「罪と罰」創作ノート2

2009年1月

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01/01
新年おめでとうございます。例年どおり仕事場で新年を迎える。快晴。初日の出が見えたことだろう。こちらは深夜まで仕事をしていたので初日の出はキャンセル。毎年、仕事場で新年を迎えるので同じ日の出を見ることになる。どんな日の出かは想像がつく。とはいえ今年はまさに雲一つなかったので、舘山寺温泉からまともに陽が昇ったはず。例年は太平洋の向こうに低い雲がたちこめていて、地平線の少し上のあたりから陽が昇るのだが。さて、今年の正月はドストエフスキー論が中心だが、ゲラ2本もかかえている。「小説堺屋太一」は年末に仕上げたが「海の王子」はまだ半分にも達していない。児童文学は少し勝手が違う。漢字が存分に使えない。語句も難しいものは使えない。しかし文体を調えるために必要な語句は使用する。そこに編集者のチェックが入るのだが、わかりやすすぎると格調が損なわれる。まだ用語の統一ということで編集者の手が入っているのだが、統一しすぎると言葉の多様性による味わいがなくなる。どうも児童文学の編集者というのはわかりやすさにこだわりすぎるところがある。ということで、編集者のチェックの入ったところを再チェックする作業が煩雑である。疲れると放り出してドストエフスキーに逃避する。初詣は近くの生布神社。昨年も詣でた。昨年は次男夫婦の安産祈願をしたのだが、今年はそのお礼に出向いた。

01/02
孫のいる生活。ことにこの仕事場は石油ストーブを使っているので、どこへでも這い回る孫から目が離せない。そういうスリルの中で仕事をしている。ドストエフスキー論はようやく文庫本の第一巻の終わりに到達した。「罪と罰」の文庫本はほぼすべて3巻だから、全体の3分の1というところだが、後半のマルメラードフの葬式などはカットするので、半分くらいのところに来ているのではと思っている。これは楽観的すぎるか。まあ、あんまりうすい本にはしたくない。ずっしりとした重みがあって、しかし文庫3巻読むよりは楽そうな印象の本にしたい。次男夫婦は買い物に出かけたが、こちらはひたすら仕事場で仕事。

01/03
ゲラ2本。エキスパックで送ろうと思ったが近くのポストは穴が小さくて入らない。歩いて30分の郵便局まで散歩がてら行ってみたが何とここのポストも小さい。途方に暮れているとどこからともなく赤い車に乗ったお姉さんが来て受け取ってくれた。これでドストエフスキーに集中できる。散歩しながら考えた。いまやっている作業は、「罪と罰」を視点を変えて読み直す作業だ。これはそれだけでも面白いのだが、それだけでは意味がない。罪とは何か、罰とは何かという本質的な問題を、ドストエフスキー以上に深めなければならない。自分がやろうとしている作業はそういうことなのだが、だとすると、いちおうの骨組みができたところで、より深い領域に突入しなければならない。しかし恐れることはない。小説を書くというのはそういう作業だ。たとえば「空海」の場合、少年の頃からの空海の事蹟を追って小説を書くことは、努力すれば可能だが、そこから一歩先に踏み込む必要がある。これは最終的に空海を唐につれていって恵果と会わせればいい。そこで二人の間にどのような議論があるかは、書く前にも書いている途中にもわからない。いよいよその場になると人物が勝手に動きだす。これが小説を書く楽しさだ。今回もポルフィーリーとスヴィドリガイロフを会わせれば、議論はオートマチックに深まっていくはずだ。だがそこに到るまでにさまざまな伏線を張らなければならない。

01/04
世の中はまだ日曜日。従ってメールもほとんど入らない。明日からさまざまな世の中との接点が生じるだろう。孫たちは去った。置きみやげに風邪をうつされた。吐き気と下痢。孫の見送りもできず昏倒していた。仕事はストップ。コルツが負けたこともあり、フットボールを夜中に見る気力もない。

