「罪と罰」創作ノート4

2009年3月

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03/01
2月末に草稿完成というのをいちおうの目安にしていたのだが、果たせず。といってもゴールは見えている。山場に次ぐ山場という密度の高い展開が続いていたが、その山場はすべて書き終えた。あとはややセンチメンタルに結びを描きたい。本編の主人公ともいえるスヴィドリガイロフが死ぬ場面。ここはほぼ書けた。あとはポーリャとの別れの場面、ラスコーリニコフが自首する場面、そしてエンディングのポルフィーリーとの対話と続くことになる。慎重に、しかしコンパクトにまとめなければならない。あと数日はかかるか。その後、プリントして読み返す。量が多いのでこれにも時間がかかるだろう。3月末に完成というくらいのゆとりのあるリミットを考えている。

03/02
文藝家協会理事会。アメリカのグーグルが著作者に無断で書籍版面のデジタル画像のデータベースを作った問題で、すべての新聞社の記者が訪れ、えらい賑わいだった。NHKのカメラまで来た。手間のかかる面倒な問題だが、こういう手間のかかることを引き受けるのが文藝家協会の仕事だと考えている。ドストエフスキーはいよいよ大詰め。本日の明け方、スヴィドリガイロフが自殺する場面のメモを完了。文藝家協会に出かける前に入力も終わった。本日はソーニャとの別れの場面。子どもたちとの別れの場面。そのあたりまでを明け方に完了させたい。明日あたり、草稿完了ということになるのではないか。

03/03
読売新聞記者来訪。著作権問題。本日はそれだけのスケジュールだったのだが、夕方、立川の病院へ行くことになった。まったくの予定外。しかしドストエフスキーのメモは出発前に書き終えた。自宅に帰ってから入力。明け方、第一次草稿完成。ついにゴールインだ。11月半ばから書き始めたので、3カ月半で草稿完了ということだが、800枚を超す大作なので、かなり速いペースだと思う。原典があるので楽とはいえるが、ドストエフスキーの作品をひっくり返した上で深め、圧縮するという作業をやったにしては、すごいスピードだったと思う。自分にドストエフスキーが乗り移っていたような気がする。まだ草稿が完成しただけだが、文字のチェックをするだけでオーケーではないかといまは考えている。読み返してみて、つじつまの合わないところが出てきたり、説明不足のところが出てくることは考えられるが、大きな欠陥はないと思われる。ただこの作品には安息日がない。実はドストエフスキーの作品もどこが安息日かよくわからないのだが、主人公が昏倒している日があるのでそのあたりが休みだったのかと思われる。わたしの作品は事務官ザミョートフが主人公なので、休みの日が出てくるとストーリーの流れがそがれる。どうせフィクションなのだから、休みなく働いたというこど押し切ってしまおうと思う。

03/04
まずはプリントする。300ページというのは経験がないほどの大作。もっと長いものを書いたこともあるが、専用ワープロの時代で文書が小分けにしてプリントした。400字詰めにして900枚をパソコンのプリンターでプリントするのはたぶん初めて。早速読み始める。ほとんど直しがない。始めの方は何度も読み返しているから文字の間違いも少ない。第一章。完璧な出来だと思う。オープニングらしい緊迫感がある。予審判事ポルフィーリーの登場もうまくいっている。友人ラズーミヒンも軽快な感じで出てくる。このあたりはまだ本格的にストーリーが動いていない。さて、本日はメンデルスゾーン協会の運営委員会。必要なことを決める。

03/05
産経新聞のインタビュー。一昨日とまったく同じ内容。プリントのチェックも進んでいる。「地下生活者の手記」の名シーンをこっそりドッキングさせたところもいい感じだ。白夜の描写が美しい。これは昨年、現地に出向いた成果。かなりのピッチで読めているので、完成までにそれほど日数は必要としないだろう。本日は4章から7章までのチェックを終える。1日3章をノルマにしているので、ノルマ達成。

