白村江創作ノート06

2017年3月

2月に戻る 4月に進む 月末
03/01/水
一昨日、腰に違和感を覚えた。昨日は痛かったが、かなり長い散歩ができた。本日、痛みがピークに達して、身動きできない状態になった。腰痛というのは、要するに全身が痛いということで、一挙手一投足に痛みが走るということだ。昔は、ギックリ腰になったら絶対安静といわれていたのだが、いまはなるべく歩いた方がいいとされている。寝たままでは回復が遅れるということで、とりあえず立ち上がり、歩いてみる。一歩ごとに、ものすごく痛い。しかししばらく痛みに耐えて歩いていると、何とかしのげる状態になる。ということで、とりあえず自宅の集合住宅の内廊下を二周してみた。どうにか歩けるということで、大学に出向く。学部長会議があるだけで、べつに発言する必要もない。いればいいということだが、座席に座っていると、立ち上がった時に激しく痛む。ずっと立っていた方が楽なのだが、そういうわけにもいかない。とりあえず御茶ノ水の駅に行き、来た電車に乗る。立っていた方が楽なのだが、立ったまま揺れていると、何かの拍子にギクッとする。座っていると痛みはない。問題は立ち上がる時に、ものすごく痛く、しかも腰が曲がったままで、その腰を伸ばすまでに、痛みが持続するということだ。武藏境で立ち上がる時に、勇気が必要であった。バスでまた同じことをやるのはつらい。バス停ではすみやかに下りる必要がある。歩いた方が楽だと判断して、大学まで25分、歩くことにした。25分というのは元気に早足であるける時の時間で、腰痛をかかえてよろよろ歩いている状態では40分くらいかかったのではないか。かなり早めに自宅を出た。研究室で一仕事しようと思ったのだが、研究室まで行く気力がなくて、会議室の隣の講師控室でメモを書く。羽田プロジェクトの原稿締切が近づいていて、前から少しずつ書こうとしているのだが、どういうスタンスで書けばいいか迷いがあり先に進まなかった。が、腰痛の中で逆に集中力が出たのか一気に書けた。学部長会議。続いて研究科会議。報告事項が多くずいぶん時間がかかった。立ち上がる時に難儀をしたが、何とか立ち上がれた。帰りはバスに乗り、自宅にたどりついた。椅子に座れないので仕事にならない。それでも少し仕事をする。仕事をしたぶんだけ痛みが蓄積されたみたいに、立ち上がる時にものすごく痛い。とにかく一日が終わった。

03/02/木
本日から週末までは4連休。本日はマッサージの予約が入っているだけ。腰痛緩和のためにはマッサージは必要だが、新宿に行くまでが大変だ。おまけに冷たい雨が降っている。傘を差した状態だと足どりがふらつきがちで、痛みが走る。地下鉄ではずっと立っていた。少し早めに新宿三丁目に着いたので、しばらく飲み屋街を散歩。歩いている状態がいちばん楽なのだ。その楽な状態にしていないと、着替えとか、ベッドに乗るとか、そういう動作もたいへんになる。きっちりの時間に着いたのだが、5分ほど待たされた。いつもはベンチに座っているのだが、今日は立ったまま待っていて、よろよろと着替えのゾーンに進み、シャツの半パンに着替える。ベッドに仰向けになった状態では痛みはない。固まっていた腰、尻、大腿部をほぐしてもらう。かなり楽になったが、根本的な解決にはなっていない。マッサージは月に1度くらいにしているのだが、今月にもう一回予約を入れた。そのころにはきれいに治っているはずだが。