01/05
世の中が動き始めた。郵便局のお姉さんに渡したエキスパックは無事届いたようだ。赤い車に乗っていたから間違いないと思ったのだが、サギではないかといくぶん疑っていた。とにかく無事にゲラが届いてよかった。原稿はメールで送るにしてもプリントを郵送するにしても、パソコンの中に本体は残っているから問題はないが、手書きで書き加えたゲラはなくなると取り返しがつかない。体調いまだ不良。それでも少しはドストエフスキーに挑む。原典の3分の1が終わったところで350枚くらいになっているので1000枚を超えるのではと心配したのだが、ラスコーリニコフが母と妹と語るシーンがやたら長く、この部分はわたしが書こうとしている捜査官が事件を追うストーリーとは直接つながらないので全部カットできる。それにここまでは登場人物が最初に登場するシーンはイメージを確立するために念入りに描写している。すでに主要登場人物は全員出ているので、これからは人物の描写は省いて、ストーリー展開を速めることができる。だとすると、いま半分くらいのところに来ているのではという気もする。それくらいの気持で、筆が伸びるところがあれば伸ばすということで、800枚くらいに収めたい。

01/06
本日は文化庁の会議の日だがあらかじめ欠席通知を出しておいた。ドストエフスキーにゲラ2本ということがわかっていたので、体調が限界に達することが予想された。自分の仕事が最優先だ。だがまさか病気になるとは思わなかった。昨日の体調ではとても自宅に戻ることができなかった。本日もまだ万全ではない。というか悪化している。それでも仕事はできる。しだいに展開が速くなりつつある。ここまででも充分にスリリングな展開だが、これから先はもっとスリリングでエキサイティングになっていくはずだ。

01/07
ようやく体調が回復した。妻の買い物に付き合って志都呂へ行く。1時間ほどタコ焼き屋の前の椅子で仕事をする。「罪と罰」の原典と「メモ帳」(パソコンのオマケ・ソフトではなく本物)があれば仕事はできる。孫がいた間ももっぱらこの本物の「メモ帳」が活躍した。こっちの方がスピードは速い。ただしあとでパソコンに入力しないといけないので二度手間になる。それでも書いている時のスピードはこちらの方が速くしかも疲れない。細かいことは入力の時に修正できるので、ここんとこ適当な描写、などとメモして先に進むこともできる。会議に出ている時などもこのメモ帳が活躍する。さて、本日は仕事場の最終日。といっても食欲はなく酒も飲みたくない。自分でないみたいだ。しかしこの3日間の病気は、貴重な教訓になった。体調を整えないといけない。しばらくは酒を控えようといまは思っている。

01/08
妻の運転で三宿に戻る。妻はまだ体調が悪そうだ。こちらは3日集中的にダウンしたのでほぼ体調は回復したのだが、胃が小さくなったみたいで食欲がない。これはよい傾向だ。このままダイエットに向かいたい。帰っても郵便物の整理などですぐには仕事に取りかかれない。本日から夜型に変える。集中力を持続させたい。

01/09
メンデルスゾーン協会理事会兼運営委員会。今月27日のコンサートの打ち合わせ。寒い。天気予報では雪とのことであったが冷たい雨。こっちの方が寒い感じがする。「アトムへの不思議な旅」のゲラ前半届く。読み始めたら止まらないほど面白い。校正するのを忘れて読みふけってしまいたくなる面白さだ。問題はこの面白さがわかる読者がどれほどいるかということだが。理科好きの子どもを増やす効果はあるので、中学生に読んでもらいたい。

01/10
土曜日。ゲラの後半届く。これは集中力が必要なので明日に回してとりあえずドストエフスキー。ここが作品の折り返し点なので、大きな山場を作りたい。

01/11
日曜日。「アトムへの不思議な旅」のゲラ。前ページ4色刷というのは初めてだ。各ページに図解やイラストが入っているので、そちらのチェックも必要だが、何よりも文章がいい。さすがにパウリの排他律のところはやや苦しいが、これは仕方がない。以前、「宇宙の始まりの小さな卵」を書いた時も、この排他律のところで行き詰まって、結局ゲラになってからかなりのページを削除した記憶がある。削除すれば済むというものではないのだが、言葉で説明するのは至難の領域だ。今回は図解があるので何とか押し切った。できればここは飛ばして読んでいただきたい。深夜に完了。いい仕事ができた。ただちにドストエフスキーに取り掛かろうと思ったが、疲れたのでビール一缶飲む。正月三が日のあと、風邪でダウンして以来、禁酒していた。一週間ぶりのビール。臓腑にしみる。