03/06
プリントのチェックを始めてから3日目。初日3章、昨日4章、本日も4章。合計11章は全体の半分。ということはあと3日でチェックが終わる。大幅な直しはここまでのところないので、チェックの入力作業も数日で終わるだろう。来週末には完成するのではないか。「マルクスの謎」のゲラが再来週に出るのでそれまでに完成させておきたい。それにしてもここまでのチェックで、かなり面白い作品だということを確認できた。長すぎるのが難点だが、原典の雑然としてエネルギーを踏襲するためにはこれくらいのボリュームは必要なのだ。これ以上短くするとダイジェストかアラスジになってしまう。

03/07
土曜日。世田谷文学館の文学賞贈呈式。これで時間をとられたので本日はノルマ達成できず。明日がんばる。

03/08
日曜日。ひたすらドストエフスキー。全体の3分の2のチェックを終える。次の一週間ですべての作業が終わるだろう。ここまで文章をかなりいじったところはあるが、根本的な欠陥はなかった。残りの3分の1はつい最近書いたものなので大丈夫だ。いよいよゴールが見えてきた。楽しい作品になっていると思うし、自分にしか書けない作品でもあるのだが、この面白さが読者に伝わるかどうか。少なくともドストエフスキーに興味のある人には、わたしの思いが伝わるのではないかと期待している。

03/09
ウィークデーが始まったが本日は公用なし。医者に行って薬をもらう。このところ血圧が高めだが、興奮しているので仕方がない。花粉は一度だけ目に来て、市販の薬を飲んで財務大臣状態になったが、それ以外は医者からもらった薬で凌いでいる。ドストエフスキー。最終章を残すのみとなった。無理をすれば一気に終わりそうだったが、明日は公用があるので、最後の一章は、楽しみに残しておくことにした。この最終章はいくつかの断片を集めたエピローグで、大きな直しはないはず。もはや問題は何もない。この作品は完成する。すべてがうまくいっていると思う。自分にとってのライフワークの一つだと思うが、ドストエフスキーの原典を組み替えただけの作品だ。しかし歴史小説を書くのと同じで、ストーリーそのものが自分のオリジナルではないので、やや物足りないところがあるのだが、しかしやるべきことをすべてやったという充実感はある。

03/10
文藝家協会で知的所有権委員会。グーグル問題などを議論。その後、書記局でわたしのNPOの編集者と打ち合わせ。委員会に出席していた岳真也氏と近所の蕎麦屋で飲む。夜中。『罪と罰』のチェック完了。エンディングがうまくいっていないので、そこは最後に考えることとして、赤を入れた部分を最初から入力していく。第七章まで完了。ここまではほとんど直しがない。

03/11
文藝家協会の顧問弁護士と打ち合わせ。グーグル問題。まだ不明な点が多い。いちおうの指針は決まっているのであとは書記局に任せる。夜中。ドストエフスキー論の第1弾『罪と罰』完成。エンディングがうまくいっていなかったので、週末までかかると思っていたのだが、頭が冴えている時は苦もなくアイデアが出る。思いきり短くすることですべての問題は解決した。900枚近い作品を4ヵ月で書き上げた。聖書をもとにした『地に火を放つ者』を書いた時もそうだが、先行する作品を焼き直しただけではないかという気もするが、『空海』や『日蓮』も同様で、歴史小説を書くのと同じような気分で、『罪と罰』という作品を新しい視点が書き換えたことになる。書き換えることが「論」になるという新しい提案でもある。いろいろな意味で、新奇な作品であり、スリリングな作品になっていると思う。これはあくまでも第1弾で、次に続けないといけない。

