風来坊秀太as神さんのリクエストにお応えします。


〜朱雀大路の巻〜

 「ここは...?」
仁王門が開かれると、そこに展開された眺めに、紅鋼珠は思わずそうつぶやいた。
碁盤の目に整った街道。どんよりと曇った空の下、高価な焼き物の飾りをつけた家々の瓦屋根が整然と連なっている。
雪深い大江山の終合目を昇りつめ、そこに朱塗りの立派な仁王門がそびえ立っているのを見た時から、その門の先には人工の建物があると予想していた。
だが、これほどの市街が広がっていようとは。

紅鋼珠は街の入口で立ち止まり、唇を噛んだ。
(これでは、迂濶に動けない。無闇に突撃するのは敵の思うつぼだ。)
てっきり、仁王門を突破したら、朱点のいる鬼の巣窟がおどろおどろしく待ち構えているとばかり思っていた。
だがこの街並みは、血塗られた武器を振りかざし突撃する武者たちが全く場違いに思えるような、洗練された小都市のたたずまいだった。
 「一体、誰が、何のために。」
ここへ来るまでに倒して来た鬼どもが、このような街を作れるとは思えない。
..これまで戦ってきた鬼や妖怪は皆、打ち捨てられた神殿や塔に勝手に棲み付いていた。だからこの街も、住人たちが何らかの事情で見捨てて行った後、朱点の根城になったのだろう。
(あるいは、住人たちは皆殺しにされたのかも。)
人気のない街は、不気味に静まり返り、紅鋼珠たちの訪れを歓迎するでもなく、そこにただひっそりと広がっている。

 「不気味な街ですね、当主さま。」
緋焔が、槍を構えながら声をひそめて言う。
この街並みを前に、緋焔も大声を出すのがためらわれる何かを感じている。
「そうですね。それに、広い。..どのくらい続いているのか。」
「私が見て参りましょうか」
月竜がひらり、と一歩先に出る。
「月竜どの、お願いします。でも無理をしないで。」
「月竜兄さん、気をつけて。」

身ごなしの軽い月竜は、薙刀を油断なく構えながら橋を素早く渡り、辻を曲がって行った。

「.....。」
残った紅鋼珠と緋焔の二人は、言葉を交わす気になれず、黙って立ち尽くした。
木枯らしがひょうひょうと鳴り塵を巻き上げる。カラスの不吉な鳴き声が響きわたる。

「あっ。」
月竜の行った辺りをぼんやりと見ていた緋焔が、ふいに声をあげた。
「今、人影が。」
「えっ。」
紅鋼珠も目を凝らすが、何も見えない。
「今、誰かが、そこの小路を横切ったんです。」
「そんな。こんな所に人が住んでいるはずは。」
ここへ来る途中に出会った鬼も、遠目には山を昇る修験者のなりをしていた。近づいて見ると人と見えたのは悪鬼どもを従えた恐ろしい形相の鬼であった。きっとここにも同じような鬼たちが徘徊しているに違いない。
月竜は上手く鬼を避けてくれるといいが...。
「あっ、また。」
今度は、紅鋼珠も見た。
幼い子供の手を引いた、身分の高そうな婦人と、荷物を背負って付き従うお供が一人。
足早に小路を横切って、すぐに見えなくなった。
「...これも、鬼の目くらましなのでしょうか..?」
緋焔が不安そうに槍を構え直す。

 と、そこへ、月竜が忍び足で帰って来た。
「当主さま、この街はずっと奥まで続いています。途中、広場があって、それを越えるとまた街並みが続いているようですが、大通りには鬼や妖怪どもがひしめいているのでその先まではとても。..隠れ場所に使えそうな社を見つけましたので戻りました。」
「ありがとう月竜どの。危険な役目、本当に大義でした。」
紅鋼珠は自分の父ほどの年齢の臣下、月竜に丁重に頭を下げる。