03/03/金
昨日のマッサージで少し楽にはなったが、椅子に座っていると、立ち上がる時に痛みが走るという状態にはかわりがない。赤字入力が必要なので、プリントした原稿を載せている譜面台を伸ばして、立ったままで読み、入力する時だけ座るということで作業を進める。昨日、マッサージから帰る電車の中で、讃良皇女が馬に乗るシーンを、全体の半ばに入れる必要を感じた。エンディングに近いところで馬に乗って登場するのが唐突な感じなので伏線が必要だ。持統天皇(讃良)は馬に乗れる。壬申の乱の時に、吉野から伊勢まで馬で一気に駆けている。子供のころから乗っていないと、長距離を駆けることはできないだろう。ということで、わたしの頭の中では讃良が馬に乗るイメージがずっとあるのだが、全体の半ばくらいで、少女の讃良が馬で駆けるシーンを入れることにした。プリントを読み返してみると、ちょうどいま入力作業をしている、その箇所に伏線を入れればいいことがわかった。これも天啓みたいなものだろう。すでに入力作業が終わったところをいじる必要はないのだ。昨日の夜中に、挿入すべきシーンをメモした。そこを入力する前に、後半の讃良の登場シーンを検索して、微調整をする。最初に馬に乗って出てくるところで、馬に乗れることを強調している箇所があって、それは初出だからそういう表現になっている。伏線を張っておけば、当然のように馬に乗って出てくればいい。そういう調整をしてから昨日のメモを入力。あとは立ってプリントを読み、座って入力するという、立ったり座ったりのくりかえしだ。そうまでして仕事をする必要があるのかとも思うのだが、つねに時間に追われてぎりぎりの生活をしているので、のんびり養生するわけにもいかない。授業のある時期なら、教室でしゃべりながら歩き回っていれば回復につながるのだが、あいにくシーズンオフで、入力作業だけが残っている時期だったので、ここで仕事をしないわけにはいかないのだ。

03/04/土
毎日、少しずつ楽にはなっているが、しばらく座り続けると、立てなくなることにかわりはない。立ったままプリントを読み、赤字があれば座って入力するという作業で、集中力が持続されているか疑問だが、とにかくゴールに到達した。これを月曜日に研究室でプリントして、もう一度、読み返す。最後は誤字脱字のチェックだけにしたい。午後の早い時間に作業が完了したので、卒論をイーブックのサイトに送る準備。それから羽田プロジェクトの原稿を書く。腰の痛みに耐えながらの入力作業。とにかく終わった。

03/05/日
白村江の完成原稿を大学の研究室に送付する。卒論をイーブックに送る。羽田プロジェクトの原稿も送る。本日は送るだけが仕事。これで一つ区切りがついた。まだ腰が痛くて椅子に座ると立つのがつらくなるのだが、そうもいっていられない。ほぼ完成した白村江について、改めて考察してみる。この時代は以前、『炎の女帝/持統天皇』で扱ったことがある。前回の河出の仕事の『聖徳太子』は『碧玉の女帝/推古天皇』で扱った。当時は女帝シリーズということを考えたのだが、男を中心とした政治ドラマとした方が小説の密度が高まるのではないかと考えた。聖徳太子は思想が絡んでいるので、自分にとってもライフワークだと考えたのだが、今回はそれほどの思い入れがあったわけではない。河出には以前から額田女王を書きたいと提案してきたのだが、企画がボツにされてきた。男の作家が書く場合は政治ドラマと戦闘シーン、ということだろうと思い、天智天皇を中心とすることにした。ということで、あまり気乗りはしなかったのだが、結果としては、額田女王と間人皇女のキャラが際立つことになった。ヒロインではなく脇役にしたことで、かえって印象が深まった気がする。天智天皇/中大兄は、冷徹な人物で、キャラとしては可愛くはない。聖徳太子も冷徹な人物だった。わたしはそういうタイプの人間が好きなのだろう。今回は大海人という、対立するキャラがいるので、小説のスケールが大きくなったように思う。ということで、この作品はうまくいったと思っている。問題は売れるかどうかで、売れないと次に続かない。天智天皇の名前は、多くの人に親しまれているはずだ。百人一首の一番歌。今回も和歌はできる限り採り入れた。いい感じで、歌を使えたと思う。ということで、自分の作品としては出来のいい方ではないかと思っている。できれば続篇につながればと思う。

03/06/月
大学。教授会。研究科委員会。学科会。月に一度の教授会だが、今回は卒業判定がある。わたしの卒論ゼミは休学している学生を除いて全員卒論を提出して卒業できた。まずはよかった。腰を痛めて1週間。少し楽になってきた。研究室で白村江をプリント。夜中に読んでみるとけっこう赤字が入る。もう何回読み返したかわからないが、気づくことが多い。これでは入力がたいへんだ。とりあえず担当編集者に来週くらいに完成原稿を送付できるとメールを入れておく。

