「罪と罰」創作ノート3

2009年2月

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02/01
日曜日。岳真也さんの同人誌の集まり。近くの薩摩料理屋でジャズを聞きながら飲む。余興で朗読をする。本日は仕事は休み。明日はスーパーボウル。スティーラーズが有利だと思うがカージナルスにもがんばってほしい。

02/02
朝8時に起きてスーパーボウルを見る。前半最終プレイで100ヤードのインターセプト・リターン・タッチダウンが出た。これはワーナーのミスだ。ここでゴールで3点とっておけば、カージナルスの勝利だった。これでスティーラーズが優位になり、カージナルスはフィッツジラルドの2タッチダウンで1度は逆転したのだが、最後にホームズのロングゲインと最後のタッチダウン・パスキャッチで大逆転勝利となった。しかし結果的に見ればカージナルスはミスで負けたといっていい。惜しい。わたしはスティーラーズ・ファンなのだが、どうも最初からカージナルスを応援する気分になっていた。判官贔屓ということだろうが、よくがんばった。しかし最後にホームズが逆転したところは、ホームズ・ファンのわたしとしては結果オーライだが、勝って嬉しいという気分にはならない。まあ、熱戦ではあった。昨日妻が帰ってきたのだが、インフルエンザをもってきた。わたしは予防注射は受けているのだが、大丈夫か。

02/03
今週の前半は公用がない。ひたすらドストエフスキー。ポルフィーリーによる訊問の場面。ここは予審判事ポルフィーリーが道化役になるところ。明らかに刑事コロンボはポルフィーリーがモデルなのだが、ここではポルフィーリーが刑事コロンボを真似ることになる。ポルフィーリーはスーパーマンではない。弱点をもった人物だ。原典では見えない部分がわたしの作品ではまったく別の角度から見えるようになっている。別室で待機しているザミョートフと毛皮職人。そこにペンキ職人のミコライが闖入する。スリリングな場面だ。動きがあるので面白い。妻はインフルエンザでダウンのまま。予防接種が効いているのがまだ感染していない。

02/04
ひたすらドストエフスキー。妻の病気、少しよくなったようだが、薬のせいか少しハイになっている。困ったことだ。タミフルではないので暴走することはないだろうが。訊問が終わっていよいよ原典の3冊目。ここからはスピードアップする。冒頭の葬式の場面を大幅カットするためレーベジェフを登場して短く語らせる。このレーベジェフがいきなり出てくることになるので、ずっと前にさかのぼって伏線を張る。ワープロで書くとこういうことが簡単にできる。ありがたいことだ。

02/05
今週唯一の公用のある日。五反田の学研本社へ行く。研修会の講師として招かれている。著作権に関して過去と未来について語る。受講者が熱心に聞いてくれた。それから麻布十番の国際文化会館で「羽沢ガーデンを守る会」の理事会。および懇親会。理事の人々と交流できてよかった。夜中はドストエフスキー。レーベジェフの語り。うまくいっている。次はラスコーリニコフがいよいよ罪をソーニャに告白する場面だ。明日が勝負になる。

02/06
集英社の編集者来訪。『マルクスの謎』について。9月の半ばに原稿を渡したのだが、その直後に世界恐慌が始まったので、しばらくペンディングにしてあった。結局、5月に出すことになったので、この時点で結論の部分を状況に合わせて追加することになった。まあ、「まえがき」も含めて20枚ほど書けばいいだろう。それはいいのだが、もう入稿するので一週間で書けと言われた。仕方がない。今日から書き始めた。週末なので来週の月曜には渡せるだろう。こういうものは短期集中で一気に仕上げた方がいい。幸い、ソーニャへの告白の場面の直前まで書けているので、ここで中断するのはいいタイミングだ。そこから先は原典を参照しながら先に進める。こちらの山場はスヴィドリガイロフに関する新たなプロットの部分で、ここが書ければあとは原典を短めに拾っていくだけでゴールに到達できる。とりあえず本日はマルクスに頭を切り替える。

02/07
土曜日。ドストエフスキーを中断してマルクス。昨日「まえがき」を書いたので半分はできたようなものだが、全体を読み返す必要がある。論理のつながりがよくないところを修正する。とくに自分史にからんだところ、書いている時は勢いみたいなもので書いているのだが、時間を置いてみると少し恥ずかしい。少しカットする。明け方、やはりドストエフスキーを切らしてはいけないと思い、少しメモ。本日のノルマは果たせた感じ。