03/12
明け方、『罪と罰』完成。週末までに完成したいと思っていたのだが、意外に修正箇所が少なく、一日で入力作業が終わった。エンディングが決まらなかったのだが、これもとっさに思いついた。この大作が終わったら買いたい本があったので三軒茶屋の本屋に行ったら、誰かが買ったようでなくなっていた。しまった。まあ、次の作品の資料などをアマゾンで買うのでいっしょに注文しよう。久々にのんびりした気分だ。来週は『マルクスの謎』のゲラが出るので、この週末はのんびりしたい。次の仕事を何にするかまだ決めていない。児童文学の第2弾か『西行』の続篇ということになる。西行は準備が必要なのでまず資料を読みながら、並行して児童文学についても考えるということになるだろうか。

03/13
ドストエフスキー論がとりあえず終わったので気の抜けた状態だが、とりあえずペンクラブの言論表現委員会に出席。またグーグル問題が出てきた。加藤ほら貝さんもかなり詳しいので、委員の方々に正確な情報は伝わったと思う。この件についてはわたしがレポートを書くことになった。また仕事が増えたが、まあ、いまはひまだからいい。部屋の掃除をしたダンボールにまとめてある『西行』の資料を運び込まないといけない。本日はとりあえず『青い目の王子』を書き始める。児童文学の第2弾。『海の王子』が売れているかどうかが心配だが、ある程度、時間をかければ売れるだろう。とにかくいい作品を書けばいいという楽観論で、行けるところまで行ってみたいと思う。シリーズなので文体の一致を心がけたい。歌が時々入ってミュージカルのようになっているところも踏襲したい。これを書いている時は、まあ、気分がいい。ドストエフスキーの作品のように悪人が出てこないし、クセのある人物も出てこないので、幅が広がらないのだが、シンプルでピュアであるというのは気分のいいものだ。トーンが上がりすぎないように淡々とした文体を持続させたいと思う。

03/14
土曜日。ドストエフスキーは編集者の手に渡ったが、これからも修正を加えることになるだろう。しかし次の作品に取りかかる必要があるので、ここから先はとりあえず『青い目の王子』のノートということにしよう。『西行続篇』のことも気になるので並行して考えていくことになるが。西行については、続篇なので登場人物のキャラクターはできている。西行と後白河法皇が中心人物になる。清盛も関わることになる。新たな登場人物としては頼朝、義経、文覚などだが、これは『頼朝』で書いた人物なので問題はない。かなり長い年月を語ることになるのでスピード感が大切だ。先に児童文学を仕上げておいて、一気に書きたい。というところで、『青い目の王子』のノートを始める。
前作の『海の王子』は神武天皇の祖父を描いた。当然、次の作品は神武天皇になるところだが、それでは右翼的な作品と誤解されかねない。そこで次の作品は仏教説話にする。釈迦の前生譚の一つを用いる。つまり、万世一系の天皇の系列と、釈迦に向かう輪廻転生の系列を交互に書いていくということだ。最終的にこの二つの糸は欽明天皇を経て聖徳太子で完成することになるのだが、さらに聖武天皇のあたりまで引っぱっていくことも考えている。ということで、釈迦の話だ。仏教というものをどれだけ前面に出すかが当面の課題だ。あまり出過ぎると抹香臭い話になるし、何も語らないと話の核がなくなる。そのあたりを慎重に考えながら、とりあえず出だしの部分を書いて文体を模索したい。

