向こうは、深い森でした。白樺が、森との境界に並んでいるのが霧を透かしてぼんやり見えます。

たった一人草地に立った栗毛の子馬は、新しい世界の息吹を胸いっぱい吸い込み、あたりを見回しました。何もかもが目新しく、なんだかいいことがありそうです。

と、その時。
かすかにかすかに、湿った草地を踏む音が聞こえ、それはだんだん大きくなってきました。
同時に、霧を透かしてぼんやりと、黒い影が、こちらに近づいて来るのです。

栗毛の子馬は油断なく身構えました。
と、霧がもやもやと黒っぽく形を透かし始めたと思うとすぐ、まるで白い霧をぽっかり割って出たように、ふいに、一頭の馬が、栗毛の子馬のすぐ目の前に現れたのです。

それは霧の粒をくっつけて全身が銀色に見える、黒い若馬でした。
「やぁ、新しく来た馬だね。よろしく。」
「..よろしく。」
何となく気後れがして、栗毛の子馬はおずおずと答えました。
黒い馬が、栗毛の子馬の匂いをかごうとしてさらに一歩、近づいてきました。
栗毛の子馬は後ずさりしようかそこに踏みとどまろうかと迷って、片方の後脚を浮かせかけました。 そしてそこで、やっとお互いに気付いたのです。
目の前にいるのが、小さい頃一緒に育った相手だということに。

「どうしていたの。」
「うん。..あれからすぐに母さんは死んだよ。」
すっかり大人びたおもざしに成長した青毛の子馬はそう答えてちょっと目を伏せたあと、
「走ろうか。」と言いました。
「うん。」
栗毛の子馬も、うなづいて走り始めます。

ところが、並んで走るつもりがてんで合わないのです。歩の運びが、栗毛の子馬が右を出す時に相手は左、前脚で地面をかき込んでいる時に相手は後脚で思い切り蹴っていて、うっかり近寄り過ぎるとがつんと身体がぶつかりそうです。
「なんだぁ。ダクができないのか。」
バラバラに走ったせいで余計に息を切らせて、青毛の馬が足を止め、あきれたように言いました。
「なぁに、ダクって。」
「あきれたやつだなぁ。..習わなかったのか、牧場で。俺はいつでもダク足で走らなかったらひどくぶたれたぜ。」
「だって、知らないもん。」
「困ったやつだな。そんなことじゃ一人前の立派な馬になれないぞ。ダク足でないと、本当のスピードは出ないんだ。..俺んとこの場長は厳しいぞ、あんまり物分かりが悪いと、鞭でぶつんだ。痛いぞ、あれは。」
青毛の馬は思い出して身震いしました。そして、歯ぐきをむき出しにして思い切り毒づいたのです。
「まったく、あの野郎、もう一度噛み付いてやらなきゃ気が収まらねえ。」
栗毛の子馬は何とも答えられずに立ち尽くしていました。
幼い頃、青毛の子馬がこんな顔をしたことなど一度もありませんでした。いつも笑うか、心地よさに目を細めている顔しか、栗毛の子馬の記憶にはなかったのです。
「ねぇ、そんなにひどいところなの。」
「ひどいったらそりゃぁひどいさ、だがな、言われるとおりにちゃんとやって、うんと速く走ったら、今度はそりゃぁほめられるんだ。」
しなやかに長く長く伸びた黒い尾を振り、これも立派に長くなったたてがみを揺すって、青毛の馬は一声高くいななきました。

栗毛の子馬はなんだか青毛の子馬がまぶしいような、遠くにいるような気がして、胸がつかえました。それで、足もとの青草を黙って食べました。

「お前の母さんは元気なのか。」
ふと気付いたように、青毛の馬が言いました。
「..うん。..でももう会うこともないよ。」
草を頬張ったまま顔も上げずに、栗毛の子馬はぞんざいに答えました。実際、なんだか腹が立って青毛の子馬の顔を見たくなかったのです。

「お前は幸せなんだな。」
栗毛の子馬の心中にも気付かず、青毛の馬はため息のように言いました。
「幸せなのはいいことだぞ、これから辛い目にあったとして、ちょっとのことじゃへこたれないでいられるからな。」
「じゃ、幸せじゃなかったらすぐへこたれるの。」栗毛の子馬は思わずつり込まれて、顔を上げました。
「いや、そんなこともないさ。俺はへこたれなかった。」
「そうみたいだね。」

いつしか二頭は並んで歩き出していました。
「俺はさ、今からうんと訓練して、どの馬より速く走るようになりたいんだ。」
「うん。」
「そのためには、坂道を何回も駆け上がったり、長い長い道を休まずに行ったりするんだ。」
「こんな坂みたいなとこ?」
「そうだな、この丘で俺はいつも訓練しているんだ。もうちょっと行くと、うんと急になってる所に来るから、そうしたらそこを上がるんだ、休んじゃいけない、一気に行くんだ。」

青毛の馬の瞳が輝き、楽しそうに話すその顔を、栗毛の子馬は飽かずに見ていました。
今は早足に近い歩調になった二頭は、今度はぶつかることもなく並んで行きました。
それは、毎日はしゃぎながら広い野原を一緒に駆けた、あの頃と同じです。
二頭の若馬は、丘を越え、牧草地をどんどん横切って行きました。
「あぁ、こうしていると楽しいねぇ。」
「うん、本当だ。」
「こうやって、これからまた毎日一緒に駆けることができるんだね。」

その時、はるか遠くの斜面の下の方から、
「ホーイ、ホーイ。」と呼ぶ声がしたのです。
青毛の馬は立ち止まりました。
「あのさ、俺、今日ここを出て訓練所へ行くんだ。」
「..え?」
「最後にまさかお前に会えるとは思わなかったよ。達者でな。」
そう言うともう、青毛の馬は身をひるがえしていました。

「ねぇ..、今度はいつ会えるのぉ..」
栗毛の子馬は精一杯叫びました。その声は斜面に反射して、こだまとなって返って来ました。
もうずいぶん遠くになった青毛の馬は、足を止めずに長い首を振り返って何か言ったようでしたが、栗毛の子馬には聞こえませんでした。
霧はもうすっかり晴れて、お日様が照り始めました。鳥たちの声が、森に響いています。
栗毛の子馬は、ゆっくりと斜面をくだり始めました。




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