「宇宙論」創作ノート1

2012年02月

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02/01/水
2月になった。本日は雑誌の取材があるだけ。『悪霊』の読み返しの作業を続ける。本日から2月のノートになったので、タイトルを変えた。「宇宙論」ということにしたのだが、すぐに「宇宙論」をやるわけではない。いずれ「宇宙論」を書くことになるが、ずっと先になる。とりあえずは「自分史」。それから児童文学「太陽の王子」または「全共闘論」。それから「宇宙論」という段取りになる。並行して「新釈カラマーゾフ」についての構想を練る。さまざまなことを同時並行的になることになる。これをひっくるめて「宇宙論」ということにしておく。これは重要な仕事だと考えている。一番重要な仕事かもしれない。わたしは物理学者でも天文学者でもない。巷の哲学者だと考えている。こういういわば素人が宇宙論を展開することに意味がある。まったく数式を用いずに宇宙について考察する。これが宇宙であり、わたしたちはその中で生きている。人間の生命とは何か。自我とは何かといったことも考察するつもりだ。結局のところ、一種の存在論であり、哲学書になると思われる。現時点でのわたしの考察のすべてを、新書版という短いスペースに結集したい。しかしまずとりかかるのは「自分史」だ。わたしの「自分史」を書くわけではない。新しい自分史の提案をする。こんなふうに自分史を書いたらどうだろうという、一種のマニュアルになるかもしれない。同時代の読者、これから自分史を書こうとしている人々へのヒントになればいいと思っている。

02/02/木
大学。木曜日の最終授業。ということはこれで今年度の授業が終わった。2限の文学史の授業は出席をとらないと言っておいた。それでも十数人の学生が話を聞きに来てくれた。ありがたいこと。今日はいちばんいい話ができた気がする。昼休みのあとのアキ時間に広報部のインタビュー。サイトの受験生用のページに出すらしい。小説の書き方を教えている大学はそれほど多くはないが、武蔵野大学はまだそれほど認知されていないので広報活動が必要だ。あとの2コマは質問のある人だけ研究室に来るようにと言ってあったが、作品の受け取りなど、昼休みに来た学生があっただけ。それで今年度が終わった。『悪霊』の最後の読み返しはまだ続いている。第2部の終わりのところはプリントを読んでいるのだが、あと少し。並行して第3部をパソコン上で読み進んでいる。大きな直しはないのだが、少しずつ修正している。こればゲラではほとんど直しがないことを期待しているのだが。

02/03/金
外字異体字委員会。凸版印刷は遠い。ここに通うようになって一年になるが、来る度に思う。今回が最終回。とにかく報告書がまとまる。報告書が出ただけで、実用にはまだ距離があるが、日本語の電子書籍が普及するためには、ここを乗り越えて先に進まなければならない。そのための貴重な第一歩を踏み出せたと思う。新橋のルノワールで仕事。第二部のプリントのチェックを終える。感動して涙がほろり。喫茶店で密かに泣いている作家。しかも自分の書いたものを読んで泣いているのだ。時間が来たので著団協の新年会へ。毎年の恒例行事。少し前から妻がくれた万歩計をつけているのだが、大学の出講日でも7000歩を越えない。本日は一万歩を越えた。やっぱり凸版印刷は遠かった。

02/04/土
週末。『悪霊』の最後の追い込み。いまは第四部に入っている。ただ読むだけの作業。後半に入ってほとんど直しはなくなった。前半は手探りで書いていたのに対し、後半は原典があるので、ぶれずに話が進行している。もう、軽く流す感じでゴールに向かっている。

02/05/日
日曜日。ひたすら仕事。ついに『新釈悪霊』完成。プリントをチェックして赤字を入れたものに入力して、ふつうはそれで担当編集者に送るのだが、長い作品なのでもう一度最初から読み返してみた。すると台詞の言葉使いなどで揺れがあることがわかった。無駄も少し削ったが、書き足したところもある。本日、ようやく完了。今度は画面上で確認しながら進めたので、最後の「あとがき」を読み終えた段階で、即完成ということになる。ただちにメールに貼り付けて送る。担当編集者には第一部のプリントを渡してあるので、まだ読み終えていないだろう。第一部だけでも600枚くらいある。