03/15
日曜日。この作品の原典は、前生譚(ジャータカ)だ。以前、『海燕』という文芸誌があったころに短篇連作として発表した。単行本は『鹿の王』として河出書房から出版された。その中の『碧眼』という短篇を素材にするつもりだった。で、当然、この作品のもとの素材がジャータカにあるはずだと調べてみたら、なかった。『碧眼』はほとんどわたしの創作だった。改めて自分の想像力に驚嘆した。てっきりジャータカの中にほとんど同じ話があるものと思っていた。で、だからどうなのかというと、何の問題もない。これから書く作品は、わたしのオリジナルだと思って書けばいいのだ。ついでにこの短篇集の『鹿の王』のもとの素材も調べてみたが、これも完全にオリジナルだとわかった。いったいどういうことだろうか。自分ではジャータカの話を脚色したという記憶があったのだが、ほとんどすべてが創作だった。ところでこんど書いたばかりの『罪と罰』は、いちおう原典を参照しながら書いてはいるが、もしかしたら大半が創作なのかもしれない。まあ、翻訳の著作権は生きているので、文章をコピペしないように、原典は概略を頭に入れただけで、ほとんど参照することはなかったのだが。創作とはそういうものだろう。『僕って何』は漱石の三四郎に似ているし、『いちご同盟』は武者小路実篤の『友情』または『愛と死』に似ている。しかし真似をしたわけではない。ただ何となく似ているというだけのことだ。これから書く『青い目の王子』も、釈迦の前生譚というコンセプトは原典と同じだが、主人公の目が青いという点もふくめて、すべてはオリジナルだといっていいものになるだろう。ただ前生譚という概念は仏教から踏襲するので、まあ、そのあたりは意識的にやっていきたい。

03/16
月曜日。『ドストエフスキー論/罪と罰』の担当者からメール。「まさに巻置くあたわず」とのこと。一気に読めたということだろうが、懐かしい言葉だ。現在の担当者で自分より年上はこの人だけになってしまった。作家としての仕事を始めたころは、編集者はすべて自分より年上だったのだが。さて、これで入稿されることになったので、次の作業はゲラの校正だ。4月上旬になるだろう。集中力が必要だが、ゲラの校正も一気にできるのではないかと思っている。気になっていたエンディングもうまくいった感じがしているので、心配なところは何もない。ただ原作のある作品なので、この作品だけを読む読者にうまく伝わるかということはつねに考えないといけない。ただイメージはしっかりつけたつもりだ。あとは流れを見るだけでいいだろうが、書いた時の勢いを大切にしたいので、あまりいじらない方がいいだろう。本日は高校の同窓会。出席者10人。そろそろみな定年になるころかと思ったが、僧侶の修行に出る一名を除いては現役続行。弁護士、会計士、大学教授などもいるので、還暦になったからといって区切りがつくわけではない。高校は名門なので、偉い人が多い。大学の同窓会は文学部だから、もっと庶民的だ。いつもは妻といっしょに出るこの会だが、本日は体調不良で、自分一人で出た。何だかリラックスできた気がする。

03/17
火曜日。著作権情報センター理事会。いったん自宅に戻ってからサロン集&Uへ。メールマガジンを送ってもらっている人の出版祝賀会。知らない人なのだけれど、このサロンをメンデルスゾーン協会の事務局に利用させてもらっているので出かけていく。夜中、ようやく自分の仕事。『青い目の王子』。出だしのところを書いているのだが、いきなり仏教の話になっているのでここを何とか修正したい。

03/18
国会図書館との協議。とりあえず今年度の協議はこれで終了。覚え書きのようなものを締結。だが、まだ問題が残っているので次年度も引き続き協議することになるだろう。自分の仕事。仏教の話を後ろに回して、イメージで主人公の個性を描くことにした。

03/19
仏教の話をうしろに回すという試み、まとまった。これでオープニングが決まった。ここから先は主人公の成長を順次追いかけていけばいい。さて本日は神保町の出版文化社に出向いて新刊書にサイン。『堺屋太一の青春と70年万博』。2006年6月に第1回のインタビューをやってから、実に3年間かけて一冊の本が出た。この間、担当編集者とはつねにメールでやりとりしていたので、手が離れてしまうのは寂しい限りだ。とにかく本ができた。販売促進用のサイン。30年以上前のデビュー直後のころはよくこういうサインをしたものだが。

