「日蓮」創作ノート5

2007年2月

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02/01
早稲田大学、卒論口述試験。今年一番の早起きで大学に行き、まず一文。13人いるので2つのグループに分けて面談。夜の二文との間にアキ時間が6時間もあるのだが、ちょうど昨日、PHP文庫の「般若心経の謎を解く」のゲラが届いたのでこれをもってきた。途中で、大学生協の退会届を出しにいく。出資金1万5000円戻ってくる。嬉しい。預けてあったお金ではあるが、何だかトクをした気分。結局この2年間で生協を利用したのは研究費で書籍を買っただけだが、年40万の研究費で本が1割引きで買えたのでメリットがあった。ただそのオツリで何か余分に買ったかというと、めんどうなのでそのままにしておいた。使い残した研究費は大学に自動的に寄付されるので、まあ、よかった。帰りにマクドナルドに寄って、念願のメガマックを買う。わたしはジャンクフード好きではないが、テレビの宣伝には乗せられやすい。メガマックの感想。老人になったせいか口がそこまで開かない。夜は二文。こちらの方が学生のレベルが高い。大学の先生を始めた20年前は、明らかに一文の方がヤル気のある学生が多かったのだが、いまはまったく逆だ。社会人入学や学士入学を増やして、意欲のある学生が多くなったこともあるだろうし、不況が長く続いているので授業料の安い二文に意欲のある学生が集中するということもあるだろう。その二文がもう募集を中止し、数年後にはなくなってしまう。何とも残念だ。長い一日だった。これから夜中の仕事だ。いよいよ日蓮が辻説法に立つ。弟子の日興の個性で場面に緊張感が出るようになった。そして時頼と日蓮の対決という、この作品の山場に突入する。ところで自宅に帰ったら「空海」の9版が届いていた。読者に感謝。

02/02
中村くんと三宿で飲む。中村くんはこのホームページの読者にはおなじみの編集者である。大学の講義録の三冊の本(いまは集英社文庫収録)を作ってくれた。その後、角川、幻冬舎、角川春樹事務所と、本人は角川三冠王といっているのだけれども、出版社を点々とする間も、おりにふれて飲んでいたのだけれども、仕事はしなかった。その後、パジリコという出版社に移ったので、「犬との別れ」を書いたのだが、いまは学研にいる。しかし今年のスケジュールはすでに決まっているので、当面の仕事はない。で、気楽に飲める編集者である。というか、気がついてみたら、いま仕事が進行している担当編集者の半分以上は女性だなあ。酒を飲みながら企画を練るという時代ではないんだろうな。ということで、中村くんは貴重な存在である。昨日で大学の仕事が終わったので、まあ、自分で慰労会をやるつもりで中村くんを誘って、池尻のふだんはいかない国道の反対側のゾーンへ行ってみた。このあたりも昼間はよく散歩で通るので、いい店があることは知っていたのだが、改めて夜に行くと、どの店も人でいっぱいだ。イタメシの店とバーみたいなところに入ったのだが、どちらもいいところであった。幸せな気分で帰ってきて、これからまた日蓮の挑む。夕方までずっと日蓮をやっていた。日興という弟子をややファナティックにしたので、日蓮のイメージが穏やかになった。前から気になっていたのだが、日蓮を過激な人物にすると、鎌倉時代の全共闘みたいなことになるのでどうかなと思っていたのだが、いい感じで日蓮のキャラクターが固まりそうな感じになってきた。幅の広い読者に受け入れられる日蓮像ができそうだ。

02/03
節分だそうだ。妻が恵方巻を買ってきた。関西の風習ということだが、わたしの家ではこんなものは食べなかった。とにかく北北西に向かって無言で食べる。願い事をせよとのことだが、家族の健康の他に願うことはない。家族というのはスペインにいる長男一家、四日市にいる次男夫妻、それと自分と妻だ。自分が健康であれば仕事はうまくいく。本が売れてほしいとか、そういうことは願う必要はない。子供の受験とか、他力本願ことは何もない。渋谷まで散歩。往復歩いたので疲れた。姉の友人のFさんが牛肉をもってくる。三人で焼いて食べる。姉は長期のロードに出ている。「日蓮」は時頼のキャラクターの説明。時頼の実物が出てくる直前に入れるといかにもという感じなので、少し前に挿入する。伏線である。こういうことがパソコンではすぐにできるのでありがたい。35歳でワープロを使い始めてから、ずっとこの種の恩恵に感謝している。この作品の山の一つが時頼との対決だ。魅力的なシーンになる。