01/12
月曜日だが祝日。ゲラが終わったのでドストエフスキーに集中できる。中盤の山場、ポルフィーリーとラスコーリニコフの対決の部分を書いている。ここを出来る限りコンパクトに書く。ここに一つの鋭いピークを作りたい。年末年始から昨日まで、3本のゲラを読んだ。それぞれに充実した本で、読み返しながら、よくこんなものが書けたなと思う。いま書いている評論というか小説というか、まあ、ドストエフスキー論といっていいのだが、これも完成したら、よくこんなものが書けたと思うしかないものになるだろう。いま半分のところまで来ている。ここから先が大変だが、ここまではかなり面白く書けている。こういう時が怖い。これレベルを維持しながらさらに盛り上げないといけない。今日も散歩の途中で、エンディングのアイデアがひらめいた。冷たい雨に打たれ、自分が何をしているかわからなくなる主人公。そうしたセンチメンタルな部分が必要だ。いいエンディングになりそうだ。
ところでフットボールの話題。いつも月曜日はパソコンでネットにつなぐ時にドキドキする。今日は悪い予感が当たった。前日の現地土曜日の試合が二試合ともワイルドカードから勝ち上がったチームが勝っていた。一回戦が不戦勝だとチームプレイに隙が出るのではと懸念していたのだが、思ったとおりジャイアンツは完敗。不戦勝で気が抜けた上に、はやばやとカンファレンス一位が決まったためにリーグ最終戦も手を抜いていた。いちどゆるんでしまうとチームを立て直すのが大変なのだ。昨年、ジャイアンツはワイルドカードからアウェイで3連勝してスーパーボウルに出場した。リーグ戦から全勝だったペイトリオッツにも逆転勝ちで制覇したのは、やはりワイルドカードから調子を徐々に上げてきた勢いだろう。ということで、今回のジャイアンツに勝ったイーグルスと、同じくワイルドカードから進んだカージナルスの対決となった。もう一つのカンファレンスも一位のタイタンズがワイルドカードから来たレイブンスに負けた。唯一、二位のスティーラーズだけがホームで勝った。ということで、カンアァレンス決勝は、スティーラーズとカージナルスを応援しよう。で、スーパーボウルではスティーラーズに期待したい。

01/13
雑文一件。床屋に行こうと思ったら休みだ。これか困った。明日から忙しい。「罪と罰」はちょうど真ん中のあたりの山場のシーンが終わった。

01/14
文藝家協会。理事会の前に公益法人化の委員会。これは何だか疲れる作業だ。理事会は新年会なので銀座の中華料理。長い一日だった。夜中、ドストエフスキー。中盤の最大の山場が終わったので、マラソンで言えば折り返し点をすぎ、あとはゴールに向かって復路をたどることになる。ここまで種をまくように伏線を張ってきたストーリーを果実を収穫しながら決着をつけていくことになる。種をまいたところを摘み残しがないように収穫していく作業はけっこう緊張が強いられる。何度も読み返して、もれがないかチェックしないといけない。復路の方が時間がかかるのではないか。

01/15
創団協総会。いつものようにジャスラックまで歩いていく。会議はやや紛糾したがほぼ時間どおりにまとまった。著作権に関してはさまざまな問題が出てきて、このままでは権利が衰退するおそれがあるので、守りを固める必要があるのだが、どこに焦点をあてるのかが難しい。でもまあ、とにかくがんばるしかない。夜中はドストエフスキー。ついに折り返し点をすぎたので元気が出てきた。多忙だが集中力を絶やさずに前進したい。

01/16
中野の「なかのZERO」で講演。「星の王子さま」について。本がかなり売れた。ありがたいこと。来月出る「海の王子」の宣伝もした。中野は年に一度は行く。刑務所に入っている人の作文の審査があるため。いつもバスで永福町に行く。何となく新宿や渋谷は通りたくないから。さて、ドストエフスキー。順調に少し進んだ。折り返し点を過ぎると少しペースが落ちた感じがする。往路はとにかく走っていけばいいという感じだが、復路は少し慎重になる。ただまっすぐ走ればいいというのではなく、着地を決めるという要素が入るからだろう。往路は下り、復路は登りで、後半の方がきつい。

01/17
土曜日。3日連続で外に出る仕事があったので疲れている気分。三軒茶屋まで散歩。ひたすらドストエフスキー。3冊の原典「罪と罰」も「中巻」の後半になっている。原典では「町人」と呼ばれている謎の男。わたしの作品では先に正体を明かしている。探偵の側から犯人を追うという原典とは逆にシチュエーションなので、このあたりはメリットとデメリットがある。ただ犯人の側から書いた原典とは違って、わたしの作品では第三者の探偵が、犯人と町人を客観的に眺めることで、全体の意味合いが見えやすくなっている。

