「日蓮」創作ノート6

2007年3月

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03/01
お台場で映画を見る。いつもお台場に行くのはここでは老人は1000円で見られるからだ。いつものように「老人」と言うと、「今日はみんな1000円です」と言われた。そうか、映画の日だ。見た映画は「どろろ」。妻夫木くんはカッコよかった。柴崎コウはミスキャストだ。松浦アヤでやってほしかった。「日蓮」はミスに気づいた。側近の日朗は伊豆法難の時に負傷した傷が癒えず、ボディーガードとしては役に立たないので、小松原法難には参加していないという構想でここまで書いてきたのだが、資料を読み返してみると、日朗はすべての法難に側近として従っていることになっている。すると右手が使えない日朗が危険な旅に同行するためのエピソードが必要だし、なぜ助かったのかについてもエピソードが必要だ。やれやれ。また書き直しだ。しかしこういう細部を書くことによって人物像が深くなっていく。日朗と日興は現在の日蓮宗、日蓮正宗の祖だから、伝承と違うことを書くと読者のニーズから逸れていくことになる。小説だから時として作者が勝手にイメージをふくらませることもあるのだが、不必要に史実を曲げるのは慎まねばならない。

03/02
ジャスラックで打ち合わせ。会議そのものは30分、往復が徒歩30分ずつ。合計1時間30分の散歩である。わたしは文藝家協会の副理事長だが、著作権者の団体17で構成している協議会の議長をやっているので、いくつか事務局(ジャスラック)と確認事項がある。幸いジャスラックは自宅からの徒歩圏なので、少し長い散歩という感じで往復できる。

03/03
土曜日。今日は雛祭りだ。うちは男の子しかいなかったので、雛祭りとは無縁だった。しかし長男のところは女の子二人なので、スペインで雛祭りをやっていることだろう。孫二人にはそれぞれの初節句に日本から雛人形を送ってやった。船便で送るにしても大きさの制限があるので、長女にはミニチュアの三段飾り、次女には一段のものしか遅れなかった。しかしそろそろ出すのがめんどうだという気分になっている頃かもしれない。下北沢まで散歩。パソコンを買いたいので電気ショップをのぞいてみたが、ほとんどがビスタに変わっている。XPのものは3種ほどしかなかった。ネットにつながないワープロ専用のノートパソコンなので、ワードが使えるだけでいい。老人なので画面のデザインが変わっていたりするとやりにくいので、XPでワードだけ入っているものがほしい。来週、大きな電気ショップに行ってもよう。掘り出しものがあるかもしれない。「日蓮」は後半に入っていることは間違いないが、登場人物が急に増えてきたので頭のキャパシティーがいっぱいである。早く書き終えて楽になりたい。

03/04
日曜日。「日蓮」はいよいよエンディングに向けて、政治の話になってきた。日蓮の佐渡流罪は、蒙古襲来が原因ではなく、執権吉宗を支える内管領と、反乱を企てる異腹の兄の時輔および支援者の名越一族と京の公家勢力の対立に巻き込まれた(あるいは主体的に加担した)ことが原因である。その政治的な構図を明らかにしなければならない。ここからは登場人物が多く、整理が大変であるが、小説としてはスケールが大きくなっていく。「空海」でも薬子の反乱をめぐって政治ドラマが展開されるところが、読みどころになっている。ただし空海は勝者の側だが、日蓮は結果として負け戦になってしまう。しかし悲劇ではない。日蓮にとっては「法難」は正法を受持する証しということになるので、困難に遭遇する度に元気になっていく人物だからだ。

03/05
文藝家協会理事会。台風みたいな風雨。日蓮がしだいに屹立していく。つまりは、むきになるということだが。このあたりから、ファナチックになっていくのだが、やりすぎるとマンガみたいなになるので、大らかな人格を失わない程度で徐々に過激になっていく感じにしたい。このあたりからはスピードアップしたい。読者は残りページ数が少ないということは、本を見ていればわかるので、じっくりと読むというよりも、一気に読みたいと思うだろう。文章もそれに合わせてスピード感のあるものにする必要がある。

03/06
教育NPOとの定期協議。もう20回くらいこの協議を続けているので、親しい人々だが、わたしより一世代上の人々なので、雑談の中の戦争中の話など出てくる。戦後生まれのわたしとしてはひたすら学ぶしかない。