02/04
日曜日。立春だが寒い風が吹いている。北沢川を散歩すると一本だけ桜が咲いていた。間違えたみたいだ。歩いているうちに「日蓮」のエンディングを思いついた。うまくいくかどうかわからないが、帰宅してからそのエンディングに向かうための伏線を入れた。「空海」は空海が高野山の予定地を眺めているところで終わっている。しかし「日蓮」の場合、日蓮の死後のことも少し入れたい感じがしている。そのためのエンディングの仕掛けを考えた。たぶんうまくいくと思っている。

02/05
月曜日。本日はスーパーボウルの月曜日だ。一昨年はスペインに出かける日の朝だったので成田のホテルで途中まで見たことを思い出す。去年はスティーラーズ、今年はコルツと、支援しているチームが勝ったので気分良く見られたが、オープニングにヘスターにキックオフ・リターン・タッチダウンを決められた時はどうなるかと思った。フレーオフに入ってから、この1試合に2回リターン・タッチダウンを決めたこともある新人リターナーにまともにキックをするチームはなかったのに、どうしてオープニングに真っ直ぐ蹴ったのだろう。しかしまあ、コルツが勝ってよかった。来年はコルツ対ジャイアンツのマニング兄弟対決が見たい。
「謎の空海」、発売半月にして増刷決定。読者の皆さまに感謝。「日蓮」もいよいよ山場に突入した。

02/06
文藝家協会で打ち合わせ。まあ、散歩に行くようなもの。あとはひたすら「日蓮」。日蓮と時頼の対決。時頼の方は政治家だから現実路線だが、禅の素養もある人なので、思想的な対話も期待できる。ところでその直前、辻説法をしている日蓮に念仏系の指導者が問答を挑む場面がある。資料によれば一言、二言、問答をしただけで、相手は絶句して退散した、ということになっている。小説だから、その問答の内容を具体的に書かないといけない。資料には文言が書いてないので、創作するしかないのだが、一言、二言だけで相手をやりこめるというのは、どんな議論なのだろう。これを書くのは大変ではないかと思ったのだが、書いてみると一瞬で書けた。これは著作権関係の議論で日頃から鍛えられているからだと思う。ボランティア活動もこういう形で役に立っているのだ。

02/07
しばらく公用がまったくないのでひたすら「日蓮」。時頼との対決が終わる。これで山場を通過してしまったが、これから先、何が起こるのだろう。数々の法難はあるがそれは身体的なスリルがあるだけで、思想的なドラマはない。身体的なスリルと年月の経過につれて日蓮の思想が次第に熟成するといった展開になるはずだが、天才というものは若い時にアイデアがひらめいていきなり頂点に達するということもある。年としもに熟成していくので天才の感じがしなくなる。まあ、教団が大きくなっていき、弟子たちも年老いていくということで、教団全体が練れていくということだろう。

02/08
第3章、ほぼ終わった。ここまで快調なペースで進んでいる。「空海」の9版、「謎の空海」の2版が出るということで、全体に快調である。

02/08
11時すぎに三宿を出発。三ヶ日に向かう。夜中に焼津のあたりで大きな事故があったようで、朝まで通行止めだったそうだ。ようやく開通したのだが、まだ事故現場では壊れた中央分離帯のガードレールの補修工事を続けていた。そのため車線規制があって大渋滞。いつもより1時間半くらい余計にかかったが、夕方までには仕事場に到着。年末と違って、進行中の仕事をかかえているので、担当者にはメールなどを送ったのだが、いささか不安。仕事場に着いてメールを見ると、早速いろんなメールが飛び込んでいた。インタビューの依頼などもあって、こちらが仕事場にいることを説明して、月末あたりでもいいかと調整する。まあ、メールとは便利なもので、何回かのやりとりで話が決まっていく。三ヶ日は温かい。年末に来たときは寒さと風にふるえたのだが、風もなく穏やかで、春が来たような感じだ。仕事も少しできた。

