白村江創作ノート07

2017年4月

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04/01/土
4月になった。まずはこのページを新しくつくる。このホームページは、ブログやチャット、ホームページビルダーなどでつくっているのではなく、ぼく自身がhtml(ハイパー・テキスト・マークアップ・ラングィッジ)で書いている。皆さんが見ているブラウザがインターネットエクスプローラなら、「ページ」をクリックすると出てくるメニューから「メモ帳で編集」をクリックすると、ぼくがいま書いているのと同じ「メモ帳」の画面が出てくるはずだ。文字情報は同じだが、リターンを押して改行しても、画面には反映されない。どうやって改行するかというと、平仮名で「ぬび」と入れると、ぼくの変換辞書では、タグの中にBとRが入ったもの<BR>が出てくる。いまは読者に見えるように、大文字で書いたので、これはhtml言語としては機能しない。ここで実際の改行マークを入れてみる。
こんなふうに改行できるのだが、この改行マークは画面には出てこない。このページを書く時には、リターンではなく<BR>を入れるというだけで、あとはふつうの文章を書いていけばいいのだ。ただ新しい月になって新しいページを開く時は、ページをそっくり新たに作らないといけない。まえ、前の月のものに新しいタイトルをつけて保存し、前の月の情報を消してしまう、いったことをやっているだけで、たとえばページの色などはそのままなので、大した手まではないのだが、それでもページをめくるクリックのポイントの数字は書き換えないといけないので、けっこうたいへんだ。ミスがあるとページがめくれなかったり、とんでもないところにとんでしまったりする。ということで、少し疲れた。また改行しよう。
本日は休み。天気予報は雨だったが、朝のうちに雨はあがった。7000歩ほどの散歩をした。それ以外は、歴史時代作家クラブの候補作を読んでいる。なかなかおもしろいものもある。歎異抄の口語訳は出だしでつまずいて行き詰まっている。このノートのタイトルは白村江のままとした。まだこれからゲラが出てくるし、次の作品については何も考えていない。短い休みの日々が終わった。明日はメンデルスゾーン協会のコンサートで挨拶しないといけない。そして明後日から大学が始まってしまう。まあ、授業が始まってしまってからの方が、日常性が戻ってきて落ち着けるのではと考えている。

04/02/日
メンデルスゾーン協会のコンサート。会場は新百合ヶ丘。いきものがかりが野外ライブをした場所として知られてはいるが、行ったことはなかった。自宅のある新御茶ノ水駅に降りていくと、おりよく唐木田行きが来た。三本に一本は唐木田行きだが、ふだんはどうでもいいことだ。しかし本日はラッキーだと思う。これに乗ると乗り換えなしで新百合ヶ丘まで行ける。とにかく一本で行けるのはありがたい。弦楽四重奏。始まる前に挨拶で15分しゃべれと言われているので、15分しゃべる。演奏は充実していて、満席の観客も満足いただけたと思う。終わって軽い打ち上げ。いい気分で帰途につく。自宅に帰った直後、妻も大阪から帰ってきた。これで日常が戻ってくる。

04/03/月
いよいよ大学が始まった。有明キャンパスで辞令交付式。自分は定年を過ぎているので毎年、新たに辞令をもらう。午後は教員全員集合の方針説明会。文学部長として短く挨拶をする。それだけの一日。夕方には自宅に帰っていたが、とくに緊急の仕事もないので、ぼんやりしている。明日は入学式で、一年で一番長い日かもしれない。

04/04/火
本日は入学式。去年は有明コロシアムが使えたので1回ですんだのだが、今年はまた武蔵野キャンパスの体育館に戻ったので、午前と午後の2回、さらに講堂で大学院の入学式がある。その間、学部長は壇上の席にずっと座っていなければならない。腰がまだ治りきっていないので、災難みたいなものだ。とにかく終わった。

04/05/水
本日は休み。近くの眼科医に行く。半年に1度の定期検診。問題なし。老人だから目の検査は欠かせない。成人病の数値は薬や体調管理でよくなることがあるが、目の病気は年齢とともに進行するものが多い。とにかく何もなくてよかった。

