「維摩経/十牛図」創作ノート1

2002年10月〜

10月11月12月2003年1月2月


10/01
10月は新アスカ伝説Cを書く予定だったが、急遽、予定を変更することにした。実情をいえば@〜Bの売り上げが予定に達しないためCの発行がペンディングになったためで、読者の支持が得られなかったのは残念だが、作品を書き続ける意欲はあるので、形を変えて「息長姫」を書く準備を進める。ということで、「息長姫」の執筆は少し先に延ばす。以前から懸案だった仏教関連の仕事をこの期間に片づけてしまいたい。テーマは「維摩経」と「十牛図」。これはもちろん別々の本で出版社も違うが、頭が仏教で満たされている状態で2冊を書ききってしまうのは効率的だ。どちらが先に完成するという目標は定めずに、2冊同時進行で、アイデアが出た方を先に書くか。
「維摩経」は解説書ではなく、「維摩経」そのものを語りきってしまいたい。口語訳、というようなものでもない。「維摩経」の真髄をストレートに語るということで、核心となる山場は逐語訳のようなかたちで読者に伝え、途中のやや退屈する部分は簡略なアラスジで圧縮し、必要な部分には解説めいた文章を加える。要はこの1冊を読んだ読者が、「維摩経」を読み、わかったような気分になるということだ。そういう気分になっていただけば、読者の満足が得られると思う。どこがオリジナルのテキストでどこが三田誠広が追加した部分かわからないような、原文と解釈と創作とかアマルガムのようになったものを目指したい。
「十牛図」はテキストが絵なので、この十枚の絵を挿し絵というか、章の扉の絵のように用いながら、自由に、仏教について、禅について、はたまた人生そのものについて語るつもりだ。単なるエッセーみたいなものだが、この1冊を読めば、「十牛図」について理解でき、仏教そのものが理解でき、人生そのものにも新しい指針が得られるという、ありがたーい本になるはずである。
「維摩経」はテキストに沿って語っていくことになるので、こちらを主として、おりにふれて思いついたことを「十牛図」の方に書き込むというようなことで、同時並行的に2冊の作品に取り組みたい。

10/05
土浦で花火を見る。次男が土浦に住んでいるので何となく親しみを覚えて行ってみることにした。べつに次男の顔を見るわけではないが、妻がケータイメールで、花火を見る穴場スポットはないかと尋ねると、「河原へ行け」という短いお答え。駅前からピストン輸送のバスが出ていて、大群衆に埋まった河原に着いた。量的にもふつうの花火大会を圧倒するものであったが、創作花火などがあって、見たこともない花火を楽しんだ。しかし土浦は遠い。
さて、昨日、作品社の担当者と三宿で飲んで打ち合わせをした。担当者は大昔の『文芸』の編集者でこちらのデビューの頃から知っている。ずっと前に飲んだ席で「維摩経」について書くと約束はしていたのだが、細かいコンセプトについては、何も頭に入っていなかった。こちらはコンパクトな口語訳のようなものを考えていたのだが、担当者は「小説にしてほしい」とのこと。これは少し緊張度の違う仕事だ。口語訳なら一ヶ月もあればできると思っていたのだが、小説だと三ヶ月はかかるし、「十牛図」と並行してやるのは難しい。ということで、当面、「維摩経」に集中することにした。もちろん、行き詰まれば、時々「十牛図」についても考えてみたい。
リュウの不在が、じわじわと効いてくる。真夜中にワープロを叩いていて、ふと足元に犬がいないことに気づく。いまでも、気配のようなものを感じているし、甘えるような声や息づかいが幻聴として聞こえることもある。だから犬がいるような気がしているのだが、何かの拍子に、もう犬はいないのだと気づく。そういう瞬間、胸の奥がキリリと痛む。いつまでこの状態が続くのだろうと思う。