03/20
祝日。『青い目の王子』。冒頭のブッダの説明の前に、インコ、鹿、象を出して、王子の特異な資質についてイメージで描くことにした。これで流れがよくなった。さて、『罪と罰』の次は当然、『白痴』に挑むことになる。これは簡単ではない。『罪と罰』の場合は、主人公を換えるという裏技でまったく新たな小説を書いたわけだが、小説の枠組みはそのまま使った。『白痴』の場合は創作ノートにある別のプランを有効に使いたい。考えなければならないのは、なぜこのプランが書かれなかったかということだ。つまりこのままではうまくいかなかったのだ。なぜうまくいかなかったかを考えないと、評論の核が成立しない。しかしなぜうまくいかなかったかは、わかっている。『罪と罰』の裏の主人公といえるスヴィドリガイロフのエゴイズムを徹底的に追求すると、一種の救世主のイメージに近づいていくということだ。その結果、最初からイエスのイメージをまとったムイシュキン公爵の登場となった。しかしこの試みは失敗したとわたしは考えている。その結果改めてスヴィドリガイロフ型の主人公を用いた『悪霊』が書かれることになる。従って、無理を承知で、スヴィドリガイロフ型の『白痴』を書ききってしまうことが、ドストエフスキー批判になる。この狙いは、これしかないというくらいのものだろう。ドストエフスキーにできなかったことをやりとげるしかないというのは大変なことのようだが、実はそれほど難しいことではない。無から有を生み出すのは大変だが、すでにあるものの欠点を克服して修正するのは、それほど難しいことではない。問題は、現存の『白痴』をどう活かすかだ。ストーリーとしては、草稿のプランは放棄されたのだが、ドストエフスキーの狙いどころは変わっていないはずだ。従って現存の『白痴』のテーマや主要なプロットは、草稿の流れの延長上で完成されたものだろう。従って、そこははずせないということになる。ここまでのところのまとめ。1、なぜ草稿のプランが廃棄されたかを考える。2、現存の作品のポイントを押さえる。答え1、廃棄された理由はドストエフスキーの当時の能力では書けなかったということだ。しかしいまのわたしなら書けるから、これは問題ではない。答え2。イッポリートははずせない。レフ・シェストフが指摘したように、白痴の主人公ムイシュキンのアンチテーゼとでもいうべき人物は、ほとんど出番のないイッポリートという余命いくばくもない病気の少年なのだ。結論。イッポリートを主人公に設定する。そして白痴のノートの方のプランでストーリーを展開しつつ、現存の作品のポイントはしっかり押さえてストーリーの後半を完成させる。結論として、『白痴』は書けそうな気がしてきた。その前に、児童文学『青い目の王子』と『西行』の続篇。可能なら新書1冊。これらの作業を進めながら、とりあえず創作ノートと原典を読み返して、いま書いた狙いがはずれていないか確認する。今年中にはスタートさせたい。すると来年のいまごろには完成している。そういうペースに年に1冊ずつ書いていけば、『カラマーゾフ』の完成もそれほど先のことではない。

03/21
土曜日。コーラスの練習。その後、めじろ台に二次会。本日は仕事は休み。

03/22
日曜日。送れている『マルクスの謎』のゲラが来週には出るはず。そこで本日は『青い目の王子』のオープニングのチェック。いい感じになっている。これですぐに先に進めるだろう。

03/23
月曜日。今週も忙しい。本日は残間里江子さんのオフィスで対談。帰ると四日市の孫が来ていた。週末に嫁さんの実家に来て、次男はそのまま四日市に戻った。嫁さんと孫だけこちらに来たのだ。ジイサンのことは忘れていたようだが、すぐに思い出してくれた。正月に会って以来。その時は風邪をうつされてえらい目にあった。しかし孫がいると接触しないわけにはいかない。夕方、『マルクスの謎(仮題)』の初校ゲラ届く。ざっと見ると校正者のチェック多し。集英社は校正がしっかりしている出版社で、安心だが、直すべきところが多いと疲れることも確かだ。とにかく作業を進める。序章だけ片づける。

03/24
文藝家協会で公益法人化の委員会。会議が始まるまで誰かのワンセグでWBCの決勝戦を見ていたが、同点になったところでタイムリミット。会議の途中、誰かのケータイに日本勝利を告げるメール届く。やれやれ。