04/06/木
大学。1年生のガイダンス。学部長の挨拶。その後、学科会。それだけ。

04/07/金
今日と明日は休み。卑弥呼戦記という作品を書こうと思っている。角王、活目王、倭建という三部作を書いたことがある。新書版だから万単位の刷り部数だったが、増刷できなかった。ポップな歴史小説を書きたいと思ったのだが、この三部作が売れなかったことで、志が折れた。だが、大学の先生を辞めたらもっと自由に小説が書けるはずだ。この三部作は、卑弥呼戦記への導入部として構想したものだが、卑弥呼まで到達できなかった。実はこの三部作は、ヒムカの卑弥呼の話のあとの、トヨと呼ばれた二代目卑弥呼が倭に移ったところに、角のある加羅の王子が現れるというところから話が始まっている。卑弥呼戦記というのは、そのあとを受け継ぐ倭姫と神功皇后の物語なのだ。そういう長いシリーズを考えていたのだが、三部作がコケたので、そこで企画が頓挫していた。しかしぼくの脳裏には、神功皇后の物語がすでに展開されている。今回の『白村江の戦い』にも、間人皇女に神功皇后の霊が憑依するシーンが出てくる。読者にはわからないだろうが、間人が唱える祝詞のようなものの中に、日本書紀の神功皇后の詔勅の漢文表記をそのまま用いているのだ。次に書くべきなのは神功皇后の話ではないかという気もする。まだ出版社も決めてないのだが、ある程度、作品の構想ができていないと売り込みにもいけないので、まずは試作品を書いてみたいと思っている。ということで、角王を読み返してみたのだが、これはすごい作品だ。こんなすごいものを十年以上も前に書いていたのだなと思う。どうして売れなかったのだろう。角王などと歴史に登場しない人物を主人公にしたからか。戦国と幕末以外の歴史小説は売れないといわれている。しかし自分としては、これを書きたかった。モチベーションだけで小説を書いてはいけないとは思っているのだが、それでも書きたいものは仕方がない。聖徳太子も書きたかった。モチベーションはあったが、結果としてはあまり売れていない。まあ、そのうち何とかなるだろうと、楽観的に書き続けていくつもりだ。と考えていたところで、河出書房の担当者から、ゲラが出たとメールが届いた。やれやれ、明日からはまた白村江の世界だ。とにかく集中して作品を仕上げたい。

04/08/土
ゲラが届いた。袋をあけて最初のページを見る。主な登場人物のページだ。そこに赤字やエンピツ書きがぎっしりとひしめいている。ルビのつけ方で間違いや不統一や問題が一挙に吹き出している。これが全ページに拡がっているのかと思うと、気持ちがめげてしまった。とりあえず床屋に行くことにした。雨は上がっている。すいているかと思ったのだが、けっこう混んでいた。思いきり短く刈って貰った。さて、自宅に帰って校正にとりかかる。ルビの問題はあるが、文章そのものはほぼ完璧だ。文章の直しはない。ルビの間違いだけだ。しかし集中して文章を読んでいると、とても疲れる。仕方がない。少しずつ、休憩しながら読んでいこう。明日はオリプロという大学の行事で、早朝から深夜まで、学部長として対応しないといけない。月曜は休みなので、集中したい。

04/09/日
日曜日だが出勤。1年生のためのオリエンテーションプログラム。学部長の挨拶から始まって、感想文のコンクールと講評、スタッフの慰労のための飲み会と、長い一日であった。無事に自宅に帰りつく。

04/10/月
本日は休み。ゲラを見る。集中力を要する作業なので疲れる。老化のせいか集中力が持続しない。

04/11/火
文芸家協会の理事会。必要な発言をする。それだけ。ゲラ、1章終わる。フリガナの問題で真っ赤になっているが、自分が発見したテニオハの間違いが2件、自分のつごうでの直しはゼロ。この1章は何度も読み返したので、もはやパーフェクトだ。さて、明日から大学の授業が始まる。体が慣れるかはわからないが、とにかく始まるの慣らさないといけない。

04/12/水
大学の授業が始まった。大教室での講義と、大学院のゼミ、その後、修士論文の指導。それらが終わったあと新橋の弁護士辻恵の事務所で羽田プロジェクトの編集委員会。本日は夜、少し校正を見る。