01/18
日曜日。床屋に行く。スヴィドリガイロフ登場。ここで恐るべき告白がある。原典にはまったくないくだり。スヴィドリガイロフという人物の個性を補強する。わたしの作品ではこの人物が実質的な主人公なので、補強の必要がある。

01/19
いつも月曜日は昼頃起きるとただちにパソコンをネットにつなぐ。フットボールの結果を知るため。本日は各カンファレンスのチャンピオン決定戦。スーパーボールの出場チームを決める最終決戦だ。ジャイアンツが負けたので、わたしの応援は第二志望のピッツバーグ・スティーラーズに移っている。ネットにつないだ時点では、第4クォーターでスティーラーズ2点リード。わずか2点リード! ひやひやしながら更新をくりかえすうちに、突然9点リードに。そして終了。このチームの人気ナンバーワンのディフェンス・バックのポラマルがインターセプト・タッチダウンを決めたようだ。大学最終授業。自宅に帰ってネットにつなぐがまだ画像が出ない。夕食のあとようやく画像を見る。ポラマル、すごいインターセプトだ。もう一試合はカート・ワーナーのカージナルス。ラムズ時代のワーナーはあまり好きではなかった。せこいパスが多かった。いまはベテランになって落ち着きが出てきた。フィッツジラルドという暴力的なワイドレシーバーがいるので要注意。しかしスティーラーズが勝つだろう。ドストエフスキー、少し進む。

01/20
某大学で打ち合わせ。来年度からまた小説の講座をもつことになるかもしれない。本日は打ち合わせのみ。初めての大学なので、構内を少し散歩してみた。大学というのはどこも同じようなものだが。これまで講師をしたことがあるのは、慶応の三田キャンパス、上智など、単発ではさまざまな大学で講演などをしたが、本日の大学は適度のサイズで落ち着きがあった。まあ、早稲田の文学部と同じくらいのサイズだと思われる。さて、自宅に帰って仕事。すでにこの仕事にとりかかって二ヵ月がすぎた。そろそろゴールを目標地点を定めないといけない。

01/21
「原子への不思議な旅」の再校届く。ひたすら校正。明け方完了。面白い本だ。わたしがこれまで書いた本の中でも一番面白い本になった。やや疲れた。

01/22
赤坂で姉の芝居を観る。「リチャード三世」。暗い芝居だがモダンな演出で楽しかった。若い役者のセリフが聞き取れないのは鍛錬不足だろう。プロ意識がない。赤坂で芝居を観るのは初めてだ。昔、ペンクラブが乃木坂と赤坂の間くらいのところにあったころは赤坂の駅で降りることもあったが、ずいぶん前のことだ。何か、がらっと街の雰囲気が変わっている。芝居の前に、劇場に通じる商店街みたいなところでガレットを食べた。ソバのクレープ。パリ郊外のシャルトルで食べたことを思い出した。

01/23
ジャスラックのけやきホールで創団協の記者会見。創団協のポータルサイトの説明。必要な情報とこちらの趣旨は伝わったと思う。夜は著団協の新年会。少し時間があいたのでドトールコーヒーでメモ帳(実物)にドストエフスキー論をメモ。こういう短い空き時間があると、30分くらい筆が止まらないというくらいの集中力が出る。登場人物が自分に乗り移っていて、いくらでも書けるという感じになる。新年会そのものは、必要な人に挨拶してこちらの言いたいことを伝えないといけないのでけっこう疲れる。帰って仕事。充実した一日。明日は日帰りで大阪でシンポジウム。

01/24
土曜日。大阪の追手門学院のホールでペンクラブのシンポジウム。小学校、中学校の母校である。去年、このホールができた時に講演したことがある。今日はJRで京橋まで行って、大阪城の外堀に沿って歩いた。子どものころは何もなかったゾーンに高層ビルが林立している。大手門学院の校舎もすべて新しい建物になっているので、懐かしいというわけではないが、敷地の形状はもとのままだし大阪城の眺めも変わらない。シンポジウムは著作権絡みのテーマなので必要なことは話した。二次会も楽しかった。夜中、自分の仕事をしようと思ったが疲れが出た。しかし新幹線の中でメモを書いたのでかなり前進した。