03/07
ペンクラブ言論表現委員会。これは著作権問題ではないので、ただ参加するだけでいい会だ。国民投票法案について。うーん、最近、こういうことを考えなくなった。でもこのことばっかり考えている人もいるんだ。感動。

03/08
今週は多忙だが、今日だけあいている。で、渋谷の電器ショップへ行ってパソコンを買った。現在は大学から貸与されたノートパソコンを使っているのだが、これを返還しないといけない。しかしこれは大変な作業だ。わたしはワープロはワード、変換は一太郎のエイトックというイレギュラーな方式なので、現在の使い勝手を移し替えるためになさねばならぬ手続きがある。たまったファイルも移動させないといけないが、どうすればいいか。文書ファイルだけならメモリーカードだけでも対応できるか。今晩、これから取り組むことになる。いまはとりあえず買ってきたパソコンを充電している状態。最初にスイッチを入れた時に、名前を登録しろとか、何やかやとややこして作業をやらないといけない。

03/09
ここから先は翌日に書いている。まず一太郎のディスクを探すだけで一時間以上かかった。キーボードに移し替えもわからないが、これはわずかな手間なので手で変更した。辞書の移動は、現在使用中のパソコンに移し替えた時はうまくいったのだが(二年前のことだ)、老人の悲しさでやり方をきれいに忘れている。辞書のファイルの名前はわかっているのにそのファイルが見つからない。隠しファイルになっていたのだ。隠しファイルを表示すると、自動バックアップのファイルが見えてしまってややこしいので見えない設定にしていたのだ。こんな簡単なことに気づかないのは頭がボケているせいだ。結局、完了した時には朝の6時を過ぎていた。軽く寝てから文藝家協会のシンポジウム。著作権延長の問題は語り尽くしたので、この会では「引用、パロディー、本歌取り」ということで、雑談のような座談会をやったのだが、思ったより充実した話になった。論争ではないので、司会者(わたし)が適宜に話題を振っていくことになる。司会は疲れる。月曜はまた著作権延長問題のシンポジウムがある。論争の方が気楽だ。

03/10
三重県男女共同参画センター来訪。来月の講演の打ち合わせ。夕方、下北沢まで散歩。日蓮は新しいパソコンで打っている。まだいろいろと慣れないことがある。このパソコンはスペースキーが眺めで無変換キーが押しにくい。わたしはここを平仮名のままで残す時に使っている(ふつうのパソコンではできない。自分で設定を変えている)ので重要なキーだ。無変換キーを押したつもりなのにまだそこはスペースキーで、変換されてしまうということが何度もある。ウイルスチェックの注意が頻繁に出るのも、どうやったら消せるのだろう。そのうち研究する。ワープロとしては使えるようになったが、まだ旧いパソコンのデータを移し替えていない。この作業が大変だ。

03/11
日曜日。昨夜、ようやく新しいパソコンが、旧いパソコンと同じ状態になった。この2年間に書いた文書を移すのは、メモリーカード一枚に入ったので簡単だった。ワープロの辞書が隠しファイルになっていたのに気づくのに時間がかかった。ここまでが木曜日。金曜日に百科事典と歴史事典を入れようとしたら、百科事典が入らなかった。写真などの転送のためリンクケーブルをつけようとしたら、これも反応しない。そこで土曜日(昨日)、上等のリンクケーブルを買ってきた。昨日のノートを書いた時点はそこまで。とりあえずリンクケーブルは受け付けてくれたが、そこから先に進まない。このリンクケーブルは中にドライバーソフトが入っているとのことで、マイコンピュータからたどってそのソフトらしいアイコンは出てくるのだが、そこをクリックすると、どのソフトで開きますか、という表示が出る。どうもコンピュータがCDかDVDと間違えているようだ。そこで作業がストップしていたのだが、メーカーのホームページを見ても何の情報も得られないので、月曜に電話で問い合わせるしかないかといったん諦めた。が、何かの拍子にエクスプローラで開くということを思いついた。やってみると見事に開いた。これで大量の写真を移し、ついでに百科事典の入っているファイルもコピーした。これで百科事典も読めるようになった。ただファイルに入っていないところにも重要な書き込みがあるようで、地図が開かないとか、言葉から言葉へリンクしないとか、使えない機能がいくつかあるが、とりあえず事典そのものは読めるので仕事に支障はない。この百科事典には国語辞典もくっついていて、実はこれを一番よく使っていた。これがないと困ると思っていたのだが、ちゃんと動いてくれた。この国語辞典は広辞苑級の情報量なのでそれだけでも価値がある。ところでパソコンからパソコンにコピーするのは、複製権の違反ではないだろうな。パソコンに最初から入っているソフトはそのパソコンでしか使えない(だから割引になっている)。しかし別に買ったソフトを自分のパソコンに入れるのはオーケーだろう。さて、本日は日曜日で、ようやく何もない日。昨日は土曜なのに来客があった。先週は一日だけ公用のない日があったがパソコンを買いに行ってその後、インストールなどしていたので疲れた。来週もフルに公用が入っている。一日だけあいているのだが、その日に大学へパソコンを返しに行く。ハードな日々が続くのだが、日蓮は元気に前進している。

