02/02
昨夜、上記の入力を終えたところで、ようやく妻から電話。パリ経由でバルセロナ。それから特急列車でサラゴサに向かい、長男が車で迎えに来て、ようやくウェスカ近郊のヌエノ村にたどりついたとのこと。成田から出てからでも24時間以上かかっている。自宅を出てからだと30時間以上の大旅行だ。やれやれ。自分が三宿にいて仕事ができるのは何とも幸せであるが、孫が目の前で立って歩いている、という報告を聞くと、くやしい気もする。
02/03
妻がいなくなって三日目。妻がいないと生活はまことに単純なものになる。夕方、散歩に行く以外は、ひたすら仕事。それだけだ。仕事ははかどるけれども、何か変だという感じはする。昔、子供が幼かった頃は、浜名湖の仕事場に一人でこもっていたことがあった。浜名湖は眺めがいい。気が向けば湖岸を散歩したり、車で出かけることもある。この三宿の書斎は窓がない。すぐそばに窓はあるのだが、障子がはまっている。障子を開けても隣の塀が見えるだけだ。前方のふすまを開けると、接客のスペースがあって、そこにはさんさんと陽光が注ぎ込んでいる。わが家で庭らしきものがあるのもそこだけなのだが、その向こうには向かいのマンションの壁が見えるだけだ。というわけで、ふすまも締め切ってある。結局、テレビをつけて、テレビの画面と、膝に抱いたパソコンの画面を交互に見ながら、仕事をするだけの生活になってしまう。この書斎で仕事をするようになったのは、犬が亡くなってからだ。犬がいたころは、リビングルームで仕事をしていた。ここはやっぱり向かいのマンションが見えるだけだが、窓のそばにいれば、マンションの上の空が見えるし、マンションの隙間から、少しだけ遠くの方が見えた。結局、犬の不在が決定的だ。犬はたえずわたしの足元に寝ていて、時々起きて、わたしの手をなめたりした。クレジットカードで衝動的にチワワを買ってしまいたい気分だ。
02/04
何事もなし。6章は予定した枚数をオーバーしたので、一部を7章に組み込む。そのぶん、物理学について書き部分が減ることになるが、まあ、あんまり難しいことを書くよりも、エッセーふうの部分を増やした方がいいだろう。
02/05
作家の某氏がマリファナ所持で逮捕されたらしい。誰かにチクられたのか。K1の元社長が脱税で逮捕されたのも内部告発があったのではないか。東大の産婦人科の先生の研究費不正使用も内部告発があったのだと思う。お役所や大企業の内部告発は正義の味方みたいなものだが、この種の告発は、セコイ、という感じがする。
妻から電話があった。孫は「ケ・エス・エスト」と言えるらしい。「これは何?」という意味。歯は5本はえている。肉をいくらでも食べる。うーん、見に行きたい。人間の子供はチワワより可愛いと思う。
02/06
本日は水道工事で夕方に断水するとのこと。確かにリビングルームから見下ろすと、消火栓の補修をやっておりました。簡単な工事だったらしく、汚れ水などもなかった。一人で暮らしていると、こういうことにも気をつかわないといけない。あとは土曜日の不燃ゴミを忘れないようにしないといけない。本日は燃えるゴミの日だったけど、不燃ゴミばかりたまっていく。コンビニ弁当の容器とか、そういうもの。男の一人暮らしは不燃ゴミを増大させるので地球にやさしくない。
わたしは旅行がキライなので、旅に出ると、旅程の半分をすぎた時に、折り返し点で、あとは帰るばかりだという喜びがある。妻がどう思っているか。けっこう疲れがたまっているのではないかと思う。息子の家にやっかいになっていると、嫁さんが日本人でも疲れるだろうが、言葉の通じないスペイン人で、しかもまわりには嫁さんの親戚が大量にいるので、孤軍奮闘という感じだろう。わたしは遠くから、心の中で励ましの声を送る。孫の顔は見たかったけど、やっぱり、行かなくてよかったと思う。
02/07
今日から春めくという天気予報だったが、それほどでもない。毎日必ず散歩に出る。だいたい三軒茶屋、時に下北沢。下北沢は若者の街なので、落ち着かない。三軒茶屋は老人の街だ。それも落ち着かないのだが。両方とも緑道を通っていく。三軒茶屋へは烏山川緑道、下北沢へは北沢川緑道、昔の川を暗渠にして公園にしたもの。北沢川の方は人工の川(ちょっと見ると本物の川みたいによくできている)が作ってあって、本物のサギがドジョウをついばんでいたりする。烏山川の方は、こちらも人工の水路が作ってある。その水路の縁に老人三人が腰を下ろし、その脇にネコ二匹。全員無言で、ひなたぼっこ。のどかな風景である。三軒茶屋へ向かうと、老人とネコがやたらと多い。犬はすべて通りがかりの犬だが、ネコは緑道に定住している。ネコとは顔なじみになっている。向こうはそうは思っていないだろうが。