10/09
小説「維摩経」を少しずつ書いている。当初は「維摩経」の口語訳をよりリアルに書く、という程度のことしか考えていなかったのだが、読者に時代状況を伝えるためには、少し動きがあった方がいい。そこで小乗の「仏伝」に類するものから、釈迦の晩年を描いたもの、例えば「涅槃経」のようなものを素材に、釈迦の最後の旅について書こうと思う。すると戦好きのアジャータシャトル王がビルマ系の小国と戦争を始めようとしているとか、教団を率いる迦葉が権威主義的であるとか、晩年の釈迦の悩みが具体的に見えてくるだろう。迦葉の権威主義はやがて上座部仏教の保守化を生み、五百年後の大乗仏教という宗教改革を生み出すわけだが、そうした雰囲気を迦葉を通じて描いておきたい。すると、大乗仏教の経典である「維摩経」の意味も読者の前に、雰囲気として見せることができるだろう。
本日は、『論座』に出す22枚の論文にかかりきりになっていた。これは図書館と著作権の問題で、文芸家協会の常務理事(知的所有権委員長)としての仕事である。こういういわば公用によって自分の仕事がストップするのは残念なような気もするが、これも世のため人のための仕事だ。明後日は『法学セミナー』の対談がある。これも一種の公用。著作権や言論表現の自由と法律の関係を論じることになる。やれやれ。早く仏教に戻りたい。その後は、公用がしばらくお休みになるので、「維摩経」に集中できる。
宮内勝典氏からメールが来た。本の書評をした御礼だが、早稲田大学客員教授の仕事を宮内さんにバトンタッチしたので、まあ、大変だろうと日頃から気にかけていた。大学教授の仕事も一種の公用で、執筆の時間が減ることは確かだが、月給をくれるからお金を稼ぐための雑用からは解放される。本を出さなくても生きていけるという点ではじっくりと仕事ができるが、それで安心して本を出さないでいると、読者からも編集者からも忘れられてしまう。そこが怖いところだ。筆一本の緊張感を忘れてしまうと、パワーが出なくなるということもある。だが、筆一本というのはスリル満点だ。次々と本を出していかないと生活ができなくなる。まあ、愛犬が亡くなったことでもあり、「維摩経」は供養のためにもぜひ書きたい仕事だ。

10/11
本日、わたしは午前中は対談の仕事があり、午後は文化庁の会議があって一日、留守だった。その間に妻は、わたしが仕事をするリビングルームのカーペットを拭き掃除したらしい。すると、汚れがわきあがってきて、かえって臭いがひどくなったが、妻の言によると、「リュウちゃんの元気な時のにおいがした」とのことである。最後の2ケ月はリュウは寝たきりだったので、犬の臭いとは別の、病気の臭いを発散させていた。わたしもカーペットに寝ころんで、愛犬のにおいを確認した。懐かしく、悲しかった。本日、午前中は言論表現の自由について論じ、午後は図書館問題について論じ、さらに夜『論座』の原稿を仕上げた。理屈ばかり放っていると、感性が枯渇する感じがする。明日からは小説に専念できる。