03/07/火
午後、教育NPOの幹部が来訪。居住している集合住宅の20階のロビーで打ち合わせ。5月に千葉で研修会をやるので講師として話してほしいとのこと。すでに日時・会場が決まっている。その日取り、奇蹟的にあいていた。よかった。それから文藝家協会へ。オーファン委員会。今月下旬に実証事業の報告のためのシンポジウムがある。最終打ち合わせ。夜中はプリントを読む。直しが多くなかなか先に進まない。

03/08/水
どういうわけか昨日と同じスケジュール。デジャビューみたいだ。午後、20階のロビーで宇都宮アート&スポーツの担当者と打ち合わせ。いつも7月に講演をさせてもらっている専門学校で、早稲田文学に広告を出してもらっている。作品のコンテストをするというので審査委員を引き受ける。それからまた文藝家協会へ。本日は出版社協議会の例会。出版デジタル機構の社長の講演。電子書籍の今後について、いろいろと勉強になった。白村江、なかなか進まず。

03/09/木
大学。もう何回目か数える気持にもなれない入試判定会。仕事はそれだけだったのだが、研究室でメールを整理していると、いろいろと仕事が舞い込んできて、3時近くまで研究室にいた。それから新橋の辻恵(元衆議院議員)の弁護士事務所へ。羽田プロジェクトの編集会議。1967年10月8日羽田弁天橋のデモで亡くなった山ア博昭くんの追悼文集を出す会議だ。いよいよ50年目に入って、10月8日が近づいてきた。そこまでに本を出したい。自分の仕事が忙しくて、あまり協力はできていないのだが、とにかく参加はしている。

03/10/金
ホテルオークラ(別館は営業中)で旺文社のコンクールの表彰式。いつも地下鉄の六本木一丁目から歩いていく。去年までは本館だったが、今年は別館で、近いので嬉しい。4月の陽気とのことでコートなし。ついでにバッグももっていないのだが、ポケットに入れるべきものが多く、限度一杯だった。パーティーがあり、水割り2敗とコーヒーを飲んで帰る。白村江のチェックは3章に入った。いい感じで進んでいる。

03/11/土
ひたすら自宅でプリントをチェック。3章に入った。かなり直しが入っている。入力に丸一日かかるので、明日中には完了したい。蘇我石川麻呂を討たれるところ、あっさり書きすぎている気がして、少し修正した。気になっていたのはここだけだ。あとは無事に最後まで読み進んでいきたい。

03/12/日
日曜だが大学院の入試がある。前半は待機なので自分の仕事をもっていく。答案を採点し、それから面接。判定会議までしばらく待機。それでも午後の早い時間に解放された。有明キャンパスは国際展示場の近く。この季節になると、近くでコスプレの集会をやっていることが多い。大学の門のすぐ外にも怪しげな人々がいる。天気がいいのでビーナスフォートまで歩く。パソコンの作業をする椅子が劣化しているので、ニトリで椅子を見る。まう、これでもいいかと思ったが、近所の古道具屋にも行くつもりなので、まだ買わない。帰宅して歩数計を見る。8000歩。よく歩いた。赤字の入力も始める。

03/13/月
本日は休み。昨夜、深夜にプリントのチェックを終える。昨日の夕方に2章までの赤字入力を終えてあったので、3章と4章を入力すればいい。昼過ぎには完了した。ただちに河出書房新社の担当者に送る。これで半年間の作業が終わった。とりあえずほっとする。ひまになったと妻に告げると、映画に行こうというので、夕方の予約をして、日本橋まで散歩。「LA LA LAND」という評判のミュージカル映画。内容空疎なものかと思っていたら、意外にしぶい展開だった。地味なストーリーの中に、時々、意外な美しい映像が入る。まあ、いい映画だった。

03/14/火
文藝家協会へ行く。評議員会、常務理事会、理事会。終わってから岳さん、加賀さんと軽く飲む。軽く飲むつもりだったが、加賀さんをタクシーに乗せてからまた岳さんと飲んだので、やや酔ってしまった。まあ、完成祝いだ。