03/12
朝、文化庁著作権分科会。夜、著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム(保護期間延長反対派)のシンポジウム。長い一日。ちょっと疲れた。このところ新しいパソコンの整備で過労気味であった。少しのんびりしたいがそうもいかない。

03/13
大阪の産経新聞社の担当者来訪。連載の打ち合わせ。週1回の連載なのでそれほど負担にはならないだろう。いい天気になった。今週は昨日の文化庁とシンポジウムが終わったので、毎日小さな仕事はあるがやや楽になった。金曜も午前と午後に会議があるが、今日から明後日まではのんびりできる。日蓮はいよいよエンディングに向かって疾走することになる。
集英社の担当者から電話。永遠の放課後の1万部をはじる文庫6種総計3万部増刷とのこと。元気が出る。先日も「星の王子さま」の増刷が決まったばかり。増刷というのは読者に買っていただいた証しであり買ったからには読んでいただけたろうから、何ともありがたい。それに一種の不労所得でもあるので、ボーナスみたいなものだ。「日蓮」は書くのに時間がかかるので、大学を辞めたいまは、こういう増刷が経済的な支えになる。

03/14
著作権情報センターの理事会。初台からは明大前乗り換え。急行が来たので下北沢で降りる。駅を出るといつもの散歩のコースなのでうちへ帰ってきた気がする。昨日、ワープロが何か不審な動きをするのでまた壁に突き当たった。大学に返す旧いパソコンはもうカバンにつめてあったのだが、また出してきて、新旧を比べてみた。オプションで出てくる部分はそっくり同じにしたはずだったのだが、その他にもオートコレクトというのがあることがわかった。勝手にコレクトしてほしくない。何がまずいかというと、行頭から文字を打ち始めて、あとで行頭にスペースを入れると、ディスプレイ上は一字下げになるのだが、スペースは実際には入っていない状態になる。これでは役に立たない。便利すぎてかえって不便な機能だ。オートコレクトのチェックを全部はずしたら、ちゃんと動くようになった。やれやれ。

03/15
渋谷の郵便局でスペインの長男への荷物を出したあと、大学へ。退職のため研究室の明け渡しの手続き。もともと書籍などは持ち込んでいないので、ゴミを捨て、辞書一冊をもって帰るだけ。貸与のパソコンと備品、および研究室のカギを事務所に返還して手続きは終わり。妻の車で行ったので時間をとられなかった。これで大学とは縁が切れた。今回は二年間だけだったが、ずいぶん長く感じた。その間に、「空海」を書き、「日蓮」もゴールが見えるところまで来ている。あいまに「星の王子さま」の翻訳もしたし、「ツルカメ算」や「謎の空海」や「ダ・ヴィンチの謎」も書いた。「永遠の放課後」も書いた。充実した2年間だった。車に乗って大学を離れる時、安堵感があった。責任を果たしたということだろう。一年で500人以上の学生諸君と接したから合計1000人だ。それだけの作品を読んだことになる。疲れがドッと出た。