02/08
日曜日。ひたすら仕事。全体を読む作業は終わった。最終章を書き換えるか追加するかということを考えていたのだが、「まえがき」がいい感じになっているので、それを受けて「あとがき」を書くことにした。もとの原稿がまとまっているし、エンディングもうまくいっているので、そのままにして、少し気分をかえて「あとがき」を付ける。短い分量で、この半年間に起こった事態をとらえ、未来を予言するというのは大変な作業だが、こんなものは時間をかけてはいられない。時間をかけて考えても仕方のないことで、ある程度の情報を頭にインプットしたら、あとは勘を頼りに大胆に言いきってしまうしかない。たぶん大幅に間違えることはないはずだ。

02/09
月曜日。夜はメンデ協会の運営委員会だったが、出かける前に作業が完了。メールで送って、これで「マルクスの謎」の作業がようやく終わった。9月半ばに草稿完了してそのまま編集者に預けてあったのだが、4日間の作業で使い物になる原稿に仕上げた。で、新橋のメンデ協会事務所へ。先月の例会の反省と今年の計画。自宅に戻って作業。マルクスの修正に取り組んでいたここ数日、ドストエフスキーのメモだけはとっていたので入力。何だかよくわからないまま機械的に入力して明け方作業は終わった。大丈夫か。

02/10
医者に行く。定期検診みたいなもの。月に一度行く。血圧を測るだけ。薬を飲んでいるので平常値。薬を止めると上がるかもしれないのでこのまま一生薬を飲み続けることになるようだ。昨夜入力した部分を読み返す。何も考えずに機械的に入力しただけなので大丈夫かと思っていたのだが、うまくいっている。というか最大級に盛り上がっている。ありがたいこと。こういう時、神の存在を感じる。才能とか資質とか努力とか、そんなものとは無関係に、何だかわからないうちにうまくいっている、というのは理想の状態だと思う。

02/11
祝日。何の記念日か。大学は休みで文化庁の会議もない時期なのでこの祝日は意味がない。このところメモを書くスピードが早い。原典を視点を変えながら引き写すだけの作業だが、面白くないところはカットして進むので、書いていてスピード感を感じる。ものすごく面白い小説になっているという気がするのは自画自賛か。メモがどんどんたまっていくので、入力が追いつかない。35歳で専用ワープロを購入して以来、いきなりワープロで書くということに慣れているのだが、このドストエフスキーの作業を始めてからメモに書くようになった。スピード感に入力が追いつかない。やはり手でメモに書く方が早い。というか、メモの場合は入力の時に修正できるので、描写などは省略してもいいし、言葉遣いなどもラフな感じで進んでいくので速いのだ。さて、かなりゴールが近づいてきた。もはやラスコーリニコフの出番は終わった感じだ。しかしわたしの小説はスヴィドリガイロフが主人公だから、これからが山場になる。スヴィドリガイロフがドゥーニャについて語る場面と、ポルフィーリーとスヴィドリガイロフが対決する場面、いずれも原典にはない場面なので、オリジナルで書くことになる。この二つの山場を超えないと作品は完成しない。ゴールが見えてきても、この二つを完了しないと、作品全体が成功するかどうかも判然としない。これまですでに600枚も書いているので、全体がダメだと困るのだが、この二つの場面がうまくいかないと、ここまでの労苦が意味のないものになってしまう。そういうドキドキ感が小説を書く楽しみでもあるのだが。

02/12
編集者の中村くんと三宿で飲む。中村くんはこのノートに実名で登場する唯一の編集者だ。「天気の好い日は小説を書こう」の担当者で、その後、次々と勤め先を変えるので、中村くんと呼ぶしかない。中村くんと飲むのは久しぶり。この半年ほど、人生で一番忙しいのではと思われるほど忙しかった。担当編集者との打ち合わせで2回ほどゼストで飲んだだけで、246の反対側に出るのは久しぶり。不況のせいで客はいないのではと思っていたらどこの店も満杯。ようやく2人ぶんの空席のある店に入ってひたすら飲む。ちょっと疲れた。

