「図書館/団塊世代/小説論」創作ノート1

2003年3月〜

3月 4月 5月  6月  7月  8月


03/01
神保町で作品社の担当編集者と飲む。「維摩経」のゲラを受け取る。用語をもう少しやわらかくした方がいいというアドヴァイス。タイトルも一考。ということで、ここから新しい創作ノートに移行するが、しばらくは「維摩経」について考察することになる。今月はこのあと、「図書館論」になる。これは文芸家協会の仕事で、著作権のために進めてきた仕事の延長で、このあたりで本を一冊出しておきたいということと、図書館関係者にメッセージを送りたいということ。公共図書館が住民サービスに努めてきたプロセスは理解できるが、極端な話、図書館が充実すればするほど、本を買わずに図書館で本を読む読者が増える。読者が増えるのは書き手としてはありがたいのだが、本を買ってくれる読者が減ると、書き手も出版社も苦しくなる。現にいまも、出版社の倒産や業務の縮小が進んでいて、多くの書き手が、本が出せないという状況になっている。インターネットで作品を発表すればいいというのは暴論で、図書館側の協力があれば、本という文化を守り育てることは可能だとわたしは考えている。ただし、そういう発想のない図書館関係者も少なくないことは事実だ。これから書く本によって、少しでも理解のある図書館関係者を増やすことができれば、貴重な文化を守ることができると思う。
このノートのタイトルにもう一つ、「団塊世代」を入れたのは、団塊世代論を書いておきたいと考えたからで、これは4月の仕事となるだろう。さらに「小説論」を書く。「天気の好い日は小説を書こう」は大学の講義録をまとめたもので、大学生が対象だった。今回は、文学を離れて、大衆小説まで含めた小説の書き方についてまとめたい。ということで、「小説の書き方/超基礎篇」といった趣になる。その先の予定が決まっていなかったが、今日、作品社の担当者と飲みながら、「桓武天皇」というプランをまとめた。作品社の担当者は偉い人なので、その場で企画が決まった。昔は、担当編集者を説得すればその場で話が決まるということが多かったのだが、最近はどの出版社も企画会議を経ないと企画が通らない。何だか、昔の出版社みたいな感じで、飲んでいるうちに話が決まった。「桓武天皇」は時代としては「孝謙天皇/天翔ける女帝」の次にあたるのだが、オカルト的な要素を排除して、歴史小説としてリアリズムで押していく。

03/02
俳優の三田和代さん(姉)来訪。妻が撮影した孫のビデオなどを見せる。自分に息子がいて孫がいるということを、こういう時だけ思い出すが、ふだんは仕事のことしか考えていない。「維摩経」のゲラを見なければいけないのだが、気持ちの切り替えがまだできていない。先週までは「十牛図」をやっていたので、同じ仏教なのだが、「維摩経」は小説仕立てになっているので、緊張感が違う。エッセーだと必要なところは理屈で説明できるのだが、小説は描写とセリフで乗り切らないといけないし、ゲラだから大幅な直しができない。さらに最終稿であるからミスが許されない。あと二日ほどは準備運動が必要だろう。

03/03
雛祭りだ。スペインでは孫の雛祭りをやっているだろうか。去年、孫が生まれた直後に雛人形をスペインに送った。先日、妻がスペインに行って、妻が飾って、写真も撮ってきた。その雛人形と孫が映っている写真を眺めながら、遠くスペインに思いをはせる。さて、雑用一件片づけて、今日から本格的に下に取り組む。タイトルの問題。書いている段階では、「空の秘奥」というのを考えていたのだけれど、難しすぎるといわれたので、「最も奥深き釈迦の教え」というのはどうかと思ったが、これは説明過剰かもしれない。シンプルに「釈迦と維摩」でもいいかもしれない。各章のタイトルは、「弟子」とか「菩薩」とか、ごく短いものだったが、せっかくだから内容を説明するものにしたい。目次を見て内容がわかるようなものにしたい。あとは大きな問題はない。「空の秘奥」というのをキーワードにしていたのだが、タイトルからはずすとするとこの語は使いたくない。「最も奥深き原理」というようなものでいいだろう。