02/08
今週は公用が一つもなかった。こんなことは最近では珍しい。おまけに妻がいないから、完全に引きこもり状態である。仕事ははかどっている。何か、むなしい気もするが、メールがくるので、世の中から忘れられたわけではないということがわかった。「ヤマトタケル」三部作は全然売れなかったみたいで、すでに本屋の店頭からも撤収されている。誰か読んだ人がいるのかという気もするが、時々、読んだという読者からメールが寄せられるので、誰も読まなかったわけではないということはわかる。
02/09
岡山で行方不明の女の二人の遺体が見つかったというニュース。胸が痛む。自分の子供が大人になってしまうと、子供というもの全般に興味がうすれていたのだけれども、孫ができるとよその子供のことも気にかかる。わが長男は子供の頃、放浪癖があってよく迷子になった。ケガもよくした。よく育ったものだ。
第7章、完了。第8章は「十牛図」の第8図。これは空白の絵。何も言うことがないので、この章は空白にしようと思ったが、そうもいかない。突然、現代物理学の話になった。現代物理学の存在論と仏教とは通じるところがある。そのことをちゃんと指摘した人はあまりいない。「ネコ箱」で有名なシュレーディンガーが「生命とは何か」(タイトル違っているかもしれない)という本でバラモン教との類似を指摘しているくらいだ。とにかく神さまが世界を作ったというキリスト教の存在論と比べたら、仏教の方がはるかに合理的ではある。ただし、「宇宙の始まりの小さな卵」で、本一冊ぶんかけて書いても書き足りなかったテーマを、一章40枚くらいで説明するのは難しい。迷宮の中に踏み込んだ感じがする。幸い、「禅」の本なので、禅問答的な論理で切り抜けようと思う。
「宇宙とは何か」
「ム」
これが禅問答です。
02/10
文芸家協会主催のシンポジウム。紀伊国屋ホール。書籍流通について。深田さんが委員長をしている流通問題委員会の担当なので、こちらは客席から見ているだけだったが、あとで新聞記者にコメントを出す約束をしていたので、聴かないわけにはいかない。出版社、取り次ぎ、新刊書店、新古書書店、図書館、公正取引委員会、それに作家、と多彩なパネリストが壇上に並んで、それなりに面白い意見があった。重要な問題なので意見を交わすことは大事だが、議論をするだけでは問題は解決しない。また問題を解決すれば本が売れるようになるかというと、それも確証はない。本を読むことが高級な趣味であると思われていた時代は過去のものだから、本にブランド的なものを求めてもしようがないが、かといってただ消費されるだけのものでもないだろうと思う。どうもよくわからないが、何で自分は「維摩経」や「十牛図」を書いているのかということは、チラッと考えた。注文が来たから書いているとしか言いようがないが、こういう注文を出す編集者は何を考えているんだろう。
新宿から小田急に乗って、下北沢で降りたら、雨が降ってきた。わたしは雨に濡れるのがキライなので、いつもは用心深く傘をもっているのだが、本日は天気予報の人が、雨は降らないと断言したのでもっていなかった。天気予報を信じてはいけないということはわかっているが、つい信じてしまった。100円ショップで傘を買って外へ出たら、急に雨がやんだ。百円の傘は一度閉じたら二度と開かないのではと思い、どこから捨ててやろうかと思ったがゴミ箱もない。家に近くに来たとき、突然また雨になった。傘を開くとちゃんと開いた。嬉しかった。
02/11
「十牛図」第8章完了。もっとも難しい現代物理学についての説明が終わった。現代物理学では、例えば陽電子と電子は真空から対発生し、ぶつかると対消滅する。これを「色即是空」と強引に結びつけようとしてのだが、読者にうまく伝わるか。
妻がいないと仕事がはかどるように思われるけれども気のせいか。明日の夜、妻が帰ってくる。車で迎えに行こうと言ったが、いらないという。わたしはここ何年か、浜名湖周辺でしか運転していないので、自分でも自信がない。迎えに行こうかと言ったのは、言ってみただけ。妻は週末は息子夫婦と孫をつれてバルセロナのホテルに宿泊し、買い物をしているはずだ。このノートを打っているいまは真夜中。スペイン(というかヨーロッパ全体)はまだ夕方だ。そろそろ空港に向かっている頃だろう。乗り換えのパリに着くのは、こちらの明け方くらいになる。