03/15/水
医者に行ってから大学へ。学部長会議。自宅に帰って作業をしていたら、パソコンの挙動がおかしくなった。何度も再起動したが回復しないので、復元ポイントに戻して、ここのところを書いている。とりあえずは動いている。

03/16/木
昨日、椅子が届いた。それまで使っていた椅子は、現在の住居に引っ越す直前にネットで購入して、梱包を解かずにもってきて、新住居で組み立てたものだ。組み立てに難儀した上、エアポンプの調子が去年の夏ごろからわるくなった。座面の下側の布が劣化して、ぼろぼろと落ち始めた。が、何とか座れるので、まあいいかと思っていたのだが、腰を傷めたのはこの椅子のせいかという気もして、先日、有明キャンパスで大学院入試があった時に、ビーナスフォートまで歩いてニトリで実際に座ってみて、これでいいか、というのを帰ってきたからネットで注文した。前の椅子は4年もったが、今回はどうか。椅子は消耗品だから仕方がない。この椅子で、「続カラマーゾフの兄弟」も「聖徳太子」も「親鸞」も「白村江」も書いたのだ。組み立ては簡単だった。前の椅子より軽いので扱いやすかった。さすがニトリだと思った。前の椅子(たぶん中国製)はねじ穴の位置が不正確でねじを入れるのが力仕事だったが、今回はすんなりセットできた。新しい椅子は快適だが、パソコンの不調が戻らない。復元ポイントで去年まで戻し、エクスプローラーの履歴を削除して軽くしてみた。いまこれはエクスプローラーの「ページ」から「メモ帳」を呼び出して書いている。書いている時はメモ帳だけの機能だから問題はないのだが、とにかく複数のソフトを同時に起動しないようにして、仕事が終わる度に再起動するなど、不要な情報を溜め込まないようにしたい。白村江は担当編集者から読んだという連絡が来た。タイトルについて、メールで相談。まだ正式タイトルは決まらない。この少し前まで書いたところで、メモ帳の動きが怪しくなった。大丈夫か。
その後、いくつかのことを試してみたが、どうでも改善しないので、とりあえずワープロの文書などを保存しておこうかと思ったのだが、外部ハードディスクをつなごうとしてパソコンの横に置いたのだが、まだつないでいない状態で試しにワープロを打ってみたいらすらすら進むようになった。いま書いているこのメモ帳も問題なく動く。10月くらいに更新されたインターネットエクスプローラーのコピーができたので、それを起動させたら、問題がなくなった。よくわからないが、これでうまくいきそうだ。

03/17/金
卒業式。有明コロシアム。学部長は壇の上に並ぶ。学長、副学長の次が文学部長と決まっている。たぶん開設の古い順だ。何もすることはない。ただ立ったり座ったりする。まだ腰が万全ではないので、立つ時にやや痛みがあるし、痛まないように立つので動作がやや不自然になる。最前列の女子学生に挨拶されたが一瞬、誰かわからなかった。ゼミの学生が成績優秀で学長賞の総代になっているのだが、いつもより化粧が濃いからすぐにはわからなかったのだ。卒業式のあと、ガイダンスにも出席するのだが、時間が少しあるので、喫茶店でノートを開く。次の作品の構想を寝る。まだ次の作品については何も決まっていない。出版社を開拓しないといけない。ガイダンスのあとは卒業パーティーがある。またアキ時間がある。スマホに万歩計がセットしてあるので船の科学館まで歩く。ちょうどいい時間に竹芝のホテルに着く。わがゼミは女に子が多い。これでお別れかと思うと少し寂しい。終わってから酔った女子二人に拉致されて新橋の飲み屋で閉店まで飲む。長い一日だった。

03/18/土
大学院の修了式。昨日は有明キャンパスだったが、本日は武蔵野キャンパスの講堂。ただ壇上に並んでいるだけだが、文学研究科の学生が答辞を読む。まあ、できる学生なので安心して見ていられた。ガイダンスのあと別室で終了証書を渡す。本日の仕事はこれだけ。自宅に帰ってのんびりとすごす。