02/13
金曜日。「海の王子」と「原子への不思議な旅」の見本届く。どちらも挿絵が入っているところがこれまでの本と違うところ。とくに「海の王子」の場合は幻想的な作品なのに、絵の方が具体的なイメージになっているので、自分のかなりいいかげんなアイデアが具体的な絵になっていることに驚く。「原子への不思議な旅」は全頁フルカラーの本なのでとにかく色が鮮やかで楽しい。どちらも自分にとっては未知の領域に踏み込む作品なので、反響が楽しみだ。「海の王子」の方は第2弾を考えている。いま取り組んでいるドストエフスキー論の次は、児童文学の第2弾だと考えている。

02/14
土曜日。わたしが理事長をしているNPOの機関誌の原稿執筆。あとはひたすらドストエフスキー。いま全篇の最大の山場に到達している。ここをクリアーすればゴールが見えてくる。

02/15
日曜日。ひたすら仕事。全篇の山場。さらに高い山に昇りつめている。

02/16
お台場で映画を観る。『マンマ・ミーア』。最初の曲のイントロが流れた瞬間から涙が流れて、エンディングの最後の瞬間まで涙が止まらなかった。アバの曲をもとにしたミュージカルで、話の内容ではなく、アバの曲そのものに涙が流れた。アバを聞いていたのは、人生の最も困難な局面だったように思う。子どもが幼く、人生の行く末は見えず、重い迷っていた時期だった。音楽というものは面白い。アバそのものを聞いても泣くことはないだろう。アバの曲をまったく違うシチュエーションで聴くという新たな体験と、自分の人生とが絡み合うところにこの涙の源泉があるように思う。さて、昨夜は突然、真夜中で目がかゆくなって仕事ができなくなった。花粉が効いてきたのだろう。思わず強い薬を飲んでしまったので、今日は起きてもまだぼうっとしている。それで映画に行ったのだが、これで花粉が洗い流されたと期待したい。

02/17
文藝家協会で教材出版関係者と打ち合わせ。まだ花粉の影響でぼうっとしているが、今日は寒くなったので花粉は飛んでいないだろう。ドストエフスキーはまだ山場が続いている。ここを乗り切れば一気にラストスパートに入る。

02/18
しばらく更新していなかった「新刊」のページを大幅に更新した。去年の「西行」が「発売予定」のままだったから、半年以上いじっていなかった。新刊2点の他、進行中の2点に加えて、ドストエフスキーのことも書いておいた。さて、そのドストエフスキーについて、散歩の途中でアイデアがひらめいた。ドゥーニャという女性の出番が少ない。エンディングに向けてスピードアップしたいところだが、ごく簡潔に印象的なイメージを描く必要がある。原典のドゥーニャのイメージをひっくりかえすような場面を新たに加えることにした。

02/19
郵便局のエキスパックに荷物を入れて送ろうとしたらポストに入らない。仕事場の近くの三ヶ日町のポストに入らないことは正月に体験したが、近所のポストは「空海」を入れても入ったのだが、三軒茶屋に買ったピーナツを入れたのがいけなかった。で、郵便局の窓口に出したのだが、それで散歩のコースが変わったので、ルーチンのコースを離れて知らない道を行き当たりばったりに歩いていったら下北沢に出たので、ビレッジバンガード(本と雑貨の店)などをのぞいたりして、ようやくいつもの散歩コースに出たら、なじみの猿が散歩していたのでほっとした。結局、2時間ほど歩き回っていた。さて、ドゥーニャが出てくる場面、半分ほど書いた。このあたり、原典にはないところなので書くスピードが落ちる。

02/20
図書館との協議会の日なのだが欠席。プライベートな領域で緊急事態があり西国立の病院へ。待合室で5時間ほどすごす間、メモ貼に書きまくっていた。生涯で一番書いたのではと思われるほど書いた。これを入力するのに数日かかるのではと思われるほどだ。この作品で最も重要なポルフィーリーとスヴィドリガイロフが対決するシーンを一気に書ききった。エンディングの部分も書いた。実はその間の場面は原典をそのまま圧縮するだけでいい。文庫本ももってはいたのだが、病院の待合い室でドストエフスキーを出すのは何となくためらわれて、そこを飛ばしてエンディングを先に書いてしまった。あと1シーン、主人公ザミョートフと10歳のポーリャ(ソーニャの妹)との心温まるシーンを書く必要があるが、ここは議論が交わされる場面ではないので、心を静かにして目を閉じれば自然にイメージが浮かんでくるはずだ。ということは、もう完成まで難関は何も残っていないことになる。毎日少しずつ、メモ貼の清書と原因からの引き写し(丸写しではない/翻訳者に著作権があるからコピペはまずい)の作業を毎日こつこつ続けるだけでゴールにたどりつける。