02/09
三ヶ日ではいつものように朝型になる。雨戸を閉めずに寝るので陽射しで目が覚める。犬がいた時の習性がまだ残っていて、散歩に行こうと歩き回る犬の足音が空耳のように聞こえる。朝食のコーヒーを飲んでいると郵便屋さん。雑誌に掲載する短いエッセーのゲラが届いた。そんな時期だろうと思って仕事場の住所をメールで伝えてあった。赤字を入れて郵便で送る。先日見たテレビで、浜松は日本一の餃子消費地だと知った。宇都宮が日本一だと思っていたのだが、その十倍くらい消費するのだという。浜松は県庁所在地でも政令指定都市でもなかったので、統計がとられていなかったのだという。しかし、仕事場のある三ヶ日も含めて、周辺の町が浜松に吸収合併されたため、来年あたりは統計が出るはずだという。確かにお持ち帰り餃子の店が多いとは感じていたが、浜松の人は、親戚や友人が集まると必ず餃子の皿を囲むのだという。確かに餃子は穀物の皮に肉と野菜が包まれた完全食だ。完全食という意味は、これだけあればご飯もサラダも要らないということで、酒のつまみにもなるが食事の代わりにもなる。で、本日は昼食は餃子。お持ち帰りの店の脇で食事もできるようになった店。少し時間がずれていたので、ご飯はないよと言われた。餃子にご飯とみそ汁がついた定食を出しているらしいが、わたしはビールがあればいいし、妻は餃子だけでいい。日本一の浜松で初めて食べる餃子であるが、美味というか、サラッとしていて、いくらでも食べられる感じだ。しかしいまダイエット中だし、昼ご飯なので控えめにして、イオン志都呂店へ。巨大ショッピングモールをのんびり散歩。ウィークデーなのですいている。浜松にはこの志都呂店の他に、市野店というのもあって、こちらも巨大な店だ。市野店には人の流れの主流からはずれたゾーンに、どんなに混んでいてもひっそりとしたテラスがあって、妻が買い物をしている間にここで生ビールのジョッキを飲むのが至福の時間なのだが、志都呂店は市野店より面積が大きいのに、そういう落ち着いた休憩所がない。仕方がないので妻といっしょに買い物につきあった。疲れた。帰ってメールを見るとまたぞろさまざまな難題が降りかかってきた。メールの返事を書くだけで夜までかかった。三ヶ日では朝型になっているのだが、これでは仕事が進まないので夜中も仕事をする。これでまた朝になると犬(幻想の足音)に起こされてしまう。

02/10
大工さんが来た。彼はわたしより二歳くらい上のはずだが、父親を一人で介護している。妻も子供もあるはずなのだが、なぜか一人で介護しているのだ。一人で介護するのは大変である。父親がデイサービスで施設に入っている間、わたしたちのところに遊びに来る。本日は豊橋の寿司屋に行った。彼も初めてであったが、駐車場がいつも満杯になっているので気になっていたとのことである。入ってみると、よい寿司屋であった。サラダと前菜が出てから寿司が出てくる。この間合いがいい。生中二杯飲んだ。いつも行く古着屋でプーサンの頭にタコが乗っているヌイグルミを買う。85円。「日蓮」は北条時輔が出てきて、話がいきいきとしてきた。こんな人物は出す予定はなかったのだが、四章に入って、あとは法難を一つ一つ描いていくだけでドラマがないなと思っていた。時輔は執権吉宗の異腹の兄である。気の毒な人だ。こういう人物は、良い人として描きたい。読者に好意的に迎えられるキャラクターにしたい。日蓮のキャラクターは出来上がっているし、これ以上は突っ込まない。あまり描きすぎると威厳がなくなる。たださまざまな脇役との絡みの中に、主役の存在感が出ればいいと思う。その意味でも脇役の存在は貴重なのだ。