03/16
文藝家協会でダブルヘッダー。午前は書協と教材出版社の国語教材(入試問題集)のデータベース化について。難しい問題になりそうだったが、こちらからごくシンプルな提案をすると、ご了承いただけた。話を簡単にするとわかりやすいということ。話がまとまって、ほっとした。午後の会議まで空き時間があるので、千鳥ヶ淵を散歩。桜はまだだし、とても寒い。神保町の本屋で資料二冊購入。午後は新聞各社との話し合い。こちらもデータベース問題。新聞のデータベースは誰もが利用するものではないので、課金するほどのことではないが、いまのままでは問題が解決しないので、早急に解決策を探りたい、というところで次回につなぐという、とてものんびりしたペースの話し合い。会議の人数が多いとこうなる。代表者とサシで話をすれば三十分以内に解決する問題なのだが(午前の会議は相手が3人なので話が早かった)。短い原稿が3件あって、昨日は2件仕上げた。あと1件で「日蓮」に戻れる。講談社α文庫「初めての宗教」の見本届く。表紙は少女漫画ふう。

03/17
明け方に月刊『文蔵』の連載の原稿完了。「日蓮」も少し進んだ。この章が最終章になるのか、短い終章をつけるのか、あるいはもっと長くなるのか、あまり考えずに先に進みたい。エンディング近くでゴールが見えると、物語のスピードが速くなる。それは読者の心理からしても必要なことだが、あまりに急ぎすぎると話の中身がうすくなる。ぎりぎりまでゆったりしたテンポで粘れるかがポイントになる。従って、ゴールが近いということを意識せずに、しっかりとした描写で時間の流れを丹念に描いていきたい。

03/18
日曜日。妻の運転で三ヶ日の仕事場に向かう。週末は道路が混んでいるという思い込みがあって、なるべくウィークデーに移動するようにしていたのだが、昨日まで野辺山の電波天文台にいる甥が就職活動で在宅していたので、日曜の移動にした。来週は公用が一つもないので、仕事場にこもりたい。日曜はトラックが少なく、かえってすいている感じがした。いつもは足柄で休むのだが、こういうところは休日は混むので、富士川まで行ったが、こちらもけっこう混んでいた。しかし富士山の眺めが素晴らしかった。しかも富士山の手前に日蓮が立正安国論を書いた実相寺が見えるのだから素晴らしい眺めだ。三ヶ日に別荘を構えて二十五年。もう何百回とここを通っているのだが、日蓮ことを考えながら富士山を見るのはこの半年ほどである。知識があると眺めも変わる。わたしの小説の読者も、富士川を渡る度に日蓮のことを考えるようになるだろう。

03/19
月曜日。三ヶ日にいると曜日の感覚がなくなる。義父母が大阪から来る。妻が迎えに行ったがこちらはひたすら仕事。使い始めたばかりのパソコンにようやく慣れてきた。少し重い(重量が)のだが堅牢な感じがして安心できる。膝の上での安定感もいい。登場人物が急速に増えていく。ストーリーをアラスジのように語ってしまうと作品がどんどん痩せていくので、人物を登場させ、語りと描写で存在感を出していきたいのだが、内乱の気配がある状況で蒙古が攻めてくるという大変な時期だから、登場人物が多くなるのは仕方がない。まだラストスパートには早い。じっくりと話を展開させていきたい。

03/20
この仕事場の管理を頼んでいる大工さんが来たので、義父母たちと5人で豊橋の寿司屋に行く。前に3人で来たことがあるが義父母は初めて。寿司が出る前にサラダ、前菜などが出るので、ゆったりと食事ができる。わたし一人、生ビール2杯飲む。今日も一日中、しっかり仕事が出来た。安達泰盛を登場させるかどうか少し迷った。登場人物が多すぎる。しかしこの時代の軍事を支えている重要人物だし、日蓮の命を救ったという説もあるので、やっぱり登場させることにした。無骨な武者の感じを出したい。

03/21
安達泰盛との対話。うまくいった。会話で状況が語れるのでテンポがよくなる。この直後に第四法難が出てくるので場所もちょうどいい。四日市にいる次男夫婦が来る。義父母とは久しぶり。少しいてすぐ帰る。次男は元気そうだった。スペインにいる長男とはめったに会えないが、わたしと妻だけのためにブログを書いてくれるので、孫たちの様子もつぶさにわかるようになっている。かえって近くにいる次男の様子の方がわからないのだが、この仕事場に来ると時々顔を見せてくれるのでありがたい。