「維摩経」のゲラが出たというメールが届いている。担当編集者が週末にもう一度読むとのことで、こちらに届くのは来週になる。それまでに、「十牛図」の草稿を仕上げてしまいたい。第9章は生物学とコンピュータの話になる。これを仏教とどう結びつけるか。最終章は短く仕上げるので、ゲラが届くまでに仕上げることも不可能ではないとは思うが、妻が帰ってくるから、難しいかもしれない。
02/12
妻が帰ってくるので家の中を片づけていたら腰を痛めた。まあ、妻が帰ってきてよかった。スペインは楽しいような苦しいようなものであったらしい。わたしも去年行った時に経験したが、息子たちといっしょにいると、スケジュールが決められてしまい、自由時間のないパック旅行のようなものになってしまう。それでも孫とたっぷりつきあってきたんだから、好かった。こちらは腰痛をおして仕事に励んでいる。9章は「宇宙の始まりの小さな卵」と重複する箇所があるので、パソコンの中を探して古い原稿から該当箇所をコピーした。無断引用だが、著作者はわたしだから問題ないだろう。読者に失礼なので、古い原稿をもとにして完全に書き換えて挿入する。
02/19
傷めた腰はわずかに回復しただけ。直立猿人の一歩手前の類人猿といった歩き方しかできない。妻に文芸家協会まで送ってもらう。明日はペンクラブ、明後日は世田谷文学館と、外出が続く。しかし風呂に入って貼り薬を貼ると少し楽になった。長男が三歳の時に、公園で肩車したあと、シャワーを浴びさせている時に、最初の腰痛になった。それ以来、オトモダチとなった腰痛ですある。最初の時は一週間寝たきりであったが、その後はコツがわかったので、完全に傷める前に力を抜けるようになったので、寝込むことはなくなった。三日ほどで回復するのではないかと思う。
02/14
ペンクラブの会議。ペンクラブは以前は赤坂で近かったのだが、いまは茅場町。電車の乗り換えがつらいので妻に車で送ってもらう。図書館問題について報告。役目は果たせた。帰りは水天宮まで歩く。腰はまだ痛い。何とか歩けるという感じ。明日は世田谷文学館に行かないといけない。どうやって行くんだ。
02/16
昨日は世田谷文学館。世田谷区では区在住、在学の人のを対象に文学作品を募集している。小説だけでなく、シナリオ、童話、随筆、現代詩、短歌、俳句、川柳の部門があり、すべて区内在住の選者が選考委員を務めているのだが、どの部門もなかなかのネームバリューの選者が2人ずつ揃っている。これだけのメンバーが揃うところが、世田谷区のすごいところだ。
各部門、1席、2席に、3席が2名で、4人が表彰される。1席には賞金も出る。短歌、俳句などは佳作や選外佳作も出すので、出席者はかなりの人数になる。去年まではビールの出る宴会があったのだが、今年からコーヒーとケーキになった。話を聞いてなかったので、喉がビールを欲していた。終わってからコーラスの練習に参加し、焼酎をたくさん飲んだ。
今年の4人はレベルが高い。どれも文章が安定している。意欲もある。世田谷区民のレベルは高いと思った。
02/17
昨日、夜中に「地球の好奇心」というテレビ番組で、中国の山奥の郵便配達の人の話を見た。中国の映画に「山の郵便配達」という映画があって、妻がビデオで見ているのをチラチラ見ているうちに最後まで見てしまったことがあったが、この映画の原作の録音テープを、点字図書館で聴いたこともある。で、中国には、車の入れない村があって、郵便配達の人が何日もかけて徒歩で郵便物を運ぶという話であった。映画を見てそういうこともあるだろうとは思ったが、原作が小説なので、多少はフィクションがあるかなとも思っていた。ところが今回見たテレビ番組は、まさにドキュメントで、本当にそういう郵便配達の人がいることがわかった。映画の時代よりも郵便物が増えたようで、今回はロバ二頭に郵便物を背負わせていて、平坦な道では郵便配達の人もロバに乗っていたけれども、山岳地帯に入るとやはり徒歩で移動していた。往路2週間、復路も2週間。一ヶ月の旅で、家に帰ったらすぐにまた出発という生活である。そういう郵便配達人がいるから、だからどうだということもないのだが、何か、すごいことだなと思う。それだけの話。
腰はほとんど回復した。歩くのに支障はない。つまずいたりすると、まだヒリッと響くので完調ではない。しかし仕事にも支障がないので、まあ、よかった。「図書館と著作権」という本の出だしを書いてみた。来月の仕事はこれ。この創作ノートも5カ月目に入っているが、来月から新しいノートになるはず。「図書館その他」というようなノートにする予定。
02/18