02/06/月
月曜日は大学の出講日だが授業は終わっている。しかし学科会があるので大学に行かねばならないのだが、午前中はスーパーボウルを見る。始まった途端にセイフティーで2点選手。タッチダウンも決まっていきなり9点リードとなったのだが、ゴールとタッチダウンを決められて1点差負けでハーフタイム。さらに後半の最初にブレイディーのパスが決まりだして、一時は8点差をつけられてしまった。このままずるずる負けるのかと思ったら、ディフェンスラインの奮起でブレイディーにプレッシャーがかけられるようになり、ゴールを2つ返して2点差のまま2ミニッツ。マニングの的確なパスでフィールドゴール圏内に入って、あとは時間をつぶすだけ。5秒前にゴールが決まって1点差勝ちというシナリオが見えていたのだが、突進したブラッドショーがゴールラインの前で立ち止まろうとしたものの、反転したまま尻餅をついてしまった。逆転のタッチダウンにしては何ともさえない、カタルシスのない逆転。というのも、その尻餅で1分ほど時間を残してしまった。それだけ時間があればブレイディーなら充分に逆転の可能性があったのだが、ディフェンスががんばって、最後はヘイルメアリーパス。このパスをどちらが取るかで勝敗が決まるという、まさに運試しの局面になった。わたしはここまで来ればどちらが勝ってもいいという心境だったが、ボールが地面に落ちて、ジャイアンツの勝利。ああ、疲れた。終了1分前までリードされているという展開だったので、重苦しい時間が長く、肩が凝った。とにかく勝った。思い起こすのはレギュラーシーズンのカウボーイズ戦の2試合。とくに1試合目の奇蹟の逆転劇が記憶に残っている。といっても大学の研究室でネットの情報を見ていただけなのだが。1分に1度更新する情報画面をくいいるように見つめていた。しかもたまたま研究室にいた、ルールをまったく理解しない学生に解説しながら、動かない画面を見つめ続けていたのだった。人生の中の記憶に残る1コマ。
夜中、民放のスーパーボウルの番組を見る。確かに逆転のタッチダウンの時、ペイトリオッツはまったく防御をしていない。早くタッチダウンさせて1分間の時間を残そうという作戦なのだ。ボールを持って走ったブラッドショーもそのことに気づいて、ラインの直前で止まろうとして体を反転させたのだが、勢いが止まらず尻餅をついてしまった。両方とも考えすぎで、何ともカタルシスのない結末になってしまった。ブレイディーのヘイルメアリーが決まった方が感動的だったかもしれない。しかしとにかく、ジャイアンツは勝った。まあ、よかった。第一部を読んだ担当編集者からメールが届いていた。第一部を読んだだけだが絶賛に近い。しかし第二部はもっと面白いぞ。第三、第四は原典があるので、そこが面白いのはドストエフスキーの功績だが、第一部と第二部はわたしのオリジナルだ。こんなものを9ヵ月で書いた。すごいことだ。

02/07/火
今週はヒマ。だが大学の仕事が少し残っている。授業はないのでしばらく自宅作業をする。給料をもらっているので、こういう仕事もこなさなければならない。

02/08/水
自宅で大学の仕事をしている。ようやく片付いたので、「自分史」のプロローグに取り組む。これは頭の中にはコンセプトができているので、それに沿って語っていけばいい。語る速さで書けるはずだと考えているが、まあ、そういうわけにもいかないだろう。同世代の人々に向けて語りかけたい。