10/13
文化庁の会議や対談の仕事が一段落したので、昨日、浜名湖の仕事場に移動した。三宿にいると夜型の生活だが、三ヶ日に来ると朝型になる。犬がいて早朝の散歩をせがむからだ。だが今度は、犬はいない。リュウはお骨になって車のリアシートに乗っていた。部屋の隅に骨壺を安置した。いつもなら、リュウの足音や、息づかいや、寝息が、部屋のどこかに気配として発散されているのに、いまは静かだ。だがこの仕事場には、リュウの想い出が満ちている。
早朝、ひとりでに目がさめてしまう。リュウの足音が聞こえたような気がした。仕方なく、一人で散歩に出る。昨日、着いた時は、部屋が締め切りになっていたので、ひどく暑かったのだが、早朝は寒い。真冬に着るブルゾンでちょうどいいくらいだ。外に出ると手が冷たい。思わずポケットに手を入れると、リュウのウンコを処理するための紙やビニール袋が手に触れた。それだけで胸が痛む。いつもの散歩コースを、一人で歩く。某有名作家の自宅の裏の公園を抜けていく。地面のにおいを嗅ぎながら歩き回る犬の姿が見えるようだ。
湖に出る。昔、リュウはこの湖で泳ぐのが好きだった。波打ち際でリードをはずしてやると、まっすぐに沖に向かって泳いでいく。リュウの黒い後頭部が豆粒のように小さくなる。このまま戻って来ないのではと不安になった頃に、黒い豆粒の感じが、ふと変わった感じになる。目を凝らすと、黒い後頭部ではなく、顔がこちらに向いている。シベリアンハスキー独特の、あの歌舞伎の隈取りのような顔が、しだいにこちらに近づいてくる。その水面に顔だけがのぞけた光景が、いまもありありと浮かんでくる。
さて、仕事だ。実は時差ボケ状態で、まだ暗いうちに起きてしまったので、散歩に出かける前にワープロを打ってみると、どんどんと書けた。「維摩」。まず釈迦がアジャータシャトル王に別れを告げ、それから韋提希夫人のところに行く。韋提希夫人は、先の王ビンビサーラの皇后で、アジャータシャトル王の母だ。わが子がクーデターを起こして夫を殺害するという悲劇に遭遇して、生きる希望を無くしたところを、釈迦によって救われる。その時、釈迦が説いたのが、「観無量寿経」だといわれている。つまり阿弥陀仏の西方極楽浄土の物語だ。いずれ「阿弥陀経」関連の作品も書きたいと思っているのだが、今回は「維摩経」なので深入りはしない。ただちらりと、浄土については示唆しておきたい。
前置きが長くなる感じがするが、大乗仏教がなぜ興ったのかということを、これらのエピソードで暗示しなければならない。そのため、アジャータシャトルに仏教批判をさせる。当時の初期仏教への批判はすなわち、小乗仏教批判である。釈迦の直弟子たちの保守性、権威主義も示しておきたい。そういう否定的な要素を示した上で、維摩を登場させる。本来は歴史を語り、解説すべきところを、さりげなく小説的な展開で示すという難しいことをやろうとしている。セリフが説明的にならないように、自然に展開しなければならない。
近鉄のチラシの原稿の校正。今回が2回目。伊勢の斎王について3回書いてくれということで、1回目がヤマト姫。今回の2回目が大伯皇女、次回の最終回は井上内親王ということにした。わたしの作品でいえば、ヤマト姫は「活目王」と「倭建」に登場する。大伯皇女は「炎の女帝/持統天皇」、井上内親王は「天翔ける女帝/孝謙天皇」だ。本の宣伝になるので、こういう仕事はありがたい。
本日は軽くドライブした。オレンジロードという新しい道ができたので、奥山方広寺まで行ってみた。日曜日のドライブ日和だが、車はまったく走っていない。広域農道なので地図にも出ていないはずだ。それでも知る人は知っているようで、オープンカーばかりのラリーの一団とすれちがった。それと、時々、サーキットのつもりになっている二輪車が追い越していく。奥山方広寺は、仕事場ができた二十年前に一度行ったきりだった。五百羅漢といわける石仏が有名なのだが、その石仏が増えていた。いかにもドリルで作ったといった美しい石像がずらりと並んでいるので興ざめだ。
いい天気で、早朝は寒かったが、昼間は暑くもなく寒くもない。こういう天気がずっと続いてくれればいいのだが、そういうわけにもいかないだろう。「維摩」が完成するころには、真冬になっているはずだ。そのころには、犬がいない寂しさから解放されているだろうか。夜のテレビ番組で、デブのハスキーを減量させるという企画をやっていた。笑いながら、涙かこぼれた。