図書館との協議会に出席するため、茅場町の図書館協会へ。妻の運転で行ったが、腰はほとんど回復した。毎日、刻々と回復していく。人間に回復能力があるというのはありがたいことである。明後日、推理作家協会と図書館との話し合いの席を設定している。これは紛糾しそうである。図書館だけが相手だとわたしは攻める側だが、推理作家協会が出てくると、わたしは行司みたいな立場になるだろう。図書館の問題に関しては、わたしは知的所有権委員長という立場で仕事をしているが、正直のところ、わたし自身に実害はない。わたしの本が大量に図書館に置かれているわけではない。しかし推理作家の人たちは現実に損害を受けているので、かなり本気になって押していくだろうと思う。金持ちケンカせず、などといわれているけれども、黙っているとナメられるというのも事実であるから、大いに発言すべきだろう。同じ書き手として支援をしたいと思っているが、紛糾すれば、わたしが仲裁しないといけないだろう。
02/19
このところテレビにブリュッセルの街が映ることが多い。EUの本部があるためだ。長男がブリュッセルにいた4年間に、わたしは4回、ブリュッセルに行った。旅行嫌いのわたしとしては驚くべきことである。グランプラスの周辺はわが庭のようだし、地下鉄や路面電車が地下を走っている路線も、大江戸線よりは親しいものだ。この間、NHKに行くために渋谷の街を歩いている時、知らない外国を歩いているような気分になった。ブリュッセルは、三軒茶屋と下北沢の次くらいに親しい街だ。
「十牛図」第9章完了。いよいよ最後の章に突入した。序章と終章は、自分に引きつけた内容にしたいと思っている。自分とは何かというのがテーマなので、抽象的な議論で本を終わりたくない。読者にとっても、作者の生の声が聞きたいところだろうと思う。仏教学者や僧侶が書いた本には、作者の「自分」というものが書かれていない。わたしが書く場合には、そういうところで読者に迫っていくべきだろうと思う。
02/20
推理作家協会と図書館関係者の協議会。場所は一昨日と同じ茅場町の日本図書館協会。推理作家協会は新刊書の六ヶ月間の貸し出し猶予を要求している。図書館に本を貸すなというのは、無理な注文ではあるのだが、推理小説が発売直後に大量に図書館に置かれると、本を買う人がいなくなるおそれがある。大手出版社は推理小説の儲けを、売れない純文学の出版に回しているという実情があり、推理小説の売れ行きが下がると、日本の文芸文化が滅びることになる。というようなことを図書館関係者に陳情しても、○○の耳に○○というか、○○の面に○○という感じてある。何か、むなしいことをしているような感じがして、本日は疲れた。疲れたが、自分の仕事はしないといけない。10章は順調に進んでいる。ゴールまでにはまだ一山二山ありそうだが、今月中の完成を目指したい。
02/21
ゴールまではまだかなり山があると思っていたが、考えてみると必要なことはすべて書いてしまったので、突然、さりげなく終わってしまうことにした。というわけで、第一稿の完成である。正月から書き始めたので、約50日で草稿ができたことになる。400枚くらいか。一日に8枚だから、たいしたことはないが、文化庁や図書館関係の会議に出ながらだから、よく仕事をしたと思う。ただちに最初から読み返してチェックし、今月中に完成させたい。
02/22
草稿のチェック。出だしが少し間延びしている。分量が少し多いので、削り気味にしたい。デフレ状況なので、分厚い本は売れない。中身はうすくないが、必要以上に厚い本はよくない。重い本は腰を痛める。
02/23
妻がスペインで撮ってきたビデオを編集しているのを、通りがかりにのぞいたら、長男が娘(わたしの孫)をつれてプールに行ったシーンが映っていた。自分が長男を初めてプールにつれていった時のことを思い出した。三十年くらい前のことだが、つい昨日のような気がする。
「十牛図」昨日は1章だけしかチェックできなかった。導入部は難しい。なるべく多くの読者を引き込むために、わかりやすく魅力的に書かなければならないが、奥深さが感じられないと読む気をなくす。しかし奥が深すぎれば難解になる。とにかく、論理の流れが途切れないように調整をしながら、不要な部分はカットしていく。最初に書いた時は、この本の結論みたいなものが見えていないから、手探りで書いている。本の後半と論旨がずれているところもあるので、チェックが必要だ。