02/11
本日は日曜で、建国記念日。建国記念日って何なのだろう。神武天皇の即位の日ということらしいが、伝説上の人物だし記録が残っているわけでもない。2月11日というのは根拠がない。結局、2月は他に休日がないとか、その程度のことで決まったのではないか。こちらは仕事場にこもっている状態だが、休日はメールなども来ないので落ち着いて仕事ができる。昨日も今日も、別荘地内や猪ノ鼻湖湖岸を1時間ほど散歩。歩くと亡くなった犬のことを思ったりする。仕事は順調に進んでいる。夜、四日市の次男が来る。日曜でも出勤していたという。労働者は大変である。明日来ると言っていたのだが、仕事が思っていたよりも早く終わったのだろう。嫁さんは引っ越しをする実家の手伝いにいっているという。次男一人なので、ご飯の残りもので何とかなった。嫁さんと二人で来ると、食料品が底をつくくらいになるのでパニックである。

02/12
次男の誕生日である。31歳になるという。まあ、大人だなあ。しかしわたしから見れば子供はいつまでたっても子供だ。31歳といえばその年に、父が亡くなった。その時に、ほっとしたのを憶えている。ほっとしたというのは、31歳になった自分がいて、もう大人として生きていけるという実感があったからだ。芥川賞も貰って作家として世間に認知されていたから、経済的な心配もなかった。さてわが次男はというと、何を考えているのかよくわからないのだが、とりあえずちゃんと働いているから、立派な大人だ。フリーターでもニートでもないので親としては安心である。ひるがえって考えてみると、芥川賞を貰う前の時期、わたしは子供が2人ある身で、フリーのライターであった。フリーのライターも縮めればフリーターだ。父は心配していたのではないかと思う。さて、次男は嫁さんが実家に帰っているので、それでたぶん飯を食いに来たのだと思う。四日市からは車なに1時間半もあれば来られる。それでご馳走をすることにした。浜名湖といえばウナギだが、最近はウナギは不漁で、浜名湖近辺の店で出すウナギもほとんど台湾産になっている。スッポンも名物だが、あんまり元気になりすぎても困るので、フグを食べることにした。フグは下関が有名だが、実は駿河の沖合が日本一の漁場である。以前は漁れたフグの大半を下関に送っていたのだが、ウナギが漁れなくなったので、地元の店に出すようになった。数年前からフグ調理の講習などをやって免許をもった料理人を増やしたので、旅館や料亭ではたいていフグが食べられるようになっている。海に近い弁天の有名な料理屋に行く。浜名湖大橋で目の前に見える個室に案内される。次男はこれから四日市に帰るので酒は飲めない。わたし一人で生ビールを飲む。次男とじっくり話をする機会もないので、久々に話ができてよかった。いまから10年近く前、次男が大学を卒業した年に、わたしと次男と2人でベルギーへ行ったことがある。長男がブリュッセルにいたので訪ねたのだが、名所の見学などは次男と2人きりで行動した。わたしと次男の接触がいちばん密だった瞬間である。懐かしいなあ。次男が帰ってから夜中まで仕事に集中。伊豆法難が終わる。ここはとてもシンプルになった。

02/13
台湾産が多くなったといっても三ヶ日に来ればウナギを買う。白焼きで売っているのを自宅のフライパンでタレをかけて焼く。店で買うと小さな容器に入れたタレをつけてくれるのだが、以前よく買っていた店では、大きなビンに入ったタレを売っていた。その店が閉鎖したので、ビン入りのタレが入手できなくなった。そこで「業務スーパー」というところに行ってみると、さまざまなビン入りのタレがあった。業務用だから醤油や油は一斗缶で売っている。このスーパーは東京では見かけないが、静岡ではけっこう見かける。「業務スーパー」という名前のただのスーパーなのだが、その名を標榜するだけあって、まとめ買いをすると安くなる。カレールーなども巨大サイズのものを売っている。老人2人きりの生活なので、ただ眺めているだけだが、子供が5人くらいいたらこういう店は役に立つだろうなと思う。その後、都田テクノにあるカインズホームで買い物。この都田テクノというのは、つくば田園都市みたいな、研究所や工場のための巨大造成地なのだが、造成の段階でバブルがはじけたので、ふつの住宅地になっているところある。とにかく区画のサイズがでかいので、スーパーも平屋である。買い物をするといい運動になる。浜松はもう花粉が舞っている。わたしの場合はまず目に来る。鼻みたいにつまってしまうことはないが、目のアレルギーはとてもつらい。今年初めて薬を飲む。アレルギーの薬は眠くなるのだが何とか夜中の3時までがんばった。生涯に四回ある法難の3番目、小松原法難の直前まで来た。何だかこのペースだとすぐにゴールになってしまいそうだ。セリフを増やしてじっくり書いていかないと小説にならない。また、これから佐渡があり、身延があるので、山場はまだあるだろう。