10/17
まだ三ヶ日にいる。一昨日は庭に大きな穴を掘ってリュウノスケのお骨を埋葬した。何か木を植えたいと考えているが、とりあえずは庭のレモンの枝を払ったのをさして目印とした。カキを収穫。他に柚、キウィ、ブンタンなどが実っている。この家を建ててくれた大工さんからミカンを貰った。三ヶ日はミカンの産地である。それもふつうのミカンより高価なブランド品である。農協の指導で厳しく摘花するので品質が安定している。車で走ると農家の家の前に、一袋百円の規格外品が置いてある。店番はいない。貯金箱に百円玉を入れて貰ってくる。まだ早生の品種なので、本物の三ヶ日ミカンではない。
三ヶ日へ来て、短いエッセー一本。法務省関連の文芸コンクールの先行で小説、随筆、各20編ずつ読んだ。その他は「維摩」に集中している。第一章、完了。
第一章は導入部である。ラージャグリハにいる釈迦が最後の旅に出発するまでの経緯を示す。アジャータシャトルと母のヴェーデヒー夫人が登場する。その過程で、のちの小乗仏教につらなる初期仏教教団の批判をする。そうした批判の上で、大乗仏教の経典である維摩の教えが語られることになるので、この批判は重要であるが、理屈っぽくなってしまっては読者がついてこないから、ものすごくコンパクトに語って、先へ進む。
テキストの「維摩経」は、時代設定はとくにない。釈迦が登場して教えを説くので、釈迦が在世中のいつかではあるはずだが。「法華経」の場合は、釈迦の最後の教えという設定があるから、釈迦は八十歳である。今回の維摩の教えも、釈迦の最後の旅という設定にした。釈迦は何度もマガダ国の竹林精舎ととコーサラ国の祇園精舎の間を往復しているから、途中にあるヴァイシャーリー市にも立ち寄っているはずだが、入滅直前の最後の旅でヴァイシャーリー市を訪れたことは確実なので、ここに時代を設定した。その直後に釈迦はクシナーガラで入滅している。
時代を限定したことで、一つ困難が生じた。釈迦十大弟子のうち、少なくとも舎利弗と目連は、釈迦に先立って亡くなっている。なぜかといえば、釈迦が入滅した後、仏教教団のリーダーになるのは、ナンバー3の摩訶迦葉だからだ。二大弟子の二人が生きていれば、そういうことはありえない。しかし「維摩経」には舎利弗も目連も登場する。つまり二人が幽霊になって出てこないといけない。しかしもともと大乗仏典には、多くの菩薩が登場する。釈迦の晩年のリアルな状況設定から、菩薩という空想のキャラクターへ移行するためには、それなりの仕掛けが必要である。ハリー・ポッターが駅の分数のホームから出発するような、リアルな世界からファンタジーの物語空間へ移行する通過儀礼のようなものが必要である。
今回はヴァイシャーリー市の郊外のマンゴー園がその場所になる。アームラパーリーという娼婦が寄進したと伝えられるこの園地が、幻想の世界への入口となる。そのあたりをいかに演出するかが、この作品の成否のカギとなるだろう。これからの一週間が山場となる。ここさえ乗り切ってしまえば、あとはテキストの面白いところだけを口語訳していけばいいということになる。明日は三宿に帰るが、リュウがいないので、少し山道をドライブしたい。リュウがいると、高速道路で最短距離をたどるしかなかった。ある意味で、自由になったということはできる。気が向けばどこかで一泊してもいいわけだ。もっとも今回は、土曜日にコーラスの練習があるので、明日中に三宿に帰ることになる。

10/18
犬がいると、仕事場と自宅への往復は最短のコースを辿るしかなかった。しかし犬かいなくなれば、時間がかかってもかまわないので、本日の三ヶ日・三宿の移動は、遠回りをすることにした。で、三ヶ日インターから高速に乗らずに、国道362を東へ進むことにした。この国道は仕事場のすぐ近くを走っている。三ヶ日から細江にかけては細江のヤオハンへの生活道路として使っている。その先の天竜までは、時々通っていた。天竜川の支流の阿多古川に水浴に行くことがあったからだ。
で、天竜から先は未知の領域である。久しぶりに自分で運転した。東京では運転しないことにしている。神経が疲れるからだ。三ヶ日では交通量が少ないので時々ハンドルを握らせてもらう。で、寸又峡の近くまで行って、静岡に出た。三ヶ日は国道362の西の端に近いので、このルートのほぼ全域を走破したことになるが、結論を言えば、疲れ果てた。これが国道かと思うような細いワインディングロードで、対向車がめったにこないからいいようなものの、時々来るので、神経が疲れた。ハンドルを回しっぱなしなので手も疲れた。静岡の市街地に入る前に妻と運転を替わった。混んだ道路は苦手である。
しかし寸又峡の手前で蒸気機関車が走っているのを見た。テレビではよく見るが実際に蒸気機関車が走っているのを見たのはいつ以来のことか。もちろん生まれて初めてというわけではない。子供の頃は蒸気機関車は当たり前に走っていた。近くの踏切に祖父に連れられて汽車を見に行くのが日常だったし、中学の臨海学舎で和歌山の白浜に行った時はまだ汽車だった。しかし、とにかく記憶にもない長い間、汽車を見ていないように思う。汽車が走っているのは、何となく、犬が走っているのを見るくらいに心温まるものだ。犬が走るのは珍しくないが、犬が二ヶ月寝たきりで亡くなった直後なので、犬を見る度に、あ、犬が走っている、と感動してしまう。
帰って「維摩」について考えたが、テキストにとらわれてはいけない、ということを痛切に思った。わかりやすく書くためには、セリフなどもまったく新しく作り直す必要がある。するとほとんど完全な創作になってしまう。疲れるが、創作意欲はわいてくる。