03/22
朝の八時前から隣の隣の土地でショベルカーが動き始めた。実はこの仕事場を建ててくれた工務店のオヤジが動かしている。息子の家を建てるのだそうだ。知らない人ではないので文句も言えない。妻は義父母を連れて志都呂のショッピングセンターに行った。一度帰ってきたから、今度は植木を買いに行った。ということで、やや寝不足だが、本日は一人で仕事ができた。ついに第四法難。ここがこの作品の山場だ。かなり調子が出てきた。東京から電話。「ダ・ヴィンチの謎」増刷決定。この三年間くらい、出した新刊書はすべて増刷している。かなりマニア向けの本もあったのだが、出版事情が厳しくなって、まったくダメな本は出せないという状況が続いているせいもあるだろう。初版部数も昔と比べたら少なめなので、増刷してくれないと書く方も苦しいのだが、増刷が決まるというのは初版が確実に売れるということで、本を出してくれた出版社に対して責任が果たせたという安堵感がある。

03/23
大阪へ帰る義父母を豊橋へ送っていく。老人二人は青春18切符でのんびりと移動する。ずっと老人がいて老人食ばかり食べていたので、昼は鷲津のイタリア料理。元気になった。明日は雨だというので今日は二日ぶんの散歩をしたのでやや疲れた。風がぬるんでいる。ようやく春だという感じがする。まだ風は強い。その風が心地よく感じられる。この別荘地は猪鼻湖という浜名湖の支湖に沿った自転車道路に接している。わたしは歩きながら考え事をする。ふだん三宿にいる時は北沢川緑道、烏山緑道などを歩く。三軒茶屋と下北沢を結ぶ茶沢通りを横断する時だけ信号があるのだが、あとは安全な道である。それでも住宅地の中の道路と交差しているので車が通ることはある。だが、この湖沿いの自転車道は、車が通ることはない。自転車もめったに通らない。時々犬を連れた人とすれ違うことがあるだけだ。そこで考え事に集中する。この仕事場に来ると仕事がはかどるのはそのせいかもしれない。第六章完了。引き続き七章。すごいスピードで進んでいる。

03/24
土曜日。明日は三宿に帰るので三ヶ日での作業は今日まで。大工さん来て、いっしょに中古の家具を見に行くことになった。この仕事場では電話線でメールを見ているのだが、ジャンクメールが多く時間がかかる。そこでブロードバンドにしたいと思うのだが、ルーターを置く場所が必要なので、小さなサイドボードのようなものがほしい。ルーターを載せるだけなので奥行きのうすいものがいい。望みどおりのものがあったので買う。ついでにギターを買った。三宿のギターが壊れかけている。買ったギター(中古だが)を三宿に持って帰り、壊れたギターをこちらにもってこようと思う。日蓮は佐渡に達した。佐渡ではまた新たな登場人物。頭の中がパンクしそうだ。しかし佐渡を乗り切れば、ストーリーは終わる。最後に身延山、そして武藏国池上ということになるが、このあたりはエピローグとして、スピードアップして語ればいい。あとわずかでゴールが見えてくる。

03/25
日曜日。妻の運転で三宿に帰る。ずっと雨だったが、出発の時だけ雨がやんで荷物の積み込みに支障がなかった。今回は古代中世人名辞典(2万円)という重い本をもっていったので疲れた。夕方、北沢川緑道まで散歩。アンコ屋公園のフライング桜が満開だった。これでは何のことかわからないだろうが、淡島の交差点の東急バスの車庫の先に昔アンコ屋の工場があったところがいまは公園になっていて、正式の名前はあるのだろうが、わたしと妻はアンコ屋公園と呼んでいる。そこに若木の桜が植えられていて、北沢川沿いの名所の桜の古木と比べると一週間くらい早く咲く。それでわたしがフライング桜と命名した。それが満開であるが、古木はまったく気配なし。花見ができるのはまだ先だろう。