03/04
昨夜は各章のタイトルを書いただけで終わった。気持ちが集中しないので「桓武天皇」の資料を読み始めた。桓武天皇は、時代としては「天翔ける女帝/孝謙天皇」の次にあたる。実は「孝謙天皇」のラスト近くに、白馬に跨った若者の姿が、女帝の夢の中に現れるシーンがあるが、これが桓武天皇である。その頃は、次に桓武天皇を書いてもいいという思いもあったのだが、女帝三部作からヤマトタケルの方に時代を遡ることになった。さらに「天神/菅原道真」「清盛」「夢将軍/頼朝」の方にも興味が進んだので、桓武天皇は保留になっていたが、桓武天皇の青年時代は孝謙天皇と完全に重なるので、同じ登場人物がそのまま出てくることになる。ただかなり忘れているので、これから半年間くらいをかけて少しずつ資料を読み、登場人物のキャラクターを頭の中にインプットしないといけない。
本日は「維摩」のゲラを読み始めた。難解な用語に説明をうるさくない程度に追加していく。このまま先に進んでいいだろう。

03/05
前夜は第1章までのチェック。仏教用語の説明に時間を費やした。軽く読み流してもらえるかなとも思ったのだが、中途半端に難解な語が入っていると読者がつまずくかもしれない。説明したところと言い換えたところがあるが、とにかくつまずかないようにスムーズに読んでもらうために全力を投入した。註釈という形ではなく、文章を読めばわかるという形にするのに苦労した。
寒い日が続く。花粉の症状は出ない。今シーズンに入って症状が出たのは先週の水曜日だけだ。薬は飲んでいない。鼻ポンプで洗浄を続けている。このままシーズンが乗り切れるのか。しかし目のかゆみもないので、花粉そのものが飛んでいないのではと思う。

03/06
わたしは三宿というところに住んでいる。三宿は国道246の北側にある。この国道の上には首都高3号線、下には東急田園都市線が走っていて、駅でいえば池尻大橋。で、この地下鉄と直結した駅で降りると、当然、北側の通路から地上に出る。散歩はたいてい、この北側のゾーンで、一駅先の三軒茶屋に行くことが多い。自宅から北に進むと、井の頭線の池ノ上駅もあり、さらに小田急の下北沢まで歩くこともある。この池尻大橋、三軒茶屋、池ノ上、下北沢に囲まれたゾーンが、散歩の範囲であり、仕事で出かける時の徒歩のゾーンでもある。何でこんなことを書いているかというと、今日は思いついて、246の南側に行ってみた。東山と呼ばれるところで、ここには商店街があるし、温泉があるし、貝塚もある。ずっと歩いていくと東横線の中目黒まで行く。三宿に引っ越してから17年になるけれども、この駅の南側の商店街を歩いたのは数回だけだ。リュウノスケが生きていた頃は、南側にある世田谷公園によく行ったのだが、これは自宅からまっすぐに南に向かったところで、池尻大橋と三軒茶屋の中間地点だ。玉電が路面電車だったころはそこに三宿という停留所があった。昔、神泉に住んでいた頃に、駒沢公園にサッカーを見にいったことがある。玉川高島屋ができた時も行ってみた。玉電には何回か乗ったから三宿も通ったはずだが、まさかそこに住むとは思ってもみなかった。話が横道にそれたが、三軒茶屋の南側には散歩でよく行くのだが、池尻大橋の南側は、なじみのないゾーンだ。今日久しぶりに歩いて、知らないゾーンがこんな近くにあることに、何でだろう、という気分になった。それだけの話。
テレビのニュースでは某衆議院議員の逮捕が近いといった話題がトップニュースになっている。全然知らない人だと思っていたが、佐賀の人だとわかって、去年の夏、早稲田のOB会で講演した時、あとの宴会で隣にいた衆議院議員と話をしたことを思い出した。何の話をしたかは忘れたが、とにかく隣なのでずっと話をしていた。で、名刺をもらったはずだと思って探したら、まさにその議員であった。知らない人ではなかったのだ。それだけの話。
「維摩経」のゲラは3章に入っている。2章までは導入部で、3章から原典に沿った展開になるのだが、ここにようやく主役の維摩が登場する。担当編集者から、維摩の言葉づかいが強すぎると指摘されていた。維摩は釈迦の十代弟子を次々に論破し、批判する。だから、強い口調で話しているが、確かにこれでは、最初から威張っているようで、感じがよくない。しかし丁寧な口調にすると慇懃無礼という感じで、これも感じがよくない。口調はシンプルに、失礼にならない程度のですます調で話すことにした。最後までこれでは威厳がないので、商人の姿から菩薩か如来かという感じに変身したところで言葉づかいを変えたいが、そこで急に居丈高になるのもまずいので、スムーズに移行できるかが課題だが、とにかくここでは丁寧な口調にする。直すのが大変だが、こちらは赤字を入れていくだけだ。これがワープロのプリントだと、直したところは自分で打ち直さないといけないわけだが、ゲラなので赤字を入力し直すのは印刷屋のオペレーターだ。大変な作業だが、それが仕事なのだから頑張ってください。