月竜の案内で一行はそろりそろりと移動を開始した。
「裏通りにはなぜか鬼どもは入って来ません..ただどの小路もいつか必ず大路に出なくては進めない作りになっていますので...。」
月竜はこともなげに言うが、では偵察するのにずいぶん危ない橋を渡ったに違いない。
人二人がやっとすれ違えるような路地の行き詰まりに、その小さな社はあった。
「こちらです、中に敵はいないことを確かめてあります。..ここからなら大路の様子も見えますし、万一鬼が入って来てもこの道幅では一度に来られないでしょう」
「そうですね。ではここで荷を解き、これからの方針を考えましょう。」
紅鋼珠は小さな賽銭箱の横を回り込んで、一礼して社の扉を開け中に入る。3人が座るのがやっとの小さな社の壇上にはこれもちんまりと小さな、何かの神様の絵姿が奉ってある。暗いのでよく見えないが、神棚の前には供え物やら何やらが並べられているようだ。
「神様のいらっしゃる所にこのように陣取って申し訳ない気がしますね。」
緋焔が壇上を見上げながら言う。
「仕方ないさ、この街を荒らした鬼を退治するためならここの神様も大目に見てくれるだろう。」
月竜が言う。
社の扉越しに、大路をひっきりなしに行き交う影が見える。あれがみんな敵なのだ。
隠れる物陰もない大通りに出てしまえば苦戦を強いられるのは目に見えていた。こうして安全を確保できる拠点を見つけたのは、討伐隊にとって非常に有り難いことだった。



 その夜。
何度か大通りに突撃し、敵の強さと街の様子をみて、社に引き上げてきた一行が、深い眠りについた頃。
誰かに呼ばれたような気がして、紅鋼珠はふと目を覚ました。
扉の格子から月光が差し込んで、社の中は明るかった。
外に見張りに立つ緋焔の後影が何事も無くくっきりと映っている。では、呼んだのは緋焔ではなかったのか。
もう一度、名を呼ばれた気がして、紅鋼珠ははっと振り返った。
月光に照らされて、小さな祭壇の絵の前にひっそりと光る物を、紅鋼珠の視線がとらえた。
月竜を起こさないようそっと立ち上がると、紅鋼珠はその光る物を手に取った。小さな、丸い鏡だった。
のぞき込もうとして紅鋼珠はぎくりとした。すぐ後ろで、幼い子供の声がしたのだ。
(そんな。子供などいるわけが..。敵か?)
鏡をもとに戻し振り向いて、紅鋼珠は今度こそ飛び上がらんばかりに驚いた。小さな男の子が瞳を輝かせて紅鋼珠を見上げて笑っていたのだ。
「天神さま、天神さま、字をいっぱい覚えられるようにしてください。今年も、よい年にしてください。」
可愛らしい声で、小さな手を合わせて祈る子供を前に、紅鋼珠はおろおろとあたりを見回した。
いつの間にか昼間になっている。社の扉は大きく開け放たれ、外のにぎわいがザワザワと聞こえる。大路には人々が行き交い、物売りの声がし、車を引いた牛の姿なども見える。
(な..なんだ。一体どうしたのだ)
状況が全くわからずきょろきょろと辺りを見回すばかりの紅鋼珠にお構いなく、男の子は一礼すると、傍らでやはり手を合わせて祈っていた美しい婦人の袖につかまった。
「母さま、天神さまは聞いて下さったのかなぁ。」
「ええ、ちゃぁんと聞いて下さっていますよ。..ご覧なさい、天神さまは優しくて気高いお顔をしているでしょう?」
「うん」
親子に見つめられ紅鋼珠は思わず後ずさり、そして気付いた。彼らの視線は紅鋼珠を通り越し、絵姿に一心に向けられている。
(私の姿は見えていないのか。)
自分の手を見てみるが、透明になったわけではない。だがどういうわけか、紅鋼珠の姿はこの親子には見えていないのだ。
「さぁ、行きましょうね。」
「はぁい。」
親子が並んで社の扉を出て履き物を履いていると、供の者とおぼしい男が荷物を持って立ち上がり歩いてくる。
その様子を見て紅鋼珠は、あっと声をあげた。
(昼間見た、あの親子連れだ。)
あれは、幻ではなかったのか。
あるいは、今まさに見ている光景も幻なのか。
思わず、紅鋼珠は親子の後を追っていた。



「天神さまのお参りを済ますと、ひと安心ですなぁ」
「そうねぇ、今年はこの子もしっかり願い事をしたし。」
「坊っちゃん、何をお願いしたんですかぃ」
「うん、あのね、字がいっぱい覚えられますように、って。」
「そりゃいいお願いをしましたね。天神さまは学問の神様だから、もめ事の解決だの商売繁盛だのを頼まれるよりも、坊っちゃんの願い事がいちばんいいこった。」
そう言って供の男と母親が笑うのにつられて、男の子もはしゃいで飛び跳ねる。