03/19/日
まだ腰が完治せず、長く座っていると立ち上がった時に痛む。立って歩くのが最良の治療法なので、妻と散歩に出る。秋葉原からバスに乗る。葛西行きということだが、葛西に行ってもしようがないので、西葛西の近くで下りて、西葛西駅前から細長い公園を臨海公園まで歩く。ついでに観覧車に乗る。さて、臨海公園は京葉線だが、東京駅での乗り換えが大変だと懸念していたら、駅前に船堀行きのバスがいたので乗る。ところがこれが、近くの団地を一つ一つ回っていくとんでもないバスで、えらい時間がかかった。船堀は都営新宿線なので自宅のある小川町までは一本で帰れる。ちょうど1万歩歩けた。

03/20/月
本日も休み。のんびりしている。イーブックジャパンの連載を仕上げてから、秋葉原を散歩。それだけの一日。

03/21/火
代々木上原のJASRACのホールで、オーファン委員会のシンポジウム。この半年間の文化庁による実証事業の成果を報告し、よりよき展望について語る会。まずは委員長としての挨拶。それからパネルディスカッションに参加して必要なことを述べる。言うべきことは言えたと思う。本日はこのイベントがすべて。

03/22/水
早朝に起きて9時20分からの判定会。ついに今シーズンの入試関係の仕事がすべて終わった。午後から学科会。これで今年度の大学の仕事が完了。といっても、来週の月曜には来年度に向けてのガイダンスが始まる。とにかく終わった。ほとんど休みなくスケジュールをこなしてきた。これでおしまい。週末まで4日休みがあるので、仕事場に移動してのんびりしたい。

03/23/木
仕事場に移動。正月以来、車を動かしていなかったのでバッテリー不調。業者を呼んで起動させ、あとはとにかくしばらくは走り続ける。そのあとは休みながら移動。夕方に仕事場について掃除など。夜中、サッカーのUAE戦を見る。苦戦するだろうと思っていたが、意外に楽勝だった。

03/24/金
三ヶ日の町に買い物に行き、午後は大工さんが来て雑談。早実の逆転勝ちなど、ただテレビを見てすごす。温暖なはずの浜松だがとても寒い。築35年の木造家屋なので隙間風がひどい。それにしても外気温が低い。正月よりも寒く感じる。こちらの体力が衰えている゛いかもしれない。夜中、花粉症で寝られなくなる。体調悪化。

03/25/土
四日市の次男一家が突然来る。日帰りで帰ってもらう。庭の斜面のミカンを次男と子どもたちでとってもらった。老夫婦二人だと大変な作業だった。孫たちとは小学以来だが、次男の次男が幼稚園を卒業して、少し大人になっていた。歎異抄口語訳の導入部を書いてみる。まあ、すらすら書けている。口語訳も入力していきたい。

03/26/日
わずか四日の休みなのでもう帰らないといけない。前夜からの雨は上がり、荷物の積み込みに支障はなかった。必要なものを車に積み込み、雨模様なので三ヶ日インターから新東名に向かう。下の道で浜松サービスエリアに向かうよりも、時間にして10分ほど早いだけで、高速の長いトンネルを抜ける不快感からすると、下の道を行った方が気分がいいのだが、大河ドラマで気賀の周囲が混んでいるかもしれず、とにかく高速に入ってしまうことにした。渋滞はなかったがひどい雨の区間があった。とにかく夕刻には自宅に帰り着く。歴史時代作家クラブ賞の候補作が届いていた。これをまた読むのかと思うと心が重い。パソコンをセットしてこのノートを書いている。来週は月曜日に各学年のガイダンスがある。主な行事はそれだけだ。ぼつぼつと歎異抄に取り組むつもりだ。そのうち白村江のゲラが出てくるだろう。

03/27/月
大学。10時30分から4年生のガイダンス、午後、2年生、最後が3年生、昼休みにも学生の相談に応じ、午後5時から学科会。長い一日だった。だがこれで、しばらく大学に行かなくていい。