10/20
昨日で細かい依頼原稿の類がすべて片づいた。今週は会議もないので仕事に集中できる。「維摩」はヴァイシャーリーの郊外のマンゴー園の場面が続いている。この園地を寄進したアームラパーリーは娼婦である。イエス・キリストの側近として、復活したイエスの最初の目撃者となるマグダラのマリアも娼婦であったと考えられている。マグダラには鉱泉が湧き出ていて、ローマ軍士官たちの保養地だったからだ。アームラパーリーは自らも娼婦だが、娼館を営み、大資産家であった。広大なマンゴー園を仏教教団に寄進している。
せっかく娼婦が出てくるのだから、何かやりとりが欲しいと思っているうちに、アームラパーリーと釈迦が菩薩についてのやりとりを始めた。やりとりを始めた、というと他人事みたいだが、こういうところは勝手に筆が動いていく。大乗仏典を小説にするための難関の一つが、「菩薩」という概念である。すでに大乗仏教が興った時点では、釈迦の周囲に菩薩がいるのは当たり前なのだが、現実の釈迦と初期仏教教団をある程度リアルに描いていくと、菩薩が出てくるのは不自然である。菩薩は、リアルな存在ではない。
そこで、菩薩とは何かということを、ある程度、説明しておかないといけない。説明なしに菩薩が出てきてしまうと、宇宙人の出現みたいなことになってしまう。なぜなら、菩薩は不意に現れたり、空中を飛んだりするからだ。「維摩経」には大勢の菩薩が登場するけれども、メジャーな菩薩は文殊と弥勒だけだ。弥勒は未来仏で現在修行中の身であるから、仏陀並のパワーをもった大乗仏教的な菩薩は文殊だけということになる。この文殊菩薩の存在をどう説明するかが難しい。
で、アームラパーリーとの会話の中で、釈迦が「あなたは菩薩だ」という言い方をする。これは大乗仏教の出発点となった「菩薩団」という宗教運動を進めた人々の考え方でもある。つまり修行をしている者はすべて菩薩であるという考え方だ。これは小乗仏教の閉鎖的な教団に対する、在家信者たちの異議申し立ての運動といっていいだろう。この「菩薩団」の運動が興ったのがヴァイシャーリー市なので、ここで娼婦と釈迦が菩薩について語るというのは、それほど不自然ではないだろう。
「維摩経」の前半の山場は、維摩の病気見舞いに誰も行かないというくだりがある。十大弟子と四菩薩が、それぞれに維摩は苦手であると表白することで、少しずつ維摩という人物の全貌が明らかになっていく。戯曲的な構成が効果を発揮する場面であるのだが、十大弟子のうち釈迦の最後の旅の時点では二人が死んでいるというという問題と、菩薩の問題、これを解決しないといけない。
二大弟子は幽霊として出るしかない。そこについでに菩薩も何人か出てくる、ということにした。鹿も出した方がいいか。ウグイスが飛んだ方がいいのか。最後には龍やガルーダも出てくることになる。それが大乗的な世界である。これをリアルに書くのは至難の業だ。