02/14
一日中雨。台風並みの低気圧。この一週間、夜中に雨が通り過ぎることはあっても、昼間はずっと晴れていたのに、最後に雨。散歩にも出ずにひたすら「日蓮」に取り組む。丘の上なので風がきつい。築25年半の木造家屋は揺れ動く。でも風の向きがよかったのか今回は雨漏りはしなかった。ひたすら仕事をしていると、これからの展開が見えてきた。いくつか重要人物が出てくる。これらの人物を伏線としてもっと前に出しておく必要があるか。工藤吉隆は命をかけて日蓮を守る人物なので、かなり前の部分に伏線を張る。そういった作業のため最初から読み返す必要に迫られ、おそるおそる冒頭の親鸞との対話を読み返したが、何度も書き直して調整した部分だけに、よくできている。安心した。その後の展開もうまくいっているので、全体を読み返す必要はない。草稿ができてプリントして読み返すまでは通読の必要はない。ということで、必要な部分にだけ微調整を加えていく。その作業の途中でタイムアップ。明日は三宿に戻る。週末は「キリストと釈迦」のゲラが届くことになっているので作業は中断する。来週は毎日、公用がある。しかしこの三ヶ日での一週間で、「日蓮」はかなり先まで行ったし、これからの展開も見えてきた。あと、佐渡で何が起こるかはまだ資料にもあたっていないのだが、ここはもはや鎌倉の政治とは切れているので細かい伏線を張る必要はないだろう。ということで、この一週間で、作品の全体像が確立できたように思う。書き始めた頃は、日蓮という人物のキャラクターもつかめていなかったし、「空海」に比べてどうかと思っていたのだが、ここまで来るとこの作品は、さまざまな人間ドラマと政治のドラマがあって、かなり面白い作品になることは間違いない。残念なのは、恋愛がまったくないということだ。日蓮って、孤独な人だ。まあ、そういう人もいるだろう。

02/15
11時に三ヶ日の仕事場を出る。ウナギ屋とガソリンスタンドで時間をとられて三ヶ日インターに入ったのが11時半。途中鮎沢Pで休憩。3時に三宿着。ずっと妻の運転。急に登場人物が増えたので頭の中が混乱している。この状態で運転するのはまずいと判断。で、妻には申し訳ないが、車の中でも少し寝たので快調に夜型に移行できる。