02/09/木
自宅に引きこもり。大長篇を脱稿した虚脱感。スーパーボウルが終わったせいか。突然、楽しみがなくなった。宇宙論のことでも考えることにするかな。

02/10/金
何もないが大学へ行ってみる。何やかやと雑用があり、作業をして帰る。電車の中や歩きながら、児童文学について考える。《自分史》も少し進む。

02/11/土
祝日。ひたすら自宅で仕事。

02/12/日
日曜日。ひたすら自宅で仕事。いま何をなすべきかよくわからないが、『悪霊』を書き終えてから一週間、少し気持が落ち込んでいた。憑依していたドストエフスキーの霊が去っていった感じがする。ほぼ同じ時にスーパーボウルが終わったことも、相乗作用で燃え尽き症候群をもたらしたのかもしれない。金曜日の夜中、スーパーボウルの再放送を見ながら、静かに、一つの区切りがついたことを感じていた。気持をきりかえて次に進みたい。本日、下北沢の本屋で『カラマーゾフ』の文庫本を買う。たぶん自宅には河出版の全集と、新潮社の世界文学全集があるのだが、仕事で持ち歩いたり赤線を引いたりするので、とりあえずこの文庫本を作業に用いる。だがすぐに作業を始めるわけではない。当面の雑用が片付いてから、まず原典を最初から読み返し、構想を練る。『悪霊』の場合は前史を書くということなので作業は複雑だった。原典の中に挿入された過去のエピソードを時間軸に沿って並べ直し、断片的な過去の場面の背後にある実体を推察し、有機的につなげていく。この作業は根気の要る仕事だと覚悟を固めていたのだが、実際にやってみると、ドストエフスキーの霊が降りてきて、お筆先のように指が動いて物語が展開していった。『カラマーゾフ』の場合は後篇を書くということなので、まずはふつうに読んで、後篇にも登場しそうな人物にチェックを入れていくという作業になるだろう。が、いまは児童文学と《自分史》に集中したい。ノートのタイトルに「宇宙論」とつけたので、宇宙論についてはおりにふれて考えていくことになるだろう。

02/13/月
大学。学生の文集の編集を担当しているで、集まってくるデータを整理している。新入生の春休みの宿題も入れることにしている。これは手書きの原稿だ。このまま入稿すると校正が大変なので自分で打ち込みをする。自分でやってよかった。国木田独歩の引用で原稿の漢字に間違いがあった。これは印刷所では対応できない。

02/14/火
『清盛』(PHP文芸文庫)は増刷になった。新しいコシマキもついて店頭に並んでいるはずだ。これの直後に『夢将軍頼朝』というのも出した。十年前のことだ。清盛も頼朝も人気のない人物だ。それを承知で本を書いたのだが、まったく売れなかった。だが今年はNHKが大河ドラマで清盛をとりあげたので、にわかに文庫本が出ることになった。テレビでは頼朝がナレーターをやっている。出番は夏頃になるとのことで、『頼朝』も出す準備をしている。すでにゲラが出ているのだが、まだ時間があるので放っておいた。だが、いつからやらないといけない仕事なので、今日、送られたまま封も切っていない封筒を開いたみた。二月末締切などと書いてある。まあ、まだ時間はある。読み始めてみると、とても面白い。『清盛』より格段に文章がうまくなっている。文覚や西行などの脇役がいきいきと動いている。ここに出ている西行が面白かったので、のちに『西行月に恋する』と『阿修羅の西行』を書いた。『頼朝』に出てくる西行のことは忘れていたのだが、この西行も充分に魅力的だ。
『頼朝』の校正をする気になったのは、名刺を刷るためにパソコンを稼働させなければならなかったからだ。いよいよ名刺がなくなった。プリント用に使っていたデスクトップの挙動が怪しいので、仕事用のラップトップですべての作業をしなければならない。そもそも名刺を自分で作るようになったのは2年くらい前からで、いつも頼んでいた文房具店が名刺の扱いをやらなくなった。考えてみれば名刺は自分で作れるのだ。それで文房具屋に客が来なくなったのだろう。仕方がないので自分でやってみることにした。とりあえず名刺用の紙を買うと、包み紙に書いてあるサイトにアクセスするとソフトをダウンロードできる。年賀状のソフトと同じように、簡単に名刺ができる。しかもフルカラーだし、裏にも印刷できる。昨年の4月に、それまで客員教授だったのが、ただの教授になった。その時にプリントしたのが、一年もった。今回も150枚刷ってみたが、これで半年はもつか。著作権の仕事をしているので名刺交換する機会が多い。名刺はどんどんなくなっていく。パソコンで作った名刺は印刷屋に頼んだものに比べれば書体が甘い。文字間が不揃いになる。しかし4色使えるので便利だ。プリントさせながらゲラを見ているうちに、勢いがついた。『頼朝』は10年前に書いた作品だが、素晴らしい作品だ。何よりも頼朝のキャラクターがいい。脇役の文覚、西行、後白河などのキャラもいいし、意外と梶原景時とか、北条宗時などもいい。時宗の誤植ではない。義時の兄で石橋山の緒戦で頼朝を守って死んでしまう哀しいキャラクターだ。これが文庫本になるのは嬉しい。これってわたしのベストの作品かもしれない。