03/07
文芸家協会理事会。これで夕方がつぶれたので、本日はこれから仕事をする。毎日1章の割で進んでいるので、本日は4章。維摩が菩薩を批判するシーン。ここまで、ゲラが真っ赤になっている。維摩の言葉づかいをていねいにしているためだが、確かにこれまではファーストショットの維摩のイメージが居丈高であった。言葉づかいを変えたので少しやわらかくなったと思う。菩薩が相手だと、口調も少し厳しくなっていいと思う。最終的には、釈迦よりも偉い感じになると思うので、そこに至るまで、少しずつ段階的に言葉づかいを変えていきたい。その作業が大変なだけで、維摩が語る内容については、ほとんど直しはない。このあたりは実によくできている。原典がよくできているのか、自分が書き直した部分がよいのか、いまとなっては判別できない。原典のわかりにくい部分はこちらが勝手に解釈し直したところもあるし、持世菩薩が修行をしている場面では色っぽい天女が出てきたりする。こういうところはわたしの創作である。
スペインの長男から電話。週末に親戚を招いて雛祭りをやるらしい。3月3日に雛人形を片づけないと、お嫁にいくのが遅れるという言い伝えがあることは知っているはずだが、確信犯だな。

03/08
知人の写真展を見に行く。三軒茶屋なので散歩を兼ねている。トルコの風景。トルコには行ったことはないが、石造りの建物だからヨーロッパに近い。この知人は大手ゼネコンの広報担当者で仕事を依頼されたこともあるが、楽しく飲める人であった。が、身体を壊して酒が飲めなくなったのと、建設業界に見切りをつけて、早期退職して、カメラをもって旅行するという、幸福な人である。わたしも早期退職したいとチラッと考えたが、わたしは旅行よりも書斎に閉じこもっていることが好きなので、いまのままで幸福である。小説がもうちょっと売れてほしいというささやかな願いはもっているが。
本日は第5章。だんだん話が難しくなってきた。維摩と文殊菩薩の知恵の対決という、おそらく人類の文明史上最も高度で難解な議論にさしかかっているわけだから、難しくなるのは当然だが、話そのものはエキサイティングである意味でわかりやすくなっている。わかりやすくなっているだけに、ほんのわずかでもわからないことがあると、その部分が目立ってしまう。しかしもともと難解なものをわかりやすく書いているので、最後に残ったところは、どのようにも理解不能の部分なのだ。ここをそのまま残しておくべきか、さらに解読してしまうべきか、迷うというよりも頭が疲れてきて、限界に達する。というのはウソで、単に少し疲れたというだけだろう。これからワイルドターキーの力を借りて挽回したい。

03/09
昨日5章を終え、本日はここまでで6章を終えた。まだこれから明け方まで仕事をするので7章も終わるだろう。「不二法門」という最大の山場は通過した。細かい直しはあるが、基本的にもとの文章がよくできている。もとの文章というのは、原典なのか自分の文章なのかよくわからない。べつに自分の文章でなくてもかまわない。人類の知的遺産の中でも最大級のものがここにはあるという気がする。まあ、わたしがやったのは、現代語訳といったものだろう。あと3日ほどで完成するか。

03/12
昨夜は三軒茶屋で飲んだ。三宿や三軒茶屋で飲むと歩いて帰れるので楽しい。飲んだのでゲラが進まなかった。本日は午前、午後と会議が2回。今週中にゲラを編集者に戻すためには、明日宅急便で発送する必要があり、ということは今夜がリミットだ。これから明け方まで頑張る。