02/16
渋谷まで歩く。本日は紀伊国屋に行った。「文蔵」に連載している「文章術」にこのところ名文を引用しているのだが、今回は村上春樹にしようと思った。といっても村上春樹の作品ではなく、カーヴァーの翻訳の日本語がなかなかのものである。書庫を探せばあるはずだが、もしかしたら雑誌掲載を読んだのかもしれないので、書庫を探すより本屋に行った方が早い。タイトルはうるおぼえで「ささやかだけど……」というものなので、「ささやか、カーヴァー、村上春樹」で検索したらすぐに出てきた。同名の単行本が出ている。どうも文庫にはなっていないようなので、渋谷の紀伊国屋はワンフロアだから、たぶん在庫がないのではと思っていたのだが、先に中公文庫の棚の村上春樹のところを見ると「カーヴァー名作集」というのがあって、「ささやかだけど……」も入っていた。改めて最初から一つ一つ読んでみると、うーん、ミニマルだなあ、と痛切に思った。ミニマルというのは、どうでもいい日常の細部だけがあって、ドラマは何もないということだ。これでも小説になるというのは、まさに文章術だ。「日蓮」の方もどんどん進んでいるのだが、ここは政治が絡む展開で、状況説明が大変だ。この時代の政権というのはまったくヘンテコリンで、天皇がいて、摂政関白がいて、将軍がいて、執権がいて(連署というのもいる)、得宗(北条一族の族長)がいて、北条時頼が健在であった頃は「得宗」が一番偉かったのだが、時頼が没すると、何と北条家の執事にすぎない内管領というのがナンバーワンになったりするのである。そんな時に蒙古が襲来したのだから、神風が吹かなかったらどういうことになっていたかと思う。日蓮はこの内管領と対決することになるのだが、そこに到る過程で執権時宗の異腹の兄の時輔や名越一族というのが絡んでドラマチックになっていく。「華麗なる一族」みたいな話で、親戚の中に葛藤がある。日蓮は傍観者なのだが、結果としては巻き込まれていく。ここがどうも山場みたいだ。この作品は冒頭に山場があって、それから何度も、これが山場だと思われるシーンがあるのだが、これから書くところが本当の山場だ。そう思って最後まで書いていくと、山また山のすごい作品になりそうだ。妻が税理士と何やら打ち合わせをしていた。昔は自分で計算していたのだが、文藝家協会の抵抗もむなしく帳簿をつけなくてはいけなくなった数年前からは、妻と税理士に任せている。去年は出した本が次から次へと増刷になったし、講演もやったので、まずまずの収入があったはずだが、明日どうなるかわからないフリーターであることは間違いない。とにかくいまは「日蓮」に集中したい。

02/17
2日前にエンディングまでのおよその構想がまとまったのだが、そのための伏線を貼る作業を続けてきた。ようやく微調整が終わり、小松原法難直前のところに戻った。ここで初恋の女性というか、十二歳で山門に入った日蓮の子供の頃のガールフレンドと再会するシーン。ある意味で山場だ。ここを美しく書かないと小説にならない。この作品で最も重要なシーンかもしれない。夕方、散歩を兼ねて、建設中の友人の家を見に行くと(わたしの散歩コースなのだ)ほぼ完成して車も入っていたから、もう引っ越したのか、週末に様子を見に来たのか。べつに挨拶する必要もないのでそのまま通りすぎて下北沢へ。本日のコーラスの練習はいつもの北野ではなく、片倉だというので、小田急で町田まで行き、JRで片倉へ。京王片倉からだとかなり歩かないといけないが、ここからだと駅前。いつものメンバーで、めじろ台の居酒屋で打ち上げ。メンバーの一人がご子息をつれてきた。22年間の家族ぐるみのつきあいなので、ヨチヨチ歩きの頃から知っている。うわー、背が高くてハンサムな好青年になっている。おまけに一流商社マン。独身。都心で一人暮らしだそうだ。考えてみるとメンバーの子供は、みんな大人になってるんだな、と改めて思った。

02/18
本日は日曜で何ごともなし、と思ったら「キリストと釈迦」のゲラが届いた。とりあえずこれが至急の仕事。だがもう少し「日蓮」を進めてから取り組みたい。来週はとてもハードなスケジュールだが、何とかなるだろう。

02/19
自宅にて日経新聞のインタビュー。このところ著作権関係のインタビューが多いのだが、本日は祥伝社新書「ダ・ヴィンチの謎、ニュートンの奇跡」のパブリシティーの取材なので、自分の作品のことを語れる。日経新聞に記事が出るというのはありがたい。「空海」も日経に書評が出て売れ始めた。この「ダ・ヴィンチの謎」はキワモノではない。科学というものが神秘主義から生まれたプロセスをたどって、認識することの大切さと奥深さを示したもの。まあ、キワモノと思って手にとった読者が、読み終えるとその奥の深さに驚く、といった本になっていると思う。これはわたしの思想の奥深さではない。認識論そのものの面白さで、わたしは認識(グノーシス)の伝道者にすぎない。

02/20
図書館との協議。図書館協会へ行くのは久しぶり。会議はいつもどおり。自宅に帰ってからが大変。原稿の送付やメールなどで1時間くらい格闘する。それが疲れた。