02/15/水
大学。一般入試の試験監督。この仕事の連絡が2日前の午後に入った。月曜日には大学にいたのだが、昼過ぎにメールを見た段階で、今年は割り当てがないという情報だったのだが、夕方になって割り当ての連絡が届いた。担当者がわたしの自宅のアドレスを知っていたので連絡が届いたのだが、大学のメールを自宅でも閲覧できるようにしないといけないと思った。早稲田では自宅から大学の校内ランに入れたのだが、武蔵野大学では入れない領域がある。早稲田のもっと以前は、大学のメールサーバーから個人アドレスに転送する設定もネットでできた。そういうことが可能なはずだと思っていろいろ試してみたがうまくいかない。誰かに訊こうと思ったがみんな忙しそうなので、自力でがんばることにした。まさかとは思ったが、紙にプリントするファイルを探索すると、「メール転送届け」というのを見つけた。これって昔使っていた書式ではないかと思ったのだが、とりあえずプリントして、手書きでアドレスを書き込み、夕方だったのでキャンパスの端にある担当者の部屋まで走っていって紙を見せたら、ただちに対応してくれた。これでメールは転送されるようになったのだが、何か、釈然としない。ネットの手続きを手書きの紙で出すというのは、何か変。まあ、とにかく、これで緊急連絡も受け取れるようになった。夜中は頼朝。

02/16/木
大学。学科会。今日はこれだけなので夕方に出向いてすぐに帰る。『夢将軍頼朝』のゲラ完了。これで本が出る。今年は『悪霊』に続いて、文庫とはいえ『頼朝』が出るので、2冊は確保された。年に本を5冊出したいと思っているので、これからがんばらないといけない。いま「自分史」「全共闘」「宇宙論」「児童文学」の4つをプランしている。とりあえず「自分史」を書き始めているのだが、その次に何を書くかはまだ確定していない。やれそうなものからやっていけばいいと考えている。小説が一つもないなといま気づいた。並行して「カラマーゾフ」について準備をするつもりで、書けそうな手応えが出てくれば書き始めることなる。手応えがなければ、別の小説のことを考えないといけない。

02/17/金
本日は自宅で仕事。夕方、芥川賞の授賞式を見に行く。綿谷・金原の受賞の時以来かな。あの時は立錐の余地もないほど満員だった。本日はそこまではいかないけれども、かなり混雑していた。『頼朝』の編集者で出会えたので、月曜に届くようにゲラを送ると話す。授賞式のスピーチ、面白かった。選考委員の挨拶から受賞者3人の挨拶までが、ひとつらなりのコントになっていた。即興の妙だ。『自分史』最初から読み返してみる。文章を少し修正すると流れがよくなった。徐々に文体ができつつある。作品ごとに微妙に文体を変えないと雰囲気が出ない。本を書くごとに文体から作り直さないといけない。ドストエフスキーをやっていると9ヵ月間、同じ文体で押し切ることができるので、その意味では楽だ。

02/18/土
本日は休み。《自分史》に取り組む。

02/19/日
コーラスと飲み会。本邦初演の曲に挑んでいる。老人ばかりの男声コーラスだが、若者を助っ人で招いて音に厚みができた。隣で若者が歌っていると、こちらも若い声が出る感じがする。2時間歌いっぱなしでも疲れなかった。

02/20/月
大学で教授会。武蔵野大学では4月から有明の新キャンパスがオープンする。文学部から英文科が分離して、グローバルコミュニケーション学部になる。その他、いくつかの学部が有明に移転する。われわれの文学部は移転しないのだが、移転してアキが出来た校舎に引っ越すことになっている。それで荷物づくり。学生に頼んで箱詰め作業をやってもらう。夜、貸与権センター新年会。著作権関係の団体なので毎年、顔を出すようにしている。今日はあまり自分の仕事ができなかった。こういう日もある。

02/21/火
大学時代の友人と下北沢で飲む。某社の編集者。飲んだあと歩いて帰れるのがいい。

02/22/水
大学。文集の編集をしている。本日は最終の入稿。目次とあとがきなどを入稿。データで入れるのでけっこう打ち込みの作業で時間をとられた。研究室の引っ越しがあって部屋の本を箱詰めしないといけない。学生を雇って入れてもらう。月曜に半分詰めた。学生も作業に慣れたようで、同じ量に見えたのだが、月曜に5時間かかったところを本日は3時間で完了した。終わってから学生の慰労のために近くのファミレスで宴会。