03/13
予定通り、昨日、ゲラ完了。いい作品になった。ゲラを読み返してみて、この作品は原典をもとにした小説家ではあるが、自分の思想が出ていると感じた。そこを読者がどう読みとるか。まあ、「維摩経」とはこういうものかと思ってもらっても差し支えはないが、書いた本人は自分の特色が強く出た作品だと思っている。
さて、本日は文芸家協会で日本図書教材協会との打ち合わせ。最近、著作権ビジネスというものが盛んになって、著作権の仲介業務で儲けようとする企業も出てきたのだが、教育関連の分野では、ただ儲ければいいというものではない。社会的な視野の中で、適正な業務が行われないと、社会全体から批判されることになる。簡単に言うと、作家が暴利をむさぼった結果、国語の問題集の値段が上がるというようなことがあっては、消費者の支持を得られないということだ。ある種の謙虚さと、世のため人のためという気持ちが必要だろう。まあ、教材業者は世のため人のためではなく、利益を追求しているわけだが、作家がそこに巻き込まれてはいけない。
というところで、ようやく、「図書館と著作権」(仮題)の執筆がスタートする。これから一気に3冊書く。「図書館」「団塊世代」「小説論」。休んではいられない。小説を書くのは7月くらいになるだろう。また歴史小説に戻るので、資料を読みながら構想を練らなければならないが、同時並行で3冊の本を出す。とりあえずは「図書館論」。これは作家の著作権という問題と、図書館の理念との関係について論じるつもりで、多くの読者に、いっしょに考えていただきたいテーマだ。大きくいえば、日本の文芸文化の浮沈に関わる問題だと思っている。たまたま知的所有権委員長という仕事をするようになって、著作権について考えざるをえなくなった。はっきり言って、こういうことをちゃんと考えている作家は他にいないだろう。仕方がない。自分が考えるしかないのだ。

03/14
「図書館論」出だしでとまどっていたが、序章ではできるだけコンパクトに語らないといけない。並行して、「団塊世代論」と「小説論」についても考える。「桓武天皇」の資料も読む。頭の中が混乱しそうだが、頭脳のコンピュータにファイルを入れるフォルダーがあるのだと考えて整理すれば何とかなる。こういうのはイメージの問題だ。いつものように三軒茶屋まで散歩すると少し空気がぬるんだ感じがした。マスクをしているのでよわくわからないが、花粉も少し減ったのではないか。今シーズンはマスクと漢方と鼻ポンプでもたせている。

03/15
スペインの長男からスマートメディアが届いた。先日、妻がスペインに行った時に、デジカメをもっていった。以前から、ビデオカメラに併設されたデジカメ機能で写真を送ってきていたのだが、ビデオはかさばるので、カメラをもっていった。スマートメディアのカメラをわざわざ選んだのは、郵便で送りやすいからで、インターネットど送ると時間がかかる。で、スマートメディアが届いたので、さっそくパソコンで確認した。はっきり言って、わが孫はだんだんブスになりつつあるが、まあ、自分の娘ではないので、放っておくしかない。
本日はコーラスの練習で、京王線の北野に行くのだが、早めに世田谷線でのんびり下高井戸へ行きたいと思っていたのだが、ワープロを膝に抱くとけっこう仕事が進んで時間がなくなり、いつものように池ノ上から行くことになった。仕方がない。

03/16
昨日、下高井戸へ行けなかったので、今日は妻をつれて下高井戸へ行った。世田谷線に乗るのは久しぶりだ、と思ったが、ボロ市に行くときに乗ったからそれほどでもない。しかし下高井戸まで乗るのは初めてかもしれない。いつだったか、下高井戸から三軒茶屋まで乗ったようにも思うが。とにかく下高井戸の町を歩くのは初めてだ。一度、行ってみたいと思っていた。下高井戸はよいところであった。駅前にまだ市場があって、日曜だからほとんどが閉まっていたが、日曜に店を閉めるというところが何とも良心的だ。開いていた店で妻がエビとホタテを買った。釜飯を作ると妻は言っていたのだが、なぜか夕食はホタテのさしみとエビチリだった。