04/13/木
今シーズンは授業が水曜と木曜に集中している。本日は1限の授業がある。1限に間に合うように起きるのは厳しいが、入試の待機など、早起きが必要な行事はたくさんあるので、問題はない。起きればいいだけのことだ。1限は昨日の続き。雑談もまじえて話していくので、必要なことを時間内に語れるかどうか、つねにスリリングな授業となる。1回ごとのパフォーマンスだ。2限から4限までは、2年から4年までのゼミ。新しいシーズンなのでまずは顔合わせ。何事もなく4コマが終わった。今日は夕方には帰れたので、自分の仕事ができる。と思っていたら、妻が突然、大阪に行くことになった。まあ、介護すべき老人をかかえていると、こういう緊急事態はしばしば起こる。明日からは休みなので、とにかく自宅で校正の作業をする。

04/14/金
本日は休み。近くの医者に薬を貰いにいく。妻がいないので一人で行く。子どもみたいだが、お母さんがいないと緊張する。夕方はマッサージ。腰はほぼ治った。ゲラを見る作業が続いているのでパソコンはメールを見る程度。腰が回復したのはそのせいか。大学が始まり、立って授業をする時間が多いことも回復につながったようだ。立っている時間と座る時間のバランスが腰に影響するのではないか。とにかく週末はひたすらゲラを見る。

04/15/土
本日もひたすらゲラを読む。妻がいないので、夕方散歩したついでに、大昔、作家になる前にサラリーマンをしていたころに時々行っていた洋食屋に行ってみた。白山通りに面しているので散歩で前を通ることはあるので、まだやっていることはわかっていた。ぼくがサラリーマンだったころというのは、いまから40年以上前だ。その当時から、老夫婦2人でやっている店、という印象があったのだが、今日入ってみると、やっぱり老夫婦2人でやっていた。これは40年前のあの老夫婦なのか、と考えてみたが、当時のぼくは若者だったので、自分より年輩の人は皆、老人に見えたのだろう。しかしそれにしても、いまはぼく自身が老人になっているので、この老夫婦は相当の高齢者であることはまちがいない。40年前とまったく同じメニューで、味もかわらなかった。さて、ゲラは2章が終わって、3章に入っている。ここまで、問題なくすらすらと読んできた。展開も文体もパーフェクトだ。これほど充実感のある校正はめったにない。そんな気がするのだが、ドストエフスキー4部作のころも、同じような気分だったんだろうな。過去のことはすべて忘れてしまう。自分は未来しか見ていない。まだまだ先に楽しみがあると思っている。

04/16/日
妻が帰ってきた。義母が骨折して入院したので大阪に戻っていた。8人部屋に足を骨折した老婆ばかりがぎっしりつまっているシーンを目撃して、長い人生をそれぞれに過ごした8人の老人が、同じ時期に偶然に足を骨折してこの地点にクロスオーバーしていることに感慨を感じたとのこと。取材をしてきっちり書けばすごい短篇集になりそうだ。ゲラは3章が終わった。最終章は苦労していろいろやりかえた経緯があるので、時間をかけてじっくり読んでいきたい。

04/17/月
大学。授業の担当はない。教授会と研究科会、学科会。夕方から始まって7時過ぎまでかかった。議論すべきことがそれだけあるということだが、けっこう疲れた。ゲラはゴールに近づきつつあるが、ここは慎重に進んでいかないといけない。スペインにいる長男がサキソフォンの国際コンクールでアンドラに行っている。毎年ここで伴奏ピアノを担当している。いつもネット中継で伴奏している長男の姿がリアルタイムで見られる。いつもながら姿勢がいいとか、少し老けたなと思ったり。次男の息子たちがそれを見て、「あ、パパだ」といったらしい。自分の父親のことは「父」といい、伯父さんのことを「パパ」と呼んでいるのか。それともほんとの父親と間違えたのか。うちの長男と次男はよく似ていることは確かだが。

04/18/火
本日は休み。真夏のような暑い日々が続く。妻と大手町まで散歩。高級チョコレートの店でパフェを食べた。白村江の校正、ほぼ終わる。最後まで、直すところはほとんどなかった。原稿がほぼパーフェクトだったということだ。この年齢になって、やっとまともな文章が書けるようになったなと、自画自賛している。