03/25
文化庁著作権分科会。グーグルの複製権違反の問題はぜひとも指摘しなければならなかったので、早めに手を挙げて発言した。本日は三田会議所。前回の時、乗り換えの駅を間違えた。永田町で降りるつもりが一つ手前の溜池山王で降りてしまった。しかしそのことに気づかずにいつものようにエスカレーターに乗ると銀座線のホームに出たのでびっくりした。これだと2回乗り換えになるのだが、永田町の長い動く歩道や長大なエスカレーターに乗らずにすむのでこちらの方が早い。本日は意図的に溜池山王で降りた。ホームに出るとすぐに銀座線が来た。こちらの方がはるかに早い。さて、午前中の会議は起きるのが大変だが、午後から仕事ができるので作業時間は確保できる。ひたすらゲラのチェック。孫は嫁さんの友だちのところへ行ったので本日は安心。

03/26
本日は公用なし。ひたすらゲラ。ようやく半分は超えた。リミットが来週月曜日の午前中に編集部に到着というものなので、日曜日に宅急便で送る必要がある。ということは土曜の深夜に完了させたい。ぎりぎりになる。孫が帰ってきたが、疲れたみたいで早く寝た。明日は次男も到着する。まあ、次男がいれば、わたしが孫の相手をする必要もないだろう。

03/27
日本点字図書館評議委員会および理事会。この団体は二つの会議を別々にやる。わたしは両方に出ないといけない。評議委員会の間、さらに時間つぶしのルノワール(喫茶店)では、『青い目の王子』のことを考えていた。本当は理事会の間も作業を続けたかったのだが、こちらは議長に命じられたのでそういうわけにもいかない。公共図書館に関する著作権法の改正案が出されているので、そちらについても説明が必要であった。まあ、5時間がつぶれたのだが、必要な会議だから仕方がない。夜中はゲラ。明け方、完了。

03/28
土曜日。昨日の夜に次男が到着。本日は大学の仲間と花見とのことで、われわれ老夫婦はのんびりしている。『青い目の王子』かなりアイデアが出てきた。これを子どもがどう読むかはよくわからないが、いい作品になりそうな予感がする。夜、病院に入院中の母の容態がよくないとのことで西国立の病院へ。朝までいたが何事もなし。

03/29
日曜日。次男夫婦と孫、出発。四日市に帰る。高速道路が千円になる最初の週末なので混雑することが予想されるのだが、まあ、何とかなるだろう。夜、世話になった人が危篤との報せを受けて、病院へ行く。そのまま自宅に戻れず。そんな予感がしたので、出る前に月曜と火曜のスケジュールについて、キャンセルのメールを出しておいた。自分の仕事に関しては、ドストエフスキー論の第一弾が終わり、ヒマな時期だったので問題はない。夜、また病院から呼び出し。今度は着いた途端に臨終を宣言された。乗り換えの分倍河原の駅で偶然、姉と会えたのでいっしょに病院へ行った。それで二人で臨終に立ち会えた。深夜、遺体を西立川の老人施設に運ぶ。母の部屋。母はここ何年か、一階の病室にいたので、この部屋に来るのは久しぶり。妻と姉はタクシーで帰り、わたし一人が部屋に残る。斎藤茂吉の歌を思い起こす。死に近き母に沿い寝の夜もすがら遠田のかわず天に聞こゆる。もう母は亡くなっているのだが。

03/30
葬儀の手配などは妻と姉が来てやってくれる。夕方、ようやく自宅に戻る。葬儀は明日。明日のスケジュールもキャンセルしてあるので問題はない。わたしにとって、人生で世話になった人というのは、数人しかいない。その中でも母親は、最大級の恩人。人に頼らずに生きてきたという自負はある。それでも頼らざるを得ない局面というものはある。だから、恩人は大切にしたいと思う。静かに冥福を祈りたい。

03/31
葬儀に出席。それで一日がつぶれる。日曜から連続の疲れが残っている。明日からペースを取り戻したい。


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