01/25
日曜日。何事もなし。少し疲れが出たか。とりあえずメモした部分を入力。かなり大量のメモがあるので入力作業に時間がかかりそうだ。そのぶんだけ確実に前進はする。それにその先は原典をそのまま使える部分につながっているので、時間さえかければ確実にゴールに向かって前進できる。ただし、まだ原典にはないというか、原典を超える会話をいくつか用意しないといけない。それがこの作品の目玉になるはずだ。しかしいまの勢いなら一気に行けるだろう。

01/26
文化庁著作権分科会。3回ほど発言。出席したからには発言しないと意味がない。本日、発見をした。土曜日に大阪に日帰りした疲れが残っていて、帰りの電車の駅を間違えた。麻布十番からいつもは永田町乗り換えで半蔵門線に乗るのだが、今日は永田町だと思って降りたところが溜池山王だった。あの長田町の動く歩道があるところに出た思っていたのに見慣れぬ電車のホームがあるので、ここはどこ、わたしはだれ、という気分になった。来た電車が渋谷行きだったので銀座線だとわかった。表参道で半蔵門線に乗り換えれば、こちらの方がはるかに速い。あののろのろした動く歩道や長大なエスカレーターに乗らずに済む。どうしてこのことにいままで気づかなかったのだろう。2回乗り換えより一回乗り換えの方が速いと観念的に思い込んでいたのだ。反省。

01/27
メンデルスゾーン協会例会。今回はライプチヒに派遣した留学生のコンサート。見事な演奏で感動した。派遣の支えとなっている基金の理事長の挨拶が直前でなくなるなど、予定と違う手順になったが、だいたい段取りはうまくいって、会場のロビーでの打ち上げの会は盛り上がった。よかった。

01/28
文藝家協会で教材出版社と協議。あとはひたすらドストエフスキー。昨日まで、日曜を挟んで4日間、人前で話す仕事が続いていたので、本日の小さな会合は、ほっと一息つけるところ。これから数日は完全休養にしたい。ということはドストエフスキーに集中できるということでこちらの方が疲れることになる。

01/29
今週の後半は公用がない。しかも妻が実家に帰っているので仕事に集中できる。散歩に出てスーパーで晩飯の調達をした以外はひたすらドストエフスキー。いま全篇の山場ともいえるラスコーリニコフはソーニャの場面。ラザロの復活をソーニャが朗読するところ。原典ではスヴィドリガイロフが盗み聞きするのだが、わたしの作品では主人公のザミョートフもこの場に居合わせることになる。そこに到るプロセスはやや無理があるのだが、勢いで押し切ってしまう。

01/30
雨。散歩にも行かず。残り物で食いつなぐ。ラザロの復活。ここは説明が必要。ドストエフスキー論ということなので、解説を加えるのだが、あくまでも小説というスタイルの中で、小説の文脈の中に解説を封入する。とんでもない試みだがうまくいったと思う。まあ、識者が読めばこのあたりがわざとらしい解説と感じられるだろうが、多くの読者は気づかずに読み、原作よりもはるかにわかりやすい展開に驚くことだろう。

01/31
ついにラザロの復活の場面が終わった。そのまま次のラスコーリニコフの訊問の場面に行きたいのだが、ここで小休止。四月から某大学で講義をすることになったので、シラバス(講義要項)の入力が必要。授業計画というものを入力しないといけない。実は今年から早稲田も厳しくなって綿密な計画を入力しなければならなくなった。その入力は終わっているので、とくに難しい作業ではないのだが、様式が異なるので戸惑うところもあり時間がかかった。何とか入力が終わり、まあ、これで手が離れた。「海の王子」の念校も届いた。念校だからもはや細かいところは見ない。挿絵が初めて入ったので、驚きながら眺めている。神話の世界である。イメージ豊かに書いているつもりだが、実は何も考えていなかった。ウカノミタマというお稲荷さんの神さまについても、「少女の姿をしている」といったいいかげんな表現をしているだけで、どんな顔か、どんな衣装かということは、書いているこちらは何も考えていない。それが見事な絵になっている。ありがたいことだ。本になるのが楽しみだし、多くの子どもたちがこの本を読んでくれるのではないかと思う。これは今年の本の中ではいちばん楽しみな本ではあるが、「原子への不思議な旅」も充実した内容になったし、「堺屋太一の青春」も苦労をした本なので反響を楽しみにしたい。三本がほぼ同時にゲラになって今月は大変だったが、それも終わり、ドストエフスキーも折り返し地点からかなりゴールに近づいた。まだあと二ヵ月くらいはかかるだろうが、とにかくゴール目指してラストスパートということになる。


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