03/17
英米にスペインの首脳が戦争の開始を決議する。英米はともかく、なぜここにスペインが加わっているんだ。孫がスペインにいるので、わたしはスペイン好きであり、ワールドカップでもスペインを応援していたのだが。どうもスペインの大統領は、ブッシュと友達らしい。スペイン人は戦争が好きなわけではないが、友達なら仕方がないと諦めているみたいだ。まあ、ヨーロッパの中では、スペインは中東から最も遠い位置にある。ちなみに、スペインでは牛肉は「バカ」、ニンニクは「アホ」であるが、ブッシュのことは「ブス」というらしい。

03/18
図書館関係者との協議会。午前中の会議は身体に応える。話はいっこうに前進しないが、まあ、根気よくやるしかない。「図書館論」第一章はできているが、これでいいのか少し考えたい。全体の構想を考える必要がある。本日のように、リアルタイムで図書館関係者と議論すると、まだまだ流動的な要素があることを痛感する。どこかで決着をつけて、自分なりの意見表明をこめつつ、偏りのない総合的な視点から図書館を論じる必要がある。

03/19
本日は少し春めいてきたか。いつものように三軒茶屋に散歩。ビデオショップに行ったけれども、明後日から半額サービスだというので、何も借りず。本は経費で落ちるけれども、ビデオはわたしのお小遣いの範囲なのでケチる。「十牛図」のタイトルは編集者が決めた。「私の十牛図」。電話で聞いたので「わたしの十牛図」かもしれないが。テーマは「私とは何か」なので、まあ、いいタイトルだと思う。章の扉に使う十枚の絵がファクスで送られてきた。本物の十牛図は汚れているのか薄墨を使っているのか、版に起こしてもぼやけているので、白黒だけでくっきりと描かれた十牛図はないかと編集者に捜してもらっていたが、望みどおりのものであった。それはいいのだが十枚(一枚は空白なので実際は九枚だが)をプリントしていると(うちのファクスと液晶画面で見て消去することもできる)、最後の絵が出た途端にインクリボンがなくなったという表示。老人なので機械の操作は憶えられない。どうするんだったかなとマニュアルを捜す。やっとマニュアルを捜してからインクリボンの箱を開けるとちゃんと説明書が入っていた。悔しい。説明書はあったが不器用なのでなかなか思い通りにならない。疲れた。
洗い物をしていたら(夕食のお皿洗いはわたしの担当)、給湯器が壊れた。この家は築17年で、だから給湯器も17年使ってきた。耐用年数はすぎていると思う。給湯器本体はベランダにあって、いまは亡きリュウノスケが子犬の時に電気コードを噛み切ったのを、わたしが補修したのであった。それからでも15年くらい経つ。シロウトの補修にしてはよくもった、と自分を誉めてみる。風呂のシャワーは別系統でこちらは一度、取り替えた。風呂の給湯は電気温水器で、こちらは何となく元気がない感じはするがまだ動いている。わたしも妻も老人になったが、家もそろそろ老化のきざしを見せているのか。そういえば去年は電話のシステムを交換した。家の中に受話器が8台もある豪邸(?)に住んでいる。そのうち6台が壊れるという悲惨な状況になったので、全部とっかえようと思ったら、いまはこういうものは無線になっているのだという。子供もいなくなったので、無線の本体と子機を2台買い、おりよく電池がなくなったわたしのPHSを、子機に使えるものに交換した。で、わたしの書斎ではそれで電話をとっているのだが、わたしも妻も、転送のしかたが(できるはずだが)いまだにわからず、自分にかかってきたものでない電話がかかると、子機をもって走っていくことになる。老人とは淋しいものである。

03/20
児童文学関係者との話し合い。児童文学の方々も、図書館における貸し出しについて、国家基金による公共貸与権の設立を文部科学省、文化庁に要望されたとのこと。これに関し、図書館関係者から批判が出ているそうだが、これは図書館関係者の誤解によるものである。いまだにこういう誤解が生じるところが残念であるが、まあ、仕方がない。図書館協会の人々とは、充分に理解しあえる状態になっているのだが、末端の図書館の人々との情報伝達がうまくいっていないようだ。われわれは図書館からお金をとるということは一切考えていない。図書館にはまったく迷惑をかけないかたちで国に対して基金の設立を要望しているのであり、むしろ図書館と共闘したいと考えているのである。この誤解を解くためにもいま書いている「図書館論」の本を完成させなければならない。