02/21
わたしが理事長をしている日本文藝著作権センターの機関誌の企画で、青空文庫の富田さんと対談。これは会員の皆さんに青空文庫の活動をご理解いただき、できればご協力をお願いしたいという意図で企画したもの。充実した内容になった。その後、スタッフと近くのスペインバーで飲む。早く帰って「日蓮」の小松原法難の話を書こうと思っていたのだが、もう一軒寄ろうと新宿に回ったところで昔世話になった編集者と出会い、さらに一軒、久しぶりに朝帰りとなった。これも一種の法難か。

02/22
自宅にて、「東洋経済」と「オリコン」の取材。どちらも著作権問題。必要な話はできた。ハードな一週間はまだ続くのだが、山は越えた。「日蓮」は小松原法難の直前の母親との対話で行き詰まっている。法難の前の小休止の場面で、こういうところはストーリーとは関係ないので、立ち止まってしまうと動かなくなる。小松原法難などは日蓮がどこを怪我して、随行者が何人死んだとか、死んだ人の名前もわかっているので、それを少しふくらませて書けばいいのだが、母と何を話したかなどということは史実に記されていないので、創作しないといけない。無駄は許されないので必要最小限でどんな話題がいいかということをじっくり考えてないといけないのだが、考え込むと止まってしまう。まあ、今週は疲れたので、少し休んでもいい。

02/23
本日は芥川賞のパーティーで、出席の返事を出したのだが、疲れたので欠席にする。河出の編集者(担当の上司)などに会えるかと思っていたのだが、その上司は一昨日の明け方に怪しいカラオケバーで遭遇したので、もういいか。小雨をぬって散歩には出る。体重が限度を超えている。母との対話を終え、小松原法難の直前、六老僧の一人、日向が登場した。六老僧というのは、イエスの中に十二使徒みたいなもの。イエスは若くして亡くなったので弟子たちも若かったが、日蓮の場合はかなり長生きしたので、初期の弟子たちはみな老人になっていた。六老僧の中で最も若い日向が出てきたのでこれで六人が揃った。

02/24
土曜日だが世田谷文学館の文学賞の授賞式。この賞はさまざまなジャンルがある。小説部門は今年から青野聰さんと担当している。予備選考の菊田均とも会えたので楽しかった。いよいよ小松原法難に突入。ここで第4章も終わりである。原稿用紙にして270枚くらいになっているが、歴史小説の場合は400枚ないと世界観が確立できない。あとしばらくこの時代を生きることになる。

02/25
日曜日。多忙な一週間がようやく終わった。「日蓮」は第五章に突入している。小松原法案の後、急速に教団が拡大していく過程である。これは全共闘運動みたいなもので、見識をもった若い武士たちが結集する。大衆運動ではない。知性をもった人々の運動体である。書いているうちにだんだん日蓮が好きになっていく。今日はとても寒いが、三ヶ日の寒さとは比べものにならない。

02/26
「一個人」の取材。写真撮影をするというので豪徳寺までつれていかれた。温かい日でよかった。テーマは般若心経。ところで先週の土曜日の新聞に都立高校の入試問題が出ていたのだが、「永遠の放課後」がトップの長文問題になっていた。昨年出したばかりの書き下ろし文庫だ。小説を書いていると、いったい誰が読んでくれるのだろうと心配になることがあるが、問題になると、少なくとも出題者は読んでくれたということはわかる。受験者も強制的にわたしの文章を読まされるし、これからも問題集などで何年にもわたって読むことになる。強制的に読まされるというのは気の毒なようでもあるが、作者としては嬉しい限りだ。

02/27
妻と渋谷まで散歩。東急文化村のティアラ展のタダ券があるというので行ってみたが、えらい混雑だった。「日蓮」はこちらの頭の集中度が高まってきたせいか、いろいろと修正点を思いつく。作業が大変である。

02/28
池ノ上のあたりを散歩。いまの家に住んで20年になるが、歩ける範囲でまだ知らない道がある。夜中、一度書いた小松原法難のシーンが気になるので手を加えているうちに、ようやくひらめくものがあった。仏教的なイメージが不足していた。ビジュアルなものを追加したのでよくなったはず。


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