「買い物をなさいますか」
「ええ、天神さまのお筆をこの子に一つ、と思って。」
「それじゃ行きましょう、字が上手くなるって評判ですからな、天神さまの筆は。」

「お前も家族に好きな物を買っておあげなさい。」
店に着くと婦人は、筆の代金とは別にいくらかの金を男に手渡した。
「奥様は優しいこった、ウチはかかぁもお仕えしてと二人とも充分によくして頂いているのに。」
「いいえ、これも街が栄えて暮らし向きが良くなったおかげ、天神さまのおかげですよ。」
「本当に、この街はこの一年で栄えたもんだ、それも、朱雀を守って下さる天神さまのおかげですねぇ。ウチのような下々の者にとっちゃぁ、本山におわす太照天さまより赤羽天神さまの方がずっと身近で親しみがわいて。」
「あらあら、天神さまだって太照天さまにお仕えして街を守るお役目をいいつかっているんですよ。」
「そうでしたねぇ、ははは。..奥様、これ、ウチの娘に買ってやってもいいでしょうかね」
「まぁ、こんな可愛らしい絵姿が売られているの。ええ、いいわよ。」
そんなやりとりを聞いていた紅鋼珠は、婦人の手元をのぞき込んでみた。
緑の髪を結い上げ、深紅の羽根を頭の両脇に生やした、端正な目鼻立ちの少年の絵が、白木の札に描かれていた。
「赤羽天神」と書いてある。
「いやもう、娘ときたら、天神さまみたいなお人の嫁になりたいんだって、熱を上げてましてね、まぁ近頃、娘どもはみんなそうなんだそうですが。」
「まぁ、そうなの。この子も天神さまのようなお兄ちゃんが遊び相手に欲しいって言ってますよ。」
「わはは、そうなんですかぃ、坊っちゃん」

なごやかな、正月の買い物の風景だった。
改めて見回すと店はお参り帰りの晴れ着の人々でいっぱいで、様々な雑貨を扱う品揃えもなかなか豊富なようだ。
中でも「赤羽天神」の絵姿やおふだは人気が高いようで、大小たくさんのそれらの品を、次々と人々が買ってゆく。



(街は繁栄し、鬼の姿などどこにもない。平和そのものだ。..どうしてそれが。)
店の中でも街なかでも、人々は紅鋼珠に気付きもしない。歩いて来て紅鋼珠に突き当たるかと思った瞬間、すーっと彼女の体を通り抜けてしまうのだ。
紅鋼珠も、何故かはわからぬが今、過去にさかのぼって繁栄していた頃の街並みを見せられているのだと納得しないわけにいかなかった。一体どんなあやかしか、それとも神の力なのか。 だがそれを解明するよりも、自分は果たして戻れるのかが気がかりだった。
今は、この平和を楽しむ人々も消え、鬼が我が物顔で徘徊している現実世界に戻り、朱点を倒すのだ。
(現世に戻らなければ。)
紅鋼珠は、急いで社に戻った。

相変わらずお参りの人々でごった返す中、社に戻り、鏡を手に取る。幻はここから始まったのだ。
鏡をのぞく前に、ふと見上げると、紅色も鮮やかな少年神の絵姿と目が合った。
(朱点を倒し、もう一度、朱雀の街に平和を取り戻してやってください。)
絵が語りかけたように思ったのは、気のせいかもしれぬ。が、紅鋼珠は返答を返した。
「わかりました、赤羽天神さま、あなたの街のため、私たち一族のため、全ての人々のため、必ず朱点を倒します。」
一礼して、鏡をのぞき込もうとした時、さらにこんな声がした。
(僕は、..炎に包まれて苦しんでいます。人々を助ける事は僕には無理なのです。来てください、..)
「えっ、天神さま、何とおっしゃったのです?天神さま..」
その先を問いたかったのだが、もう遅かった。



 紅鋼珠は、夜の中で一人立ち尽くしていた。
もう街のさんざめきは無い。

(来てください、..紅蓮の祠へ。そして、できれば僕を...解放して...)
最後に聞いた赤羽天神の言葉は紅鋼珠には理解できなかった。だがきっと、朱点を倒す事に関係があるのだろう。

 足元で月竜が寝返りをうった。
赤羽天神の絵姿に、紅鋼珠は深く一礼した。











 リクエストは「赤羽天神」でした。実は、紅后家は赤羽天神とは交神どころか、最後まで解放していませんでした。きっとあれが赤羽天神なんだろうな、と思いながら、敵を寝太郎等で足止めして、戦わずに先を急いだもので。だってそうしないと一ケ月でお夏さんの所まで行けないんです..(ごめんなさい赤羽天神さま)。他にも紅后家は、数多くの神を解放しないままゲームクリアを迎えています。深く一礼するしかできない店主をお許しください..。






関連のある他の巻:青の巻(紅鋼珠) 鳴戸の渦の巻(月竜)

【オレシカメニューへ戻る】



野うさぎ茶房のメニューへ