02/21
コーラスの練習。本日は早めに練習を終えてめじろ台の和食の店で宴会。めじろ台はわたしが三十歳くらいから八年間生活した街。長男の幼稚園と小学校にあたる。思い出深い街で知り合いも多い。わたしは東京に出てきてから、神泉、吉祥寺、めじろ台、三宿と四ヶ所で暮らした。並行して浜松三ヶ日の仕事場でも暮らしている。中でもめじろ台は知り合いが多いという点では、自分にとって故郷のような場所だ。

02/22
日曜日。本日から妻がいない。残り物とコンビニなどで生き長らえることになる。著作権の問題で某新聞社から電話がかかってくる。ドストエフスキーに集中したいところだが。そのドストエフスキー、カチェリーナが狂ってポーリャが路上で歌を歌うシーン、フランス語の引用があるのだが、ここは長く歌わせたいと思った。歌詞を捏造しようかとも思ったが、ネットで調べると意外に簡単に、もとの歌の全体の歌詞がわかった。原文もあるので、これを自分で訳して引用することにした。

02/23
ウィークデーになったが今週はひま。ひたすらドストエフスキー。妻がいないので仕事ははかどるのだが、腰を傷めないように注意しないといけない。

02/24
ひたすらドストエフスキー。

02/25
早稲田大学文学部の非常勤の先生の懇親会。常勤の先生も参加する。わたしは客員教授の時は常勤の側で、確か常勤の先生は会費が必要だった気がする。わたしはいまは非常勤だから、ただの飲み会である。しかも後期だけ一こまなので参加するのも申し訳ないようなのだが。まあ、ここに来ると知人が何人かいて、旧交を温めて、散会という感じになるので、散歩の延長で参加するには楽しい会である。あとはひたすらドストエフスキー。何だか刻一刻とゴールが目の前に迫っている感じがする。スヴィドリガイロフとドゥーニャのやりとりという本編の最大の山場が残っているのだが、これまでにこのノートに「最大の山場」という語句を何度使ったことか。ドストエフスキーの作品は、最大の山場と思われるピークが次から次へと襲いかかってくる。これは書いている方は大変なのだが、完成すれば、その次から次へと山場が襲いかかってくる感じが、三分の一くらいに圧縮され、しかもすべてが理解できる山場として読者の胸を打つはずなので、多くの読者に想像を絶したショックをもたらすはずだ。ただわたしの作品は読みやすいので、難解な作品を読み切ったという感動はない。しかしわたしの中学一年の時の体験でも、難解なものを読んだというよりも、面白いものを読み終えてしまった寂しさが読後感の中心を占めていた。徹夜を二日して、三日間、読み続けたのだが、わたしの今回の作品は一日で読めるので、2泊3日の行程を日帰りツアーにまとめたようなお徳用のパックになるはずだ。

02/26
3月中旬発売の『堺屋太一の青春と70年万博』の宣伝のために、堺屋太一さんのネットTVの番組に出演して対談。とりあえず本の宣伝をする。あとは自宅でひたすらドストエフスキー。もうゴールが見えているので早くゴールインしたい。ここではスピード感が大切なので、思いきって原典の要素を割愛してラストスパートのスピードアップを図るべきだろう。ただ軽くなってはいけない。そのあたりのバランスを慎重に考えたい。ゴールが見えているだけに、あせらずにじっくりと一歩ずつゴールに迫りたい。

02/27
おお、雪だ。寒い。あとはひたすらドストエフスキー。

02/28
ドゥーニャの場面が終わった。これで山場といえるものはすべて終わった。あとはスヴィドリガイロフの自殺の場面、子どもたちを孤児院に送っていく場面(原典にはない)、ラスコーリニコフの自首の場面、そしてエピローグ。これだけだ。もはや全体がエピローグといっていいので、可能な限りコンパクトに書いていく。マラソンランナーがスタジアムに入ったような心境だ。あと2日ほどで草稿が完了するだろう。できれば明日決めたい。実家に帰っていた妻が戻ってきた。よかった。この間、とくに大きな問題はなかった。仕事はずいぶんはかどった。妻がいないと仕事をしている時間が少し増えるせいかもしれないが。さて今月も終わり。よく働いたと思う。来月は少しのんびりしたい。





以下は随時更新します


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