02/23/木
大学の先生の送別会。去年の送別会は震災の当日で延期になった。今年は何事もなく開催された。退職される先生は特任教授なので教授会で顔を合わせることもなく廊下ですれちがう程度だったのだが、二次会で言葉を交わすことができた。これも何かの縁だ。日曜日から連続5日の飲み会がようやく終わった。

02/24/金
衆議院第一議員会館で会議。著作権関係の会議で、議員を交えて、一昨年の三省デジ懇みたいなゆるい会議かと思っていたら、著作権に詳しい人が多く充実した会議になった。本日は三月下旬の陽気だといかで、まさに春が来たような感じだった。また明日から寒くなるようだが、一日だけでもほっとする。今年は寒い日があまりにも多かった。

02/25/土
週末は休み。今週は5日連続の飲み会があって体を酷使した。少し休みたい。《自分史》は2章が終わる。序章+8章で終わりなので、もう3分の1だ。ドストエフスキーが取り憑いていた時は1月で200枚を超えるペースで書いていた。300枚程度の単行本なら、1月半で書かなければならない。《宇宙論》のプロローグ、ですます調で書きかけたのだが、昨日、議員会館からの帰りにふと思いついて、少し厳しい口調で語ろうかなと考えた。タイトルはまだ決めていないのだが、『数式のない宇宙論』というのを仮のタイトルと考えている。数式を一切使わない。それで現代宇宙論が語れるかというと、難しい。しかし難しいことをやった方が面白い。物理学者の書いた宇宙論とはまったく違う宇宙論……哲学や神学に近いような宇宙論を展開したい。するとやはりターレスから語り始めるのだろうと思う。いまやっている《自分史》の次に《宇宙論》を書くのはまだ準備不足なので、次は児童文学かなと思っている。タイトルは『太陽の王子』。これも哲学的な児童文学になるだろう。と書いたのはただの思いつき。子どもをわくわくさせるようなものでなければならない。

02/26/日
寒い日が続く。議員会館へ行った日が少し温かかっただけだ。今年は寒い。それなのに今日は花粉の気配を感じた。目がかゆい。喘息っぽい感じもする。そろそろ来たなという感じだ。この季節は、耐えるしかない。幸い大学は休みだし講演の仕事もないから、漢方薬なのでしのいで乗り切るしかない。

02/27/月
大学。印刷会社との打ち合わせ。文集と紀要の校正などをして、メールをチェックすると、作品社から、入稿するとのメール。長大な作品なので本当に本が出るのかと心配していたのだが、入稿ということで、安心した。校正の入ったゲラが出るのはかなり先だが、仕上げの段階で、プリントのチェックのあと、もう一度、画面上でもチェックしたので、もはやこちらの迷いのようなものはない。校正の入ったところだけを見ていけばいいと思っている。

02/28/火
本日は公用なし。妻と散歩に出る。三宿のバス停まで行って来たバスに乗ることにした。ただし上町とか三宿循環とかの近距離はパス。成城学園行きが来たのだが、いやに混んでいたので見送った。次が田園調布行き。空いていたのだが、次の昭和女子大で小学生が大量に乗り込んできた満員になった。この子たちは毎日バスで通学しているようだ。われわれは自由が丘で降りて、久品仏川緑道を緑が丘まで歩いた。大井町線で二子玉川まで行って、お茶を飲み、食料品を買ってバスで帰った。寒い日々が続いているが、日没時間が遅くなっていくので気分的には明るくなってきた。

02/29/水
うるう年の2月29日。大学の先生で月給をもらっているので、一日損をした気がするが、大学は休みに入っているので、まあ、どうでもいい。雪。高齢者は足もとが危ういので本日は散歩にも出ず。スヌーピーという犬が出てくる漫画の解説を頼まれていて、ゲラが送られてきたので、目を通した。スヌーピーはひねくれた犬だ。兄がいてこれが砂漠の哲学者という感じ。スヌーピーも時々禅僧みたいなコメントを出すのだが、悟りいないところが可愛い。奇妙な漫画だね。


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