03/21
半蔵門線が東に延びたというので行ってみた。いつも茅場町の図書館協会へ行った時は、ワンブロック歩いて水天宮からの始発に乗っていたのだが、本日は水天宮より一駅先の清澄白川駅で降りて、深川江戸資料館というところへ行った。江戸の町並みなどが小規模に再現されたところだが、わたしは昔、日光江戸村に行ったことがあるので、まあ、こんなものかという程度。日光江戸村では忍者が走り回っていた。それから深川めしというものを食べた。これはなかなかのものであった。アサリ入りのみそ汁をメシにぶっかけただけのものだが、微妙な甘みがあって不思議な味わいであった。都立現代美術館に行って、タダで入れるところだけを回った。清澄公園をぐるっと回って、それからもとの駅に戻った。
清澄公園は川の南北に分かれていて、人だけが渡る橋でつながっている。その橋の上から、沈んでいく夕日が見えた。今日はお彼岸であることを思いだし、それから愛犬リュウノスケの最初のお彼岸であることも思い出した。おそらくは極楽浄土にいるであろうリュウノスケに、そこで待っていろよ、と声をかけた。極楽浄土というイメージが浮かんだのは「小説維摩経」の校正をやった直後だからで、この作品にはさまざまな浄土が出てくる。本当は阿弥陀如来の極楽浄土は「維摩経」の原典には出てこないのだが、小説だから何をしてもいいと思って登場させた。原典に出てくるのはアシュク如来の仏国土である。この如来の名前がJISのパソコンでは出てこない。
「図書館論」は進みつつあるが、少しピッチが遅くなっている。「桓武天皇」の資料を読んでいるせいだ。書き始めるのはずっと先だが、準備はしておかなければならない。登場人物としては「孝謙天皇」の時の資料でほぼまかなえる。道鏡の即位を阻止した和気清麻呂が桓武天皇の側近だし、桓武の青年時代は孝謙天皇の時代とそのまま重なっている。ただわたしの「孝謙天皇」には登場させなかった佐伯今毛人と、平安時代の英雄で最初の征夷大将軍である坂上田村麻呂はチェックしておく必要がある。

03/22
妻と王子ホールへ行く。高木早苗さんのピアノリサイタル。高木さんはわが長男の高校、大学の一年先輩。ドイツに留学されていた。長男の友人たちは大半がヨーロッパに留学し、長男のように戻ってこないケースも少なくない。しかし、戻ってきて日本で活躍している人に接すると、少しだけ、うらやましい。

03/23
三軒茶屋を散歩。春風が吹くような、少し寒いような感じ。昨日は結局、図書館問題の要望書と、吉岡忍さんのホームページの原稿を書いた。どちらもタダの原稿。こういうものを大切にしたい。本日は、頑張って先に進みたい。

03/24
いよいよ春、という感じの気温になった。「図書館」と並行して「桓武天皇」の資料を読んでいる。図書館問題だけでは日々が寂しいので、小説の構想を練る。道鏡をどう扱うかがポイントになるだろう。それとエンディングをどうするか。平安京ができてめでたしめでたしとはならない。荒涼としたイメージで作品を締めくくりたい。昨日までで自宅にある資料を読み尽くしたので、本を買いにいかないといけないのだが、とりあえず下北沢の三省堂に行って、「続日本紀」の文庫本を買った。これは口語訳。書き下し文のものはもっているが、読むのが疲れる。「孝謙天皇」を書いた時は、これなしだった。ファンタジーとして書いたので歴史にとらわれたくなかった。今回は歴史に忠実なリアルな作品にしなければならない。

