〜黄鶴楼の巻〜

 「あぁぁぁーっ、...いい天気だなぁ。」
草の上に大の字に寝て、白珠は大きく伸びをした。
空はどこまでも青く澄み渡り、風は甘く心地良い。遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。

太陽を見て、時の経過をはかる。そろそろ、みんなのもとへ戻らなくてはならない。
「やれやれ、このままずーっとここにいられたらいいのに。」
渋々起き上がり、白珠は名残り惜しそうに辺りを見回す。
「次の遠征の時にまたここへ来られるかはわからないよな..こんなにいい天気なのに、またあの穴蔵へ入って行くのか...。」

そんな白珠の心中など知らぬ気に、蝶がひらひらと目の前を横切ってゆく。
「今度生まれる時は、チョウチョになりたいものだなぁ。」





 弓の奥義の3つ目が、白珠によって復活した。
「やった、やったな、すごいぞ白珠。」
もう壮年といっていい歳も忘れ、雷太が大筒を振り回し、大喜びでばしゃばしゃと水を跳ね散らして駆け寄って来る。
雷太の双子の兄、金珠も美しい顔を花のようにほころばせている。

金珠と雷太の父、先々代当主流水珠は息子たちに奥義を伝えないまま、逝ってしまった。
二人は父とは違う職業に就き、新たな奥義を編み出したりしているだけに、奥義習得の難しさは良くわかる。
だからこそ、失われてしまった弓の奥義の復活を自分たちの存命中に見ることができるのが、ことのほかうれしいのだ。

「いやぁ、兄さん、ははは...。」
白珠は照れ笑いする。そうして笑うと、まだ初陣からいくらもたたない若者なのに、目尻の下がった柔和な顔がいっそう好々爺然とする。
「あと一つ、だな。」
雷太に期待に輝く目で見つめられながら、白珠は笑うばかりだった。



 白珠は、弓の稽古は決して嫌いではなかった。
的に向かい、ピンと張り詰めた空気を感じ、この世界と自分が確かに一体となる瞬間を待つ。
そして、その瞬間に気合いを込めて放たれた矢は一直線に飛び、必ず的を射る。

白珠の実力は並々ならぬものだった。

だが、白珠は戦いが嫌いだった。
どんな悪い鬼か知らないが、殺生は嫌だ。できれば殺したくない。
一族の悲願のため、もう数え切れないほどの命を、この弓で射殺してきた。
だから白珠は、奥義を習得しても素直に喜べなかったのだ。
(また殺しの技が一つ増えただけだ。)

 そんな白珠の気持ちをなごませるのは、戦闘の合間に隊列を離れ、一人触れ合う小さな虫や草花、高い空を舞う鳥の姿だった。
風の歌う声に耳を澄まし、小さな自然の不思議に驚嘆し時の経つのを忘れ、暖かい日ざしのぬくもりを体に浴びている時、白珠は己が生きているという実感を得ることができた。
 時に、水に落ちてもがく虫を助け上げたり、巣から落ちたひな鳥をたなごころに暖めて、戻す巣を求めて木登りをしたりもした。
そんな白珠だから無論、森の木々や、まして鳥や動物など、生きている物に対して弓を向けて練習する事など決してしなかった。
一族の者たちには「弓の練習をして来ます」と言って出てくるのだが。





 その日も白珠は一人、ぶらぶらと山道を歩き出していた。小雨がぱらつくあいにくの天気だが、雨に濡れた木々の葉のしっとりとした美しさや、雨でなければ出会えない小さな蛙たちなど、白珠の楽しみは尽きることがなかった。

 「おや..?ここはどこだ。」
ふと気付くと見覚えのない山に入り込んでしまったようだ。景色が霧雨に煙って見通しがきかない。まだ暗くなるにはだいぶあるはずなのに雨のせいか、あたりは薄暗く感じる。心なしか空気もぐっと冷え込んできた。
山の中腹あたりに人家があるらしく、ちらちらと明かりが見える。
「やれやれ、あそこでちょっと休ませてもらおうかな。」
白珠は明かりめざして歩いた。

歩き出してしばらくすると、霧の向こうから楽しそうなさざめきが聞こえて来た。楽の音も風に乗って聞こえてくる。白珠はせっせと山道を登った。

着いてみるとそこは、瀟洒な小館だった。
異国風な反り返った瓦屋根、小さいながら花々を植え、噴水を配した庭園があり、その庭をのぞむように居間がある。
宴のさんざめきはそこから聞こえていた。

白珠は、思わず、垣根越しにその様子をのぞいていた。
「やれやれ、歌え、もっとつげ。ホーッホッホッ」
この館のあるじらしい小柄な老人が、上機嫌で杯を差し上げる。ニコニコと笑みをたたえた上品な老婦人が老人に酌をする。綺麗な色のとりどりの着物を着た女官たちがある者は舞いある者は楽を奏で、また、老人と一緒になって手拍子を打ったり笑い崩れたりしている。また、女官の舞いの合間には小さな小姓姿の可愛らしい少年たちが出てきて飾り刀を打ち合わせ、剣の型を披露したりするのもほほえましい。

「..いいなぁ。楽しそうだなぁ。」
白珠は下がった目尻をいっそう下げて、その様子に見入った。
と。
「怪しいやつめ。お前、どこから来た。」
背後からふいに、幼い少年の声がして、白珠は跳び上がった。そこには宝刀を構えた小姓の一人が立っていた。
「くせ者ですっ、エビス様ーっ。」