03/28/火
今日からしばらくの間、大学は休みになる。会議もない。本日はすることは何もない。文庫のアンソロジーの解説を頼まれていて、昨日のガイダンスの時に作品を読み終えた。締切はずっと先だが、締切のある仕事はこれしかないので、読後感が残っているうちに原稿を書いた。本日の仕事はこれだけ。秋葉原に散歩に出かけたが、店の中に入って少し歩く程度では、五千歩にも到達しない。腰がまだ痛い。仕事場で孫と会って、治りかけていたのが悪化したようだ。木曜日にマッサージの予約を入れているので、それまで何とかもちきこたえたい。

03/29/水
妻が大阪に向かった。実家の両親の介護のためだ。妻は時々、大阪に行く。ぼくは大阪生まれただが、両親は亡くなっているし、兄弟も大阪にいないので、いわば大阪という街との縁がなくなっている。それでも羽田プロジェクトというものに関わっているので、高校の仲間とはつきあっているし、小中学校の追手門学院の関連で講演することもあるので、友人との縁は続いている。しかし両親がいなくなったということは決定的なことで、大阪という街はぼくにとっては遠い場所となった。そんなことを考えながら、今日からしばらくは一人で生きていかなければならないので、晩ご飯はどうしようかと考えながら、昔、三宿にいたころに、毎月のように会っていたNくんに連絡を入れた。早稲田で教えていた時に、講義録を3冊の本にした時からのつきあいで、その後、仕事はあんまりしていないのだが、とにかく三宿で飲むようになった。三宿はいいところで、昼間はごくふつうの地味な街なのだが、深夜になると不夜城のような輝きを見せる。新しい店が次々にオープンするので、Nくんといっしょに探索に行った。御茶ノ水に引っ越して、1回くらいは飲んだのだが、この近くはいい店がないな、と思いつつ、あまりの多忙さに声をかけることもなかった。時代小説を担当しているので、歴史時代作家クラブのパーティーで会う程度だったのだが、思いついて、4月になったら飲もうか、とメールを送ったら、ひまだったみたいで今日ではどうかと言ってきた。こちらもひまだったので、今日飲むことにした。ということで、近くの藪蕎麦に行ったら休みだった。気持ちが蕎麦に傾いていたので、すぐ近くの別の蕎麦屋に入った。初めての店だが、入ってみると蕎麦屋というよりも天ぷら屋で、カウンターで天ぷらを揚げてくれる。いい店だった。日本酒をたくさん飲んだ。それから自宅のすぐ近くにいるバーに行き、ウイスキーをたくさん飲んだ。Nくんと飲むとお酒をたくさん飲んでしまう。まあ、自宅の近くだから、集合住宅の前でNくんと別れて、ふらふらしながら自宅に帰りついた。妻がいない。それでもちゃんと風呂に入って寝た。

03/30/木
文藝家協会で急に決まった会議。難しいテーマの会議だったが、うまくまとまった。終わってから、赤坂プリンスの中を通って赤坂見附へ。丸ノ内線で新宿三丁目に向かう。マッサージの予約を入れてあった。かなり楽になったが、パソコンで仕事をすると悪化するので、しばらくはのんびりしたい。

03/31/金
本日は日本点字図書館の理事会だけ。といってもここでは毎回、議長をやることになっているので、内職をするわけにはいかない。とにかく無事に終わってほっとしている。点字図書館にたずさわっているすべての人は、善意で活動している。表面に見える職員の向かうに膨大な数のボランティアがいる。すごいことだと思う。それなのに、年々、政府からの補助金が削られている。首相夫人が怪しい教育機関に百万円渡したとか、そんなニュースの向こう側で、膨大な福祉予算が削られつつあるのだ。政権は時々、交代した方がいいと、しみじみと思う。ただし、トランプ政権はもはや断末魔だし、韓国がこれからよくなるとも思えない。自民党の中から小池都知事が出てきたように、自民党内部でもう少しましな人が、出てこないものかと思う。独占禁止法で大きくなりすぎた企業を規制するように、党派も肥大化した場合には分裂を勧告すべきだ。自民党は、自由党と民主党に分かれて、つねに緊張感をもって政治にあたればいいと思うのだが。



次のノート(4月)に進む 2月へ戻る

ホームページに戻る