04/19/水
大学。今シーズンは授業が水曜と木曜に集中している。本日は2限から、明日は超早起きの1限がある。3限の大学院の授業を少し時間オーバーで話していたら、電話がかかってきた。4限は学部長会議だった。学部長会議は月に2回だけだが、あわただしい感じだ。これまで、大学院の授業は6限が多く、少しくらい時間オーバーするのがあたりまえだったので、今シーズンは気を付けないといけない。

04/20/木
大学。木曜日は4コマある。疲れる。アンドラでは二次審査が続いているようで、その課題曲の伴奏が超絶技巧どころではすごいもののようだ。手が痛くなるのではと妻が心配していた。ピアニストの長男はすでに40歳をはるかに超えているのだが、母親というものはいつまでも子どものことが心配なもののようだ。

04/21/金
本日は休みだが、文藝家協会でオーファン委員会。実証実験は無事終わり、シンポジウムも無事に終わったのだが、第2ステージに入ることになったので、まだ延々と会議が続く。システムを構築するためには、供託金を納める法務省の協力が必要だということになったが、お役所が動いてくれるかどうか。一歩ずつ前進していくしかない。ゲラは完了しているので、次の仕事を模索している。とりあえずは歎異抄についての本を書き始めているが、次の小説の構想を立てないといけない。

04/22/土
週末は休み。スーパーにウイスキーを買いに行くほほかは自宅でのんびりする。阿弥陀さまのことを考えている。阿弥陀さまというのは、虚構ではあるが、一つの確固とした世界観だ。宇宙はビッグバンから始まったというのも世界観だし、「光あれ」と神が命じて光があったというのも世界観だ。阿弥陀さまは無量光如来と呼ばれ、光の象徴でもある。だから阿弥陀クジと呼ばれる放射状の後光を発散している。阿弥陀さまもまた宇宙そのものだが、生きとし生けるものへの無限の慈愛をもった存在であるという点で、ただの宇宙とは違っている。ただの物理学的な宇宙も、こんなふうに人間を生み出し、わたしをこの世に生み出したことを考えれば、やはり慈愛のようなものがあるのかもしれない。わたしはこの世に生まれてよかったと思っている。リア充だとも思っている。それを宇宙への感謝ととらえてもいいし、阿弥陀さまととらえてもいい。その点、阿弥陀さまへの感謝は、わかりやすい。称名念仏という便利な儀礼がある。親鸞は、地獄はわが住処、と語った。わたしも、地獄をいとうつもりはない。極楽へ行きたいとも思わない。わたしは塵から生まれ塵に還る存在だと思っている。だから、阿弥陀さんについて考える必要もないし、本を書く必要もないのだが、いまのわたしのこの心境を、思い迷っている人に伝えることができれば、何かの役に立つのではないかという気持はある。ということで、毎日こつこつと、歎異抄の口語訳に取り組んでいる。さて、本日はたぶん夜になってから、四日市の次男一家が来ることになっている。住んでいる集合住宅にはゲストルームがあって、予約がとれている。直接、その部屋に行ってくれればいいのだが、1回くらいは来るかもしれない。孫と会うと腰を痛めるような気がする。防御の姿勢が必要だ。……と待ち構えていると、わりと早く到着。夕食を食べていないというので、われわれの食事に合流してもらって、騒がしい夕食となった。結局、9時すぎまでわれわれの部屋にいて、ゲストルームに退散してくれた。

04/23/日
孫たちは早朝にディズニーランドに行ったようだ。こちらは妻と散歩。いい天気なので、前から気になっていた荒川土手というところに行ってみることにした。御茶ノ水橋の上のバス停に、荒川土手行きのバスが来る。1時間1−2本しか来ないのだが、荒川土手ってどんなところだろうと思っていた。バス停までいくとぴったりのタイミングでバスが来た。終点の荒川土手。確かにそこは、荒川土手というしかないところだった。荒川の河川敷を散歩する。頭上に高速道路のジャンクションがあるので、ややうるさい。それでは青空があり、さわやかな風が吹き抜け、八重桜の並木があって、いいところだった。遠くに舎人ライナーが走っているのが見えたので、そこまで行けば駅に出るだろうと近づいていくと、駅はかなり先のようだが、バス停があったので、北千住に出た。孫たちの朝ご飯にパンを大量に買って、地下鉄千代田線で帰った。のんびりした休日であった。