10/25
昨日、祥伝社の担当者と会った。ミステリーについて。場所の設定を軽井沢にしていたのだが、ミステリーの舞台として軽井沢は使われ過ぎているので、別の場所にしてほしいとのこと。それで白樺湖にすると答えておいたのだが、帰ってメールを見ると、担当者から「白樺湖も使われているので、とりあえず蓼科高原ということにしてくれ」という連絡が入っていた。バスが峠から下っていくと、白樺湖が見える、といったイメージを考えていたのだが、それも使えなくなった。まあ、ストーリーに影響するわけではない。
物語は別荘地の地下室で起こる密室の連続殺人なので、場所はどうでもいいのだ。ただ旧軽井沢を主人公が歩いていくシーンがあったので、ここは削る。蓼科高原では、駅から歩いていくこともできないので、バスに乗ることにするが、これでは行ったことのない場所にスムーズに行けるかどうか疑問になってくる。そこで初稿では最後に登場する女性マネージャーを、少し早めに出して、車で迎えに来るということにしてはどうか。茅野駅まで迎えに来るのは大変だから、バスの終点のロープウェイの駅で待ち合わせることにした。
蓼科は「ペトロスの青い影」という作品でも使った。友人の別荘がある。作品ではペトロスという名称になっているが、蓼科にあるのは日本ピラタスという山である。本当の名前は横岳という、主峰の蓼科山の横にある山なのだが、そこにロープウェイがあって、ピラタスなどという名前を観光業者がつけたのだろう。本物のアルプスは確かオーストリアかスイスにある。観光ツアーでスイスに行った時に、パスの窓から見た記憶がある。
他の二人の作品はどんなものかと担当者に聞くと、それは言わないことにするという返事だった。本日はその二人、岳真也、笹倉明の両氏と鼎談する。岳さん主宰の「21世紀文学」という同人誌の企画。この同人誌は10年前くらいに、それまであった「えん」という雑誌を改名したものだが、その時は、21世紀が本当に来るとは考えていなかった。もはや「21世紀」は未来ではなくなったのだが、雑誌はそのまま続いている。ここに鼎談を連載していて、すでに「大鼎談」という本になっている。
今回は三人でミステリーの競作をすることになった経緯などを語った。ミステリーなので作品の内容について詳しい話をすることができなかったので、雑談めいたものになった。終わったあと、軽く飲んだ。笹倉氏はご子息が全豪オープンに出場することになったと喜んでいた。まだ高校生で、ゴルフ留学させているのだ。そういえばわが長男が昔、シドニーの国際コンクールに出場したことがあった。これは予選がパリであって、そこで合格したので、旅費や滞在費はタダだった。岳氏は長男が医学部を目指しているといった話をし、わたしは孫の自慢をした。子供や孫の自慢をしてどうするんだ。文学の話は全然しない。
「維摩」はちょうど第二章を終わったところなので、ミステリーの修正に入る。別荘へ行くシーンを書き換えるだけだが、ついでに原稿を渡したあとで気づいたことなどを訂正する。会話の中だけにしか出てこなかった刑事について、人物描写を入れるために、回想シーンを一つ書く。あと20枚程度の余裕があるとのこと。何しろ400円文庫だから、枚数制限がある。切りつめて書いたので、少しずつ描写が不足している。風景描写なども増やしたい。無駄な部分があった方が、読者がゆったりした気分で読める。

10/30
本日、ミステリーの第二稿完了。まあ、これで入稿できるだろう。第一稿は180枚くらい。今回は20枚くらい増量した。400円文庫としては、限度いっぱいの枚数となった。書き足したのは、まず主人公がバスで山の中に入っていく描写。第一稿は旧軽井沢だったので、新幹線の駅から歩いていけたが、設定を蓼科高原に変えたので、駅から歩くのは無理。茅野からバスに乗り、終点に女性マネージャーが車で迎えに来るということにした。この女性マネージャーの登場シーンが早まることになるけれども、早い段階で登場人物のすべてが出揃うことになるので、状況設定としては合理的になった。
あとは登場人物のキャラクターや外観の描写を少しずつ厚くしていった。あまりやりすぎるとストーリーの流れがわるくなるのだが、流れをそがない程度に、数行、書き加えた。もう一つの大きな書き足しは、最後の殺人の場面。盛り上がりが少なかったので、ここに枚数を投入した。犯人がわかってしまってから、話が続くと、間延びがしてしまうのだが、エンディングの直前に一山おくのもいいだろう。とにかくこれで、ようやくミステリーから手が離れた。

10/31
フリーエディターのT氏と三宿で飲む。来年の仕事のことなど。現在、「維摩経」「十牛図」「団塊老人」という三つのテーマについて、同時並行的に考えているのだが、作家というのはフリーターみたいなものだから、現在の仕事が終わったあとの仕事についても、段取りを作っておかないといけない。こちらからは、紫式部について書きたいと提案したのだが、向こうからは親鸞について書けという提案があって、うーん、と考えて込んでしまった。いま「維摩経」をやっているので、仏教はやりたくないのだが、王朝ロマンに対する需要がないのであれば、まあ、仕方がない。


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