白珠は小姓に引っ立てられ、主の前に連れて来られた。
「すみません、オレ、道に迷って..あの、覗き見してすみませんでした」
「ホッホッ、構わんよ、この館でゆっくりして行かれなされ。」
エビスの寛大な言葉にホッとすると同時に、白珠の腹の虫がきゅるる..と鳴いた。
「ホッホッ、腹が減っておるようじゃの。さっそく、宴じゃ。おぬし、酒はたしなむか?」
「あっ、はい、呑めます。」
「そうかそうか。酒は人生最高の友じゃ。ゆるりと楽しまれよ。」





 白珠はエビスと杯を交しながら、問われるままに一族の事を話した。
「毎日が殺生の連続で、オレ、本当は嫌なんです。」
「ホーッホッホッ、若い、若いのう。殺生の何たるかも知らないとは。」
エビスは、白珠の苦悩を一笑にふした。
「どういうことです。」
むっとしながら、白珠が問い返す。

「まぁ、見ておれ。」
それには答えずエビスは、傍らの小卓に控えておとなしく菓子などを食べていた、未だ幼い小姓の一人を招き寄せた。
「はい、何をいたしましょう、エビス様。」
「お前は、生きていた頃は幸せだったか。確かお前は、猟師に親を殺された狐の子だったな。」
エビスが何気なく発する問いに、白珠は仰天した。
「いいえ、腹が空いて、寒くて、辛かったです。しまいにイタチに見つかって噛み殺された時、あぁこれで終わった、とホッといたしました。」
「そうかそうか。可哀想に。ここで美味い菓子をたんと食べて、次にお召しが来たら幸せに生まれろよ。」
「ありがとうございます、エビス様。」
エビスが小姓の頭を撫でて戻るよう促すと、小姓は一礼してとことこと歩み去った。

白珠は愕然とその後ろ姿を見送っていた。
「エビス様。あなたは..ここは一体何なんです。」
「ホッホッ、見ての通りの場所じゃよ。よく見るがいい。」
楽の音や女官たちの笑い声が遠のき、はっと白珠が辺りを見直すと、そこは何もない森の中だった。
「わかるかの。死ぬことは終わりではないのじゃよ。わしはこうして、報われずに死んだ動物の仔やら虫やらの魂を集めて次に生まれ変わるまでの間、ちょっと働いてもらったりするが、それもみな、移り変わってゆくのじゃ。」
エビスは、館の調度品が消えた今は、腰かけた格好のまま宙に浮かびながら、おっとっと、と杯に酒をつぎ足したりしている。
「わっ..わわ..。」
白珠はその場に尻餅をついて口をぱくぱくさせるばかりだった。

「どれ、何もないでは酒も美味くない。元通りにしよう。」
一瞬にして、館の景色が戻った。白珠はこわごわ、椅子を触って消えてしまわないかと疑りながらそろそろと腰を下ろす。
「何もかも、移り変わってゆくのじゃ。はかない幻だと思えば崩れ去る。だが、そこに確かにあると思っている間は、確かな存在なんじゃ。」
「..それではエビス様、オレが手にかけた鬼どもも、生まれ変わっている..と?」
「あぁ、もちろんじゃ。ほれ、この女がそうじゃ。」
エビスが、ちょうど白珠の杯に酒を注ぎに来ていた老婦人を指さしたので、白珠はぎょっとして身を引いた。
「ホッホッホッ、ウソじゃよ。この女だけはわしと長く連れ添ってな、どうも生まれ変わるのを忘れてしまったようじゃよ。」
そう言われてニッコリと微笑む婦人は、歳はとってはいるが、銀髪を上品に結い上げ、風格のある美しさを失っていない。その慈母のような微笑みと重なって一瞬、白珠は、年を経て全身の毛が真っ白に変わった一頭のハクビシンの姿を見たように思った。

「そうじゃな、せっかく客人もおみえなので、一つ面白い物でもお見せしようかの。」
エビスは杯の酒にちょい、と指を浸すと、白壁にすっすっと何かを描いた。
それは単純な曲線で表わされた一羽の鶴の絵だった。
皆、大喜びで手を叩いた。

止まっていた楽の音が、いっそうにぎやかに再開する。
「ホゥ、ホゥ。黄鶴よ、踊れよ、ホゥ、ホゥ。」
楽の音に合わせてエビスをはじめ皆が手拍子を打ち始めると、壁の絵はゆらり、と一度揺らいだかと思うと、一羽の鶴になって壁から抜け出ていた。
皆がどっとはやしたてる。
鶴は酒に酔ったかのようにゆらゆらと千鳥足で歩き、首を揺らしてまるで酔った人がご機嫌で踊るのとそっくりに、踊った。時折首をのけぞらせてコウコウと鳴く。

白珠も目を輝かせ、一緒に手拍子を打ち、夢中ではやしたてた。

「のう、こうして壁に描かれた絵でも、今この刹那は生きているのじゃ。命とは、はかなくもまた強いものよ。お若いの、ただ素直に自分の道を行かれよ。それでいいのじゃよ。」




 山道で迷った日からほどなく、白珠は激しい戦いの中で4つ目の奥義を復活させ、前にもましてめざましい働きをするようになった。
白珠はもうためらうことなく鬼を射殺したが、いつでも、心の中でそっと手を合わせ、幸せな転生を願うのだった。









 いやぁ、なんたって白珠、です。さすが、紅后の男衆の中でも「笑っている顔」の第一人者だなぁ。「白の巻」「華の巻」もどうぞ参照ください。










関連のある他の巻:
白の巻(白珠、流名姫)  華の巻(白珠、流名姫)  
弓の巻(前編・後編)(白珠、流名姫) 人魚の巻(白珠)

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