04/24/月
大学。年に1度の武蔵野学の授業。3年生全員必修科目なので、2限と3限に同じことをしゃべる。話の順番を変えたので、午前と午後で違う印象の授業になってしまったかもしれない。朝、家を出る時、朝食を食べにきていた孫たちにバイバイと言ったのだが、自宅に帰ると玄関に荷物がまだあった。誰もいない。ほどなく妻、次男、次男の長男が帰ってきた。近くの科学技術館に行っていたとのこと。少し遅れて次男の嫁さんと次男の次男が帰ってきた。青山のクレヨンハウスに行っていたとのこと。孫2人は性格も好みも違うので、同じところへ行けないようだ。河出書房の担当者がゲラをとりにきた。売れない本なので申し訳ないようだが、何かの間違いで売れてほしい。『いちご同盟』は文庫本の59版が出るという通知が来た。毎年増刷するヒット作もあるのだが、最近書くものは増刷されるということがなくなった。戦略を立て直さないといけない。

04/25/火
本日は休み。どこにも出かけず。ゲラも昨日渡した。とくに急ぎの仕事はない。歎異抄を少し進める。

04/26/水
水曜は2限と3限。学部長会議は隔週なので、4限は修論指導。その他、小さな打ち合わせがあって、けっこうあわただしかった。明日の授業が終われば、しばらくは授業がない。あと1日だ。

04/27/木
木曜日は1限から4限まで授業があり、昼休みも打ち合わせが入った。働きづめに働いている。これで連休のスタート。月曜に会議があるのだが、授業はしばらくない。授業は愉しい面はあるのだが、それなりに気を使うので、しばらく休めるのはありがたい。

004/28/金
本日から3連休。月曜日に学科会があって大学に行くのだが、授業はない。それからまた8連休になる。月曜を休みと考えると、12連休になる。妻と散歩に行く。深川不動と富岡八幡宮、およびその周囲の下町を歩く。自宅に帰って、先日から読み返している『角王』から始まる3部作を読み終える。自分の作品だが内容はすっかり忘れていた。古代王朝をめぐるファンタジーで、なかなかいい作品だと思う。この流れの先に、神功皇后の話を書きたい。

04/29/土
今日も休み。昨日から、住んでいる集合住宅の敷地の広場で、ジャズのフェスティバルをやっている。明日まで。音が部屋まで聞こえてくる。散歩に出る時にようすを見たら、座席は満杯、周囲の芝生の上まで人が群がっていた。通れないくらいの群衆なので、反対側から散歩に出る。秋葉原に出ると、ここもすごい人混みだ。ぐるっと一週して帰ってくる。黒雲が出ていたので降るかと思ったが、降らなかった。時々突風が吹いた。ニュースを見ると、原宿では豪雨だったようだ。

04/30/日
3連休が終わった。とりあえずのんびりした。古代ロマンを書きたいという思いを抱きながら、ぼんやりと小説の構想を練っていた。歎異抄の口語訳も少しずつ進めている。こういうものは小説と違って、一気に書けるものではない。毎日、少しずつ進めるしかない。明日は大学で学科会があるのだが、火曜からはまた連休になる。8連休という、世間並みの休みがとれたので、歎異抄は読み続けたいと思っている。
さて、本日で4月も終わる。白村江の校正が終わった。去年の10月から本格的に執筆を始めた作品が、今月で手を離れた。このノートのタイトルも変えないといけないのだが、次の作品は未定だ。とりあえず「古代ロマン」としてノートを書き進めたいと思う。こんなふうに、次の作品の内容が決まらない状態は、時として生じるのだが、書きたいテーマはつねにあって、編集者との合意ができれば、一気に書き始めるというのが、自分の創作スタイルだった。だが今回は、まだ何も決まっていない。たまには現代小説を書くか、ということも含めて、のんびりしながら、これからのことを考えたいと思う。


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