03/26
月曜日。先週はまったくヒマだったが今週はびっしりとスケジュールが埋まっている。本日は日本点字図書館。なぜかわたしは評議員と理事を兼任しているので、2時間の会議を両方とも出なければならず、しかもアキ時間が1時間あって、合計5時間もかかってしまう。ま、いいけど。PHPから新刊の文庫届く。昔文春ネスコから出した「般若心経の謎を解く」。すでにPHP文庫から「聖書」と「アインシュタイン」を出しているのでこれで三部作完了。ホームページのウェルカム・ロゴの下にバナーで新刊書を紹介しているのだが、このバナーが7本になった。新刊書と再版の紹介なのだが、このところどの本も増刷するので、バナーが足らなくなった。「いちご同盟」のように毎年増刷するものはここには出していない。このバナーを作る時に、文字の色とバックの色を16進法の数字で打ち込むのだが、これがいまだによくわからない。「000000」が黒、「FFFFFF」が白ということはわかっているが、あとは数字を打ち込んでみて、あ、こんな色になるのか、という感じになる。文字が読めないようだと修正するが、思いがけない変な色になっても、ま、いいか、ということにしてしまう。今回の「般若心経」も、思っていたのと違う色になったが、くっきりしていて文字は見えるのでそのままにしておく。

03/27
火曜日。本日の仕事は床屋に行くこと。今日しかあいていない。床屋は火曜も休むことがあるので心配だったが、やっていた。ただしオヤジがひどい風邪をひいていた。やばい。大阪の産経新聞の連載が始まる。5回ぶん送る。週1回なのでこれで5月の連休までもつ。その頃には「日蓮」は完成しているだろう(そうあってほしい)。

03/28
映連との協議。映画の原作をめぐっては以前からの懸案事項があったが、なかなか協議する機会がなかった。わたしは著作権の責任者だが、この問題は映画に詳しい人にやってもらう必要があるので、映画原作委員会というものを新たに作る浅田次郎さんに就任していただいた。本日は理事長と、山本一力さんにも加わっていただき、わたしはオブザーバーとして参加したのだが、まあ、ここに到る経緯など必要な話はした。参加の皆さんにご理解いただいたことと思う。映連の事務所は江戸橋にある。わたしは三越前から歩いていったのだが、風が和んでいた。これでは桜は一気に満開になるだろう。

03/29
著作権情報センターの総会および理事会。ここは初台のオペラシティーにある。京王線で明大前乗り換え。最寄りは池ノ上だが、帰りは下北沢で降りて北沢川を散歩。ここは桜の名所。もう満開といっていいだろう。「日蓮」は本日からエンディングに向けてスピードアップすることにした。なるべく描写を避けて、テンポよく語る。読者は本の残りページが少ないので気があせる。そういう状態でかったるい描写をすると読者の気持ちが離れていく。

03/30
もう3月も終わりだなあ。文化庁。小委員会。本日は第一回だが、いきなり本質的な議論になった。ここで議論をしても仕方がないとは思うのだが、いまわたしは頭の8割くらいが日蓮に占領されているので、どうしても折伏したくなってしまう。ただし、エンディングに近くなった日蓮は老境であり、やや穏やかになっている。ここまで日蓮とともに生きてきて、よく頑張った人だと思う。何よりも国の柱になろうという志がいい。

03/31
土曜日。浅草へ花見に行く。半蔵門線で曳舟まで行き、浅草に戻る。遠回りなようだが、隅田川を越える鉄橋からの眺めが素晴らしい。こういうルートはわたしの回転の速い頭脳では思いつかないのだが、先日、妻が亀戸へ行くというので、錦糸町から一駅だと教えたのがきっかけ。亀戸が総武線だということを当然、妻は知っていると思って説明しなかったのだが、妻はそのまま錦糸町の次の駅で降りようとしたら押し上げだったので、さらに一駅乗ると曳舟で、そこで車内アナウンスと亀戸方面乗り換えと告げたので、ちゃんと亀戸まで行けたのである。曳舟回りで亀戸へ行くというのがアリなら、浅草も曳舟回りで行っていいのだと思いついた。花は満開。その後、どういうつながりかわからない日本舞踊を見た。何だかわからないが、とにかく花見はできた。
3月も終わった。担当編集者には「お彼岸の頃までには完成させます」と告げてあったが彼岸は過ぎてしまった。まあ、秋にもお彼岸はあるから嘘をついたわけではない。ゴールは見えている。あとわずかだ。


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