本日は夕方までで、第2章が終わった。釈迦についての簡潔な説明。ここはうまくいっている。「般若心経の謎を解く」でも「法華経入門」でも同じようなことを書いたはずだが、今回は禅宗のテキストがテーマなので、禅に傾けて説明していく。コンパクトにまとまったと思う。この創作ノートは真夜中に書いている。一日の作業の前半が終わった時点である。これから明け方まで、もう一働きするから、本日は3章の終わりまでいくだろう。一日2章のペースで進めれば、今月中にチェックが終わる。もっとも2月は月末がすぐに来てしまう。8、9章の現代物理学の説明が難解すぎるのではないかと心配している。ハイゼンペルクの不確定性原理をコンパクトに説明するというのは、禅の難問より難しい。今年は例年より寒い。腰もまだ万全ではない。隣の家の梅の花が美しい。
02/24
昨日は結局、5章まで進んで。2〜5章はまったく問題がなかった。論理がつながらない部分がところどころあるけれども、わずかな修正で先へ進めた。仏教の概略の説明も、「十牛図」に的をしぼって的確に語られている。禅の説明もうまくいっている。禅については、それほど知識があるわけではない。中学生の時に、宇治の万福寺で座禅を組んだことがある。17歳の時に「無門関」を読んだ。禅宗の坊さんとスリランカへ行ったことがある。この程度の関わりだが、まあ、何とかなるだろう。本日は夕方までで6章が終わった。7章もたぶん問題はない。山場は8章と9章だ。明日が山場となる。
02/25
前日のところに「7章もたぶん問題はない」と書いたが、問題があった。ここは1章と同様、手探りで書いていて、論旨が揺れている。仏教の説明でけなら、いくらでも書けるのだが、そこにプラスアルファーの人生論みたいなものを追加しないといけない。それがこの7章に集約されている。結局、昨夜は7章の半ばで終わってしまった。本日、7章の最初からもう一度読み返してみたら、問題点がわかって、わずかな修正で切り抜けることができた。
名古屋の社会福祉法人の担当者来訪。著作権について打ち合わせ。点字の制作は権利制限なので許諾は必要ないが、拡大活字や朗読テープは許諾が必要である。こういう問題を解決するためにNPOを作る準備を進めているのだが、すぐには対応できない。福祉活動をやっている人々は、基本的に善意であると同時に、人柄のいい人が多い。これに対してふつうの図書館の人は、かなり知的な人でも、どこかにお役人の体質がある。教育関係者も同様。こういう人たちは、公共のためという名目で、著作権を平気で無視する。著作権は基本的人権であり、著作者にとっては命のごときものだ。これを平気で踏みにじるというのは、全体主義国家の発想である。今日、来訪された女性ふたりは、感じがよかった。日本点字図書館の人たちも、感じがいい。図書館は民営化すべきだ。
02/26
昨日は8章完了まで。現代物理学の存在論を40枚で語るのは苦しい。読者は頭がパンクするだろう。でも、ここまで読んだ人は読み通してくれると思う。画期的な存在論になっているし、仏教と原子物理学の関係がクリアーにわかるものになっている。今週中に完成する見通しができたので担当編集者にメールを送った。「維摩経」のゲラが出ているので、来週からは作業に集中しないといけない。「図書館論」のスタートはその後ということになる。
本日は文芸家協会で文化庁の人々と打ち合わせ。保護同盟から管理業務を引き継ぐための指導を仰いでいるわけだが、時間はかかるがいつかはゴールに到達できるだろう。著作者の権利を守りながら、利用者にも役立つシステムを実現したい。
今日は花粉が舞っていることを体感した。まず目に来ている。薬を飲めばかゆみがなくなることはわかっているが、眠くなる。鼻よりは目の方がまだ耐えられるので、がまんして仕事を続けたい。
02/27
夜中、ヤンキーズのオープン戦緒戦の中継を見ていて、野球というものの面白さを実感した。松井の第二打席、9球目をホームランしたのだが、そこに至るプロセスに味わいがあった。サッカーにはこの面白さはないし、アメリカンフットボールにもこういう細かいプロセスはない。何よりも、打った打球がまっすぐに飛んでいく光景は、美しく、感動的だった。
02/28
昨日は花粉症で苦しんだが、外出しなかったので夕方に回復した。用心して本日も外出せず。第九章も遺伝子の説明がどうにも難解で修復不能かと思ったが、抜本的に説明をやりかえたので少しはわかりやすくなったか。もともと無理なことをやっているので、スキッとわかるわけではないが、仏教徒の関連でおおよそを把握してもらえばいい。エンディングは完璧なので、まったく修正する必要はなかった。ということで、夕方には完成。プリントもして、いつでも渡せる状態になった。月曜日に担当編集者がとりにくる。