03/25
本日は終日、雨。散歩に出ずにひたすら仕事。昨日の明け方第2章が終わった。第3章も進んでいる。出だしをどういう展開に進めていくかに迷いがあったが、ここまでくればあとはひたすら書くばかりだ。昨日買った「続日本紀」は作業の合間に読んでいる。ほしいのは、脇役のキャラクター。大伴家持は重要人物だ。桓武天皇の父の光仁天皇が高野新笠(桓武の母)と出会うシーンを冒頭に置きたい。ということは、大仏開眼のずっと前だ。長屋王が無実の罪で一族のすべてが自殺した事件の数年後ということになる。そういう事件の直後だけに、白壁王と呼ばれた光仁天皇が一種の無力感をもっているところがポイントだろう。この作品は、無力感で始まって無力感で終わることになる。それだけだと冴えない話だが、真ん中あたりで盛り上がるし、何といっても千年の都、平安京が築かれる物語だから、壮大なスケールの話になるはずである。

03/26
文芸家協会と保護同盟の合併についての協議。この協議を2週間に一度のペースで進めている。大幅に前進しているとはいいがたいが、それでも少しずつは前に向かっているような気もする。この合併は、改善のための第一歩にすぎないのだが、あと半年がんばれば、とりあえず第一歩が踏み出せる。
「図書館論」は動き始めた。今週は外に出る用が三日あるので、毎日、量は限られるけれども、着実に前進している。

03/27
日本点字図書館の評議員会。著作権の福祉目的の利用のために、NPO法人を作ったのだが、認可はされたものの、保護同盟との合併が実現しないと実質的には機能しない。それまでにしなければならない交渉が山ほどあるが、時間が経過すれば一つ一つ片付いていくだろう。わたしにとっては、こういうもののすべては戦争みたいなものだ。戦略を立てて、頭の中でシミュレーションをする。小説を書くという作業は、そのシミュレーションをイメージにして書くだけでいいのだが、現実の世界では、相手があるので、シミュレーションどおりに行かないことがある。そこが困難でもあるし、面白いといえばいえる。自宅に帰ってもいまは「図書館論」を書いているので、戦争の続きをやっているようなものだが、この本は、図書館関係者との戦争のシミュレーションである。一人で本を書いていれば、相手がいないので、まさに図上演習のようなもので、こちらが勝つに決まっている。しかし、図書館関係者が読むということを想定しているので、頭の中で、仮想の敵と論争をすることになる。その意味では、小説を書くのとほとんどかわりはない。小説のようなスリリングな展開の本にしたいと思っている。
点字図書館は高田馬場にある。新宿で降りて小田急に乗り、下北沢から歩いて帰る。北沢川添いの桜並木を確認したかった。「何となく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山」これは「夢将軍頼朝」に出てくる西行の歌である。桜を歌っているのに「桜」とか「花」という言葉が出てこないところがしぶい。で、北沢川をずっと歩いたが、アンコ屋公園にある例年フライングする桜が満開だった他は、すべてツボミのままであった。「アンコ屋公園」というのは正式名称ではない。わたしと妻との間だけに通じる名称である。昔、そこにアンコ屋があって、その跡地が公園になっているのだ。淡島の小田急バスの事務所の裏手である、小さな名もない公園である。ちなみにすぐそばに「ソース屋」もあるので、ウスターソースの匂いがそこはかとなく漂ってくる。

03/28
中村くんと飲む。バジリコ出版という正体の知れぬ出版社に入って3カ月。とにかく働いているようだ。そのうち一緒に仕事をしたい。北沢川添いに歩く。昨日はアンコ屋公園の一本だけしか咲いていなかったが、一日のうちに他の木も開花した。なかなかの夜桜である。下北沢の面白い店で飲んだ。少し飲み過ぎた。帰ってニュースを見ると巨人の開幕戦は負け。サッカーは引き分け。

03/29
東京駅へ義父母を迎えに行く。巨人、ようやく一勝。

03/30
横浜のパシフィコ横浜というところで、何かわけのわからない催しがあり、そこに姪がいるというので、妻の両親をつれていく。昨日、「わたしの十牛図」の初校、届いた。最初から読んでいると、なかなかいい本だという気がする。時折、感動的なことが書いてある。ドラマチックな昂奮がある。書いている本人が一人で喜んでどうするのだという気はするが、まあ、ダメなものを書いたと思うよりはいいだろう。できればこの本と、「小説維摩経」の両方を読んでほしい。

03/31
「わたしの十牛図」の校正は、本日の明け方に終了。2日間でチェックできた。あまり大きな直しがなかったせいもあるが、中味が面白かったので楽しく読めた。


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